幕間―3 審判(1)
碧とイチカがウイナーに到着して以降のお話です。
「どうしてこうなるのよっ?!」
机を叩きつけ焦燥と苛立ちを露わにするネオンに、その場の全員の視線が集まる。
カイズ、ジラーが引き起こした傷害事件の第三審がこのほど行われ、「終身刑」が言い渡されたのだ。
死罪判決が濃厚だった前回と比較すれば減刑されているという点で前進はしただろう。しかし、ネオンにとっては到底納得できる内容ではない。納得はできないが、それを裁判長へ直訴できる権限もないため、こうして城内の一室で家臣たちに当たり散らしている。当たり前のことではあるが、王立裁判所であろうと王族が審理に口出しをすることはできないのだ。
「たしかに二人はガイラオ騎士団員だったわ! でも今回は誰も殺してない! それが彼らの、『暗殺者に戻る意思がない』っていう何よりの証拠じゃない!」
「しかし今後、再び暗殺に手を染めないという保証はどこにもありませぬ。聞くところによれば、被告らはかつての同胞に唆されたとか。同じような輩が現れればまた、今回のような惨劇が繰り返されるやも」
剣幕に少々怯みながらの家臣の意見が、実際のところ一般的な考えだろう。
奉仕期間中の魔族侵攻は全くの想定外だったが、その混乱の中にあってもカイズとジラーはベルレーヴ村の人々を護るため奔走した。日頃の生活態度も基本的には――村長の孫娘との間で幾度となく衝突はあったものの――良く、村人たちからの評判は上々。当然量刑にも反映されると思われたが、事はそう甘くはなかった。
結果だけを見れば十分に斟酌された判決だと世間は言うだろう。だが、ネオンが望んだのはあくまでもごく軽微の刑。無罪は難しくても有期刑ならと思っていたのは二人に近しい者のみだったようだ。いくら善行を積んだところで前科が消えるわけではない。彼らのことをよく知らない家臣にとっては憤るネオンの方が理解できないはずだ。
「御言葉ですがネオン王女。王族たる者、感情に流されていては下々に示しがつきませんぞ」
冷静に釘を刺すのは宰相だ。レクターン王国では最もネオンに容赦ない人物でもある。国王も王妃も側近も皆身内に甘いのだから、ある意味仕方がない。ネオンにとっては忖度なしに意見をくれる貴重な存在でもある。
ネオンは順当にいけば女王としてこの国を治める立場だ。これまでは気乗りしなかったが、先の戦争で見知った者たちを喪い自らの無力さを知った。そして、二度と同じ過ちは繰り返さないと誓った。心を入れ替えて勉学に励んでいるが、理性的な思考にはほど遠い。
「お気遣い痛み入るわ、宰相」
おそらく当人は気を遣ったつもりなどないだろうが、ネオン自身の気持ちの問題である。
心を落ち着かせるように長い溜息を吐いて、正面奥の入り口を見据える。閉ざされた扉を挟んで両隣には、隊長・副隊長兼世話係が待機しているだろう。ミシェルなどは苦笑いしているかもしれない。先日レイリーンライセルで碧と遭遇した際、裁判のことを訊かれて焦ったと言っていた。彼女らはまだこのことを知らない。判決が確定するまで報せないでほしいというカイズ・ジラーの希望だ。
二人だけではなく、碧たちにも恩義はある。これは感情に流されているのではない、客観的な判断だ。そう自分に言い聞かせて。
「……要は、繰り返さなければいいのよね? その惨劇を」
「……何をお考えで……?」
「再審請求をすると?」
宰相の問いに首肯する。
王族と言えども直訴はできないが、然るべき手続きを経れば裁判のやり直しを求めることはできる。
ただ――
「『再審の請求は、被告に対する判決が著しく不当と判断するに足る相当の実証が認められた場合』のみ許される特例中の特例ですぞ。第四審が行われたとて、覆った例など歴史上でもごく僅か。無礼を承知で申し上げれば、徒労かと」
宰相がそらんじた一文はネオンの頭にも入っている。第四審がいかに稀なことであるかも理解している。それでも、可能性がある限り利用しない手はない。
「そもそも、今回の判決は彼らが過去に犯した罪に対するもの。彼らに有利となり得る証拠は、貴方様の証言とやらも含めて第三審までに全て出揃っておりましょう。それらをはね除けられた以上、減刑は不可能でしょうな」
甘い考えだとたしなめんばかりに、宰相はとことんネオンを理屈でねじ伏せる。
分かっていた。過去の出来事をなかったことになどできない。どんな事情や背景があれ、カイズとジラーが人を傷つけたという事実はどう足掻いても消せないのだ。冤罪ならどれほど良かっただろう。仲間たちも目撃していたというし、何より自首しているのだからそれはあり得ないが。
それでも、どうにかしたい、なんとかしたいと願うのは不必要な感情だろうか。
「ところで、法典注解の方は目を通されましたかな?」
宰相がやにわに話題を転換したので、悶々としていたネオンの反応が一瞬遅れる。
「……? いいえ、まだ」
「法律だけ丸暗記すれば良いというものではありませんぞ。図書室の全蔵書を網羅するくらいの気概は見せていただきたいものですな」
吐き捨てるように告げて、宰相は席を立つ。さすがに時間を取らせすぎたらしい。断りの一言もなく出て行った。離席した宰相に倣って、大臣たちも次々と会議室を後にする。
注解などよほど暇なときに読めば良い、くらいの気持ちでいただけに、宰相の言葉と共に投げかけられた視線が刺さる。外に控えていた二人――というかミシェルが事情を察したのか苦笑しながら頷いている。微笑で応えてから溜息を零した。
請求期限まで、あと二週間。
その足で早速図書室へと向かう。「室」と言うが広さは「館」と呼んでも差し支えない。そして、その広さに見合った蔵書を抱えている。網羅するにはそれこそ十年単位はかかるだろう。
最近になってようやくどこにどの分野の本があるかを覚えたネオンにとっては、そこからさらに目当ての本を探し出すのも一苦労だ。時には梯子をよじ登ることさえあるが、身体能力には自信があるのでその点は問題ない。なにより身体を動かすことは気分転換にもなる。
「注解、注解……っと」
辛うじて片手で掴めるほど分厚いそれを慎重に引っ張りだし、一旦踏み桟の上に置く。よく見れば似たような名前のものが本棚の端の方までずらりと並んでいる。げんなりしながら執務室へと持ち帰った。
二人のことは諦めたわけではないが、宰相が全く無関係なことを勧めるとも思えなかった。彼は口調こそ厳しいが無駄なことは言わない。期限ぎりぎりまで読書に勤しむことにした。
期限まであと数日というところで、ある記述が目に留まった。ほとんど寝る間も惜しんで読み続け、通算十二冊目だ。もはや書いてある内容もまともに入ってこない状態で、何故かその一文だけはすんなりと脳が理解する。
『「再審の請求」は、判決確定前に限定されず、被告が服役中であってもこれを行うことができることに留意』。
頭に叩き込んだと思っていた法典をもう一度読み直すと、『再審の請求』は一案件につき一度しか認められないことを見落としていた。つまり、判決確定前か服役中かどちらか一回限りということだ。
数日後に迫っているのは前者の期限ということになる。服役中の請求期限については特に触れられていない。そのことだけが唯一の救いか。
(二人を収監させたくはない、でも今請求したところで結果は見えてる。かといって、収監してから判決不当を証明する方法なんて……)
「……あ」
ただでさえ睡眠不足で頭が回らないネオンは、だからこそか、突拍子もない方法を思いつく。
その日、レクターン王国王都・セレンティアの北門に全身を甲冑で固めた男の姿があった。市民はその異様な風体に目を剥きながらも、関わり合いになることを恐れてかそそくさと足早に立ち去る。
それでも気になるのか陰から様子を窺っていた市民は、やがてその男が王宮専用馬車に拾われていくのを目撃し騒然とするのだった。
「それで、我がガイラオ騎士団の協力を仰ぎたい、と」
男の正体は暗殺組織の団長だった。その地位に相応しく猛禽類のように鋭い目をしており、愛想笑いさえ見せない。同席している大臣たちがあらゆる意味で戦々恐々とする中、ネオンは一人平然と男の正面で膝を組んでいる。以前も何度かこの組織の人間を国に入れているが、さすがに警戒心がなさすぎると言わんばかりに宰相がいつにも増して険しい眼差しを向けている。
彼らはあくまでも暗殺の依頼を受ける側だが、依頼を確実に遂行するための情報収集は怠らない。今この瞬間も、そこにいる全員を標的予備軍として捉え、些末な仕草でさえ目に焼き付けて血肉にしているだろう。
「ええ。あたしは二人を助けたい。そのために、ありとあらゆる暗示を施して暗殺をけしかけてもらいたいの」
「矛盾しているように聞こえるが」
助けたいと言う割に死罪への道を歩ませるかのような提案は、確かに論理が破綻している。冷静に指摘する低音に応えるようにネオンは頷く。
「そう思うのなら、あたしの意図は確実に伝わってるわ。あなたたちが常用する暗示なら強力な効果があるはず。それでもなお暗殺に成功しなければ、再審の十分な根拠になり得る」
ネオンの狙いはそこにある。
再犯の可能性があるというなら、その可能性を生じさせる根本原因の暗示を克服すればいい。
「たぶん普通の依頼とは毛色が違うでしょうし、報酬は相場の倍出すわ。万が一誰かを殺してしまって死罪になろうものなら、二人を高く買ってるあなたたちにとっても都合が悪いでしょうから。……いいえ、むしろここぞとばかりに現役の団員だと主張して、連れ帰るつもりだったりして。もしそうなら、あなたたちに損はないわね?」
「標的は?」
団長はネオンの推理には答えず、ただ冷たい眼差しでそれだけを問う。
ネオンは待ってましたと言わんばかりに意味深に唇をつり上げ、一呼吸置いて強気に言い放った。
「――あたし、ネオン・メル・ブラッサ・レクターン」
「なっ?!」
「何をっ……正気ですか!?」
「なりませぬ! 何故貴女様がそこまでなさる必要があるのです!!」
狼狽える外野を尻目に、顔色一つ変えず見据えてくる団長にそれまでの調子で交渉を持ちかけるネオン。
「その代わり、期限は一週間。護衛は付けないし、あたしは神術も武術も使わない。悪い話じゃないでしょ?」
団長の表情に変化はない。表情どころか瞳の揺らぎも、瞬きさえもない。その上微動だにしないので、話を聞いているのかと問いただしたくなりそうだ。しかし脳内では瞬く間に思考を巡らせているのだろう。瞳の奥、微かに垣間見える野心の灯り。暗殺組織の長たる者、余計な感情や挙動は邪魔なだけなのかもしれない。
「少し気がかりではある」
「?」
数十秒程度の黙考ののち、団長はそのように呟いた。
「これまで依頼を受けたことのない国の、それも王女を暗殺したとなれば、今後の動きに支障が出る」
暗殺が完遂されること前提の危惧に、大臣たちから非難めいたどよめきが起きる。だが、護衛はおらず反撃もしないとなれば団長の反応はむしろ自然だ。失敗する要素が見当たらない。これで相場の倍を出すというのだから王国は酔狂とすら思っているかもしれない。
なめられたものである。
「そういうことなら心配無用よ」
団長に不動の自信があるように、ネオンにも譲れない想いがある。
「絶対に成功しないわ」
これ以上、二人に罪を背負わせない。
揺るぎない決意を秘めた眼差しと相反する思惑のそれとがかち合い、静かな火花を散らしていた。




