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第百六十三話 愛は憎しみを超えられるか(4)

 それ以降も、『この世の果て』の出現予想時期を見計らっての実戦は続いた。そのたびにラニアは持続時間を延ばしていき、攻撃を仕掛けることも可能になった。双子も負けじと腕を磨いてくるので、そう簡単に勝負がつくことはないが、十分渡り合えるまでになった。意識が途切れることもなくなった。


「我らと互角、意味ない」

「……分かってるわよ!」

 

 それでも、突破口は見えてこない。

 ラニアだってうんざりするほど分かっている。女王の最側近を務める彼女らでも、あの男には敵わない。彼女らを討ち滅ぼすほどの圧倒的な力でなければ、対等にすらなれないのだ。

 人間界の時間に換算すれば一年八ヶ月ほどが経過している。もうほとんど猶予がない。


 さすがに焦りが見え隠れするラニアを慮ってか、シェノーはこう提案した。


「どうだい、ここは一つ。初心に戻ってみるってのは」

「初心?」

「お前、あいつのことは好きだったのか?」


 思い出そうとするだけで虫唾が走るので考えたくもない。

 顔で語るラニアに笑いを押し殺しながらシェノーが補足する。


「口に出さなくてもいい」

「……でも今は違うわ」


 渋々頷きながらも苦い顔で否定する。


「もし、あいつが誠心誠意謝ってきたとして。今尚お前のことを愛していると言ったら、お前は受け入れられるか?」

「そんな仮定の話、」

「いいから聞かせろよ」


 女王の声調は命令ではなく好奇心のそれだ。完全に反応を楽しんでいる。ラニアは仕方なく思いを巡らせた。


 どんな事情があろうと、家族を殺したことは絶対に許せない。

 けれども、本当に心から申し訳ないと感じているのなら。罪を償う気持ちがあるのなら。行動でもそれが示されているのなら。


「『受け入れないこともない』って顔だな?」

「!」


 また見透かされてしまった。

 よりにもよって一番厄介な相手に、一番知られたくなかった本心を。


(――“知られたくなかった”?)

 

 自身の中に浮かんだその言葉に戸惑うラニアだったが、したり顔の女王が目に入ったので睨めつけてから顔を逸らす。


「絶対あり得ないわ」

「本当にそう思ってるなら秒で拒絶することもできただろ?」


 ラニアは無言で休憩室の長椅子から立ち上がる。いい加減しつこいと言わんばかりにその場を後にしようとするが、入り口横の壁にもたれ掛かっていた双子が見逃すはずもない。


「どこ行く。無礼」

「逃げるのかい? ヒヒッ!」

「ちょっとお花摘みに行くだけよ」


 シャライの挑発にも乗らない。努めて冷静な声だ。傍目には本当に御手水だけのように見えただろう。

 だが、シェノーの目は誤魔化せない。核心を突かれる前に逃げ出したいのだろう。些細な挙動にそれは表れる。


「お前もまだあいつが好きなんじゃねえのか?」


 弾丸がシェノーの頬を掠めた。

 普段のラニアにできる芸当ではない。エルフの力が発動したのだ。


 とはいえ、未だ不完全な覚醒。隙を突いた双子によりラニアはあえなく拘束された。闘技場での修練とは比較にならないほどの瘴気しょうきと圧。身体の自由を奪うには十分すぎるほどだ。


「お前、一度ならず二度までも」

「今度こそ死刑だよ! ヒヒヒヒッ!」


 うつ伏せの背と腿、それに両腕を踏みつけられ、上向かされた喉元には三叉鎗。女王への攻撃は賊にも等しい所業だ。シャライの言うとおり死刑になってもおかしくはない。それなのに。


(なんで、ほっとしてるのよ)


 軽率な行動を悔やむ反面、どこかで安堵している自分がいる。ラニアは相反する内面に唇を噛み締めて困惑するばかり。

 

「……くくっ」


 シェノーは親指で乱暴に頬を拭うと、不敵な笑みを浮かべた。


「殺すなよ。そのまま抑えてろ」


 双子に命令しつつ歩み寄ってきて、ラニアの目の前でしゃがみ込む。


「朗報だ、お嬢さん。オレの読みが正しければ、手っ取り早く力を手に入れられる」


 赤みがかった橙の独眼が爛々としている。元から新しい玩具を見つけた子どものような目をする魔族だが、今回はいつにも増して輝きが強い。獲物に狙いを定めた獣にも似た眼差しだ。


 親身かつ友好的なのでラニアは忘れそうになっていたが、彼女はこの区の王。魔王なのだ。かつて人間界で相対した魔族以上の実力を持っていてしかるべき存在。戦意はなくとも、こうして至近距離にいるだけで瘴気の片鱗が肌をひりつかせる。


 そしてラニアはまた、言葉通りの“朗報”などでないことも直感的に悟った。シェノーもそれは見越していたようで、自分から続きを切り出した。

 

「早い話、認めればいい。そうすればエルフの力は晴れてお前の物だ」

「認めるようなことなんてないわ」

「じゃあ何故さっきは力が使えた?」


『「そんなはずはない、ふざけるな」という意思表示だった』と言えば良い。怒りの感情で片付く。それが真実にしろ、そうでないにしろ。


 即答しなかったのは、怒りではない可能性が多少なりとも掠めていたからなのかもしれない。

 結局その質問に対して、ラニアの口が開かれることはなかった。

 

「さすがにオレも危なかった。下手すりゃ貫通してたかもしれねえ。オレの部下を上回る敏捷性だ。その原動力はなんだ?」


 いつもより早口で熱がこもっているのは、探究心をくすぐられたからだろうか。

 

「図星を突かれて逆上、ってのは良くあるらしいが。お前は少し違うな。無意識下の産物だ」

「……やめて」

「エルフの力の根源が無意識にあるとしても、本体が拒むから出力が上手くいかない。いつまで経っても本領発揮できねえはずだ」

「やめて……!!」


 三叉鎗の穂先が首筋を切るのも構わず頭を振って懇願する。もうこれ以上、心の内を暴かれたくないという悲痛な叫びが聞こえてくるようだ。

 

「理解できねえな」


 女王の目に温かさは微塵もなかった。魔星ませいで身勝手にも爆発四散しようとしたラニアに対して、魔族(じぶんたち)と何が違うのかと問いかけた時と同じくらいの冷ややかさだ。

 

「お前は相応の覚悟を持って魔星に来たはずだ。たった一つ、レイト・グレイシルを殺すという目的のためにな。自覚するだけで復讐を果たせるなら安いもんじゃねえか。それが何故できない?」

「違うの、あたしは……家族のために……」

「何が違う? 家族のためというなら尚更できて当然だろ?」


 今度はうわごとのような呟きさえ返ってこない。目を見開いたまま固まっている。答えを探しているのかもしれないが、窮するほど難しい質問をしているつもりはシェノーにはない。

 

「牢に戻しておけ」

「御意」


 シェノーはひとつ溜息を吐いてから、部下に指示を飛ばして自室へと向かった。

 確かめなければならないことがある。


(葛藤してる時点で家族とあいつを秤に掛けてるようなもんだろうに)


 部屋に戻ったシェノーは執務机に歩み寄ると、そこに置かれた端末に手を伸ばす。


(やっぱり今日か)


 先ほど力を使っていたのだから当然と言えば当然だろう。『この世の果て』の出現は、ラニアの覚醒のしやすさと相関関係にあると見て間違いないようだ。

 ひとり頷いていたちょうどその時、画面上部に通知が表示された。

 

『システム不具合により、――から――にかけて、予測値に一周期の誤差が発生していたことが判明。修正対応中』


「……?!」


 今日を含めたここ数周期の出現予測が訂正される。つまり、周期に合わせ予め模擬戦を組み込んでいた日は、実際のところ『この世の果て』が出現していなかったことを意味する。

 ならば、ここ最近の成長ぶりは。


「……まさか」

 

 最初こそ呼応していたが、その必要がなくなったのだとすれば。

 否、そもそも初めから――。

 

 椅子から立ち上がり、執務室から続く部屋の扉を足早に開ける。

 所狭しと吊されたいくつものモニター。画面から溢れ出す煌々とした光は、照明をつけずとも室内を明るく照らす。凸型の放物線状に並べられた机の最奥に座し、手元のパネルの一つを押す。


「――ああ、オレだ。相変わらず辛気くせえな? ……いや、喜ばしくはねえだろ。それはそうと、お前の言う被検体? の件だけどな、想像の三千倍面白えことになりそうだぜ」





「認められるワケないでしょ……?!」

 

 再び地下牢に入れられたラニアは一人懊悩に駆られる。


 仇を討つために、真っ先に捨てた。殺された家族のために、奥底に押し込めた。目的を果たす上で最も要らない感情だった。


 それなのにずっと燻って、消えてはくれない。

 見て見ぬふりをして、蓋をしてきた。

 

 認めてしまったら家族はどうなる。復讐はどうなる。

 何よりも、『あいつ』を許してしまいそうな自分自身が怖かった。


 情けのつもりか気まぐれか、拘束具は少なめだ。抱えた膝と膝の間に顔を埋めていたラニアは、ゆっくりと顔を上げた。

 靴音と共に、来訪者の気配がする。


 角を曲がって現れたのは、双子の妹の方で。


「ひとり?」

「いつもくっついてる思うな」


(この子の沸点が分からないわ)


 眉間に寄った皺がさらに深まったのを見て思う。


「何しに来たのよ」

「別に用ない。見回り」


 つっけんどんに言い放つシュライ。そのまま引き返すのかと思いきや、ラニアの牢の前に背を向けて座り込む。


「ちょっと……」

「見回り疲れた、休憩する。独り言多くなる、気にするな」


 戸惑うラニアに一方的に宣言すると、檻に寄りかかる。かしゃん、と脇に抱えた三叉鎗の穂先が鉄柵に触れる。


「シェノー様お慕いする気持ち、誰にも負けるつもりない、シャライにも。何があっても変わらない。もしシェノー様、シャライ殺したとしても。どんなことされても、救われた事実偽りたくない、偽らない」


 ラニアは息を呑む。

 独り言と彼女は主張したが、ラニアの立場だった場合自身はどうするかを語っているように思えたのだ。


(シュライは“家族”を切るってこと、よね)


「でも」


 心中の呟きが聞こえていたのかと思うくらい絶妙なタイミングでの否定の言葉に、ラニアは内心驚く。

 

「シェノー様でないなら、赦さない。地の果てまで追い詰めて殺す」


 ラニアからは後ろ姿しか見えないが、淡々とした語り口とは裏腹な鋭い殺気が、姉への思いの強さを物語る。あまりにも突飛な言動が目立つため、傍目には意思疎通も難しそうに思えてしまうが。


「魔星、“家族”ない。“親”必要ない。同じ“親”から生まれても、他者たにん。“親”も“きょうだい”も他者。それが普通」


 シェノーも同じようなことを言っていた。魔星の赤子は生まれた瞬間から独り立ちすると。親による庇護が不要なら、家族という概念が存在しないのも理解できる。

 それでは何故、“家族”と同様に存在しないはずの“姉”“妹”という単語を彼女は使っているのか。

 

「我ら、胎の中にいる頃から互い見てた。ある日シャライ言った。『ここにいるのは飽きた。今からこの女の腹を破る』。気付いたら外にいた。我ら身ごもった女、シャライに殺されてた。自立できても大抵親の方が強い、普通はやらない。シャライ、生まれた時からぶっ飛んでた。同じように殺される思った、でも違った。『後から出てきたお前が妹だ』言って笑った。それからずっと一緒、嫌になるくらい」

 

「生まれた時からぶっ飛んでた」と証言するあたり、シュライも姉の言動を異質に思っている節がある。それでも、「嫌になる」と言う割に柔らかな声色をしていた。いつもふたりでいるかのような(実際そうなのだが)ラニアの発言に対する不機嫌は、照れ隠しのようなものなのかもしれない。


「魔星、我らのような双子ほとんどいない。生まれる前から目の前にいた、とても他者とは思えない。共同体言うには近すぎた。人間界の「きょうだい」、当てはまる思った」

 

「きょうだい」が当てはまるなら「家族」も当てはまるのでは、と言っては野暮だろう。

 とにもかくにも彼女らが、自分たちが共同体で収まる間柄ではないことを実感したことは確かだ。


「前王、我ら虐げた。王変わっても、異端扱いされる思った。でも、シェノー様認めてくれた。それが一番嬉しかった。だから我ら、あの方に一生涯捧げること決めた」


 迷いのないまっすぐな口調に込められた忠義と敬愛は、他よりも一線を画する存在であることを改めて伝えているかのように思えたが。

 だけど、とシュライはまた口ごもった。


「口では何とでも言える。起こるはずないし起こり得ない、分かってる。それでももし、万が一、シェノー様シャライ手に掛けたとき――冷静でいられる自信ない」

 

 胸中は複雑なようだ。

 実際、同じくらいかけがえのない存在がいれば高確率で直面する問題だろう。ラニアがそうであったように。


「だから、考えても分からないこと考えない。なんで殺した、訊く。答えなかったら、拳交える。たぶん一番手っ取り早い」

「……え?」


 最後の最後に投げやりな解決策が提示されて、“独り言”が終わるまでは口を挟むまいとなんとなく心に決めていたラニアも思わず訊ね返す。ラニアの反応をよそに、シュライは両手を持ち上げて伸びをしているところだった。

 

「考えるの疲れた。慣れないことする、良くない。性に合わない」

 

 うんうんとひとり頷いてそれだけ言うと、きびきびと立ち上がり元来た道へと帰って行った。


 ラニアはしばらくの間呆然としていたが、不意に笑いが込み上げてきて。


「なによ、それ」


 話し合いが困難なら戦いを以て本心を引き出す。おそらくシュライはそう言いたかったのだろう。ラニアも戦うつもりでいたことは確かだが、るかられるか、そればかりが思考を占めていた。

 脳筋、と言っては失礼になるのかもしれないが、実力差度外視の単純明快な発想は目から鱗だ。


「でも、その通りね」


 ラニアは『彼』の真意を今ひとつ掴み損ねていた。経緯こそ明かしたが目的については口を閉ざしたままだ。シェノーは妙に自信ありげだが、一度本気で殺されかけた以上愛情は皆無だろう。多くは望まないから、せめて真相だけでも知りたい。


 まずは直接会って確かめる。

 胸の内の切り札を切るのは、それからでも遅くない。


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