幕間―3 審判(8)
雑居房の鍵が開けられ、刑務官が入ってくる。まだ早朝も早朝、陽光が差し始めた頃の来訪者を、カイズとジラーは眠い目をこすりながら凝視する。
「出ろ。釈放だ」
「ふぇ?」
投げかけられた言葉を、寝起きの頭で何度反芻したか。
「――え? ……え?!」
互いの顔と刑務官の顔を幾度となく見比べ、ようやく理解した彼らはどちらからともなく抱き合い、涙を流すのだった。
「主文。原判決を破棄、被告人を懲役三十年に処す。ただし、この裁判が確定してから五年間その執行を猶予し、その期間中被告人に監視を付する」
さすがに無条件で釈放とはいかないらしい。肩透かしを食らった気分ではあるが、少なくとも五年間は服役しなくて良いという解放感は大きい。その解放感から羽目を外さないよう牽制の意も含めての『監視』なのだろう。
まだ無罪放免ではない。むしろここからが本当の戦いだ。どのような監視が付くかは現時点では不明だが、五年もあれば気の緩みも出てくるだろう。対処法も忘れかけた頃に、いつかの元兄貴分のように誰かが不意打ちで暗示を仕掛けてくるかもしれない。その時に落ち着いて対処できるのか――。
不安は残るが、今は『執行猶予付き』となった事実を素直に喜ぶべきだろう。
「ありがとう」
もはや無意識のうちにタイミングを合わせることは日常茶飯事。例によって揃って謝辞を告げると、それを伝えた相手――ネオンは目を丸くしてこちらを凝視している。
「……二人で独り言?」
「違う違う、ネオンに言ったんだぞー」
「だって、ジラーはともかくカイズからお礼言われるなんて思わなかったから」
「オレはそんな薄情じゃ、」
言いかけて思い当たる節があったのか、決まり悪そうにネオンから目を逸らし口を閉ざす。
「カイズも成長したってことだなあ」
「うるせーよ……」
眉間に皺を寄せながらほのかに頬を染めるカイズ。いわゆる黒歴史を思い出して心中では悶絶しているのかもしれない。
「でも本当に感謝してるんだ。ネオンがいなかったら、オレたちはあのまま一生刑務所だった。そもそも、最初の判決は死刑だったかもしれない。本当にありがとう」
「それはこっちの台詞よ。あたしはあの日あなたたちに助けられた、その恩を返しただけ。お互い様ってヤツね」
ネオンが右手を差し出すと、一瞬躊躇う素振りを見せるも右手を伸ばすジラー。数度握り合って、今度はカイズ。こちらもばつが悪そうに眉間に皺を寄せつつも、渋々といった様子で握手を交わす。最後には三人ともが破顔して、穏やかな雰囲気に包まれた。
これで一件落着、かと思いきや。
「え、溢れかえってる?」
王都、正確には王宮の前に長蛇の列ができているという。国民もいるが、他国民の方が多いらしい。
「お心当たりは?」
「うーん」
オルセトの問いに、最初は首を捻っていたネオンだが。
「もしかして、あれかも?」
神術による治療のため地方へ赴くと、大抵家の外から遠巻きに見つめる人々がいる。話を聞くと診てもらいたい人がいるという。付いていった先で施術を終えると次はこっち、いやこっちと引っ張りだこ。多いときで一日数十人は治療していた。
「その結果、“レクターン王国の王女に頼めば神術で治してもらえる”という拡大解釈だけが国境と海を越えたと……?」
宰相の眉間に、かつてないほど深く皺が寄っている。
「むやみやたらに使うものではないとあれほど」
「でも相手は国民よ? 持てる力を最大限、民を救うために使うことは王族として当然の務めじゃなくて?」
どこか芝居がかったネオンの言葉が間違いではないからこそ、宰相は何も言えない。ただ、何事にも節度というものがある。どこかで線引きをしなければ示しが付かない。
「だーいじょーぶよ、一晩ちゃんと寝れば神力も回復するから」
宰相らの気苦労が分かっているのかいないのか、ネオンは見当違いな言い訳をしてへらへらしている。
「でも問題は他国の人よね」
基本的に楽観的かつオープンなネオンだが、彼女にも思うところはあるらしい。よそにまで恩恵をくれてやる義理はない――そこまで強い言葉ではなくとも、なるべく庇護の対象は絞りたいという思惑はあるだろう。いずれにしても、顔つきと声色が真剣なそれに変化しただけで神妙な空気になるのはやはり王族ゆえか。
「何かお考えが?」
空気に呑まれた大臣の一人が顔色を窺うように訊ねると、ネオンはそれほど黙考の時間を取らずにぴんと人差し指を立てた。
「噂を以て噂を制する、よ」
それから間もなく、王宮正門前に簡易机と椅子が設置された。机を挟むように椅子が置かれ、王宮側にネオンが座っている。ネオンの向かい側に、行列の先頭に立っていた中年男が足早に腰掛ける。さながら相談室のような配置だ。
「ようこそレクターンへ。ここへ来るのは初めてかしら?」
「御託はいいから早く治してくれよ。痛くて痛くてやってられねぇんだよ」
「痛むのはどこ?」
「はぁ? 見ただけで分かるんじゃねぇのかよ。使えねえなあ」
男のぶっきらぼうな物言いには好感が持てるネオンだが、いかんせん態度が悪い。本当に治療目的で来たのかも怪しい。どちらかというと日頃の鬱憤を若い娘にぶつけに来ているだけのようにも映る。
投げ出された腕を見ると、確かに打撲痕はあるが、わざわざ神術を頼るほどのものではない。同じ大陸でなければ渡航代の方が高くついてしまうだろう。
身銭を切ることそのものを嫌う、いわゆる吝嗇家は残念ながら一定数存在する。彼もそのうちの一人なのだろう。
「ふんふんなるほど。“医者に見せて高い金払うよりタダで済む”からここに来たのね?」
「っ?!」
横柄な態度だった男が初めて動揺するさまを見て、にんまりするネオン。
「神術って良いことばかりじゃないのよ? 使い手は人の心を読んじゃうの。好むと好まざるとに関わらず」
嘘も方便。実際にはこちらが相手に波長を合わせなければ、かの救いの巫女ほどの実力者でもない限り他人の思考が勝手に頭に流れてくることはない。
「わ、悪いかよ。国民から好きなだけ搾取できるお前らとは違って貧乏なんだよ!」
「ふぅん? サモナージ帝国御用達の服飾用品を身につけられるような人が貧乏だなんて、そんなことあるのかしらね?」
「なんだよお前、気持ち悪いな! もういい!」
青ざめた男は、椅子をなぎ倒す勢いで逃げるように帰って行った。
心を読まれたと思い込んだのだろうが、そうではない。これまでの家出――もとい、社会勉強での経験で得た知識から推理しただけだ。男が身につけていた衣服がそもそも上等なものだったし、特徴的な縫製は一目見ればそれと分かる。
中年男の後ろ姿を見送る人々の間に流れる、微かな戸惑いの空気。
「さ、次の方どうぞ」
ネオンはそんな空気などお構いなしに、診療所にでもいるかのような声かけで着席を促す。
結果的に治療したのは一割ほど。残りの九割は早々にお引き取り願ったが、うち三割は不穏な気配を感じ取ってか、ネオンに会う前にリタイアしていた。
「つっかれた~~」
六割の中には真意が読めず、やむを得ず心を読んだ者も相当数いた。治療のための神術よりも疲労感が強い。執務室に戻る道すがら、肩を回して首を左右に傾ける。
「噂の効果があればいいですねえ」
「だといいけど、しばらくは今日と同じくらいの来客はあるでしょうね」
後ろに付き従うミシェルの口調的に、内心ではそれほど期待していなさそうだ。海さえ越えた噂である。新たな噂が広まるまでには相応の時間がかかるだろう。
ネオンの読み通り、翌日も、その翌日も、朝から無慈悲なまでに連なる長い行列。
目的は不純なものでも彼女にとっては大事な客人。一人一人と丁寧に向き合い、対応していく。
そんな日々が続いた矢先。
「明日?」
執行猶予期間中の身であるカイズとジラーは今、事実上王都に軟禁状態だ。ただし、裁判所の許可と監視の同行という条件付きで王都の外に出ることは可能である。
「うん、明日。王都を発って、ベルレーヴ村に戻ろうと思ってる」
そう話すのはジラーだけで、隣にカイズの姿はない。
「そういえば言ってなかったっけ。解散したんだ、コンビ」
視線の動きだけで悟ったようで、ジラーがのほほんと補足する。
「本当は魔族との戦いが終わったらすぐ別れる予定だったんだけど、色々あったからなあ」
「そうね。色々あったわね」
思わず苦笑が零れる。
裁判での終身刑判決、収監とネオンの潜入、かつての同胞との命懸けの攻防、被害者家族との対面、そして減刑。短期間ではあるが、非常に濃密な日々だった。
「オレは別にやることもないし、レクターンに残っててもいいんだけど、約束してきたことがあるから」
笑顔は見せているが、あまり良い類いの“約束”ではないのか、視線を下げて何事か考え込んでいる。
「ジラー?」
「あー、ごめん。ちょっと気になって」
「なにが?」
ジラーはやや躊躇いながら、たとえば、の話だぞ? と前置きし。
「執行猶予期間にオレが誰かに襲われたりしたら、監視は動くのかな?」
「随分な例え話ね」
「でも、あり得ないことじゃないだろ? それこそ、オレたちを恨んでる人間はごまんといるだろうし」
あまり考えたくはないが、裁判で顔が割れている以上可能性として考慮しておくべきことだ。ネオンは反射的に寄ってしまったらしい眉間の皺を指でほぐす。
「どういう人間が監視に付くかはあたしたちには一切知らされないから、想像でしかないけど。然るべき場所での執行を前提にしてるなら、何かしらの妨害はするんじゃない?」
いつもの穏やかなそれではなく、難しい顔をして黙り込んでしまった。まるで、“それでは困る”とでも言いたげだ。
「どうしたのよ?」
「いや、なんでもない。裁判所に行かないといけないから、これで」
なかったことにされては追及のしようもない。
ネオンの知る限り、ジラーがこのような反応をするのは稀だ。カイズに訊けばもう少し確率が上がるかもしれないが、訊いたところでおそらく「ほっとけよ」と言う気がする。なによりも後ろ姿が物語っている。しかし、会話の内容が内容なだけに本当に放っておいて良いのか一抹の不安がよぎる。
なんだか釈然としない気持ちを抱えたまま、ひとり残されるのだった。
翌朝に再会したジラーは、いつも通りの穏やかな表情をしていたが、それさえも昨日の件について言及されることを避けるためのポーズに映る。少し疲れているのかもしれない。
外出の件は、昨日の今日で許可が下りるようなものではない。事前に手続きは済ませてあったのだろう。
「今までありがとう。次に会う場所が処刑台にならないよう祈っててくれ」
「大丈夫よ。あたしが保証する」
冗談のつもりで言ったのだろうが、この先見ず知らずの誰かを手に掛けてしまうかもしれない不安から出た軽口ということもあろう。だからネオンは、力強くそれを否定した。どんな状況でも耐えた二人を、間近で見てきたのだから。
ネオンからの鼓舞を受け、ジラーは心なしか安堵したようだった。それからネオンをじっと見て、一瞬何かを言いかけるもすぐに口を閉ざす。
「それじゃ」
「ええ」
片手を上げ、何事もなかったかのようにこちらに背を向けて歩いて行くジラーに、多少の疑念を抱きながらネオンも手を振って応える。
「やっぱりなんかヘンね」
聞いてもはぐらかされると思ったので昨日のことには触れなかったが、また新たな謎が生まれてしまった。
彼の元相方は結局今日まで現れずじまいだ。
都合が付かなかったのかもしれないが、意識的に距離を置いているのかもしれない。
などと考えていた数日後、その当人がひょっこり顔を出した。
とはいえその日は隣国の第四皇子との正式な婚約が決定した影響で忙しく、控室となっていた応接室での邂逅となったが。




