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第二十一話 巫女の森(1)

 祭りの翌日は、それまで以上に慌ただしい出発となった。まだ陽が昇り始めたばかりの早朝に、イチカが起床を呼びかけたためだ。


 初めこそカイズやラニアから「オニ!」「美容の敵!」などと誹謗中傷が飛び出していたが、次第にそんな元気さえ萎んでいったのか、会話のない時間が長くなっていった。

 

 柔らかな陽光が、一行と大地を照らし出す。

 口元に手を当てて小さく欠伸をし、目をこするラニア。カイズやジラーも眩しそうに眼を細め、大欠伸を連発する始末。無言のうちに「もっと眠らせろ」と訴えているかのようだ。


 そんな彼らを心配そうに見つめるあおいは基本的には朝に強いため、他の仲間たちほど眠気は感じない。ここ数日は環境が劇的に変化したことによる疲れもあり寝坊してしまっていたが、ようやく身体が慣れてきたらしい。


「ねえ、気になることがあるんだけど」

 

 今にも瞼の落ちそうなラニアが地面を見下ろしながら、誰にともなく投げかける。

 

「今日どこまで行く気? イチカ」

「『巫女の森』までだ」

「はあっ?!」


 当然のようにイチカが即答して数秒、木霊する絶叫。亡霊のような足取りだったラニアは歩みを止め、眠たげだった顔は一変、目と口をかっ開いて彼を凝視する。そのままわなわなと持ち上げた右腕を、イチカに突き付けて。


「地図、持ってるわよね?」

「お前の店から持ってきただろう」

「読み方、知ってるのよね?」

「知ってる。夜通し歩けば一日で着く距離だ」

「ありっ得ない!!」


 言葉通り激しく首を左右に振り拒絶を示すラニア。取り乱す彼女を前に狼狽える碧と、傍観する――否、傍観しているように見せかけながら立ったまま寝ているカイズとジラー。

 

「あたしたち寝不足なのよ?! その上夜通し歩くって何?! 魔族が現れたらどうするワケ?! 眠すぎて戦うどころじゃないわよ! 非効率だわ!!」

 

 あまりの剣幕に圧されるイチカ。早起きも徹夜も彼にとってはなんでもないことなのだろうが、世間一般にはラニアの意見の方が至極真っ当な正論と捉えられるだろう。それについては理解を示したようで、妥協点を探ろうとする。


「分かった。今日は宿を取る。その代わり明日は、」

「別に朝早く出なくたっていいじゃない。明日中に着けば良いんでしょ? 少しくらいゆっくりしたって『巫女の森』は逃げて行かないわよ」


 そう、確かに『巫女の森』は逃げて行かない。多少のんびりしても誰も困らないのだ。

 イチカ以外は。


「そーやってチッチチッチばっかりしてるとモテないわよ?」


 微かに零された舌打ちはしっかりラニアの耳に届いていた。どうでもいい、と返すもラニアはすでに碧に駆け寄りイチカのことなど眼中にない様子。

 寝不足だのなんだのと喚いていた割には元気そうだ。そんな彼女に向け溜息を吐き、立ち寝したままの弟分たちを振り返って再度溜息を吐くイチカであった。

 


 

 

「おっはよーっ兄貴っ!」

「おはようございます、師匠!」

「ああ」


 明けて翌日。育ち盛りの少年たちは、たっぷり睡眠を取ったことによりいつもの調子を取り戻した。前日の覇気のなさが嘘のようだ。体調は万全、申し分ない活力である。目的地までの道のりも順調に進むことだろう。

 

『巫女の森』は、大陸のほぼ中心に位置するウイナーの北西にあり、隣町――と言っても、山に阻まれているため距離はかなり離れている――リヴェルとの間にある。


 かつてこの地を治めていたとされる伝説の巫女の聖域。その神秘的な響きに引き寄せられるように、人々はここに立ち寄り旅の無事を祈るのだという。


 宿を出た一行は先頭をイチカ、その両隣をカイズとジラー、その後方を碧とラニアという陣形で歩く。イチカは地図を広げていたが、そんな物は不要とばかりにカイズが胸を張る。


「なにせ道を知ってるのはオレらだけだしな!」

「万が一の保険ってことで」


 そう言って道案内を買って出た二人に対し、ラニアは胡乱うろんげだ。


「ちゃんと覚えてるの? 一回しか行ったことないんでしょ?」

「だいじょーぶだってあねさん! 意外と覚えてるもんだぜ!」


 疑いの眼差しを軽く受け流し、二人は意気揚々とイチカの隣を固めるのであった。


 歩くこと数時間。

 鉄壁だったはずのフォーメーションは見事に崩れ、イチカの横に付いていた二人はいつの間にか後方に下がっていた。

 というのも――。


「兄貴、ここ右な」

「違うぞカイズ、ここは曲がらずにまっすぐ行って、もう一つ先で右だ」

「お前こそ何言ってんだよ、ここは右だろ! そんでしばらくまっすぐで分かれ道で左だ」

「いーや、もう少し行くと見えてくる脇道で右に曲がって、そこからは直進だ!」

「右だっつの!!」

「まっすぐだっ!!」


 といったやり取りが分岐のたびに発生したためだ。

 教えてもらっている側のイチカも最初は我慢していたものの、毎回繰り返される喧嘩にいい加減嫌気が差し。


「もういい」


 お役御免である。

 哀愁漂わせながら静々と後退する二人を、「そら見たことか」と言わんばかりのジト目で見つめるラニア。


 さて、地図以外に頼るものがなくなってしまったイチカ。だからといって不安げな様子を見せることもなければ歩みを止めることもなく、分かれ道も即断即決。その落ち着きっぷりに、碧は感嘆せずにはいられない。


「イチカ、すごいね~~。巫女の森には一回も行ったことないんでしょ?」

「実は方向音痴とか、そーゆー欠点があってもいいのにね~~」


 ラニアが冗談半分に笑った矢先、突然イチカが歩みを止めた。


 時刻は昼下がり、そろそろ目的地近辺に足を踏み入れても良い頃だ。皆が一斉に顔色を変え、何事かと駆け寄る。


「師匠、どうしました?」

「どっか調子悪いのか?」

「大丈夫、イチカ?」

「薬あるけど、飲む?」


 矢継ぎ早に放たれる問いにもイチカは無言を貫いたままだ。四人の姿ではなく地図を視界に入れたまま動かない。ただ、不自然なほど力が加えられた地図と、それを持つ手は僅かに震えている。


「風邪かしら。えーと、風邪薬は――」

「いや、風邪じゃない」


 麻袋を探ろうとしたラニアを手で遮るイチカ。ラニアは怪訝そうにイチカの表情を覗き見る。


 伊達に三年間、共に過ごしてはいない。読み取りづらい表情ではあるが、感情の変遷は多少ならラニアにも分かる。

 彼の目元から上、普段以上に影が差している。滅多にないからこそ覚えている。落ち込んでいるときに見たことがある表情だ、と。


 では一体何に対して落ち込んだのか。彼が立ち止まる直前の状況は。それらを黙考し、ラニアはとうとう閃いた。


「もしかして、道に迷ったの?」

「え!?」


 残る三人は想像だにしないラニアの質問に仰天し、真偽を確かめるべく同時にリーダーに視線を注いで返答を待つ。

 居たたまれなさからか、イチカの頬を一滴の汗が伝った。


「……すまん」


 とても言い逃れできる空気ではない。

 耳を澄まして辛うじて聞こえるくらいの小さな声で、イチカは本当に申し訳なさそうに一言謝った。





「ま、まあ兄貴、そう落ち込むなって!」

「行ったこともないところに、いきなり行ける方がすごいよ!」

「そうそう! オレらなんて一回行ったのにうろ覚えなんだぜ?!」


 自虐を交えつつイチカを励ますカイズとジラー。そんな彼らをチラ見しつつ、ラニアに耳打ちする碧。


「なんか、意外だね」


 碧のそれは勝手な思い込みとはいえ、容姿が整っているから欠点がない、と安直に思われやすいのが「イケメン」の悲しい性である。


「そう出来た人間なんていやしないわよ」


 地図を見ながらばっさりとぶった切るラニア。実は彼女、いわゆる「残念なイケメン」に嫌と言うほど心当たりがある。碧がその人物に出会うのは、もう少し先のこと。


 さて、『巫女の森』に行ったことはないものの、地図を読むのは得意らしい。紙の上に滑らせていた指を、ある一点で止めるラニア。指さしたそこは、縮尺上は巫女の森からさほど離れていないところだった。やや険しかった表情を緩め、安堵の溜息を吐く。


「でも、思ってたほど迷ってないわ。ちょっと道を外れただけみたい」

「そんなに迷ってないってー!」


 碧はラニアの見解を聞くや後ろを振り向き、イチカたちに呼びかける。


「だってさ、兄貴」

「良かったですね、師匠!」


 イチカは視線を地面に向けたままだったが、彼を取り巻いていた気の淀みがほとんどなくなったことから、どうやら少しは心が晴れたようだ。


 とはいえ、本道を逸れたことに変わりはない。巫女の森へ繋がる道に出る必要があるが、イチカが分からないなりにがむしゃらに選んだ進路である。元来た道を戻るのは時間がかかりすぎる。


 そこでラニアが選択したのは、木々の間を横断する「最短距離」。道ならざる道ではあるが、やむを得ない。


 人間の五倍ほどの高さを誇る木々が立ち並ぶ中、それらの孫のような大きさの木の葉や枝が絶え間なくぶつかってくる。時には土に埋もれた根っこに足を取られて転ぶ者も。


 そうして一行の身なりがみすぼらしくなってきた頃、急に視界が開けた。本道へ出たのだ。たった今力ずくで切り開いてきた道とは違い、整備された道。左右に果てしなく続く道を感慨深く見回す一行は、やがて前方に『それ』を認める。


「鳥居?」


 碧が呟いたとおり、『それ』は鳥居だった。一行を見下ろす背の高い木々に負けず劣らず、長身の鳥居はその存在を主張している。だが、碧らの目を引いたのは背丈だけではなかった。


 鳥居は足元から天辺まで赤一色だった。かなり古いのか、塗装が落ち色褪せてきている。それでも十分「赤だ」と言い切れるのだから、以前はもっと濃厚な色をしていたのだろう。それは大きく口を開けて、碧たちを出迎えているようだった。


「……どうする?」


 皆が訝しげに声の主を――碧を振り返る。


「どうするってアオイ、入らないの?」

「え?」


 ラニアが困惑したように訊ねると、何故か同じく困惑したような、呆けた表情を浮かべる碧。どうやら無意識のうちに出た言葉だったらしく、視線を向けられた理由がすぐには理解できなかったようだ。

 

「あ、ううん、入ろう」


(さっきのは……あたし?)


 自らの言動に戸惑う碧の心情など知るはずもないイチカらは鳥居をくぐり、どんどん森の奥に入ってゆく。いつもよりペースが速いと感じ、歩幅を広げてなんとか追いつこうとする碧だが、何故か追いつくことができない。それどころか走っても走っても、追いかければ追いかけるほど遠ざかっていく。


「ね、ねえ、待ってよ!」


 声を張り上げる碧の声が届かないのか、どんどん小さくなっていく四人の背中。やがて誰の姿も見えなくなって、一人残された碧はその場で立ち止まった。


 仲間たちの機嫌を損ねたとすれば先ほどの発言だろうが、それにしてはあまりにも一斉で、不自然で、唐突な拒絶だ。もちろん実際にどう感じたか、それによってどう行動するかは各々が決めることだから、早合点もできない。


 けれども碧は何よりも、彼らが自分から離れたという事実が受け入れられなかった。


「そうか。あたし、悪い夢でも見てるんだ」


 自らに言い聞かせながら手を両頬に持っていき、つまむ。そのまま思い切り両頬を引っ張った。夢ならば、どれだけ()()()つねろうが痛くないはずだと思ったのだ。


「……っ!」


 期待を裏切るように走る鈍い痛み。手を離した後もしばらく両頬に残る違和感。今が現実であるということを思い知らされた碧は脱力し、膝から地面に崩れ落ちる。


「どうして? どうしてみんな、戻ってきてくれないの……?」


 うわごとのように呟いてみても、一人として戻ってはこない。誰も答えをくれない。

 視界が霞みそうな碧の脳裏を、祭りの日のイチカの「忠告」がよぎる。


 ――『今度はぐれても探しに行かない』。


(あたし、はぐれたから置いてかれたの?)


 冗談じゃないと頭を振る。突然振り切るように速度を上げ、置いていったのはイチカたちの方だ。碧はよそ見をしていたわけでもないし、人混みに紛れ込んだわけでもない。しっかりと彼らの後に続いていたのだから。

 だからこそ、急激な展開に頭が追いつかない。


(あんなこと言わなきゃ良かったんだ)


 どうして意図しない言葉が口を突いて出たのか、嘆き悲しむ碧にそこまで思いを張り巡らす余裕はなかった。


「……やだよ……こんなの……何かの間違いだよね……ちょっとだけ、リアルな夢なんだよね……?」

【――本当にそう思う?】


 声は突然、頭の中に響いた。仲間たちではない。

 碧は弾かれたように顔を上げ、辺りを見回す。もしかしたら新手の魔族かもしれない。自らを護る手立てはなく、恐怖心で身が縮こまる。


「誰……!?」

【怖がらなくていいよ。あたしは『あなた』なんだから】


 そう告げる声は確かに、碧の声そのものだった。

 自分自身が一番よく分かっている。誰よりも耳にしている声。けれども、自分の声が語りかけてくるという状況は碧を錯乱させるには十分すぎるほどで。


「意味分かんないよ……!」


 激しく首を振る碧に構わず、もう一人の『碧』はまるで肩を竦めるような口調で喋り続ける。


【かわいそうにね。だけど、簡単にあの人たちを信用しちゃった『あたし』にも落ち度はあるよ】

「なに言ってるの……?!」

【騙されたんだよ】


 その冷たい声色に、碧は肩を震わせた。


「そんな……そんなはずない! イチカもラニアも、カイズもジラーも良い人だもん!」

【ほんのちょっと前に知り合ったばかりなのに、どうして良い人だって言い切れるの?】

「それは……」


 彼らと出会ってまだ一月も経っていないが、初対面時の好印象からなんとなく「悪い人たちではない」と思っていた。しかし、それはあくまで感覚的なものだし、碧はただ側面を知っているに過ぎない。


 答えに窮する碧に追い打ちをかけるように、『碧』は冷酷に言葉を紡いでいく。


【『あたし』は何もできない。それを悔やんでいるのは『あたし』だけじゃなかった。あの人たちもいい加減嫌気が差して、すぐにでも『あたし』を置いていこうと思ってたんだよ】

「勝手なこと言わないで!」


 悲鳴のように叫んで、碧は逃げるようにその場から走り出した。耳を塞ぎ、声を振り払うように頭を揺らす。


「これは夢だ、夢だ、夢だ!」


 闇雲に走りながら絶叫し続ける。手首が痛くなるほど強く耳を抑えつけた。手を外せば容赦なくあの声が降りかかりそうだったから。


 やがて、永遠に続くように思われた森の奥から微かに光が差し込むのが見えて。

 碧はその光を目指し、ただひたすら走った。

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