幕間―3 審判(10)
レクターン王国を発ってから十日。
ジラーはベルレーヴ村へと続く山道を黙々と進んでいた。
村はサモナージ帝国北方を囲うようにそびえる山、その境にある。そして、同じく山腹に位置するガイラオ騎士団本拠地と地理的に近いことから、昔は誘拐が相次いでいた。
奉仕活動に赴いていた頃に聞いた限りでは、ここ数年は被害もなく穏やかだという。だが、次いつまた忍び込んでくるか分からない。目を光らせておくという意味でも、ジラーにはここに帰る意義があった。
山道は人が一人ようやく歩けるほど草木が除けられているだけで、砂利と雑草を踏み分ける音が絶え間なく響く。
だからこそ、奇妙でならない。
「監視さーん、ついてきてるよなー?」
立ち止まって呼びかけてみるも、しんと静まり返るばかり。誰の声も聞こえない。何より、気配すら感じられない。
足音、息遣い。他に通行人もいない山の中、聞こえるのはひたすらジラーの出す音だけだ。木を渡っているにしても、葉擦れの音ぐらい聞こえても良さそうなものだが、一切の痕跡も残していない。
ガイラオ騎士団、否、彼らをも凌駕する存在と言っていいだろう。
現役の頃は敵なしだったジラーでさえ、居所を掴めない。今度はそんな人間を雇える裁判所に疑念が湧いてくる。
「……」
そもそも、『監視』など本当にいるのだろうか。
存在をもっともらしくちらつかせて、常に見張られていると錯覚させる。そういう心理的手法を用いていても特段不思議ではない。執行猶予が付いたということは、こちらに更生の余地があると認められたということだ。その判決を下した裁判所としては下手に事件を起こされてはたまらない。主文に『監視』の存在を匂わせることで、抑止力となることを期待したのかもしれない。
手っ取り早いのは、撒く動作を見せることだろう。本当に監視がいれば追いかけてくるだろうし、何も起こらなければそれはそれで良い。気が楽になるからだ。
ジラーは茂みに飛び込み、攪乱を試みた。
一歩道を外れれば周囲は背の高い草木ばかり。幼少期の記憶はなくても、奉仕活動をしていた時期に多少の土地勘は身につけている。少し奥まったところに身を隠せる絶好の穴場があることを知っていた。
「痛ぅ……!」
そこに辿り着くよりも先に、背中に奔る痛み。
切り裂かれたような、焼けるような、押し潰されるような。何にも形容しがたく何とでも喩えられる理解不能な苦痛に襲われ、なす術なく倒れ伏す。
同時に、先ほどまでは微塵も感じられなかった殺気がすぐ側にあることに気付く。姿はまるで見えないが、止めを刺しに来ていることだけは脳内の警鐘が教えてくれた。
「呼んだときに返事くれたら、こんなことしなかったんだけどなあ……!」
駄目元で訴えたのが意外にも効いたのか。
次の瞬間には殺気は掻き消え、警鐘も鳴り止んだ。
状況が飲み込めないまま手当てをしようとして背を触るが、流血しているところがない。それどころか、肌はおろか衣服にさえ傷一つ付いていない。
監視は幻覚を与えることができるようだ。魔法か、あるいは神術か。どちらかで気配を消しているのならば、納得がいく。
巫女が司法に関わることは、ないとは言えない。やむにやまれぬ事情で巫女を辞めた者が雇われたのかもしれない。魔法士と違って巫女には守秘義務はないし、聖域を離れても良い。サトナは本当に特殊な例だ。
過去に思いを巡らせているうちに、道は行き止まりになる。
「監視さん。ここからちょっとめちゃくちゃな道を行かなきゃいけないんだけど、逃げるわけじゃないから。さっきのやらないでくれよ~~」
やはり返事はないが、おそらく理解してくれている気がした。
ジラーは右側の茂みを持ち上げ、僅かに空洞になっている草木のトンネルを腹ばいになって進んでいく。アーチを抜けたら立ち上がり、自身の存在を知らせるために四方に手を振る。そこから、次は木々の間を縫うように歩く。“歩く”というが、道などないので実際は登山のようなものだ。分かりやすい目印もないので、初めて来る人間はまず辿り着けない。
(そういえば、師匠たちは白兎に誘導させたって言ってたなあ)
その光景を想像して、少しだけ笑みが零れる。
最初は【瞬間転送】で飛ばされてきたものの、周囲には何もない場所だったという。魔法がどういう理屈かはジラーには分からないが、術者側の情報が更新されていないのかもしれない。
村長によると、以前はもう少し平易な位置にあったが、村ごと奥まった場所に引っ越したそうだ。カイズとジラーを初めとする子どもたちの誘拐、旅人の子テルーによる村民惨殺。ガイラオ騎士団絡みの事件が立て続けに起これば、重い腰を上げないわけにはいかなかったのだろう。
そこまで考えて、そばかすの乗った褐色の肌の少女が脳裏に浮かぶ。
(サルス……いるよな?)
村を護るため。サルスに殺される約束を果たすため。
矛盾した動機のために今、村に向かっている。
せっかくネオンがくれた執行猶予付き判決を、反故にしてしまうようで申し訳が立たない。けれど、サルスを放っておくこともできなかった。
もしかしたらあの後、自力で立ち直っているかもしれない。それならそれで良い。自ら命を絶ってさえいなければ。
「……監視さん」
全てがはっきりする前に、これだけは伝えておかねばならない。
「もしオレが誰かに殺されても、その相手を捕まえたりはしないでほしい。その人にとってオレは、仇だから」
厳密に言えば『仇同然』の扱いを受けていただけで無関係なのだが、そこまで仔細に説明したところでややこしくなるだけだ。
一瞬空気がピリついたものの、先ほどのような強烈な殺気に変わる気配はない。とはいえ、「分かった」と明言されたわけでもない。すっきりとしない気分のままベルレーヴ村に到着した。
村内はいつもどおり活気に満ちていて、ジラーはほっとする。先の魔族侵攻により破壊された家々を、皆で協力して建て直している姿が目に入った。あれから数年経っているが、復興への道のりはまだまだ長く険しい。村長の家も同様に所々骨組みが剥き出しになっているものの、他の家と違い人の気配はない。厩のギルバートがこちらに気付いて顔を覗かせる。
「覚えててくれたのか~~」
顔をすり寄せてきたので、嬉しさ余って鼻筋や頬を思い切り撫で回した。
再会を堪能し、いよいよ本題だ。村長の家の玄関に目を向ける。サルスは村長の孫なので同居していてもおかしくはないが、妙に緊張する。なにせ、扉を開けて目が合ったが最後、何らかの方法で殺されても不思議ではないのだ。
軽く拳を握り、ノックする。
「村長、ジラーです」
暫くして足音が近づいてきた。ゆったりとした音だ。おそらくサルスではない。
果たして扉を開けたのは、白髪の長髪、もっさり眉毛と髭をたくわえた村長であった。
「おお、久しいのお」
「お元気そうで何よりです」
「お前さんは、ちょっとばかり痩せたようじゃの?」
「色々あって」
「そうかそうか。ほれ、とにかく上がっていきなさい」
積もる話もあるじゃろうて、と家の中へ入るよう促されるが、ジラーの足は重い。
村長は何を思ったか、おもむろに室内に目をやり。
「そろそろあの子らの命日か。墓周りの掃除をせねばいかんが、老体には堪えるのう……そういえばサルスを見かけんの。もしかしたら墓地に行っておるのかもしれん。しばらくは戻ってこんじゃろ」
どことなくわざとらしい様子でぶつぶつと呟く村長。普段はおちゃらけているくせに、たまに人の心を見透かしているのではないかと思うような言動を見せる。
「で、どうする?」
「……お邪魔します」
命日のくだりはおそらく嘘ではない。ジラーに状況が分かるようにあえて口に出した結果が、あの説明口調なのだろう。本当に機転が利くというか、食えないじいさんである。




