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第百五十八話 奇跡(1)

 この世の終わりのような地響きとともに、あの塔が崩落したのはいつのことだったか。


 白兎ハクトが駆けつけたとき、もうそこに「建物」はなかった。見渡す限りだだっ広い草原のちょうど真ん中、遺跡のような一塊の瓦礫がうずたかく積み上がっているだけだった。


 元々天まで届く全高だったため、崩壊しても小高い山ぐらいの高さはある。その上岬の南北を分断するように横たわっており、不気味な威圧感は健在だ。


 しかし、白兎が何よりも薄気味悪いと思ったのは生気がまるで感じられないことだった。場所を変えたのでなければ確かに仲間たちがここに来たはずで、にもかかわらず生きた人間の気配が感じ取れない。さすがに無傷とは思っていなかったが、姿すら見えないことが嫌でも最悪の事態を想像させる。


(生き埋めならまだマシ、ッてか?)


 ついつい引きつった笑いが浮かぶ。

 強い海風と潮の匂いに遮られ、自慢の聴力も嗅覚もここではあまり意味を成さない。目下、自分の脚だけが頼りだ。


 獣人と言えども、たった一人で瓦礫をけるのは不可能。運良く外に逃げられたと仮定して周辺を探すことにした。どれだけかかってもいい、何か一つでも手がかりが見つかればと願いながら歩き出した白兎だったが、そう時間が経たないうちに肝を冷やすことになる。


「っ……」


 人骨だ。

 周りが暗色だらけなので、白っぽいそれは何よりも目立つ。まるで「見つけてほしかった」と言わんばかりに残骸から生えているので余計にたちが悪い。


(落ち着け、あたい。まだアイツらと決まったワケじゃねェ)


 大体、骨になるには早すぎる。

 そうは思ったものの、骨だけを残して食らい尽くす龍もいたはず。これだけでは判断できない。


(まだ、分からねェ)


 無意識に奥歯を噛み締める。拳に力がこもる。

 一人がこれほど心細いと思ったことがあっただろうか。


 それから半日、瓦礫の山を沿うように歩き回るも、有力な情報は何一つ得られない。夜通し走ってきたため疲労はさらに溜まる。日は天辺にある。少し仮眠を取るか迷うが。


(もし重傷だったら、あたいがグースカ寝てる間にも)


 救える命をみすみす見捨てるような真似はしたくない。

 疲れや睡魔と闘いながら再び脚を動かす。


 不意に、風が止んだ。潮の匂いも今しばらくは流れてこない。

 その合間を縫って――酷く懐かしささえ覚える匂いが鼻を掠めた。


 身体の重さも眠気も何もかも吹っ飛んだ。無我夢中で匂いの方向へ走り出す。潮風に邪魔されようが、一度嗅ぎ取ればこっちのものだ。突き出た破片が四足歩行の手足に刺さっても、構いやしなかった。


 山を越えた反対側に、その姿はあった。髪色は草原と同化しているが、紺色のローブは見間違えようはずもない。

 

「ミリタム!!」


 倒れ伏したまま微動だにしない魔法士に向かって声を張り上げる。

 

「ミリタム! オイ! しっかりしろ! ミリタム!!!!」


 やや乱暴に肩を掴んで仰向けさせ、揺さぶる。緑髪が風に遊ばれているだけで、瞳も唇も固く閉ざされたまま。

 

「……ウソだろ……」


 顎にくっきりと残る血の跡。よく見ればローブはほとんど血に濡れている。一目で致死量と分かる。

 そもそも、呼吸をしていない。


『貴方は僕たちの仲間である前にこの里の長なんだ。ここで兎族うぞくの長として戦って、里と仲間を護る義務がある。忘れたわけじゃないでしょう?』

 

「フザけンなよ。あたいにあンな大口叩いといて、勝手に死んでくのかよ……」


 言葉の強さとは裏腹に、か細く震える声。思い切り罵倒してやりたいのに、声が詰まってうまく発声できない。

 

「てめェはいつだって自分勝手だよなァ! あたいのことなンかこれッぽっちもお構いなしでよ……!」


 涙が止まらない。人間なんて大嫌いだったのに。

 両親と同胞の仇で、弱くて、ずるくて、傲慢で。一生相容れないと思っていたのに。

 

 けれど、そうではなかった。皆が皆想像していたような極悪非道ではないと、「彼ら」が教えてくれた。

 そして、人間に対する見方を変えるきっかけを与えてくれたのは「彼」だった。


『ぼくとけっこんして!』


 その前に放ってくれた【滅獣めつじゅう】はさておき、きらきらと輝く無垢な瞳と紅潮した頬には一片の悪意もなかった。幼児とは言えこちらに好意的な人間もいるという事実は、十分すぎる衝撃を与えた。


 それからたった数年で思いがけず再会した彼は不自然に成長し、子どもとは思えぬ振る舞いには心底辟易した。

 しかしそんな気持ちも、幼い身に降りかかった境遇から自ら作り上げたものと分かると次第に消えていった。コイツも苦労してンだなと一目置くようになった。


 それだけだったはずだ。

 自分が抱いていた感情は。


(なんなンだよ、畜生)


 どうして、今さらになって気付いたのか。

 

 人参を食べるようにすると言ってはにかんだ笑顔、からかうような言動、諭す眼差し。その度に自らの鼓動が高鳴ったのは。

 女装した魔族に抱きつかれたり、女の姿をした魔法に口づけされているのを見て、頭にカッと血が上ったのは。

 

 離れ離れになって気が気でなかったのは。

 今、こんなに悲しいのは。


「……だァ~~ッ!!」


 無造作に頭を掻き回す。どうかしている。相手はまだ子どもも子どもだというのに。

 見た目に惑わされたのか。否、そもそも「見た目云々」と考えた時点で少なくとも容姿に惹かれたことは疑いようがないわけで。


(あたいもアイツのこと言えねェ)

 

 生きているかどうかもしれない、異世界の少女が脳裏に浮かぶ。自分も大概鈍かったわけだが、そもそも人間の子どもがそういう対象になるなど夢にも思わなかったのだ。


 もちろん「ただのませガキ」なら歯牙にもかけなかっただろう。歳不相応に達観した内面とその理由に、ある種の共感を抱いたことは一つのきっかけだったと白兎は思う。

 

「せめて生きてるうちに言わせろよ……」


 肩を抱いたまま項垂れていたため、気付かなかった。

 ぴくりと動いた指先に。

 こちらを映すみどり色に。


「――じゃあ、」


 片頬を包むように触れる温もりに、弾かれたように顔を上げた、その先。

 

「今言って?」


 掠れて弱々しいが甘えるような声で、碧の双眸を細めて微笑む少年と目が合った。

 

 何が起こったか理解するのに時間がかかった。

 死んだと思っていた人間が生きていた。それはいい。自分は今何を考えていたか、何をどこまで口にしたか、思考停止した頭ではうまく整理できない。


 ただ一つ言えるのは、相手が故人であることを前提にしていたということ。

 つまるところここで問題になってくるのは、聞かれて困ることを自分が口にし彼が耳にしていた、その場合。

 

「……ッ!!」


 顔に熱が集まって、何よりも先に拳が動いた。

 ミリタムの顔面に大きな窪みができたのはその直後であった。

 

「白兎。僕一応、怪我人ね……」

「やかましいタヌキ!! あとあたいは何も言ってねェからな!!」

「はいはい。本当に白兎は容赦ないよね」


 あまりにいつも通りなのでいつも通りの対応をしてしまってから、白兎は後悔した。怪我人、それも重傷者相手に手を上げてしまった。背中側を支えていた手のひらは未だ血まみれだ。生きているのが不思議なくらいに。

 

「不思議だよね」

「?!」


 頭の中を覗かれていたのかと思うほどのタイミングにぎょっとする。そんな白兎の真意にはきっと気付いていないだろうミリタムは、微苦笑しながら続ける。

 

「本当は僕、死んでたはずなんだ。それなのに生きてる。なんでかと思ったら、魔法が掛けられてた」

「魔法? ンなこと自分で分かンのか?」

「うん。誰かまでは分からないけど、身体の中に僕以外の魔力を感じる。助けようとしてくれたんだね」

「助けようとって、治すってことか? 魔法じゃ治せねェンだろ?」


 身体能力を一時的に向上させたりすることはできても、神術しんじゅつのような癒やしの効能はないはずだ。

 

「そう、治せない。その代わり、分け与えることはできる」

「“分け与える”?」

「自分の魔力の一部を相手の身体に送り込むんだ。うまく適合すれば宿主の魔力を補完して身体機能を活性化させられる。僕みたいな瀕死の人間でもね」

「ちょっと待て、さっぱり分からねェ。何がどーしてそーなンだ?」

「うん、僕が悪かった」


 まるで知識があること前提で話してくれるが、もちろん白兎は全くの初心者だ。ミリタムもようやくその点に思い至ったようで、仕切り直しとなった。


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