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第百七十一話 心残り(2)

「……ヤレン様?」


 拝殿の掃除をしていたサトナは、上空を振り仰ぐ。

 抜けるような青空に響き渡る凜々しくも優しい声色は、名を呼ぶ声に続いた「ありがとう」は、間違いなく聞き慣れた巫女のもので。


 嫌な予感がして、一目散に『この世の果て』へと駆け出した。あの樹の側が一番落ち着くからと愛おしげに微笑んでいたのだ。だから、姿が見えないときは真っ先にそこを当たっていた。


 大きく傾いた巨体。その根元に、いつも寄り添っているはずの人影がなかった。

 彼女の行動範囲は限定されている。今サトナが走ってきた大樹と入り口を繋ぐこの道以外はほとんど使わない。念のため、以前(あおい)に力を伝授したという地点まで脚を伸ばしたが、結果は同じだった。


 なにより、この森のどこからも彼女の気を感じない。


 いつの頃からか錯覚していたのかもしれない。

 これまでずっと側にいたのだから、これからもその存在は永遠だと。


 彼女が禁術を用いたときも、焦りはあったものの心のどこかで楽観視していた。これ以上は悪化しない、まだ大事には至らないと。


 日に日に色素が薄れ弱っていく現実を間近で見ていながら、理解を拒んでいたのだ。


 無意識に触れないようにしていた結論に、辿り着かざるを得なかった。

 膝から崩れ落ちそうになるのを堪え、引きずるように脚を動かす。


(また、一人になってしまった)


 連日とはいかないが、参拝客はある。

 ただ、いつも当然のように傍らにあった存在には敵わない。


(しっかりしなければ)


 ここはかつて世界を救った巫女を讃える森。

 守護兼管理者の自分が、引き続き護っていかなければならない場所。


(しっかりするのよ、サトナ)

 

 もう一度自分に言い聞かせ、拝殿までの道を辿る。胸の真ん中に大穴が空いたような虚無感を抱えながら。


 中程まで戻れば、遠くに拝殿と鳥居が確認できる。ぼんやりしていて判断が遅れたが、鳥居の近くに誰かが佇んでいる。参拝者だろうか。幸いこの後の予定にはまだ余裕がある。案内を買って出る時間はありそうだ。小一時間で大体の説明はできる。


(それから沐浴をして、木の実を採取して……そうだわ、その前にヤレン様の――)


 気付いて、苦笑が漏れる。もう彼女はいないのに。

 そうは言っても、日課に組み込まれているので思考の癖は抜けそうにない。どうしたものかと思いながら注意を参拝者に向けて――目を見開く。


 焦げ茶色の長髪、えんじ色の巫女服。

 考えるよりも先に走り出していた。


「ヤレンさ、」


 歓喜のままに飛び出したサトナは程なくして失速した。

 人影の正体がヤレンとは似ても似つかない、いつぞやの暗殺騎士のものだったからだ。

 今朝は確かに霞がかかっていたが、それにしたって見間違えが過ぎる。天と地、否、比べるのもおこがましいほどの相手だというのに。


「おっすー、サトナちゃん」


 緊張感の欠片もない声で暢気に挨拶してくる。一度ならず二度までも、よくもまあおめおめと顔を出せたものだと文句の一つや二つ言いたくなる。


「一応任務完了ってことで挨拶がてら寄ったんだけど、救いの巫女サマは……ってちょっ、どどどどうしたサトナ?!」


 本当に務めを果たしたのか、悪事を働いていないか、確認しなければならないのに。「否」であれば、貴男あなたのような極悪人が来るところではないと以前のように神術しんじゅつで痛めつけなければならないのに――流れ出した涙は留まるところを知らなくて。


 手近な丸太に座らされ、何があったと促され、気付けばぽつりぽつりと語り始めていた。こんな非人道的組織の一員に慰められるなんてと情けなくて悔しい反面、一つ一つ打ち明けるたび、鉛のように重かった心が少しだけ軽くなった気がした。誰かに話を聞いてもらいたかったのかもしれない。

 

「なるほどなぁ。ヤレン様がいなくなったと」

「お姿が見えなくなっただけです。きっと今も側で見守ってくださっています」


 本当はなんとなく分かっている。彼女はもうこの世界にはいない。

 それでも反発してしまうのは、まだその事実を受け入れたくないからなのだろう。


「まあとりあえず、今までみたいに守護し続ける必要はねえんだろ? つまりサトナちゃんは以後、森の外に出てもいいってワケだ」

「……それは、そうですが」


 これまではヤレンの身体を安定的に維持させるため、拠り所である『この世の果て』を擁する森の敷地内から離れることはできなかった。それがヤレンと交わした取り決めでもあったからだ。


「だったらたまにゃ街中の空気を吸ってみるといい。当たり前だがここよりも広い世界だし、常に変化がある。行ってみてソンはねえと思うけど」


 人懐こい笑みがこちらを覗き込んでくる。判断を委ねているのだろう。

 幼い時分ならまだしも、日がな一日森にいるのが当たり前になってしまった今となっては、外の世界に対する憧れなどは消えてしまった。まだ傷心気味だし、しばらくは無為に過ごしたいという思いもある。


「まあ急いで決めるようなことじゃねえし、気が向いたらでいいんだよ。ただ、誰とも関わらなくなるのだけはやめときな。参っちまうから」


 こちらの迷いを読み取ったのか、ウオルクの顔が離れていく。

 今まではヤレンがいたから気にならなかったが、これからはこの巨大な森の中たった一人。来訪者がない限り話し相手もいない。そんな状況下で生活していかなければならないのだ。心細くなることも一度や二度ではないだろう。


「……そうですね」


わたくしも、いつまでもヤレン様に縋っていてはいけない)

 

「気分転換にはいいかもしれませんね」


 内に籠もってばかりはいられない。

 もっと、世界を知らなければ。


 前向きな意見を述べたからか、ウオルクが喜色満面身を乗り出してくる。


「だろ? なんならオレが案内してやるし」

「結構です。悪の手助けなど必要ありません」

「つれねぇなぁ」

「貴男がガイラオ騎士団員だからです」

「やめるって言ったら?」

「もうその手には乗りません」

「そりゃそうだよな」


 嘘をつくという悪事を働かれたときのことは忘れていない。微笑みながら圧を強める。ウオルクもサトナが二度も同じ手を食うとはさすがに思っていなかったらしく、屈託なく笑うだけだった。


「もうちょっと時間くれねーかな。サトナちゃんや世界にとっては忌まわしい暗殺組織でも、オレにとっては故郷みてーなもんだからさ」


 眉を下げながら困ったように笑みを浮かべるウオルク。無理矢理家族から引き離された子どももいれば、彼のような孤児もいる。そして、後者にとってはどんな集団であろうとなくてはならない存在なのだ。性格上どうしても二元論的に捉えてしまいがちなサトナだが、さすがに棘が刺さったような罪悪感を覚える。


「今の団長にも世話になったんだ。昔に比べたら、随分人が変わっちまったけど……それでも、団長を裏切ることはできない」


 これまでの調子とは打って変わって真剣な声質で語る。それほど強い想いがあるのなら足を洗う必要はないのでは、とサトナは思う。むしろ何故今やめるやめないの話になっているのだったか。そんなことを考えていると、ウオルクが突如呻き声を上げながらしゃがみ込んだ。


「あ~~~~~~!! でもなーーーーー!!」


 なにか非常に怪しい人物然としていて、丸太の上でなんとなく距離を取ってしまうサトナ。

 

「……サトナ」

「は、はい」


 小さくなったままのウオルクから声がかかって、いくらか退いたことを悟られたかと思わず身構える。

 そんなサトナに構わず、膝を抱える腕に鼻から下を埋めてこちらを見つめている。


「団を抜けたくないがサトナには会いたい。どうしたらいい」


 一瞬、何を訊かれたのか分からなかった。

 まさか、そんなことを気にしてのあの言動だったのか。


 大きな図体を丸めて顔色を窺うような仕草は、まるで小さな子どものようで。

 少しだけ「可愛い」と思ってしまったのは、良くない傾向だろうか。


「好きになされたらいかがですか」


 予想外の返答だったのか、勢いよく頭を上げるウオルク。


「こちらが何と言っても貴男は勝手に来るでしょう。それに、ヤレン様を手伝ってくださった恩もあります。報いなければ筋が通りません」


 年齢の割に幼さも覗かせる顔立ちが徐々に期待で花開いていくのを見て、心苦しさを感じる。


「でも、私はガイラオ騎士団を許したわけではありません。その点はお忘れなきよう」


 物心ついた頃には根付いていた正義感が、『悪』への一切の妥協を認めない。

 そして、ウオルクが今後も暗殺稼業を続けるのなら。その矛先は迷うことなく彼へ向く。


 サトナの予想通り、ウオルクは少しだけ寂しそうな顔をした。自身が受け入れられたなら組織そのものも、と思う気持ちは分からないでもないが、事はそう単純な話ではない。

 けれども、哀愁漂う雰囲気は一瞬だった。


「分かった。会ってくれるんならそれでいい」


 いつもの人懐こい笑みでそう言うと、「また来る!」と手を振り走り去っていった。

 あまりに突然別れを告げられたために思考が追いつかなかったが、手だけは応えようとしたらしく中途半端に上がっていた。もう片方の手で強めに握りしめる。自戒の念を込めて。


 しんと静まり返る森が、やたらと広く感じた。

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