第百六十一話 愛は憎しみを超えられるか(2)
地下牢では生産的な話はできないので、ひとまず場所を移すこととなった。
同じ地下だが別区画の闘技場だ。広さの違う部屋がラニアたちのいる空間を含めて三つあり、他の部屋では王宮勤めの魔族たちが鍛錬に励んでいる。
「さて、これから実戦に移ってもらうワケだが。その前に一つ確認しておきたいことがある」
シェノーは前置きをしつつラニアに視線を投げる。
「お前の望みは力の制御だけだ。つまり力の出し方は分かってる、ってことで良いのか?」
「……なんとなくは」
レイト・グレイシルに対する怒り。確信は持てないものの、発動条件としてはそれが一番妥当だとラニアは考えていた。そうでなければあの反撃の説明が付かない。
ただ、不確かな点もある。
「でも、あなたたちに助けられる前にあいつと戦ったときは発動しなかった。あの時も悔しくて憎くて堪らなかったのに」
「条件は一つじゃねえってことか」
ラニアの回想を受け女王は考え込む素振りを見せたが、一瞬だった。
「ま、戦ってるうちに発動する可能性はゼロじゃねえ」
「御意」
「ちょっと……!?」
女王の気楽な発言を戦闘開始の合図と取ったのか、姉妹は即座に臨戦態勢に入る。慌ててラニアも銃を構えるが、完全に気が抜けていたため後れを取った。
エルフの力がなければラニアの実力は姉妹に遠く及ばない。ハンデとして採用された三叉鎗代わりの棍棒が容赦なく振るわれる。
「っ……!」
咄嗟に交差させた両腕に強烈な痺れが走る。これまたハンデとして強化魔法が施された特殊な防具を身につけてはいるが、それでも後を引く衝撃だ。
負けじと狙いを定めて引き金を引いても、それなりに重量のある防弾ベストを羽織っているとは思えないほどの俊敏さで避けられてしまう。まごついているうちに幾度となく叩き込まれる。実戦ならば五回は死んでいるかもしれない。
「早く解放しないと叩き潰しちまうよ! ヒヒッ!」
「そ、なこと言ったって……!」
言われてできるならとっくに解放してるわよ、とラニアは歯を食いしばる。力の制御はおろか出力の仕方すら曖昧なのだ。無茶ぶりに応える余裕などあるはずもない。
「シャライ。ほどほど」
「殺さなきゃ良いんだろ! ヒヒヒッ!」
シュライの忠告にもシャライは止まらない。攻撃は二手以内と話し合いで決めていたが、退くどころか延々と打ち込み続けている。
初見から話が通じなさそうな相手ではあったが、こうも簡単にルールに背くとは。シャライの暴走に沸々と怒りが込み上げてくるラニア。
(ひょっとしたら、この勢いでエルフの力を引き出せるんじゃ――?)
しかし、現実は厳しく。
「――あれ?」
「気がついたかい、お嬢さん」
つい先ほどまで耐え忍んでいたはずが、天井を背景にしたシェノーに見下ろされている。
状況が飲み込めず瞬きを繰り返すラニアに、シェノーは微苦笑を浮かべながら説明する。
「忍耐力はさすがだが、立ったまま気絶されるとこっちもなかなか気付けなくてな」
「ああ、そういうこと……」
つまりは、発動失敗。ラニアは深い溜息を吐く。
「暫く安静にしてな。医務室だから遠慮することはねえ」
身を起こそうとしたラニアはその言葉で思い留まる。殺風景な周囲には似たような白い寝台が複数並んでいて、なるほど「医務室」を想起させる。
「部下の不始末は上司の不始末だ。けしかけたようなもんだし、オレが責めを負う」
「ホントよ。どんな教育してるのよ」
「常日頃言い聞かせてるのは『城は自分の家だと思って悠々自適に過ごせ』だな」
「のびのびさせすぎたワケね?」
ラニアは怒りを通り越して呆れてくる。少し神妙な雰囲気を出してきたかと思ったら半分開き直っているではないか。
「あいつらも前王の圧政の中を生き抜いてきたからな。のびのびさせたくもなる」
暖炉の火を思わせる瞳は優しく細められ、さながら母親のようだ。だからこそラニアも大目に見るしかない。そのことまで計算済みなのかもしれない。永い時を生きる存在ゆえか、他者の扱いに長けている。
「ところで、お前が最初に力を発現させたのはいつだった?」
「えっと……」
指折り数えて伝えると、女王は意味深に目を眇めた。
「なるほどね」
「何か関係があるの?」
シェノーは答えずに一枚の黒い板のようなものを取り出した。つやつやとした面には複数の横線が引かれ、それぞれの線上に一つだけ丸がつけられている。面の最上部、等間隔に細かく刻まれた目盛りに対応しているようだ。
「魔族と人間とでは月日の数え方が違うんで、今はこんな“表示”だが。これを人間界の時間に置き換えると」
「えっ?!」
思わず驚愕の声を上げるラニア。シェノーが面の上で指を左右に滑らせると、紙芝居のように違う面が横から現れたのだ。複数のマス目の中に数字の序列が並んでいて、数字に丸が付いているマスと付いていないマスがある。
「えっ、何これ。ちょっ、何これ!? 今何したの? 魔法?」
「なら魔法ってことにしとくか」
仕組みが分かっていなくとも軽くあしらわれたことは分かったようで、ラニアは膨れっ面だ。そんな彼女をよそに、シェノーは説明に入る。
「この丸印は『この世の果て』の出現予想時期と重なる」
「『この世の果て』?」
「エルフの故郷と言われてる場所だ」
ラニアは改めて板を見た。そこに現れているのは確かに人間界の暦で、自身が証言した時期にちょうど丸が付されている。
「つまり、お前さんが覚醒した日ってのは偶然か必然か、エルフの故郷が出現した日である可能性が高い。要は呼応したってことだ。ちなみに前回は」
先ほどとは反対側に指を滑らせると、魔族の暦が再び現れた。横線の一つを軽く指で押してから、再度右から左へなぞると、また人間界の暦に戻り、「覚醒した日」とは違う数字に丸印。それは確かに前回、すなわち魔星で気を失ったラニアが目を覚ました日であったが――。
(ねえ、ちょっと。どうなってるのこの板。全然意味分かんないんだけど。魔法にしては複雑すぎない? あたし夢でも見てるの?)
今この瞬間においては目の前で起こる出来事に釘付けになるしかない。適応できず混乱するラニアに対し、そういう仕様の『板』であることを承知しているシェノーは、そんな彼女の苦悩など知る由もない。
「本題だが。仮に次の機会にお前が発出に成功したとして、確実に力を出せるまで五回。制御できるようになるまでを十回とする。もちろんこれは予測に基づく最短期間だ」
思わず固唾を呑むラニア。
「レイト・グレイシルを討つまで、お前たちの時間で言えば二年はかかる」
「二年……」
さすがに「ちょっと旅行に」では誤魔化せない年月だ。
無論長丁場になることも考えて、置き手紙をしてきたのだが。
(アオイ、怒るわよね)
約束を破って人間界を出たのに、その上年単位で戻れないのだ。きっと心配もかける。それは碧だけでなく他の仲間たちも同様だろう。
魔族が欲しているのは記録。それさえ取れれば、人間界に帰ることは可能かもしれない。あの魔族を討つこと自体は義務でも強制でもない。わざわざ危ない目に遭いに行く必要はない。ラニアの家族だって、ただ平穏な日々が続くよう願っているだろう。
(でも、ごめんなさい)
来てしまった以上、後戻りをする気はない。
本当の気持ちに蓋をして、自分を偽って、生きていくことはできない。
『手強かろうとなんだろうと、あたしはあいつを倒す。たとえ、相打っても!』
迎えに来たサイノアへの宣言は嘘ではない。
家族への想いを胸にラニアは問う。
「次、『この世の果て』が現れるのはいつ?」




