第二話 光に誘(いざな)われ(2)
「カイズ、ジラー。暢気に喋っている場合じゃない」
静かだがよく通る声が碧の思考を遮る。
見れば鞘から剣を取り出しながら、銀髪の少年が遠くを見据えていた。
カイズ、ジラーと呼ばれた二人も瞬時に表情を引き締め、各々腰あるいは背中の武器に手を掛ける。
金髪の少年・カイズの武器は細剣、鶏冠頭の少年・ジラーは戦鎚のようだ。
二人は背中合わせに武器を構えた。
「増えてるぜ。どんどん」
「ああ。それに、囲まれてる」
要領を得ない会話に困惑する碧だったが、程なくして理解した。
いつの間に集まっていたのか――遠巻きにこちらを見つめる男たちの姿。
数えるのも躊躇われるほどの人数が、少しずつ距離を詰めてくる。それも、先ほど銀髪の少年から放たれたものと同じくらいの殺気を伴って。
聞こえるのは息遣いと足音だけ。物も言わず瞬きもせず迫り来る集団は、逃げ場をなくそうとするように互いの肩を寄せながら歩いてくる。その異様さに、碧は堪らず立ち上がり少年らに駆け寄った。
こんな状況下にあって、彼らは顔色ひとつ変えない。余裕さえ感じられる表情で、男たちを注視している。
戸惑う碧の視界を、光る何かが掠める。それが銀髪の少年から伸びる剣の切っ先だと理解した頃には、槍のように刺突されて。
(――殺される!)
眼を瞑ったと同時に聞こえた、肉に食い込む鈍い音。恐怖に震え身を硬くしていた碧だったが、一向に痛みを感じない。おそるおそる眼を開ける。
凄惨な光景を覚悟した碧の予想とは裏腹に、自身に突き刺さっていると思われた刃はおろか、傷一つついていない。
(じゃあ、あの音は?)
安堵よりも先立つ謎。程なくして碧の瞳は、身体の右側面、紙一重の位置で静止する剣を捉えた。剣先の行方を目で辿って振り向き、息を呑む。
「……!!」
胸を貫かれた男が、無表情に立ち尽くしていた。
頭上高く掲げられた両手に装着されているのは、鋭利な鉤爪。
見下ろしてくる虚ろな瞳と目が合った。
自分を狙っていたのだ、と碧は直感する。
そして、あと少し遅かったなら、その爪で我が身を引き裂かれていただろうことも。
鉤爪男と同じか、それ以上に冷たい表情で、少年は男から剣を引き抜く。
跡を追うように、真新しい血液が男の身体から伸びた。
「こいつと同じ運命を辿りたくなかったら、隙を見て逃げろ」
冷淡な声が碧に警告する。
直後、男は倒れ伏した。そのままぴくりとも動かない。思い出したように流れ出た赤黒い血液が、黄土色の地面を侵食していく。
突然、少年の背後に鉤爪男が現れた。
短い悲鳴を上げる碧とは対照的に、少年は涼しい顔で刃を返し、後ろ向きに剣を差し込む。
寸分の狂いもなく、男の胸に突き立つ銀色。
男は声もなく仰向けに倒れ、程なくして事切れたのか、僅かな痙攣も止まった。
「兄貴!」
叫ぶ後ろ、迫る狂気。
碧の側にいたはずの少年は、一瞬にしてカイズの背後にいた鉤爪男を斬り裂いた。
「人の心配よりも自分の心配をしろ。死ぬぞ」
少年は静かに、しかしはっきりと忠告する。
「! すまねえ、兄貴!」
カイズは次には不敵な笑みを浮かべ、襲いかかる鉤爪男と対峙した。
「すごい……ていうか、本当に優しいんだ」
碧が感動している間も、銀髪の少年は次々と暴漢を斬り伏せていく。
真上から挟み込むように切り裂こうとする攻撃は、下手に持った剣で素早く腹部を薙ぎながら相手の死角に逃れる。背後から忍び寄る影には振り向きざまに横薙ぎし、相手が体勢を立て直す前に肩から斜めに斬り下ろす。左右の腕を交互に振り回しながらの攻撃には、最小限の動きで身を左右に捩りながら躱して背後に回り、一閃。
まるで漫画のワンシーンを抜き出したような、現実では滅多に見られない『戦闘』がそこにあった。
「ん?」
『二次元』さながらの光景に気を取られていた碧に、再び危機が訪れる。
武器を持たない彼女は、正に格好の獲物と映ったのだろう。鉤爪男が一人、急接近していた。カイズ、ジラーが気づくも、複数を相手にしているため身動きが取れない。銀髪の少年は一瞬そちらを見やったが、何事もなかったかのように背を向ける。
絶望に打ちひしがれる碧目がけ、右腕を掲げながら容赦なく走り寄る鉤爪男。暗く淀んだ瞳は充血し、無表情だった顔が僅かに狂気に歪んでいる。間もなく目的が達成されることを確信しているかのようだ。
「危ねえっ!」
「避けろーっ!」
「きゃーーっ!!」
絶体絶命の状況の中、三者三様の声が響く。
一際甲高い叫び声のあと、鉤爪男は碧の目の前の地面で伸びていた。
碧は振り下ろされた右腕を辛うじて躱して咄嗟に抱え込み、その胴体ごと背負うように引き寄せ地面に叩きつけたのだ。
敵を片付けて結末を知ったカイズ、ジラー、そして碧の三人は胸をなで下ろす。しかしそんな彼らを嘲笑うかのように、今度は四人の男が碧を取り囲む。とても逃げる隙などない。生存すら危ぶまれた。
「いやあああーーっ!!」
カイズもジラーも駆け出そうとして、次々と目に飛び込む光景に思わず立ち止まった。
「やめてーっ!!」
助走を付けた肘打ち。
「来ないでーっ!!」
歯が吹き飛ぶほどの平手打ち。
「あたし……!」
軽やかに放たれる上段蹴り。
「死んじゃうでしょーっ!?」
首側面を狙った手刀打ち。
「死なん」
銀髪の少年が冷ややかにツッコミを入れる。
「あの子、つえーな」
「あ、ああ」
半泣きになりながらも勇ましいほどに大の男たちをなぎ倒していく碧を見て、カイズとジラーは乾いた笑みを交わし合う。
彼女は幼少の頃、空手と護身術を習っていた。数年前に止めてしまったものの、技術は今も健在である。
そんな意外性のおかげか、残る三人は難なく鉤爪男たちを倒していった。
死臭漂う荒野。血の海に浮かぶ男たち。
この地が日本、否、地球でもないこと。また夢でさえないことを、碧は無理矢理理解するしかなかった。
人の死に立ち会ったことがあるわけではないが、五感が嫌でも「生き物のなれの果て」というものを悟らせる。
漫画やアニメの比ではない、現実。
血の臭い。死人の顔。
碧は込み上げる吐き気を紛らわせようと、少年らを振り向く。
「あの、」
「南の方に食糧不足で飢えてる町があるんだ。それがさっき言ってたレイリーンライセルな」
「一応大国が支援してるんだけど、それでも追いつかないらしいんだ。最近この辺りで人を襲い始めて……殺した人間を喰う有様だよ」
碧の聞きたいことが分かっていたかのように、カイズ、ジラーが順に説明する。銀髪の少年は言葉こそ発しなかったが、死者を哀れむかのように細められた眼が、その心中を代弁していた。
「そう、なんだ」
――『アイツらに喰われる前に助けねーと』。
身体が動かなかったとき、カイズが零していた言葉を思い出す。肉食獣がいるのかと考えていた碧だが、今の話からするとどうやら獣ではなく人のようだ。人が人を喰らわなければ生きていけないほどの食糧難が、この世界にはあるのだ。あまりにも残酷な話に気を失いそうになる。
改めて周囲を見回す。抜けるような青空に動体はなく、人が隠れられるほどの岩も木々も見当たらない。演劇でも、撮影でもなさそうだ。やはりここは、自分の知っている世界ではないらしい。
(そんな大変な時に、なんで来ちゃったんだろ?)
表情を曇らせる碧を見て、カイズが遠慮がちに口を開いた。
「なんか、ごめんな? オレらの仕事に巻き込んじゃって」
「あっ、ううん全然! ていうか、“仕事”?」
「そうそう。世の中で起こってる事件とか問題なんかを解決してるんだ」
「報酬ももらえるし実力も上がるし、いいことずくめだぞー」
「そ、そうなんだ」
報酬とか実力とか、どこまでもファンタスティックだなぁと碧は思う。ジラーが「いいことずくめ」と評するように、この世界で生活していくためには必要不可欠なことなのだろう。
「そういえば、これからどうするんだ? オレたちは街へ帰るけど、アテはあるのか?」
「うーん。それが、どうやってここに来たのかもよく分かんなくて」
「だったらとりあえず、ウイナーまで一緒に行こうぜ! この大陸じゃ王都や帝都の次にでかい街だし、何か思い出すかもしれない」
「でも、いいの?」
こんなところに取り残されるのも、一人きりで行動するのもごめんだと思っていた矢先の提案。碧にとっては願ってもないことだが、全会一致のもと出された意見ではない。
碧の視線を追って、彼女の問いかけの真意を正確に理解したらしい。カイズ、ジラーはこちらには目もくれない銀髪の少年と、お互いの顔を暫し見比べる。
「兄貴。一応ここいらはこれで片が付いたけど、まだ残党がいるかもしれないし、女の子一人放っていくのは良くないと思うんだ」
「ここから一番近いのはレイリーンライセルだけど、あんなに治安の悪いとこじゃどんな目に遭うか分からない。一緒に街まで行ってあげてもいいですか、師匠?」
少年は二人を見やり、小さく溜め息を吐いた。
「行くだけならな」
『やったー!!』
銀髪の少年の返答はお世辞にも歓迎しているとは言えないものだったが、カイズらにとってはそれほど大きな問題ではないらしい。小さな子供のように両手を高く上げ、喜びを前面に押し出している。
「おっと、それじゃ自己紹介な! オレ、カイズ・グリーグ!」
「オレは、ジラー・バイオス!」
「カイズに、ジラーねっ! よろしく!!」
先刻の戦いでの様子からは一転して、二人は年相応の、まだあどけなさが残る表情で名乗った。碧もそれに応えて、ふと助けてもらった礼をしたときの様子を思い出す。
(苗字が違うから双子じゃないんだろうけど、あんなに息が合うってすごいな)
彼らは続けて銀髪の少年を指さし、
『そしてあの方が、オレたちの
「兄貴の」「師匠の」
イチカだーっ!!』
それぞれが違う呼び名で紹介したため、二人の間に険悪な空気が流れる。
「兄貴だろっ!」
「いーや師匠だ!」
(イチカって言うんだ。ちょっと日本人っぽい)
口喧嘩を始めた二人を後目に、碧は改めて少年――イチカを見る。
今は後ろ姿しか見えないが、殺意を向けられる直前の表情がその姿に重なる。整った顔立ちは素直に「綺麗だ」と感じたものの、初見ほどの胸の高鳴りはない。怨恨の眼差しと、急を要していたとは言え突き殺されそうになった状況が、それ以上に苦手意識を募らせていた。
「あ、そーだ! 名前なんてゆーの?」
言い合いを止めたらしいカイズの問い掛けに気付かず、反応が遅れる。
「えっ!? え~と、あ、碧!」
「へえ~~やっぱり巫女さんかー」
『アメリカ』や『ヨーロッパ』を引き合いに出したときのような反応をされるかもしれない、という碧の心配は杞憂だったらしい。のんびりとした返事が返ってくる。
「なら、まずは地図を見るといいかもな! 『聖域』の分布を見れば『治めてた』とこも分かるかもしれねーし!」
(“聖域”? “治める”? こっちの巫女さんは王様なの? ていうか、あたしの名前は通じるの?)
盛り上がる二人の横で混乱する碧。説明が欲しいところだが、カイズ、ジラーは相変わらず巫女に関する話題に夢中で気付きそうもない。碧を「この世界の巫女」だと思い込んでいるため、説明の要否も頭にないのだろう。
銀髪の少年イチカは言わずもがなで、彼らには構わず颯爽と前方を歩いている。
別の誰かが入り込めるほどには、碧たちとイチカとの距離は空いていた。
「お前、それ魔王軍なんじゃねぇのか?!」
「バカ言うな。ただの鳥かなんかだろ。大体、アレは作り話だろ?」
「知らねぇのか? 『魔星』から来たっていう魔物が、最近そこかしこで出るって話! それにお前、さっき“北の方に向かってった”って言ったよな? 北にはあの城があるだけだ……もしかしたら、」
「オイ、冗談もほどほどにしろよ。まさかお前、子供騙しのお伽話にビビってんのか?」
「んだと? だったらお前、一人であの城行けるのかよ。行けねぇよな、夜中に小便も行けないヤツには?」
「てめぇ、」
「ハイハイハイ! その辺にしとこーぜ!」
脇道から合流した青年たちの不穏な会話に、すかさずカイズたちが割って入る。
「あ、あんたたち」
「そうそう、ウイナーで超有名なオレら」
「揉めるぐらいなら相談に乗るぞー」
カイズが自称するとおり、青年たちはカイズらを知っているらしい。ジラーの提案にばつが悪そうに顔を見交わして、一人が青ざめた表情で話し始める。
「この間、空を見てたら黒い塊が雲の間から延々と出てきて……鳥じゃないことぐらいは一目で分かったよ。けどアレが何かなんて正直、調べに行くのもご免だ。降りてった場所が場所だし」
「まさかとは思うけど、ホントに『四百年前の借り』を返しに来たんじゃ」
口々に話す青年らの表情は暗く沈んでいる。先ほどの口論は、不安を押し隠すためだったのかもしれない。
「なるほどな。つまり、その黒いヤツの正体が分かればいいんだろ?」
意味深な笑みを浮かべるカイズを見て、青年たちは合点がいったらしい。つられて笑みがこぼれる。
「ってことは?!」
「その代わり、高くつくぜ! 本当に魔王軍だったら戦わなきゃならねーかもしれねーし!」
「“魔王軍”? “四百年前の借り”って?」
盛り上がる三人の後ろで、控えめにジラーに訊ねる碧。
「そっか、それも忘れてるのか。じゃあ魔王軍の前にまず『魔族』から説明しないとな。なんでも、オレたちの住んでるこの世界の上に『魔星』っていう星があって、そこに魔族っていう人間とは別の、寿命がものすごく長くて、魔法を使える生き物がいるらしい。その中でも精鋭が、魔王軍」
カイズといいジラーといい、「記憶喪失」だと確信しているようだ。碧は複雑な心境だったが、地球のことを説明するのは困難なため、余計な口は挟まないことにした。
「で、四百年前魔王軍が攻め入ってきて、北にある城を根城にしていろいろ悪さしてたんだけど、肝心の魔王があっさりやられたらしくて。そのことを言ってるんだと思う」
「あっさり!? それってやっぱり、勇者?」
「勇者ではないなぁ~、ある意味勇者かもしれないけど。たしか、」
「あれ? 今日は巫女様が一緒か? あの美人の娘は?」
「そいつなら街で留守番だ」
苦笑いを浮かべつつ、のほほんとジラーが答えようとしたとき、青年のうちの一人が何かに気が付いたように声を上げる。それに答えたのは意外にも、離れていたはずのイチカだった。
他人と話すことはカイズとジラーに任せているのだろうとばかり思っていた碧だったが、ここに至って別の可能性に気付く。
(その人は、イチカにとっては特別なのかも?)
その考えが過ぎった途端、つきりと胸が痛む。
初めての感覚に、碧は一人戸惑う。
「なんだ……まぁいいや。それよりさっきの話な、あんたらに調べてもらいたいのは山々だけど、手持ちがなくてな」
青年がズボンの両ポケットを叩く仕草を見せると、露骨に落ち込むカイズ。
「期待させといてそれかよ~! けどまあ、もしその黒いのが魔王軍で、奴らが本格的に暴れ出したってんなら、いよいよオレらの出番だな!」
「オイオイ、まるで楽勝みたいな言い方だな?」
「オレらが揃えば敵じゃねぇっ!」
「まぁ、あんたらならそうかもしれねーが……あの子は巻き込むなよな。キレイな子は戦場には合わねぇ」
「姉さんはそういうことは気にしないからな~」
彼らの会話から察するに、「あの子」「キレイな子」「姉さん」はどうやら同一人物で、彼女もまたイチカらの仲間のようだ。
青年らが加わり、年頃の少年たちらしい会話が聞こえてくる。一人の青年が「彼女にフラれた」と話すと、カイズが「そんなこと忘れて鍛錬しよーぜ! それか仕事! 儲かるぜー?」と軽い調子で返し、もう一人の青年が「そんなこと言ってやるなよ。一応傷ついてんだぜ、こいつ」と擁護すると、ジラーが「筋トレすれば傷つきにくくなるぞー」と的外れなアドバイスを送る。異世界とはいえ、どこの世界もそれほど話すことは変わらないんだな、と碧は微笑ましさを覚えた。
普段は歩かないような距離を歩き、碧の足が棒になりかけた頃。カイズが前方を指さしながら振り向く。
「ほら、アオイ! あっちに街が見えるだろ? あれがウイナー。オレらのアジトがある街さ!」
彼の言うとおり、その指が指し示す方向、こぢんまりとした淡色の家々や建物が建ち並んでいる。配色ゆえか、優しい雰囲気のある町並みだ。
「あ、アジト? へえ~……」
日本ではあまり馴染みのない単語に、碧はただただ感嘆する。
地球と同じようで、違う世界。ふとした拍子に繰り広げられる会話も、道端に生える植物も、目の前を横切っていく動物や虫も。碧にとっては何もかもが驚きで、新鮮そのもの。長時間歩き通しだったが、疲労感が和らぐほどあらゆる物事に心奪われた。
ウイナーに帰るのは数日ぶりということで、カイズもジラーもどこか楽しそうだ。先頭を歩くイチカも、表情は崩れないものの、肩や首を回して疲れをほぐしている。あとは明日に備えて休息を取るだけ、そんな心の声が聞こえてくるようだ。
だから、誰も気づかなかった。気づけなかった。
彼らの背後を歩く人影に。
まだ少し残っている理性で、一行の跡をつけてきたのだろう。生き残りらしい鉤爪男が、まさに今、斬りかかろうとした瞬間だった。
風船の割れるような渇いた音と同時に、突如飛んできた銃弾。隙間をすり抜けるように飛んでいったものだから、皆が驚いた。
銃弾の行方を目で追った碧らが見たのは、両手を挙げたまま数秒静止し、そのまま仰向けに倒れる男の姿。
「殺気に気づかないなんて、あなた達らしくないわね」
艶のある大人びた女性の声で、皆が一斉に振り返る。
「姉さん……」