第十六話 新たな能力(ちから)(1)
――みんなの足を引っ張らない力……それは、みんなの役に立つ力!
揺るがぬ決意を秘め輝きを放つ碧の瞳を見て、ネオンもその志を理解したらしい。大きく頷き、蒼く澄みきった空を見上げた。碧もつられて上空に視線を移す。
雲一つ無い青空。異世界にいるのが嘘のようだ、と思う。
「風が、強くなってきたね」
ネオンが独り言のように呟く。なるほど彼女の言うとおり、ささやかに髪をすり抜けるばかりだった風が、小枝を揺らすほどまでに強さを増している。
「おあつらえ向きだわ」
何が「おあつらえ向き」なのか、碧は意図が掴めない。そんな彼女を振り返るネオン。微笑んでこそいるが、碧色の眼差しは真剣だ。まるで、覚悟を問うているかように。
「“渡したいモノ”っていうのは、あたしが編み出した技なの。見ててくれる?」
土産やお近づきの印などではない、むしろそれらよりも余程ありがたみのある“モノ”。ヤレンが示唆したそれかどうかはさておき、今の碧にとっては願ってもない品だ。
しかし、渡したい技を「見ていてほしい」とはどういうことなのか。
疑問に感じながらも頷くと、ネオンは両手のひらを身体の前に突き出す。
「いくわよ」
自らに言い聞かせるように告げると同時に殺気――否、闘気を噴出する。すると、その闘気に呼応するかのように風向きが変わった。
変わったのは風向だけではない。肌を撫でる穏やかさは掻き消え、身を刺激するような棘を持ち始める。
(風を、味方に?)
疑念はやがて確信に変わる。
一定方向に吹くはずの風は、法則を無視して多方面から一カ所に集い始めていた。正確に言えば、空気に向けられたネオンの両手が引き寄せているようだ。巻き込まれ宙を舞う草木と、可視化された闘気の流れから、竜巻のように渦を巻いていることが分かる。
暴風並に勢いを増した風は、ネオンの闘気と融合することによって動きを制御された。彼女の両手の間には、ひと抱えもあろうかと言うほどの風の球が完成する。
暴れ馬の手綱を握るようなものなのだろう、か細い両腕は暴発を防がんと小刻みに震え、額には玉のような汗が滲んでいる。
「【切風】!」
頃合いを見計らったネオンの口から、魔法よりも短く掛け声よりも長い詠唱が紡がれる。それを合図に、凝縮された爆風の球はネオンの手中から離れた。
枷から解放されたそれは、目にも留まらぬ速度で手近な木に激突するばかりか、その太幹を真っ二つに切り裂き。
それでもなお勢いを削がれることなく遙か上空を駆け上り、やがて姿を消した。その間、僅か十数秒のことだ。
「……!」
目を見開いて風の塊が消えた箇所を凝視する碧と、声にならない声を漏らすラニア。イチカは相変わらずの無表情であったが、頬を流れる一筋の汗がその心中を物語っている。
「何様だあいつ」
「一国の王女様だろ?」
何が気に入らないのか舌打ちを零すも、ジラーに軽く受け流されいじけるカイズ。しゃがみ込み、指で地面に歪な円を描いている。
「ふ~〜」
そんな背景はお構いなしに、一仕事終えたとばかりに額の汗を腕で拭うネオン。清々しさに彩られた表情はそのまま、放心状態の碧に向く。
「さて、と。じゃ、やってみてアオイ」
「えっ?!」
いきなりなんて無茶ぶりをと困惑する碧を見て、ネオンは肩をすくめる。
「アオイ。謙遜するのが悪いとは言わないわ。けど、自分を卑下するなんてもってのほかよ」
「そんなこと言ったって、あたし今見てただけだし……!」
「だ・か・ら」
なおも言い募ろうとする碧を制するように、その目の前で人差し指を揺らし。
「それができちゃう才能があるって言ってるの。だってあなた、」
すっと引かれた人差し指の向こう側、碧眼が自信満々に煌めいている。
「ヤレン・ドラスト・ライハントの、生まれ変わりなんでしょ?」
「っ?!」
こともなげに放たれた一言に、碧はおろか一行全員が目を見張った。
碧がその事実を知ったのは六日前の夜、仲間たちに告白したのが翌朝。誰彼構わず言いふらすような内容でもないため、それ以降は誰にも告げていない。もちろん、目の前の王女にさえも。
「なん、で」
「どうだっていいことよ。肝心なのはあなたが彼女の生まれ変わりであること、それだけ。あなたには能力があるけど、今はほとんど眠ってる。レクターンに入ってきた段階でその片鱗を感じ取ってたけど、手合わせしたことで確かなものになった。あたしは【切風】をきっかけにして、あなたの能力を目覚めさせたいと思った。だから、ここに連れてきた」
これまで一行が抱いてきた疑問に答えるように、ネオンは経緯の種明かしを始める。そのおかげで大部分は腑に落ちたものの、やはり一つ納得できないことがある碧。
すなわち、ヤレンの件。あくまでも碧や皆の中にのみ留められていたはずだった重要事項が、どういうわけか筒抜けだ。まるで、心を読み取られたかのように。
戸惑う碧の心境さえ見通したのか。ネオンは一瞬だけ意味深に微笑んで。
「ってワケだから! まあ完璧とはいかないでしょうけど、きっと上手くいくわ。あなたならね」
やたらと明るく言い放ったかと思うと、王女はウインクをして見せる。
ここまで得意気に言われては、やってみないわけにはいかない。碧は未だ半信半疑のまま、両腕を伸ばす。深呼吸を一回、精神を落ち着かせ、ネオンの動きを思い出し――。
王城庭には芝生の他に、十数本の木々が植えられている。
そのうちの一つ――葉が生い茂る枝の上から、若草色をした小動物が人間たちの様子を静かに見つめていた。木の幹と同じ色合いの髪を持つ少女から風と闘気のエネルギー球が発出されたのを見届けて、小動物は忽然と姿を消す。
所変わって、大陸最北の古びた城。その足下に、先ほどの小動物の姿があった。両頬に古傷のあるその生物が緩やかに背を丸め瞳を閉じると、たちどころに四肢や胴体が伸び、毛並みは頭部に名残を留めるのみだ。
起き上がったその全貌は、尖った両耳を除けば成人男性そのもの。
彼――獣配士ヴァーストはそのまま、眼前の塔城へと歩を進めた。
塔内は無灯であり一筋の光も入ってこないが、人ならざる彼ら魔族にとってはそれほど大きな問題ではない。とりわけヴァーストはその二つ名が示すとおり獣を使役しており、夜行性の生物によって視界は常に明瞭である。
石造りの階段を登りきると、向かって右側に奥行きのある広間が現れる。左側は壁が迫っており、四角く削り取られたそこから人間界を一望する以外の用途はない。
窓枠から多少距離を置き、背を向けるように配されているのは空の玉座。その側では、薄黄色の長髪を後頭部でまとめ、淡紅色のドレスを着込んだ魔族が、両手に握った鍛錬器具をひとり無心に上げ下げしている。
「クラスタシア」
「あらぁ、ヴァーストじゃない。どーだった?」
ヴァーストが声を掛けると、今気付いたと言わんばかりに彼女――否、彼は振り返ってわざとらしく声を上げる。
彼ら魔族の間では、敵対関係でなければ事前に互いの気配を報せ合うのが暗黙の了解となっている。そのためクラスタシアのように「急に現れてびっくりした」というような反応は通常起こり得ない。どちらかに非があるというわけではなく、「人間ごっこ」という彼なりの遊びである。
気の遠くなるほど昔に急にその遊びを考案してからというもの、こうして端々に寸劇を織り交ぜるのだ。それ以前からの付き合いであるヴァーストは、内心下らないと思いながらも見て見ぬふりをしている。
「思った通りだ。奴は技を習得した」
ヤレン・ドラスト・ライハントが碧に接触したらしい折に耳にした「レクターン王国」という国名。ヤレンが「目的地を与えた」と踏んだヴァーストは、自らの傷が癒えるまでの間、王国に忍び込み偵察に徹することにした。果たしてその数日後、碧ら一行が足を踏み入れた。
簡潔に結果を伝えるヴァーストに、クラスタシアが眉をつり上げる。
「“技を習得した”ぁ? なーんで殺さなかったのよ?」
本調子でなくても殺すことくらいはできたでしょうに、と訝しむクラスタシアに対し、ヴァーストは悪びれない。
「今回のオレの目的はあくまでも偵察だ。明らかに差し障りとなるようなら殺したがな。大した技じゃなかったのさ。人間相手ならまだしも、我々を相手取るにはあれでは物足りん」
クラスタシアはそれでもまだ胡乱げに仲間を見つめている。ひょっとしたらわざと見逃したのではないかと疑っているのだ。
とはいえ、確証があるわけでもない。まぁいいか、と呟きついでに溜息を一つ。
「で、魔王様のことだけど」
「立ち直られたか?」
「そ。それから、第四会議層部で他の方々と話してらしたわよ」
八割方愚痴でしょーねと、さほど興味もなさそうにぼやくクラスタシア。ヴァーストも、彼と同じく会談内容にはこれといって関心がない。再び鍛錬を始めた仲間を横目に、気配を探る。
「エグロイは人間共の村か。もう一人はどうした?」
「ソーちゃん? さあ。行き先も言わずに、どこでもふらりと行っちゃうヒトだから分かんないわ。人間界にいるのは確かだけど」
「そうか」
ヴァーストの相槌を最後に、彼らの会話は途切れた。
夕闇に覆われていく世界。坂の街セレンティアもぽつりぽつりと街灯を灯し始める。
人々は早々に店じまいを始め、蒸気立ち上る家々からは芳しい香りが漂う。往来は一部の繁華街を除き、ひっそりと静まり返っている。
そんな中、王国南口ほどでないにしろ高地に聳える王城は、いつも以上に活気に満ち溢れていた。
「あーっはっはっは!!」
客間を隔てる扉を突き破らんばかりの盛大な笑い声に、廊下を歩く侍女たちは一瞬肩を強ばらせる。
しかし、あくまでも一瞬だ。その声が誰のものか承知している彼女らは、何事もなかったかのように足早に部屋の前を通り過ぎていった。
声の主はネオンである。明朗快活な性格も手伝って元々声量は大きい方だが、気分が良いのか輪を掛けて高らかだ。率直に言えば喧しい。
レクターン王国に仕える騎士数百人を束ねる傍ら、王女の世話係に任命されているオルセトは、ネオンの遠慮のない笑い声が響くたび扉の向こうに目を向ける。
「ネオン様、もう少しお静かに」
「るっさいわねオルセト! こんなときくらい好きにさせなさいよ! あーっははは!!」
部屋の外を歩く使用人たちへの気遣いは、王女の一声で水の泡となってしまった。滅多に崩れないことで有名な彼の表情が、少しだけ不服そうに歪む。
「……いつも好きにしているではありませんか」
「口が過ぎるぞ、オルセト」
オルセトの文句を耳で捕らえた人物は、イチカら一行がこの街に来たとき最初にネオンを見つけた、あの初老の男である。
「ダグラス軍事総長」
オルセトが称するように、彼――ダグラス・ガイルはこの国の戦力を統括する立場にある。厳格でありながらその懐は深く、年若い騎士たちの父親的存在だ。レクターン王国騎士最年長であることから、顔や頭部には年齢が現れ始めている。
ダグラスは舐めるように酒を含むと、薄く皺が畳まれた目元を幾分か和らげてオルセトを諭す。
「ネオン様はお優しい方だ。私はもう四十年近く仕えているが……妹御であるクリフ様といい、この国の王族はなんと慈悲深いことか。他の国のなど、比べ物にならぬぞ」
彼ほどの経歴ともなると、他国の王族に目通りする機会も自然多くなる。公私共々品格漂う者もいれば、腹に一物抱えていたり当然のように横暴に振る舞う者もいる。
彼は幾度となくそれらを目撃し、落胆してきたのだろう。多少の贔屓目はあるかもしれないが、他国という比較対象があったからこその生の言葉は説得力がある。
翻ってオルセトは隊長職とはいえ、在籍期間はようやく十年を超えたところ。他国との接点は片手で数えるほどしかなく、未知なるものに等しい。王女に対する反発に似た感覚が若輩ゆえのものと分かるや、途端に罪悪感が募る。
「私は、なんと思い上がったことを」
「なぁに、経験が浅いうちは皆そんなものだ。いや、思い上がっているのは私の方かもしれん。たかだか五十数年生きたくらいで、世界を知り尽くした気になっているのだからな」
自虐的な言い回しに反して、その声色は明るい。冗談めかしているのだ。真面目一筋かと思いきや、時折こうして茶目っ気を発揮する。そんな一面も、彼が慕われる理由の一つだ。
「いえ、そんなことは」
「おい、オルセト!」
真面目だけならばオルセトとて負けてはいない。冗談と分かっていても異議を唱えずにはいられないのがオルセトという人間なのだ。
しかし、上げかけた声は切羽詰まったような誰かの声によって押さえ込まれる。
尊敬する上司との語らいを遮られ、オルセトの眉間に縦皺が一つ。
「……なんだ、ミシェル」
眉以外の部分は変化させぬまま、声の方を見据えるオルセト。そこには空色の短髪を高く結った青年が、呆れ顔を浮かべて立っていた。
彼、ミシェル・カウドはオルセトの幼なじみ――といえば聞こえは良いが、彼らに言わせれば「腐れ縁」である。目指すものが同じだった彼らは騎士養成所内で競うように実力を伸ばしていき、異例の早さでレクターン王国騎士団に名を連ねた。
今のところは騎士隊長と副騎士隊長という地位に落ち着いているが、少なくともミシェルの方はオルセトの補佐という現状に満足していない。ただ、そのことを進んで誰かに打ち明けるような性格ではないため、文字通り密かに隊長の椅子を狙っている。
オルセトの気のない返事を受け、ミシェルは黄色の眼を僅かに細めて小言を零す。
「なんだじゃないだろ……クリフ様はどうした?」
「何を言ってるんだお前は、そこに」
悪友に負けじと、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに指さした先。革張りの長椅子に人の姿はなく、オルセトは人差し指を伸ばしたその体勢のまま暫し固まる。その様子を見て、苛立ち混じりの盛大な溜息を吐くミシェル。
「おられないからお前に聞いてるんだ!」
「そんなはずはない。軍事総長と会話を始める十秒前と、始めてから五秒に一度はお姿を確認していた。武人でもないあの方がこの短時間に気配を消すことなど不可能なはず」
「気配どころかまるまる消えてるだろうが! 大体お前は昔から無駄に理屈っぽいくせに肝心なところで抜けてるときてる! いつもその尻拭いをさせられてるオレの身にもなれ!」
憤慨するミシェルの言い分を最後まで聞いて、また一つ眉間に縦筋を増やすオルセト。
「尻拭いとは心外だ。だったら言わせてもらうが、五つの時にお前が堪えきれずに漏らした後始末は誰がやったと、」
「御前で言うなあああああ!!!」
「うわぁ副隊長……それホントすか……」
「引くわー……」
「五つの時だ! 昨日今日の話じゃない!! おいオルセト、なんてことをしてくれたんだ!!」
真っ赤な顔で喚きちらすミシェルに対し、オルセトは吊り気味の目を固定させたまま終始涼しい顔だ。
「お前が尻拭いと言ったから、それに対抗しうる事実を言ったまでだ」
「ただの例えだろ! くそ真面目にも程がある! そもそもお前は融通が利かなすぎるんだ! ――」
幼い頃の失態を暴露され、会話を耳にした一部の兵士たちからもドン引かれてしまったミシェルに、同情の念を禁じ得ない面々。その後も今の件とは全く関係のない口論が続き、一行が内容を理解するのは困難だった。




