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第百六十九話 芽吹きはまだ小さくとも

「なぁ、アバースよ」


 明らかに誘拐犯と被害者とは言いがたい空気を醸し出す二人をうっかり見守ってから、赤茶短髪の男が気まずそうに口を開く。


「馬に蹴られて死んでも不思議ではありませんね」

「言うなよ、世にも恐ろしいことを」


 そういうところだけ空気を読むなよと苦言を呈するデューダーに対し、アバースは涼しい顔で眼鏡を押し上げる。

 

「ですが、これ以上どうなるとも思えません。出自の卑しい獣人の娘と魔法士の名門ステイジョニス家の御曹司。釣り合いが取れないことなど火を見るより明らか。遅かれ早かれいずれは訪れた結末です」

「お前またそういう……」


 遠慮も配慮も感じられない。デューダーの方は冷や汗をかきながらちらちらとミリタムの様子を窺っているが、ミリタムは時が止まったかのように微動だにせず、白兎ハクトが走り去った方向を空虚な眼差しで見つめ続けていた。


(ひどい)


 確かに彼らの言うとおり、二人は相容れない立場なのかもしれない。それでも、今はまだ淡くとも、互いに親愛を超えた感情を抱いていたのはあおいにも分かることで、だからこそ大人の都合で引き裂かれることに納得がいかなかった。

 子どもの幻想と言われれば、それまでなのかもしれないが。


「デューダーさん、でしたっけ。さっき「レクターンから来た」って言ってましたよね」

「お、おお」


 碧は一つの決意を携えて、デューダーに歩み寄る。アバースという男よりは話が分かりそうな気がしたからだ。そちらとは言葉も交わしたくないほど嫌悪感が募っていたというのもある。うっすらと怒りのオーラを漂わせた碧にデューダーは少々怯みながらも応じる。


「だったらネオンに聞いてもらえばすぐに分かります。あたしたちが何者なのか」

「ね……っ?! お嬢さんあんた、」

「あたしたち、ネオンの友達なので」


 レクターン王国の第一王女は身分と敬称を嫌う変わり者ではあるが、直々に言われたとてそれを実践できる者はなかなかいない。秘めた怒りはそのままに自信満々に微笑む碧に、呆気に取られた様子のデューダーであった。


 多少遠回りしてしまうが、方角的にはウイナーと同じなので大きな問題はない。成り行きでレクターン王国への道を歩く碧たちの後方、大人たちが――正確にはデューダーだけだが――声を潜めて会話している。


「どうなってんだよ最近の若モンは……」

「年寄りくさいですよ」

「年寄りの心境にもなるだろこいつは。うちの国の秘蔵っ子どころか隣国のお姫さんまで友達とのたまうなんて普通じゃねえ」

「真実だからでしょう。でなければわざわざ会いに行ってまでリスクを犯す理由がありません」

「いや、まだ分からんぞ。あの方が脅されてる可能性も」

「あると思いますか?」

「……ないな」


 半信半疑ではあるが、総合的に見て納得せざるを得ない。そんな雰囲気が滲み出ている。

 碧としては別に信じてくれなくてもいいのだが、頭の固い大人たちをぎゃふんと言わせてやりたい一心での言動だった。


(そういえば)


 イチカもミリタムも、独断専行にもかかわらず何も言わずついてきてくれている。


「ごめんね、勝手に」

「気にするな」


 急ぎの用事があるわけじゃない、とイチカ。申し訳なさとありがたみが募りつつ、なんの反応も示さないミリタムが気になった。明確に不機嫌だったり怒りを露わにしてくれた方がまだ分かりやすいのだが、あまりに表情が乏しく感情が読み取れない。イチカと同じ部類でも、幼い分後々の影響を考えればこちらの方が深刻だ。


「ミリタムも、ごめんね」

「ううん。ぼく、レクターンのおひめ様に会うのはじめてだから、たのしみだな」

「そっか。それなら良かった」


 微笑んでくれたので碧も反射的に微笑み返したが、心からの笑顔には見えなかった。いわゆる社交辞令的な、本心を押し隠した笑顔に思えた。


(やっぱり白兎のこと、気にしてるのかな)


 本心を悟らせまいとする処世術をこの年齢で身につけているのは、常にそうしなければならない環境下にいたからだろう。今だって、白兎のことを表立って口にするのは憚られるから、従順なふりをして無難な答えを返しただけかもしれない。

 本当はすぐにでも追いかけたいだろうに、世間がそれを許さない。


「あー、お嬢さん方」


 無力感に打ちのめされた碧に、デューダーから遠慮がちに声がかかる。


「この調子で行くとレクターンまで二、三日かかりそうなんで、ちょいとズルさせてもらいたいんだが」

「ズル?」

「端的に言や魔法使ってもいいか? ってことなんだが」

「それは、あたしたちもその方がありがたいですけど」


 いくら旅慣れたとはいえ、歩かずに済むならその方が良い。やたらと下手に出るのは、先ほどの負い目があるからかもしれない、と無精ひげの男を少しだけ見直しかけた碧だったが。


「そいつは良かった。【瞬間転送テレポート】って魔法を使うんだが――ミリ坊は良く知ってるだろうが本来は術者が五、六人は必要な魔法でなぁ」

「やっぱり歩きます」

「まあ待て。大人の話は最後まで聞くもんだ。こう見えてオレたちも特殊な訓練を積んだ魔法士団の一員だから、そうそう失敗はしない。ただ多少のリスクは覚悟してほしいって話でな」

「別におれたちは急いでいない。多少だろうとリスクがあるなら魔法でなくてもいいんですが」

「分かった、言い方を変えよう。実はオレたちは急いでる。なるべく早くレクターンに戻りたい。そのためにリスクを呑んでくれ」

「そんなこと言われても」


 何かのっぴきならない事情を抱えているようだが、それこそ碧たちの知ったことではない。どんなリスクかは分からないが、危険を進んで受け入れるほど善人ではない。大体、つい先ほどまでのんびり歩いていたではないか。


「そんなに急いでるなら、先に行ってもらってもいいですよ。後から追いつきますから」

「いや、そいつは」

「そういうわけにはいきませんね。あなた方への疑いは晴れていませんので」


(ムカつく……)


 あくまでも監視対象であると言いたいらしい。デューダーが最初から全員での【瞬間転送】を提案したのも、そういう意図があってのことだろう。穏便に事を運ぼうとしていたのにアバースに台無しにされたと、デューダーの苦々しげな表情が物語っている。


「だったら、ミリタムだけ連れて行ったらいいじゃないですか」

「よーしミリ坊、一緒に行くか」

「……」

「こんな調子なんでな。そいつは却下だ」


 親戚のおじさんのようなノリのデューダーに対し、ミリタムは明後日の方向を向いて白けた反応。白兎を引き離した二人のことがよほどお気に召さないらしい。碧もミリタムの対応はなんとなく予想できていただけに、けしかけるようなことをした罪悪感が残る。


「……魔法、失敗したらどうなるんですか?」


 碧の問いに、デューダーは随分言いづらそうに眉間に皺寄せ垂れ目を伏せ。


「運が良けりゃ辺境に飛ばされるぐらいで済む。運がなけりゃ……中途半端に身体が分離されて」

「もういいです」


 とても二つ返事で頷ける話ではない。


 そこからは両者による睨み合いが続いた。

 可及的速やかに戻りたいが疑念のある碧らも護送したいデューダー・アバース組と、急ぎではないが誘拐容疑を晴らすためには命の危険さえある魔法に身を委ねざるを得ない碧・イチカ組。


「リスクなんて万が一にもない」

「えっ」


 ミリタムがぼそりと呟いて、冷戦は終わりを迎える。


「とくしゅなくんれんを積んだ魔法士団の一員だなんて回りくどいこと言うから信用されないんだよ。魔法大国の魔法士団、その頂点に立つエリート中のエリート。そこまで言って分からない人間はいないでしょう」


 舌足らずではあるが流暢な話しぶり。なんの期待感もこもらない冷めたような口調が、子どもらしさを封印していた以前の彼を彷彿とさせる。


(ていうか“エリート中のエリート”って。“頂点”って)


「買い被るなあミリ坊」

「……」


 機嫌が直ったと踏んだのかデューダーが気さくに話しかけるも、ミリタムはだんまりを決め込んでいる。


「あーはいはい。自分が喋るのは良いが聞く耳は持たねえってか? 反抗期早すぎねぇかオイ。うちのリリーシャちゃんはこうなりませんようにー」


 皮肉たっぷりに吐き捨ててから、碧らの物言いたげな視線に気付いたらしいデューダー。いかにも面倒くさそうに後頭部を掻きながら深い溜息を一つ。


「あー、あれだ。別に隠すつもりはなかったんだがタイミングがな。大体、自分から言ったら偉そうだろ」

「事実なのだから堂々としていれば良いのでは?」

「おーいまた好感度下がったぞー。勘弁してくれよ。あとその微妙にズレてんのもなんとかしてくれ」


 指摘を受け不自然な髪を調節するアバース。


(やっぱりカツラだったんだ)


 明らかに違和感があるのに確信が持てなかったのでモヤモヤしていた碧は妙に安堵する。


「それじゃまあ改めて。サモナージ帝国魔法士団団長のデューダー・アハヤと副団長のアバース・ウェルイントンだ。一つ頼まれてはくれんかね」


 碧はイチカを振り向く。イチカは何も言わずに頷く。言葉は交わしてないけれど、「お前の好きにしていい」と言われた気がした。だから碧は、デューダーたちを見てから「分かりました。お願いします」と深々と頭を下げた。


「ミリタム」


 頭を上げてから声をかける。こちらを見上げてくる意外そうな表情からして、話しかけられるとは思っていなかったのかもしれない。


「あたしたちはね、偉い人たちの頼みだから従うわけじゃないよ。ミリタムがそこまで言うほどの人たちならって、信頼して任せるの」


 先ほどのミリタムの、「肩書きさえ明かせばなんだろうと誰だろうと大人しく従う」とも取れる言葉に引っ掛かっていた。間違いではないのかもしれないが、少なくとも碧はそうではない。共に戦ってきた仲間が太鼓判を押す人間だから、未だ安心はできないけれど信用してみようと思えた。それだけ頼りにしていたのだと伝えたかった。


 碧の言葉を受け大きな瞳を微かに見開いたミリタムだが、言葉を発することはなかった。


 肝心の【瞬間転送】はというと、驚くほど呆気なく成功した。魔法士団の団長と副団長なのだから当然と言えば当然なのかもしれないが、本来の所要人数を考えれば非凡な技術である。安全上、術者は転送者数と同数かそれ以上が大原則というから、危険性を教えてくれただけデューダーは親切だったのだ。


 何度か訪れている坂の都だが、今回は初の西門からの入国。見慣れない景色に新鮮な感動を覚えながら、碧は脳内で王女の名を反芻する。


【ネオン。来たよ】

【いらっしゃい、アオイ。ちょうどいいところに来てくれたわ】

【え?】


 思いがけない返事に戸惑う。見ていたかのような反応速度だ。


【サモナージの皇子に言い寄られてるの。そこから見えるはずよ】


 言われて周囲を見渡していると、姿を見つけるよりも先にゆるい喚き声が耳に入る。

 

「だからぁ~~、オレが君の国に婿入りすればなんの問題もないワケじゃん? みんな幸せじゃん?」

「だから、そういう話はあたしに直接言うんじゃなくて国を通して。あたしには決定権ないから」

「ケチかよぉ」

「ケチがどうとかいう次元の話じゃなくて――ああ、お迎え来たみたいよ。どうぞお帰りください皇子」


 示された先を視線で追って、こちらに気付いた青年の表情が情けなく歪む。緩く結われた亜麻色の長髪と菫色の瞳。碧の中で数ヶ月前の記憶が蘇る。


(あ、あの人レイリーンライセルにいた……不良の皇子様)


「デューダーぁぁぁ! アバースぅぅぅぅ!」


 各々人混みに紛れようとしたりカツラで顔を隠すなどして他人のふりを決め込んでいたようだが、皇子の突進に為す術なく捕まった。


「聞いてくれよぉ~~! オレ誠心誠意口説いてんのに全然なびいてくれないの! オレの何がダメなの? 何が足りないの? やっぱ長男じゃないから? 末っ子だから? お荷物だから?」

「あー聞きたくない聞きたくない」

「頭が足りません皇子」


 鼻水を垂らしながら泣きべそをかく青年を迷惑そうに適当にあしらっているところからして、日常茶飯事であろうことが見て取れる。デューダーはともかくアバースは皇子にさえあの調子なのかと感心半分呆れ半分の碧である。


「はーあ。『絶対モノにするから先帰ってて~~』とか仰ってたお人はどこのどなたでしたかねえ」

「言うなよぉ! イケる気がしたんだよ~~!」

「思い上がりも甚だしいですね。貴方のお粗末な語彙力で政略結婚を受け入れる姫君がいるとすればその国の神経を疑います」

「でもでも、お前ら近くにいたんだな。おかげで助かったよぉ、オレ一人じゃ帰れねーもん。ホントありがとなアバース。デューダーも」


 ネオンに軽くあしらわれて泣き喚いていた割には、アバースの毒舌に対しては意に介した様子もない。まだ少しあどけなさの残る皇子の純粋な笑顔に、アバースは無表情に眼鏡を押し上げ、デューダーは眉を下げつつ後頭部をかき。


 彼らの急ぎの案件とはこの皇子のことだったようだ。なるほど一国の皇子を置いて帰ったとなれば、理由はどうあれ厳しい追及を受けるだろうことは想像に難くないが――碧はそれだけではない気がした。直接的にはぞんざいな態度でも、少なくともデューダーにとっては血相を変えて頼み込むほど大切な存在なのだろう。アバースはよく分からない。


(ていうか、分かりたくもないかな)


「アオイ」


 自らの内にどす黒い感情が湧いて内心驚きを隠せない碧に、ネオンが歩み寄ってくる。


「無事だったのね。ラニアは?」

「色々あって、サイモンにいるの。でも、元気だよ」


 少し迷って、そう答えた。察しの良いネオンのことだ、【思考送信テレパシー】を用いていなくても何か勘付いたかもしれない。


「それなら良かった」


 気付かなかったのか、気付いたがあえて訊かなかったのか。ネオンはそれだけ言って柔和に微笑んだ。


 ネオンの案内でセレンティア西側の町並みを歩いた。イチカとミリタムには挨拶もそこそこに『待機命令』が下ったので、今は碧一人だけだ。

 趣のある煉瓦造りの建物はどれもこれも酷い有様だった。良くて半壊、悪くて瓦礫の山。とても人が住める状態ではない。


「酷いね……」

「そうね。住人は予め避難させてたから、被害は建物だけだけど」

「すごい! それじゃあ亡くなった人はいないの?」


 後片付けに追われる住民を、深緑の隊服に身を包んだ兵士が声を掛け手伝っている。疲労の色が窺えるものの表情は曇っていない。時折笑い声も響いている。


 期待の滲んだ碧の問いに、しかしネオンは静かに首を横に振って。

 戸惑いながらも導かれるままにネオンを追う。修復作業が進む住宅街の細い通路を抜けていくと、開けた場所に出た。


 広い空き地に直方体に切り出された光沢のある石が並べられていた。艶やかな面の中央部には二行ほど文字が刻まれている。


「二十一人。みんな、レクターンの兵士だった。ほとんどは身体がなくて、実質生死不明」


 整然と並ぶそれらは石造りの墓らしかった。碧の知っているそれに比べると簡易的で、墓と言うよりは石碑の方が近い印象を受ける。


「身体がないって」

「魔物に喰われたんでしょうね。助けてもらって運悪くその瞬間を見た兵士もいて、彼は未だに立ち直っていない」


 淡々と語られるあまりにも壮絶な話に、碧は言葉を失う。


「少ない犠牲だと言われたわ。でも、どんなに少なくてもそれは命に変わりない。あたしは夢だけを語って、全然現実を見ていなかった。その代償がこれよ」

 

 いつも勝ち気で明るいネオンが、目に見えて気落ちしている。それは無理からぬこととはいえ、英霊たちの墓前でうずくまる姿はとてもあの快活な王女とは思えない。

 

「悔しい。未熟で思慮の浅い自分が許せない」


 声と身体を震わせながら、地に付いた両手を強く握りしめる。


「だから、決めたの。この国の民を守るために、できることはなんでもする。勉強からも逃げない。もう誰も死なせない」

 

 そう言って立ち上がったネオンの瞳は、まだ少し涙で濡れた痕跡を残しながらも、希望と熱意で煌めいていて。


(いつものネオンだ)


 悲しみを引きずってその場に留まるのではなく、糧にして前へ進む。


 きっとこの国はますます成長する。

 ネオンという先導者と共にある限り。

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