第十八話 ウイナーのお祭り(1)
時刻は昼を少し過ぎた頃。いつもは安閑としている小さな村を、かつてない絶望が襲う――。
村の外れの小道を、やや小太りな男が慌てた面もちで走り抜けていく。一体どこから走ってきたのか、激しく呼吸を繰り返す彼は今にも倒れそうだ。顔中汗まみれになりながら、目的地らしい一軒家の戸を勢いよく開ける。
「シレイン、加勢してくれ!」
引き戸が立てるけたたましい音に驚いてか、中にいた青年が弾かれたように顔を上げた。白布でひとまとめにされた、癖の強い紺色の長髪が揺れる。
簡易的な囲炉裏の側であぐらを掻いている彼は、どうやら昼食を取っている最中だったようだ。パンを片手に持ったまま、髪と同じ色の瞳を見開いている。
「どうしたんですか? そんなに慌てて」
男は息切れを起こしており、開け放った引き戸に寄りかかったまま呼吸を整えている。シレインと呼ばれた青年は木皿にパンをゆっくりと置き、「とりあえず座ってください」と男に居間に上がるよう促す。
「そんな……悠長なこと……言ってる場合じゃねえんだ……!」
「どういうことです? 一体何が?」
青年が怪訝そうに眉をひそめると、男はまだ少しふらつきながらも青年に歩み寄り、縋り付くような眼差しで訴えた。
「とうとう鬼が来たんだよ! 立ち向かってった奴ら、全員喰われちまって……!」
「! 分かりました、行きましょう」
男の懇願を聞くやいなや目の色を変え、シレインは側に立てかけてあった剣を取った。
人喰い鬼――。ここ数日、その襲撃が確認されない日はない。被害は各地に及ぶことから、この村にもつい先日注意喚起の報せが届いたばかりであった。
「ひっ……! 来るなあああ!!」
「助けてーーっ!!」
長閑だった村は、今や阿鼻叫喚が響き渡る地獄と化していた。人々の悲鳴が木霊する中、むせ返るような血の臭いは一層強くなってゆく。
「けっけっけ……次喰われてぇ奴はどいつだ~?」
屋根の高さを軽々と超える赤黒い巨体が、小馬鹿にしたような笑い声を上げながら、必死に逃げ惑う人々を掴んでは口に運んでいく。
まさに手当たり次第、老若男女問わず、命乞いをする者も悉く。慈悲の一片もない悪行を前に、シレインの拳は怒りに震える。
「そこまでだ、大鬼!」
「んん~?」
容赦ない猛攻は、活気ある声によって一旦休止した。咀嚼を繰り返したままあからさまに面倒くさそうに振り返った鬼は、その黄色く濁った双眸に青年を映す。取るに足らないと思ったのだろう、剣を構え敵意を露わにするシレインに対し、蔑むような薄笑いを浮かべる。
「村人の仇、取らせてもらう!」
シレインは宣言するや高く跳躍し、瞬く間に鬼の顔真正面の高さまで到達した。鬼は彼の身体能力に多少面食らった様子ではあるものの、余裕の表情は健在だ。振り下ろされる一太刀を待ち構えんと右手を広げ、容易く握り潰そうとして――
「ぐぅっ?!」
一転して苦痛に歪む形相。人の身長ほどはある手のひらが切り開かれたのだ。鬼の肌よりも黒みを帯びた血液が滴り落ち、地に溶け込む。
これまでも幾度となく剣を向けられてきた鬼にとっては想定外の出来事だった。ただの一度も手傷を負うことなく、返り討ちにしてきたためだ。距離を取る合間、顔くらいは覚えておこうかと青年に目を向けた鬼は瞠目する。
「ソーディアスの……親分じゃねーですか」
砕けた敬語が漏れる。
その大鬼は紛れもなく、ヴァーストから「かの者を捜せ」と厳命を受けていたはずのエグロイであった。
しかし、予め目星を付けてこの村を襲った――というわけではどうやらないらしい。思わぬ幸運とばかりに充血した目を見張って、青年をまじまじと見つめている。
「貴様のような大鬼を子分にした覚えなどない!」
シレインの方は露程も心当たりがないようで、不愉快さを前面に押し出す勢いでエグロイに刃を向ける。エグロイは再度突き付けられた剣を前に戸惑う素振りもなく、何やら思案顔で数秒間。
「そーか。オレは親分を連れ戻しに来たんだった」
聞く者が聞けば「何を今更」と脱力しそうな気づきを得、納得顔のエグロイ、それまでとは比べものにならないほどの俊敏さでシレインと間合いを取る。シレインは鬼との距離が開かないよう屋根から屋根に飛び移り、そこから最も近い急所――首を狙って水平斬りを放つ。
「はぁっ!」
渾身を込めた一撃はしかし、即座に伸びた左手によって阻まれた。今度は皮にすら食い込まない。剣を引きかけるが僅かに遅く、濃毛に覆われた手指が刀身をがっちりと掴む。
「なにっ……!!」
「そーだそーだ。親分の剣を防御無しで受けりゃ、こうなるに決まってるわな」
独り言に首肯しながら切り開かれた右手を感慨深げに見つめていたエグロイだが、やおらその傷口を狼狽するシレインに向ける。
瞬間、鋭気溢れる容貌から血の気が引いた。
「……!」
「ほーら親分、血ですぜ。親分の大好きな、血」
「や……やめろ……やめてくれ……!!」
鬼は刀身から手を離すと、シレインの反応を面白がるように傷口から血が溢れ出る右手を見せびらかす。最初の威勢はどこへ行ったのか、その顔は弱々しく歪められ、拒絶を示すように激しく首を左右に振るシレイン。
そのうち全身が小刻みに震え始め、青年はついに剣を取り落とした。
「あ、あの野郎、なんだってシレインの弱点を知ってやがるんだ!?」
冒頭の小太りな男が困惑の声をあげる。
シレインは元々この村の人間ではない。一年前に他の土地から流れてきた彼は帯刀こそしていたが、流血沙汰は苦手で極力避けるという気弱な青年だった。
それでよく剣士が務まると村人たちから茶化されることもしばしばだが、村が獣害に苦しめられていた際には一匹残らず斬り伏せるという意外性を発揮し、以後人柄の良さも相まって次第に信頼を寄せられるようになっていた。
そんな彼は今、絶体絶命の窮地に立たされている。
最も苦手とする血を鼻先で見せつけられ、額には汗が滲み、顔面は蒼白。もはや彼の瞳には、生々しい傷跡と赤黒い血液、それ以外映っていなかった。
「や……やめろォーー!!」
絶叫と共に飛び出んばかりに目が見開かれた直後、糸が切れたように前のめりに折れ曲がる身体。鬼は彼を喰らうことなく、そっと解放する。
無言のまま地面に座り込んだシレインは俯いていて、その表情を窺い知ることはできない。
「……シ……シレイン……?」
時が止まったかのように誰一人として動く者がいない中、腰でも抜けてしまったのだろうかと、小太りな男が気遣わしげに近づく。
――シレインの手が、柄を強く握りしめたことなど気付くはずもなく。
「……!」
鼻から上のない男の身体が、地面に仰向けに転がる。
思い出したように切り口から血が吹き出たのは、剣圧によって吹き飛んだ鼻から上部分が民家に激突した直後であった。
「キャアアアアッ!!」
『シレイン』は勢いよく飛び上がり、その光景を見て叫んだ女の喉元を切り裂いた。返り血を浴びても、身震い一つせずその場に佇んでいる。
(――足リナイ)
最早彼が『シレイン』なのか、それともシレインを騙る何者かなのか、その場の誰にも判然としない。ただ、繰り返される平和な日々の中で鈍ってしまった危機感を呼び戻すには十分で。
固唾を呑んで見守っていた村人は皆ようやく我に返り、思い思いの方角へ逃げ出す。しかし、どれだけ逃げようと無駄なことだった。一歩も動くことなく放たれた一閃が、瞬時に数十人の胴体を切り離す。崩れ落ちた人々の身体から流れ出た血液が、河川のごとく一帯を赤く染める。
(――足リナイ)
「やだぁぁぁあ! おっかあああっ!」
「バカ! 泣いてる暇があったら早く逃げッ」
窘める男の脳天を突き刺し、親を失った童女の首を飛ばし。一人残らず驚異的な速さで追いかけ、次から次へと斬っていく。見開かれた瞳孔、その口元を、狂喜に歪ませて。
(――モット、モットダ。モット、血ヲ見セロ!!)
やがて、その村は無人と化した。
血臭混じりの風が吹き、砂埃が宙を舞う。人も家畜も全てが倒れ伏し息絶えたこの村で、岩のような大鬼と、人のような外観を持つ青年だけが仁王立ちしている。
「親分、素に戻ったの何年ぶりですかい?」
「一年ちょっとだ。あれほど大量の血は久々に見たぞ」
大鬼・エグロイが隣で腕を組んで立つ存在を感服した様子で見下ろしながら問うと、青年――否、ソーディアス・シレインは濃紺の髪をたなびかせ、不敵な笑みを浮かべる。
「すげぇ斬りようでしたぜぇ? よく一年間血を見なかったっすねぇ?」
「全く見てないわけじゃないが、この村が平穏すぎた。昔は一滴の血を見ただけでも元に戻れたんだが」
「親分、魔族っすよね?」
図体の割におずおずと訊ねる大鬼を、ソーディアスは鼻で笑う。
「当たり前だ。それより……お前が来たと言うことは『臨時集会』があるんだろう?」
この村を訪れたのはただの偶然なのだが、そんなことはおくびにも出さず得意気に胸を張る鬼。
「招集したのは、ヴァーストの親分ですけどね」
「分かった。行くぞ」
「へい。……あれ、親分ソレ捨てていくんですかい?」
ソーディアスがつい先ほどまで大量殺戮に用いていた剣を放り投げる様を見て、不思議そうに声を上げるエグロイ。
「おれの相棒はあんななまくらじゃない」
「ああ。そういえば二本ともねえっすね」
「『あいつ』が棄てたんだろう。鼻持ちならん奴だ」
不愉快そうに双眸を眇めるソーディアス。それなら、と鬼が下心満載な表情で提案する。
「親分の剣を探しがてら、他の村寄っていいっすか?」
「なんだお前、まだ食い足りないのか? あの村に嫌というほど転がってただろう」
エグロイの企みを秒で見破ったソーディアスの紺眼は呆れたように据わっている。エグロイはそんな視線も物ともせず、見た目不相応に駄々をこねる。
「生きてなきゃ嫌なんすよ~~。それなのに親分ときたら素に戻った途端全員殺しちまうから~~」
「分かった分かった。好きにすれば良いさ。ヴァーストの機嫌を損ねんうちにな」
子どものわがままを軽くあしらうようにソーディアスが忠告すると、手のひらを上下させながら調子よく返事をするエグロイ。
「分かってますって~~」
既に一度ヴァーストの機嫌を損ねているエグロイだが、やはりそのことには触れず。都合の悪いことはひた隠しにする主義なのだろう。
のらりくらりと振る舞う大鬼と青年の姿は、身を翻した次の瞬間にはそこから消えていた。
四方八方人、人、人。
露店が建ち並び、遠くからは太鼓の音。祭り囃子に合わせて踊りを舞う人々の姿。極めつけは行き交う誰もが身につけている『浴衣』。
「すごーい! 日本のお祭りみたいだね!」
感激する碧はもちろん、ラニアやカイズやジラー、意外なことにイチカも浴衣に身を包んでいる。日本においても珍しい碧の髪色は、この世界だとさらに異質に映る。
「四百年前に世界を救ってくださった巫女様を称えるために、毎年この時期にお祭りが行われてるのよ」
「そうなんだ」
普段は下ろしている髪をアップにしたラニアが説明する。髪色によく似た、細やかな黄色い花弁の花々をあしらった浴衣はそのスタイルを一層際立たせ、露出したうなじとの相乗効果でいつにも増して色気抜群である。ウイナーに一定数いる彼女のファンはもとより、観光で訪れた他所の男性も皆暫し目を奪われるほどだ。
自らの仲間は、と碧が目をやると、誰も彼もラニアを見てはいない。カイズとジラーは浴衣について意見を交わし合っているし、イチカはいつも通りどことも知れぬ方向を向いている。
(見慣れてるから、今さらなんとも思わないってことかな)
慣れって怖い、と一人納得する碧。
彼女は知らない。少なくともカイズやジラーは年相応に、ラニアの色香に心惹かれる瞬間がそれなりにあるということを。
「それにしても不思議だよなー。日本って、こんなヒラヒラした服しか着ないんだろ?」
「いいんじゃないか? 魔族も何もいないんなら」
浴衣の袖を振りながら投げかけるカイズと、やはりのんびりと返すジラーの会話を聞いて、とんでもないとばかりに碧が割って入る。
「浴衣は滅多に着ないよ。それに魔族はいないけど、殺人事件とかは結構あったりするし」
「そうなのか?」
「意外だなぁ」
「うん。それでも、世界的には治安がいい方みたいだけどね。あと、地震もよく起こるし、火事だって」
「本にも書いてあったわ。昔から日本では大きな地震が周期的に起きてるって。怖いわね」
(そんなことまで伝わってるんだ)
自然災害の歴史に至るまで満遍なく伝えられていることに内心驚嘆しつつ、碧は気になったことを訊ねる。
「アスラントには地震はないの?」
「ないことはないけど、人が亡くなるほどの大規模なものは聞いたことないわ」
魔族も地震も、一瞬のうちに大勢の人の命を脅かすという点では同じだ。そんなものが二つとも揃っている世界でなくて良かった――と碧は安堵するのだった。
「なあなあ、そーんな暗い話ばっかしてねーでなんか食おうぜ!」
どこからか漂ってきた匂いに気を引かれたのか、カイズがそれまで一言も発さなかったイチカの浴衣の袖を引っ張り急かす。意表を突かれたのか少しだけ驚いた様子のイチカだったが、次には溜息を吐きつつ肯定を示す。
「そうだな」
「っしゃー! 焼きとうもろこし焼きとうもろこし!!」
「カステラもいいなぁー」
「ラニア、りんご飴とか買ってこようよ!」
「そうね!」
リーダーのイチカが承諾したことで再び盛り上がる一行。碧とラニアは勢いのまま、煌々と明かりが灯る露店へと駆け出す。
「おい、迷ったらラニアの店の前だぞ」
「分かってる分かってるー!」
「姉さーん、アオイー、はぐれないようになー!」
イチカやジラーが後ろ姿に声をかけるが、既に二人の姿は雑踏の中。申し訳程度の返事が微かに返ってくるのみだった。




