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第百六十八話 変わる心、変わらぬ世界(4)

「アオイとなんの話してたの?」

「なンでもねェよ」

「ねーなに話してたの? なんで顔赤いの? 手すごくぬれてるよ?」

「うるせェ!」


 むーっとしながらも、白兎ハクトの手は離さないミリタム。そんな些細なことでさえ、思わず笑みが零れてしまいそうになる。重傷だ。


(やべェな)


 惚れた弱みというのはここまで人を変えてしまうのかと、自身の変容に空恐ろしさを感じながら帰路を辿る。


 さすがに昼間となると人口密度が違う。昨夜通ったときは疎らだった人流が、目に見えて増加している。混雑するほどではないが、気を抜いているとぶつかりそうになる。

 ここは大国と大国を繋ぐ大動脈とも言うべき街道だから、人通りが多いこと自体は特段おかしなことではない。ただ、今は魔族による世界的な襲撃がようやく終結したばかり。着の身着のまま避難してきたと思われる者、見るからに負傷者と分かる者も大勢いた。命が助かった以上歩みを止めるわけにはいかないと、不安と希望を抱えながら新天地へ向かうのだろう。


 そんな中――時折向けられる視線。畏怖、好奇、軽蔑の目だ。それらは間違いなく白兎に、もっと言えば白兎の手を引くミリタムや同行するあおいやイチカに注がれている。外套を頭から被ってはいても、頭部の隆起や隙間から覗く長い爪は隠しきれない。


「獣人だぞ」

「なんだってこんな人里に」

「ねえ、あの子大丈夫なの?」

「かわいそうに、騙されてるんだよ」

「取引がうまくいったんだろう」

「子どもでも商売上手はいるからねえ」

「それにしたって人でなしだよ」


 白兎の鋭敏すぎる耳は、人々の間で囁かれる心ない声を絶えず拾い上げる。

 分かっていたことだ。碧らのような人間の方が珍しいのだと。


(コイツらは、関係ねェだろ)


 だからといって、獣人と共に行動している人間にまで憐れみや疑念を向けるのは違う。

 自身を貶められるのは構わない。しかし、『仲間』を侮辱することは許せない。嫌味の一つでも放り投げてやろうと振り返りかけて。


 右手のぬくもりが突如離れた。


「デューダーさん! アバースさん!」


 そちらに気を取られ、込み上げていた怒りは霧消した。ミリタムは一目散に駆け出していた。知り合いの姿を見つけたらしかった。翡翠色のローブと正装を着込んだ二人の男の前で立ち止まる。


「ミリ坊?!」


 赤茶色の短髪で、見るも窮屈なローブを纏った巨躯の男が素っ頓狂な声を上げる。隣のどこか不自然な藍髪の、正装を纏う痩せぎすの男も四角縁の眼鏡の奥で僅かに目を見開いている。それらに構わず、ミリタムは小首を傾げる。


「どうしてこんなところにいるの?」

「それはこっちの台詞だ。なんだってこんな激戦地に」


 目線を合わせるようにしゃがみ込む巨体。


「げきせん地?」

「レクターン以北は特に魔族の被害が酷かったって話だが……この辺はそうでもなさそうだな。オレらもレクターンの応援に行ってその帰りだよ」


 ミリタムとてその「激戦」の最中にいたのだが、記憶がないので今ひとつ理解できていないようだ。ふぅん、と生返事のあと、興味の対象が移る。


「歩いてかえるの? 【瞬間転送テレポート】でかえればいいのに」

「あーまあ。こっちにも色々事情があってだな……それよりお前さん、まさか一人でいたわけじゃないよな? いや、一人ならそれで良いんだがヘンな奴とは」

「ちがうよ。白兎とイチカとアオイといたの」

「そうかいそうかい、どこの誰だか知らんが賑やかで良いこったな――」


 ミリタムが指さす先を目で追って、赤茶髪の垂れ目が見開かれた。藍髪の男も無表情のままこちらを凝視している。二人の視線は言うまでもなく、白兎に釘付けだ。


(またかよ)


 友好的なそれではない。白兎は思わず舌打ちを零す。


「オイ、ミリ坊……なんで獣人と一緒なんだよ……」


 無精ひげの生えた口元を歪ませ引きつった笑いを浮かべながらの言葉は、ミリタムにというより状況そのものに対してのぼやきのようだった。ミリタムが口を開く前に、首を左右に振りながら深い溜息を吐いて立ち上がる。


「オイオイ勘弁してくれよ……お達し通りじゃねえか……」

「お達し?」


 問い返したのはイチカだった。二人の男から発せられるただならぬ気配を感じてか、久しぶりに冷徹な敵意をさらけ出している。


「ディークヴォルト・ステイジョニス――こいつの親父さんの名で国の魔法士に通達があったんだよ。『兎族うぞくかどわかされた息子の救出を求む。場合によっては野蛮な獣人どもの住処を焼き払っても構わない』ってな」

「――!?」


 九十年、相互不可侵は守られてきた。

 代わりに大きく育った悪感情が、埋まることのない溝の深さを突きつけた。

 人間と交わらなくなっても、忌避の目はずっとこちらを見続けていたのだ。


(それは、あたいらも同じか)


 白兎は怒り任せに振り上げかけた拳を下ろす。里の者たちの陰口を思い出したからだ。当事者ならいざ知らず、もはや関わりもない赤の他人を罵り合っている点では自分たちも人間のことをとやかく言えた義理ではない。

 

「そんな……! 白兎は拐かしてなんかいません!」

「ではあなた方ですか?」


 碧の反論に、間髪入れず藍髪の男の詰問が飛ぶ。その視線の鋭さに一瞬たじろいだ碧だが、すぐさま弁解を始める。


「違いますっ! あたしたちは、ミリタムに助けてもらったんです。魔王を倒すために力を貸してもらったの。それで、町へ帰ろうとしてるところで」

「証拠がないので判断のしようがありませんね。現時点ではあらゆる可能性がある。たとえばあなたの仰るとおり魔王を倒した勇者一行の可能性、そして名門貴族の嫡男を誘拐した犯罪者の可能性。あるいはそのどちらでもある可能性、またあるいはそれ以外の可能性。いずれにしても、確実な証明を提示していただかない限りは信用には値しません」

「証明って言ったって……」


 淀みない正論に圧倒されながらも、碧は懸命に思考を巡らせているようだ。もちろん、そんなものがどこにもないことは白兎にだってすぐ分かった。


「まーそいつの言うことは九割型無理難題なんで気にしなさんな。とはいえ事が事だけに、素性も分からん子どもの話を素直に聞くわけにもいかんのでね」


 男たちを納得させるような証拠を持たない碧たちが圧倒的に不利だ。これ以上白兎を庇おうものなら、誘拐共犯者として強制連行されてしまうかもしれない。


「ぼく、何もおぼえてないけど」


 二つの勢力の間で板挟みになったミリタムが、消え入りそうな声でぽつりと呟く。


「白兎はぼくをさらったりはしないと思う」

「それを証明できますか?」 


 ミリタムは押し黙ってしまう。

 二言目には証明証明と融通の利かない藍髪の男に白兎はイライラした。偽りの毛束を引っ掴んで兎使法としほうで燃やし尽くしてやりたい衝動に駆られたが、下手なことをすれば碧たちを危険に晒してしまう恐れがある。


 白兎は大きく溜息を吐いた。衝動を堪え、心を落ち着かせる。


「だったら連れ帰りゃいい」


 その場の全員の視線が白兎に集まる。


「あたいには全く身に覚えがねェが、冤罪で里を焼かれちゃ堪らねェ。何も要求しねェし何も奪ってねェから勝手に連れてけよ。その代わりてめェらも手を出すな。あたいが言ったこと一言一句正しく伝えろよ? でなけりゃ、焼け野原になるのはてめェらの国の方だぜ」


 殺気を全開にして不敵な笑みを浮かべてみせる。里ごと焼き払えなど言語道断だ。兎族は誇り高く愛郷心と仲間意識の強い種族。いざとなれば九十年前のことなど関係ない。人間がこちらに危害を加えたが最後、全力で報復に向かうだろう。


 多少なりとも白兎の気迫は伝わったようで、男たちがそれ以上追及する様子はなかった。

 軽く息を吐いて、今度はずっとこちらを見上げていた視線に応える。


「つーわけだから、お前はコイツらと家に帰れ。二度と里に来るンじゃねェぞ。いちいちお前の親父に難癖つけられちゃ適わねェ」


 できるだけ感情を押し殺すために顔は見ずに淡々と告げる。


「会いに来ちゃだめ?」


 二度と里に来るなと言っているのに会いに来てもいいと思っているのか。

 見当違いな問いに苛立ちを覚えるが、告げるべきことは一つだ。


「ダメだ。もうあたいのことは忘れろ」

「いやだ」

「分かれよ……」


 聞き分けない子どもに、苛々は募る。手を繋ぐだけであんなに幸せな気分になれたのに、今はとてつもなく鬱陶しい。


「お前の顔なンか二度と見たくねェッつってンだよ!!」


 縋り付く手を振り払うように拒絶の言葉をぶつけて、後悔した。

 ただでさえ大きな瞳をめいっぱい見開いてこちらを凝視する顔が、とても傷ついているように見えたから。

 

「……クソッ」

「白兎!」


 居心地が悪い。胸が苦しい。

 碧の制止する声も振り切って、四足歩行で駆け出した。逃げたと思われてもいいから、とにかくその場からいなくなりたかった。

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