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第百六十六話 変わる心、変わらぬ世界(2)

「族長の帰還と魔王討伐を祝して!」

『乾杯!!』


 音頭を合図に盛大な酒盛りが始まる。さすがに幼子は人参をベースにしたジュースを飲んでいるが、大半は醸造酒をたしなんでいる。白兎ハクトも飲めないわけではないが、人参ジュースの方が断然好みなので最初の一献だけである。


 宴の始まりこそ粛々と飲んでいた里の者たちだが、酔いが回るにつれて徐々に気と声が大きくなり騒がしさが増す。


「いやーめでたい!」

「何がめでたいって、これで族長もわざわざ人間どもについていかなくていいってことだろ?」


 そうだった、と白兎は苦笑いを浮かべる。

 あの時は確かに仲間でもなんでもなく、あくまで同行者として仕方なくついていくという話になっていたのだ。目的は果たしたし、普通に考えれば今日をもって自由の身となる。


「あっちへこっちへ連れ回されて、族長の心痛はいかばかりか」

「気に入らねえ人間どもにヘコヘコする必要もなくなるし、枕を高くして寝られますねぇ」

「ちょいとあんたたち、人間様の前で」

「うるせえな、本当のことじゃねえか。チラチラ視界に入ってきやがって、酒が不味くなる」

「全くだ。本当なら顔も見たくねえってのに」


 九十年。人間たちからすれば、覚えている者すらもういないような遠い過去。けれども兎族うぞくの里では昨日のことのような出来事。

 

 未だに人間を快く思わない者は多くいる。

 忘れていた。自分もそのうちのひとりだったのに。


(そうか)


 乗り気になれなかった理由はこれだったのだ。

 今の自分と、里の皆との心境の乖離。それを無意識に肌で感じていたのかもしれない。


 彼らの陰口が届くような場所にイチカやあおいやミリタムがいないのがせめてもの救いだろうか。里の認識では主役はあくまで族長である白兎一人。人間たちは客人ではあるが、兎族感情が優先され上座から離れた席に配置されている。


あたいの周り(上座側)は人間嫌いなヤツらばかりだからなァ)


 白兎は聞こえないように小さく溜息を吐く。


「そういえば族長、人間の村に忘れ物をしたんだってね」


 白兎と同じく上座側にいた兎母ウバの唐突な問いかけには全く心当たりがない。戸惑っている間に周囲は勝手に想像を膨らませる。


「忘れ物ってなんだい、人参かい?」

「そりゃもう無理だ! 干からびて食えたもんじゃない。それにわざわざ人間の村に行かなくたって、この里のを食べれば良い」

「ところがどっこい、人参じゃないのさ。寒冷地と温暖地の間にしか生息しないトカゲがいてね。その高級干物がサイモンの辺りに売ってるって話だよ。それを食べずに戻ってきたとあっちゃあおちおち寝てられるものかい。ねえ族長?」

「お、おお」


 他の者たちから見えないように片目を瞑ってくる。話を合わせるに越したことはない。


「なあんだ、ならしょうがないね」

「また帰ってきたときに祝杯を挙げればいい話だ!」

「理由をつけて飲みたいだけだろう、あんたは!」

「いって!」


 飲んだくれの旦那を嫁がはたき、どっと笑いが巻き起こる。間もなく始まった痴話喧嘩を肴にあちらこちらで会話が弾む。これだけの騒音なら、よほど耳を澄まさないと仔細まで聞き取ることは困難だろう。


「どうも“嫌々連れ回されてる”感じがしなかったんでね。要らない老婆心だったかい?」

「……要らなくねェよ」


 隣にちょこんと座って茶化す兎母にはお見通しだったらしい。旅に出て間もない頃の自分なら「嫌々に決まってンだろ! 要らねェよ!」と逆上していただろうが、今なら少しだけ素直になれる。酒が入っているからかもしれない。


 少なくとも、『仲間たち』を悪く言われるのは不愉快だ。

 もうそんなところまできてしまった。


「族長」


 下座側から来た兎美ウミが耳打ちする。兎族は皆耳が良いので、聞かれて困ることは後で燃やせる木の葉にしたため、内容を見せながら耳元で話すふりをするのが一般的だ。もちろんそんなことは里中に知れ渡っているので、何の用事かと訊く野暮な者は――


「族長~? どうしましたい?」


 ――普段はいないが今回は違ったらしい。

 むしろ、いつもと違う状況だからこそ鎌をかけたのかもしれない。白々しい声は思いのほかよく通り、そこかしこで繰り広げられていた会話もぴたりと止まる。そのまま騒いでいればいいものを。


 やろうと思えば適当にごまかすこともできたが、今だけは正々堂々としていたかった。


「……客が休むッてンで見送りだ」

「はっ! 贅沢な客ですなぁ~~族長に見送りさせるとは! 本来なら族長が休むまで付き合うのが礼儀だってのに、まったく躾のなってない家畜・・以下のガキはこれだから!」


 ぷつん、と白兎の頭の中で何かが切れた。


「ほォ? ならてめェらは躾のなってない家畜以下のガキどもに族長を連れ回されたクソみてェな獣人ッてことになるがいいンだなァ?!」


 早口でまくし立てると、罵詈雑言に同調するように上がっていた不満の声が嘘のように静まり返る。散々煽っていた獣人も赤ら顔のまま呆然と目を見開いている。


「行くぞ兎美」

「はい」


 何故かくすくすと笑っている兎美を伴って天幕の外に出ると、ミリタムを負ぶったイチカと碧が待っていた。


「ごめんね白兎、忙しいのに」

「気にすンな」


 面倒くさい絡まれ方をしたという意味では疲れはしたが、碧たちのせいではない。


「ミリタムが寝ちゃったから、あたしたちもお暇しようかと思って」


 幼年期の少年には長丁場の宴会は退屈だったのだろう。二人が戻ったところで、酔っ払った者たちから嫌がらせを受けないとも限らない。白兎は「分かった」と頷く。


「それで……白兎はここでお別れ、なんだよね?」


 落ち込んでいるように見えるのは、頼りない外灯のせいだけではないだろう。碧は最初からそうだった。敵意はあくまで自己防衛のため。兎族に対して悪意を見せたことは一度もなかった。白兎に対しても、他の人間と分け隔てなく接しようとしていた。今の言葉にも「せっかく友達になれたのに」という雰囲気が滲み出ている。それがなんだか白兎にはこそばゆい。


「お前ら明日サイモンに向かうンだろ? あたいもついていく」

「えっ」

「……ラニア(アイツ)に顔見せねェで里に戻ったら、何されるか分かンねェからな」


 ぱっと表情が明るくなった碧を見て、気恥ずかしそうに頬を染めてそっぽを向く白兎。

 兎母から聞いたトカゲの話を理由に挙げなかっただけ成長したと言えるだろう。もっとも、ラニア本人が聞いていたら無事では済まないだろうが。


「ダメだよ白兎、家なんて食べちゃ……」


 もにゃもにゃと、イチカの背から奇想天外な寝言が聞こえる。


「てめェは一体あたいをなんだと思ってやがンだ?」


 思いきり頬を引っ張っているのに一向に起きる気配がない。しまりのない口はまだ寝言を紡ぎ続けている。


「良かったね。白兎のことは覚えてて」

「コイツの夢の中と同じとは限らねェけどな」

 

 その時は深く考えずそう返した白兎だったが。





「良いワケねェだろ……」


 天幕内に戻った白兎はひとり頭を抱える。

 後々になって思い知る。それがどれほど残酷な状態かを。


 一度は求婚まがいの台詞を吐かれ、唇まで奪われそうになったのに。

 肝心の当人は急速に年を取る魔法を使った代償に身体ごと幼児退行し、あまつさえ旅をしていた間の記憶がないと言う。

 

 自覚してしまった感情は今も胸に燻っている。しかしそれを正真正銘の子どもに向けるのは罪悪感が――というよりも犯罪感が否めない。下手をすれば変態になってしまう。


 いっそのこと忘れてくれていた方が良かった。


(あれ、アイツら)


 ふいに、一組の男女が目に入った。顔を突き合わせれば喧嘩ばかりすると有名だったふたり。それが今夜は仲睦まじく寄り添っている。

 聞けば結婚することになったらしい。互いに素直でないこともあって紆余曲折あったそうだが、困難を乗り越えはにかみ合うふたりは本当に幸せそうだった。


 今までなら「めでたい」とは思っても、それ以上何かを考えることはなかったのに。

 羨ましく思ってしまうのは、恋を知ったからだろうか。


「ぞっ、族長!」


 なんとなく感傷的な気分になっていたところに、聞き慣れた声で我に返る。


「ちょっと外でお話しませんか!」


 聞き慣れてはいるが、少々力みすぎだ。白兎は目の前に立つ青年を見上げる。ここ最近の落ち着いた雰囲気はなりを潜め、年相応か少し下の世代のような無邪気さが垣間見える。おそらく、酔いが回っていつもより表情筋が豊かなせいだろう。それにしても妙に堅苦しい。表情に反して肩が上がっている。話をするだけなのに何故そんなに緊張しているのかと白兎は訝しむ。


「お前、昼間も様子おかしかったよな? 熱でもあるンじゃねェのか?」

「ええ、族長という名の熱に浮かされて」

「ばっ、何言い出すんだ!」

(酔ってンなァ)


 自身に向けられる好意にはとんと疎い白兎、兎色トシキの友人の発言には特に意味を見出さなかった。むしろ、もしかしたら罰ゲームか何かなのかもしれないと思っていた。あれだけ怒鳴り散らした後なのだから、今尚腹の虫が治まらないと捉えられても不思議ではない。


「分かったよ。まァ夜風に当たりゃ熱も冷めるかもしれねェ、し……」


 他ならぬ幼なじみの頼みを断るのは心苦しい白兎、罰ゲームのネタだろうがなんだろうが引き受けてやろうと立ち上がろうとして、ぼすっと腰辺りにぶつかってきた衝撃に気を取られる。見下ろした先には頭から爪先まで紺一色のローブ。


「ミリタム?」


 成長した姿の時は終始外していたフードを、元に戻ってからは深く被っている。そういえば初めて会った時も被ってたなァと思いながら、白兎は浮かんだ疑問をそのまま口にする。


「お前、寝たンじゃなかったのか?」

「白兎、行っちゃだめ」


 答えになっていない。だだっ子のように、腰に頭を押しつけたままぶんぶんと首を振っている。表情が見えない代わりに、子どもとは思えないほど強い腕の力が必死さを物語っている。


「行っちゃだめッつったって、表に出るだけだぜ?」

「そのひと、白兎の大事なひと? けっこんするの?」


 質問があまりにも突飛すぎて、「なっ?!」と頬を染め上げまともに動揺する兎色の反応は白兎の意識外だった。


「ぼく、白兎が男のひととふたりになるの、なんかイヤ」


 畳みかけるように零れた焼きもちとも取れる発言に、目を見開く。


(いやいや自惚れンな。コイツはまだガキで……)


 思わず顔が火照りそうになるのを理性で食い止める。自分のおもちゃを取られたくない幼児と同じだと言い聞かせながら、頭は勝手にあの日の告白を思い出す。


『やっぱり僕は、貴方が好きだ』


 あの“やっぱり”がどの段階を指すのかは分からない。ただ、「結婚して」とのたまった五歳児の頃からの言葉だとすれば。

 子どもの戯れだと思っていたが、彼にとっては一大決心だったのかもしれない。そして、今のミリタムの内には――当人に記憶がなくても――あの時の“アイツ”がいる。


(自惚れても、いいンだろうか)


「兎色は大事だよ」


 今後記憶が戻るのかも分からないし、そもそも心変わりする可能性だって大いにある。白兎の胸にあるのは、果たされるかどうかも怪しい不確かな口約束。


『必ず貴方を、迎えに行くから』


「けど結婚はしねェ。親友だからな」


 それでも、その口約束が幻にならない限り。


 目線を合わせるためにしゃがみ込むと、大きなみどり色の瞳が嬉しそうに細められていた。


「あれ、兎色は?」

「心の涙乾かしに走り込み行ってます」

「はァ?」

 

 そして、冒頭に戻る。


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