最終話 Beautiful World(4)
久しぶりに七人揃った数日間は、日夜話題が絶えなかった。思い出話、空白の時間。そして、これからのこと。
魔王軍の脅威はなくなっても、復興、魔物、貧困、ガイラオ騎士団、人と獣人の共存――問題は山積だ。世界を救ったと言っても一市民に過ぎない碧たちとしては、できることをできる限りやるだけだ。
「そういえばさ……」
酒が入りほろ酔いのジラーが虚空を見つめながらぼんやりと呟く。
「結局、八人目って誰だったんだろうなぁ」
「八人目?」
「ほら、ヤレン様が言ってた“三人の仲間”ってやつ」
「外れただけじゃねーの? ヤレン様だって人だし予言の調子が悪いこともあるだろ」
ほんのり赤ら顔でちびちびと杯を傾けるカイズ。
「数百年も意識として存在してるって点では、人をちょうえつしてると思うけどね」
「揚げ足は良いンだよ」
ジュースを飲んでいるミリタムは冷静に諭すが、白兎に軽く頭を小突かれてしまった。彼女は酒に強いようで、カイズやジラーほど酔いを感じさせない。
「うーん。パッと浮かぶのは、サトナさんとかネオンかな。結構助けてもらったし」
「その線はありそうねぇ」
「けどそれだと八人の枠に収まんねーだろ……」
ジュースの入った木杯を両手で持ちながらの碧の言にラニアが同意するも、カイズに一蹴される。大あくびを放ち、今にも瞼が落ちそうだ。
「白兎やミリタムの例を考えれば、おれたちに少しでも同行したことがある人間という可能性はある」
「あーー慣れねェなァ~~ポーカーフェイスから名指しされンの」
それまで沈黙を守っていたイチカの推測に皆が納得しかけて、白兎のぼやきが腰を折る。再び無言になる一行だが、空気が悪化したわけではない。当のイチカ本人は「じゃあどうしろと言うんだ」とぎこちなく困惑を表情に出しているし、碧はそんな二人を見てくすくす笑っている。ラニアは「揚げ足がどうとか言ってたのはどこの誰かしらね~~」としたり顔でミリタムに語りかけているし、カイズとジラーは眠気覚ましのためか頬を引っ張り合っている。
「でもそんな人いたの?」
「案外ミシェルだったりしてな~~」
「ねえわ」
「ラニア、どうしたの?」
ミリタムの疑問にジラーがヘラヘラと冗談を言い、カイズが速攻で否定する。ぼーっと杯の中の酒を見つめるラニアの表情が気になり、碧が声をかける。ラニアはうん、と少し真剣な表情で頷き。
「サイノア、とかは? 単独行動してる時も含まれるんだとしたら」
「……確かに、人とは断言していないからな」
イチカが首肯する。サイノアが「取引」のためにラニアを魔星へ手引きしたという事の顛末は皆の耳にも入っている。それだけでなく、兎族の里へ襲来した魔族の一掃に一役買っている。数度敵対していることもありネオンやサトナに比べれば根拠が希薄ではあるものの、『同行』という一点だけは他の二人にない要素だ。
「今度、サトナさんに聞いてみようか」
「巫女の森に行くのか?」
カイズの問いかけに、碧は首を左右に振る。
「来週、ウイナーに来るんだって」
もうヤレンはこの世界にいない。
それを碧が知ったのは仕事を始めて間もなくの頃だ。
元々巫女の森にはこれまでのお礼を兼ねて訪問するつもりでいたのだが、なかなか時間が取れない日々が続いていた。そんなある日、たまたま近くを通る機会があったので寄ったところ、ヤレンの件と『守護』としての縛りがなくなったことをサトナから聞いたのだ。
最初は外の世界へ出ることに躊躇いがあったサトナだが、ウオルクのしつこさに根負けしたという。ほとんど毎日のようにやって来ては連れ出そうとするのだそうだ。
「はじめは拒否して追い払っていたのですが、それを繰り返しているうちにふと「私は何をそこまで頑なになっているのだろう」と思い至りまして。この森を一歩でも離れたらヤレン様のことを忘れてしまうとか、二度とこの場所に戻れなくなってしまうとか……そんな根拠のない不安感に、いつの間にか支配されていたのかもしれません」
その時のサトナは少しだけ寂しそうな表情を浮かべながら、そのように述懐した。
その後も辛抱強くやってくるウオルクに、「とりあえず鳥居の外でいいから出てみろって。それでヤレン様のこと忘れたらオレのことぶん殴っていいから」と説得され渋々境界を跨いだそうだ。
結果――当たり前と言えば当たり前だが――何も変わらなかった。ヤレンのことは何一つ忘れなかったし、何度でも鳥居の内と外を行き来できた。
サトナの、外の世界に対する心の壁が随分低くなったのはその日からだという。
毎回ウオルクが持って来る各地の土産話も興味深く、次第に好奇心が抑えられなくなっていったことも遠因だと。
(そこまで粘ったウオルクさんもすごいけど)
碧はサトナとの会話を思い起こしながら、待ち合わせ場所へと向かう。
酒場でのおしゃべりに花を咲かせた数日後、仲間たちは散り散りになった。また必ず皆で会おうと約束して。
ウイナーに残ったのは碧、イチカ、ラニアの三人だけだ。寂しくはあるが、皆それぞれの場所での生活や目的がある。仲間と言えども一線は必要だ。
それに、ここウイナーは大陸の中心部。時折思いがけない来客もある。寂しがる暇もないくらい。
「サトナ、さん……?!」
「お久しぶりです、アオイさん」
ウイナーの東口には、いつもより着飾ったサトナが待っていた。つばに切れ目の入った麦わら帽子をかぶり、茶色の編み上げビスチェの下に白いワンピース。靴だけはいつも巫女服と合わせているショートブーツだ。
「えっ、可愛い! すごく似合ってます!」
「ありがとうございます。少し、恥ずかしいんですけれど」
「恥ずかしがらないでください! ほんとよく似合ってますから!」
「これは、ウオルクさんが見繕ってくださって」
「えっ」
これはもしやそういうことなのかと動揺する碧。聞いていいものか飲み込むべきか、考えに考えたあげく思い切って訊ねる。
「それは、お二人で出かけてってことですか?」
「いいえ? 服も帽子も私が調達したものです」
「えっと、お二人は……友達?」
「それはさすがに笑えない冗談ですわ、アオイさん」
「すいません」
微笑んではいるが目が笑っていない。おまけに怒りが滲み出ているとあっては、碧も平謝りするほかない。
少なくともウオルクの方はサトナのことを気にかけているようだが、サトナの悪に対する潔癖は相当なものだ。本当は恋人かと訊ねたかった碧だが、選択を間違えていたらもっと大変なことになっていたかもしれない。冷や汗が背中を伝う。
「調達したってことは、他の町に?」
「いえ、行商の方から。ちゃんと訪問するのはウイナーが初めてです」
緊張します、との言葉通りきょろきょろと落ち着かない様子のサトナ。俗世は幼少期以来というから、これだけ多くの人の往来は彼女にとって刺激が強いのかもしれない。
(視線集めちゃってる)
お上りさん然とした素朴な少女はよくよく見れば可憐な顔立ちである。振り返って見る者、釘付けになっている者、少なくない視線がサトナを向いている。
「あ、アオイさん。やはり私の格好、おかしいのではないでしょうか? とても見られている気がするのですが……」
「大丈夫ですよ、悪意はないですから。とりあえず、急ぎましょうか」
注目される意味が分からずサトナは不安そうだ。好奇の目からサトナを護るように碧は足早にその場を抜けた。
見慣れた菓子屋の看板が見えてくる。なんとなく駆け足になっていた二人はその勢いのまま店内へなだれ込む。
「戻りっ、ましたあー!」
「お帰りなさい……ってなんでそんなに息切れしてるの二人とも」
「すみ、ません。わたくし、のせいで」
「サトナさんのっ、せいじゃないです。むしろ、サトナさんが可愛いからっ」
「よく、分かりません」
「よく分からないのはこっちなんだけど?」
出迎えたラニアにとっては要領を得ない会話だ。とりあえず座って、と客席の椅子を引いて二人に促す。
「お疲れ様。うちの特製ジュースを飲むといい」
見計らったように店の奥から出てきたシェスタが、緑色に彩られたグラスの載ったトレーを持って現れる。喉がカラカラの二人はテーブルに置かれるやすぐさまコップを手に取る。
喉に流し込まれる音がしばし続き。
「あーー……」
至福を感じさせる吐息。
「美味しいです!」
「それは良かった。疲労に効くし、リラックス効果もあるんだよ」
目を輝かせる碧とサトナにシェスタもご満悦のようだ。ごゆっくり、とトレーを小脇に抱え厨房に戻っていった。
「こんなに美味しいものをいただいたのは随分久しぶりです」
「巫女の森では何を食べてたんですか?」
「木の実と野草、それにお野菜ですね。たまに行商の方からパンやお魚を買っていました。あとは月に一度ほどお肉をいただいたり」
肉や魚も食せるのでいわゆる『精進料理』ほど厳しくはないようだが、それで足りるのかと心配になるほどの粗食だ。
「ウイナーにいる間だけでもお腹いっぱい食べてください!」
「ありがとうございます」
碧が母のような心境で両手を握ると、サトナは花が綻ぶように微笑んだ。




