幕間―3 審判(3)
迎えた七日目。
ほとんど密室状態、所狭しと置かれた暗殺勧奨具。絶望的とも言える状況の中生還したネオンを前にしても、宰相の態度はいっそ清々しいほど変わらなかった。まるでこうなることを予期していたかのように。
否、ネオン自身もこの結果を大いに期待して臨んだのではあるが、あまりの温度差に肩透かしを食らった気分だろう。ガイラオ騎士団団長の鼻を明かすことができただけでも収穫と思うしかない。
「友人であればこそなのでは?」
報告書類に目を通しながらの言葉に、どういうことかと目で訊ねるネオン。
「ある程度気心の知れた間柄ならば、無意識下で抑制が効くこともありましょう。ですがこれが赤の他人ならばいかがか? 今回のようにはいかないのでは?」
つまり、赤の他人で同じことを試せと言っている。
ネオンの、キュロットの裾を掴む手に力がこもる。
全く面識のない相手ならば、ネオンとて自ら標的に立候補したりはしなかっただろう。それだけ気の置けない関係だと自負していたからだ。しかし、事の発端は決して少なくない無辜の民に怪我を負わせたこと。量刑不当を主張するならば、同じ条件で安全性を証明するしかないのだ。
かといって、実際に市井の人々の前に暗殺者と化した二人を放り出すわけにはいかないし、そもそも権限がない。
「で、サモナージの罪人を借りたいと」
その翌日早朝、レクターン王国の一室。ソファに揃って腰掛けているのは、サモナージ帝国魔法士団の団長と副団長だ。急ぎ会談の席を設けてほしいとの依頼が昨晩舞い込んだことから【瞬間転送】でやって来た彼らだが、団長の方は面倒ごとと知るやげんなりとしている。
レクターン王国には罪人がいない。正確には死罪を適用せざるを得ないほどの「大罪人」だが。
罪を犯した者は一度は捕らえられるものの、お人好しな王家の下『奉仕活動』という名目で原則王宮の下働きに従事させられる。あまりにも不用心かつ軽微な刑罰であるため、真面目に罪を償おうとする者はほとんどいない。それどころか、犯罪者からすれば金目の誘惑だらけの宮内。再三の悪事を企てようとする者は少なくなかった。
しかし、宮内の天井や床下には王しかその姿を知らないという特殊近衛組織が身を潜めている。ごく少数とはいえレクターン王国一の手腕を誇るという彼らにかかれば、小物がいくら悪知恵を働かせようと赤子の手をひねるより簡単に「更生」へ導けるというわけだ。
「確かに、故意に殺してしまっても問題はありませんね」
「殺させないわよ。ただ万一ってこともあるから貸してほしいってだけ。万一なんて言葉使いたくないけど」
副団長の無遠慮な発言に、デューダーが苦い顔をしている。さすがに他国の王女の前で怒鳴るのは憚られたのか、アバースの不自然な髪をやや乱暴に調整することで苛立ちを収めたようだ。
「百人もいれば立派な証明になるはずよ。宰相のことだから、罪人と一般人は違うって言うでしょうけど……他人は他人よ」
デューダーは心なしか戸惑った様子で頭を掻きながら、控えめに問う。
「あのー、失礼を承知でお伺いしますが。その“助けたい友人”とはどういう間柄で……」
「? 友人は友人よ」
「主旨を理解しておられないようですね。要は愛じ」
「ですよねぇ~~! あ、こいつの言うことはお気になさらず。引き続きウチの末っ子皇子共々、末永いお付き合いのほどを」
「それはもちろん。大陸で唯一の隣国同士、仲良くしましょう」
即座にアバースの頭部に乗る藍髪を手刀で飛ばし、それ以上の発言を制したデューダーは、にこやかにへりくだる。『末っ子皇子共々』を強調した意図には気付いていないようで、ネオンもまた笑顔で手を差し伸べた。
サモナージ帝国魔法士団団長と、レクターン王国第一王女の間で交わされた握手を、ようやくかつらを取り戻したアバースは解せぬとばかりに眺めるのだった。
いくら隣国とはいえ、一王女の私情で罪人を動かして良いはずはない。分権化されているレクターン王国とは違い、罪人の扱いに関する権限は皇帝にある。説得は難航するかに思われたが、蓋を開けてみればほとんど追及らしい追及もなく許可が下りた。
『第四皇子との末永い友好関係を切望したところ、快い承諾を戴いた』。
デューダーが報告したのはその一点だけだ。
実の親兄弟のみならず、親類縁者に至るまで第四皇子を邪魔者扱いしている現状、婿の貰い手があることを(やや語弊はあるものの)ちらつかせれば嫌な顔はしないと踏んでの発言だった。果たしてその通りとなり安堵する一方、相変わらず冷遇される皇子を思い心中複雑なデューダーである。
二日後、【瞬間転送】を用いレクターン王国への囚人の護送が行われた。百人を転送するにはその倍の人員が必要となる。二百人規模での大魔法にかかる労力は通常魔法の比ではない。一人一人の負担は分散されているとはいえ、扱いを間違えば大惨事になりかねない。参加は中堅以上の技量を持った団員に限られた。
大仕事を終え一息ついていた矢先、事件は起こる。
「団長!!」
魔法士団の一人が慌てた様子で駆けてくる。入団して三年ほどの、新米ではないがそれほど経験もない成長途上の団員だ。
「おお、どうした。血相変えて」
「それが……本日レクターンへ護送した罪人の中に……」
差し出された羊皮紙の上に、今し方移送した者たちの名前が記載されている。何も不自然な点はないはずだ。事前にデューダーもアバースも目を通しているのだから。
「オイオイオイオイ……」
とある一人の名前が目に留まり、デューダーは心の底から疲れ切った声を上げた。事前確認の際には間違いなく無かった名前だ。むしろ、一覧に入らないようあえて除外していたのに。
「書き換えられたようですね」
アバースの言う「書き換え」とは魔法によるものを指す。元の名を別の名前で覆い隠す魔法が施されていたのだ。時間が経てば効力が消えるようなごく弱い魔力なので、誰も気付かなかった。
「何故彼女が?」
「鍵を壊した形跡がありましたので、どこかで耳に入れて紛れ込んだのかと……」
「鍵壊したって、魔法錠は素手では壊れんぞ? ましてやあんな細腕で」
「見張りと団員を引き込んだものと思われます……色仕掛けには手を焼いておりましたので……」
「あー……」
魔力の残滓を辿れば誰が犯人かは明確になるだろう。一人か数人かは不明だが、除名処分は免れない。最悪懲役刑を科される可能性も否めない。数百人規模の団体ともなればこのような不祥事はままあることだが、問題はそれだけに留まらない。
「どこのどなたか存じ上げませんが、生粋の殺し屋相手では潔白証明とやらは不可能でしょうね」
「アホ皇子の薔薇色入り婿計画が~~……」
眼鏡を指で押し上げ冷ややかに分析するアバースの横で、二重の意味で頭を抱えるデューダーであった。
レクターン王国郊外、刑務所の近くにある公共施設。普段は国民に開放されているこの施設に、大所帯が入所したのはその日の夜のことだ。
ネオンと王国騎士一人だけなら、比較的短期間だったこともありなんとか誤魔化せた。さすがに百人を一気に送り込むのは無理がある。一日一人ずつ刑務所内の同じ部屋に収容するにしても、百日間も本物の看守を眠らせておくわけにもいかない。そのような事情から次の一手を考えるための待機部屋として急きょ用意された大広間だが、それでも大の大人には狭すぎる。
「なあ。なんだってオレたちはこんなところに集められたんだ?」
「聞くところによると実験台にされるんだとよ」
「“実験台”?」
「なんでも隣国のお姫さんの道楽に付き合わされるらしい」
「なんだそりゃ。堪ったもんじゃねえな」
「死刑囚には何をしてもいいと思ってんだろ。イヤだね権力者ってやつは」
口々に文句を言い合う中、沈黙を守っていた一人がおもむろに衣服を脱ぎ出す。手錠のはめられた手を器用に動かすので、鎖の擦れる音がじゃらじゃらとうるさい。愚痴や悪態をついていた者たちもその奇行に呆気に取られ、中には鼻の下を伸ばす者も。
女が裸で机に腰掛けている。二十歳前後の若々しい顔立ちと肉体とは裏腹に、どこか劣情を煽る眼差しが成熟した色気を醸し出している。
女の囚人もいないわけではないが、彼女らは同性同士で固まり大人しくしていた。今裸体を晒している女はその輪には入っていない。もちろん男衆にも混ざっていない。群れることを嫌うのか、あるいは――その身が放つ異様さを、周囲が無自覚に遠ざけているのか。
「ねえ、そんなことどうでもいいからさぁ。ボクと気持ちイイことしようよ?」
本来その場にはいなかったはずの女は、妖艶に微笑んで見せた。
翌朝訪れた施設職員が目撃したのは、全裸で倒れ伏す九十九人の男女の惨殺死体と、恍惚の表情で床に腰掛ける一糸まとわぬ血まみれの女の姿だったという。
「いやその、本当になんとお詫び申し上げたらいいか」
デューダーはその報を受けるや飛ぶようにレクターン王国にやって来た。不憫な皇子の安寧のために駆け回る姿は涙ぐましいものがある。
「堅苦しいわね。いーわよ別に。あなたたちの落ち度じゃないんでしょ。他の囚人たちのことは残念だったけど、とりあえず今は大人しくお縄についてるワケだし」
「それも少々不気味なもんで、できれば早々に送還させたいぐらいなんですがね」
「二人に会わせなければ職員を殺すって言ってるんじゃあね」
「それなんですよ……一体どこに武器を隠し持ってたのか」
なるべく秘密裏にかつ穏便に進めたかったが、事態が事態なだけに刑務所にも説明せねばなるまい。人一人の命が掛かっている。
「身体検査は済ましてるんでしょ?」
「それはもちろん」
「魔法の可能性は?」
「限りなく無に近いですね。彼女の出身は帝国外。独学で魔法を習得できるような頭を持っているとも思えません」
歯に衣着せぬ物言いで答えたのはアバースだ。デューダーに比べて著しく人間性を欠いているように思われる彼だが、何故かこの場には律儀に参じている。
「まあ偏見はいかがなものかと思いますが、実際件の囚人の興味関心は殺人と色事に全振りしてるもんで」
「……そうなの?」
目を丸くするネオンの様子を見て、デューダーはしまったと言わんばかりの顔をする。王女の前で不適切だった、というのもあるが、厄介なのは必要以上の情報をここぞとばかりに仔細に喋り出す人間がいることだ。
「元々娼婦が孕んだ子で、そのまま娼館に住み込み働いていたそうですが、同さんした客を度々手に掛けるようになったため、娼館を追い出されたのだそうです。それを時のガイラオ騎士団長が拾ったのだとか。生い立ちもあり閨事に長けていた彼女は目覚ましい成果を上げていったそうですが、ある日突然団を抜けた。以降市中で日夜問わず情事後の殺害を繰り返していたところを、数ヶ月前にようやく逮捕できたわけです」
「激しい人なのね」
止めに入ろうにも冒頭の時点で伏せるべき内容のほとんどを説明してしまったようなものなので、デューダーは諦めの境地に至っていた。そして、その説明を「激しい」の一言で片付けた王女に救われたのか穏やかな表情をしている。
「ですからお気の毒ですが、あなたが助けようとしているご友人は彼女の餌食になる可能性が極めて高いでしょうね」
「それは分からないわよ。あの二人だってガイラオ騎士団だったんだから」
「え」
「でも、それじゃあ二人に会いたい理由って……」
あっけらかんと放たれた重要事項に程度の差はあれど動揺する魔法大国の団長と副団長。ネオンから「友人」についての詳細な説明があったわけではないので、カイズらのことは「どういうわけか王女と親しくなったその辺の村人が、溜まりに溜まった社会への鬱憤を晴らすために事件を起こした」ぐらいに考えていたのだろう。そんな彼らをよそに、ネオンは思案に耽る。




