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第百四十七話 待望(2)

 突風のように迫り来る一撃から双剣による流れるような連続斬り。ともすれば舞と見紛いそうな高速のそれを、イチカは難なく受け止めあるいは躱す。肉眼で追い切れる速度ではないため、ほとんど反射と勘で動いている。百発百中であれば良いのだが、残念ながらそうはいかない。読み違えた分は生傷となってイチカの身体に刻まれる。


 とはいえ、もちろんただでは食らわない。彼の反射神経は致命傷を避けるだけにあらず、相手が次の動作に移る僅かな間隙に斬撃をねじ込む俊敏性も兼ね備える。ソーディアスとて魔星ませいでは名の知れた剣士であるから、イチカが急激に成長したところで後れを取りはしないが、そうした不意打ちを何度か許すうちに鮮血が飛ぶ。


 しかし、決定打は一つとしてない。


 元よりそのつもりのソーディアスも、迷いを振り切ったイチカも、互いを殺す心算で斬り合いを続けるのだが、どちらもそつなく回避してしまう。両者の剣は一度噛み合ってしまえば数分動かない。示し合わせたように後退し、猛烈な勢いで激突する。その繰り返し。

 

「これでは埒が明かないな」


 何十度目かの対峙。荒い息遣いの合間、口を開いたのはソーディアスであった。人ならざる存在がここまで呼吸を乱す様はそう滅多に見られるものではない。もっとも、不敵な笑みを浮かべている様は疲労困憊(こんぱい)にはほど遠く見える。

 

「どうやらおれと貴様の実力はほぼ互角らしい。おれの費やした数百年が貴様の数年と同等とは、皮肉なものだ」


 自嘲気味でありながら、口惜しさも覗かせるソーディアス。

 

「だがだからこそ分かる――何故ここにきてまだ力を隠す。イチカ」


 イチカもまたソーディアスと同じく肩を上下させており、疲労の色が窺える。とはいえ今すぐ倒れ込みそうな危うさはない。足下はしっかり踏ん張っており、構えには隙がなく、何より輝きを失っていない銀色の瞳がその証。


 ただ、それが直ちに「力を隠している」ことに繋がるかといえば信憑性に乏しい。確かに初対面時と比較すれば余裕はあるだろう。しかし、どの程度の余力が残されているかは当人にしか分からない。

 

「おれでは貴様の相手たり得んということか」


 苛立ちが垣間見える。ソーディアスにとっては願ってもない機会であるだけに、イチカが手を抜いている――というのはもちろんソーディアスの思い込みである可能性もあるが――ことが許せないのだろう。

 

「あんたはどうなんだ?」


 衝撃音の連続だった時間が酷く懐かしく感じられる。数十秒、あるいは数分だったかもしれない静寂は、イチカの問いかけによって破られた。ソーディアスからすれば質問を質問で返された形になり、秀眉が怪訝そうに跳ね上がる。

 

「何?」

「あんたは出し惜しみしていないのか、と聞いている」


 剣呑な気配が応答に滲む。同時に増した瘴気しょうきにも、イチカは臆することなく詳細に訊ねる。

 

「あんたがおれに対して“力を隠している”と感じたように、おれもあんたが全て出し切っているようには思えない。おれとあんたが本当に『互角』なら、この読みも間違ってはいないはずだ」


 どちらか一方が劣っていれば、優れた一方によって既に勝敗は決しているはず。ここまで来て手加減するような理由もない。となれば、相手が最善の状態に整うまで意図的に力を温存しているのではないか、とイチカは考えたのだ。


 依然として漂う濃密な瘴気が身を抉る。これはこれで強烈だが、最初に奇襲を受けたときの、冷や汗が流れ呼吸もままならないほどの感覚を知っているだけに油断はできない。


 修行を経て、あの時よりも実力は上がっている。しかし、当時のイチカはソーディアスから見れば赤子同然だっただろう。赤子からどれほど成長しようと、あの時以上の力をもって迎え撃つ気概でいることは明白。これまではなんとか凌いでいたが、イチカの勘が当たっていたとき、いよいよ命の危険を意識せざるを得なくなる。

 

 ソーディアスは眉一つ動かすことなくイチカを注視していたが、やがて僅かに表情を崩した。

 

「互いに腹を探り合っていたわけか。ならばここからは真に対等だ」


 左右の剣を構え直した直後、たゆたっていた瘴気が一カ所へ――ソーディアスへ集う。瘴気も魔族の力の一端。それらを余すことなく一手に結集させることで、彼はついに全ての制限を解き放つ。

 

「おれか、貴様か。立つ者はひとり」

 

(えっ。今から本気出すってこと? あたし今までのふたりの動きも全然見えてなかったよ? 空気にでもなるの?)


 あおいの胸中の疑念はある意味正しかった。

 

 ソーディアスの唸るような呟きを合図に二つの姿は掻き消えて、激しい剣戟により火花がそこかしこに散る。瞬間的に超高速で行われる打ち合いが、永続的に響き渡る不協和音を奏でる。

 

 ただし、姿は見えない。先刻までは微かに目視できていた影も、今や残像さえ残らない。時たま真新しい血飛沫が弧を描いて、冷たい石床にまだら模様を描く。けれども、どちらのものかは判別できない。碧に分かるのは、それぐらいの不確かな情報でしかない。


 生の証ともいうべき赤い液体は、集めれば結構な量になる。仮にもし、それらが全て一方のみのものだとしたら、勝者となるのは難しいかもしれない。碧にできることはただ祈ること、それだけだ。


(イチカじゃありませんように……)


 五分五分、とはイチカの分析だ。

 自らも負傷してはいるが相手も同条件。速さも重みも最大火力、文字通り全力であろうその攻撃はこれまでにも増して正確に急所を狙ってくる。イチカも負けじと剣を振るい、あるものは防御に、またあるものは攻撃にと切り替え黒衣の剣士に主導権を握らせない。その甲斐あってか、一連の応酬に支障を来すほどの重傷は負っていない。


 五分五分と言うのは、怪我の程度だけではない。現時点での勝率でもある。

 このまま消耗戦が続けば、それ以降は持久力の問題となる。前世が何であろうと生身の人間であるイチカと、悠久に近い時を生きる生粋の魔族であるソーディアスとでは、生命力も体力も桁違い。戦いが長引けば長引くほど、イチカにとって不利な状況へと傾いていく。


 イチカが勝つためには体力が尽きる前に決定打を放つことが何より必要なのだが、極限状態の今、攻撃を躱し隙を突いて斬り込むという単調かつ高度な技術に上乗せなどできようはずもない。気を張り詰め感覚を研ぎ澄まし、精神がすり切れるほど集中を高めてようやく感知できる太刀筋。それが刹那の間に幾重にも襲い来るのだから、他のことに気を取られる余裕はないのだ。


 衝突、耳障りな摩擦音。

 二つの剣に阻まれた向こう側、イチカと同じくらい全身に創傷を負った魔族は疲れも窺えたが――瞳孔をかっ開き、裂けんばかりに口角を釣り上げる様はそれはそれは愉しそうだ。

 

「貴様らの世界には『居合』という流儀があるそうだな」


 拮抗が長く続いていると思ったのはイチカの気のせいではなかったようだ。これまでは三秒もしないうちにどちらからともなく後退し、息つく間もない攻防へと転じていたのだが。

 

 目の前の男の口から不意に聞き覚えのある武術名が飛び出したので思考が停止しそうになるが、即座に平静を取り戻す。不思議ともう嫌悪は感じない。

 

「よく知ってるな」

「昔取った杵柄というやつだ。どうだ、それで決着を付けるのは?」


 おそらく『居合』の経験があるのではなく、知識として知っているという意味合いだろう。この世界の人間も人外も、日本の慣用句を当たり前のように使うので違和感が働かない。


 さて、『居合』はイチカも未知の領域だ。あのまま延々と斬り結ぶよりは希望が見出せるかもしれないが、これまで以上の速度と正確さが不可欠だ。相手よりも僅かに初動が遅れただけで致命傷を負う恐れがあり、判断を誤れば窮地に立たされる。そういう意味ではこれまでと注意すべき点は変わらない。


 危ない橋は渡るべきではないが、現状安全牌などない。それに、ソーディアスも絶対の自信があってそれを提案したわけではないだろう。彼の目的は一貫している。


「分かった。乗ろう」


 一つ頷くと、摩擦はようやく解消された。互いに一旦武器を引き、石畳十数枚を間に挟んで対峙する。それぞれの剣は納刀するように腰横へ。彼らの鞘では居合に適さないので、あくまでも形のみ踏襲するようだ。


 公平を期してソーディアスの剣も一方のみだ。ただし、二股の『真橙しんとう』ではなく刀身の半分が漆黒に染められた『影貫かげぬき』。この二刀はどちらも緩やかに湾曲しているが、『影貫』はよりその傾向が強い。見た目は『日本刀』に限りなく近く、『居合』を引き合いに出したのはそのためかもしれなかった。


 準備は整った。水を打ったような静寂に包まれる。縦横無尽に大広間を駆け回っていた先刻とは真逆、何の動きもない。在るのはただ、腰を低く落とし自らの柄に手をかけ、相手の動向を見据える二人の男。


 先に動いたのはどちらだったのか。

 碧の目には二つが同時に消えたように映ったため、真相は分からない。

 次に確認できたのは、互いに背を向けるように立つふたりの姿。同じような距離感、同じ姿勢、腰元で落ち着いた剣。立ち位置以外は不気味なほど変化がない。


 まるで時が止まったかのような光景は、しかし唐突に息を吹き返す。

 

 両者から鮮血が吹き出した。イチカの方がやや派手な出血だ。碧は堪らず悲鳴を上げた。

 

「イチカ!!」

「おれも貴様も『居合』は不得手らしいな!」

 

 すれ違いざまの一閃、その余韻もそこそこに方向転換し追撃に移るソーディアス。イチカは未だ振り向かない。隙だらけの背へは瞬きの一瞬で辿り着くと思われた。

 

「……そうだな。居合もだが」


 風に乗って流れてくる声は、変わらず冷静であった。もうどうあがいても間に合わないだろうに、観念したり自棄を起こした様子もない。

 

「二刀流も不得手だった」

「――?!」

 

 違和感を覚えたのだろう。反射的に視線を下向けたソーディアスの右太股に、深々と突き刺さる短剣。


 双方の剣速は激突する寸前最大に達していた。同時に投擲とうてきしたのではなく、剣を振り切る前後、僅かな時間にイチカは短剣を投げたのだろう。

 意識を二方向に向けたことにより、長剣での攻撃に専念するよりも生じた隙は大きくなるはずだが、代償に負った傷はソーディアスよりは深いものの命に関わるほどではない。『セイウ』との修行を経て、致命傷を避けられる動きが身体に叩き込まれているのだ。


 しかし、致命傷に至っていないのはソーディアスも同じ。首を狙ったならまだしも、魔族にとっては全くと言って良いほど支障のない中途半端な部位。首を狙ったとて同じことだ。突き刺さったぐらいでは死なない。そんなことは初回の悪あがきで承知しているはずだ。仕込み剣でソーディアスの首を斬り裂いて返り討ちに遭い、イチカは左の指を失ったのだから。


(いや、違う)


 あえてそこを狙ったのだとしたら。否、そもそも狙ってなどいないのかもしれない。イチカにとってはどこでも良かったのだ。


 彼が最も欲していたのは、“油断”。

 すなわち、ほんの一時他へ注意を逸らしたという事実。

 

 ――してやられた。


 瞬時に推論を弾き出して苦笑するソーディアスは僅かに体勢を崩しながら、それでも突撃の勢いは止まらず、刃の軌道も申し分ない。実際彼の足のもつれは、常人ならばそうと気付くこともないほどの軽微な乱れだった。


 しかし、今のイチカの前では決定的な勝機と言えた。誤差幾ばくかの剣先の振れ幅を正確に見抜き、紙一重で躱し、壁を打ち崩すほどの強烈な突きを潜り抜け、無防備となった胴体へ渾身の横薙ぎを叩き込んだ。

 

 深々と食い込んだ剣は一刀両断とまではいかなかったものの、下肢と上肢を繋ぐ機能をほとんど喪失させていた。その証左に、断面から堰を切ったように溢れ出す多量の血液が瞬く間に淡灰色の床を染め上げる。支えるものを失った身体は可動域を無視して半回転、為す術なく転がり、血の池に身を沈ませる。

 

「完敗、だ」

 

 人間ならばとうの昔に事切れているような状態でも口を利けるのは、やはり人ならざる存在だからこそか。

 

「楽しませて、もらったぞ。これならば、おそらくセイウ・アランツにも、引けを取らん。むしろ、奴と戦うよりも……有意義だった、かもしれん。おれは、満足だ」

 

 ふぅー、と長い溜息が吐き出された直後、小刻みに身体が震え出す。

 

「なん、だ、これは」


 持ち上げられた震える腕、そこから止めどなく滴る赤黒い血。それらを見て、『ソーディアス』はわななく。

 

「血、じゃないか。こんな……こんな出血じゃあ、もう」


 青ざめた顔、怯えた瞳。明らかに先ほどまでと様子が違い、イチカも碧も戸惑いを隠せない。ただ、どれだけ別人のように様変わりしようとも、決着が付いていることだけは覆しようのない真実。『ソーディアス』もそれを察したのだろう、諦めたように目を伏せる。

 

「いや、仕方ないのか。これは……結局『彼』を止められなかった、ぼくの業だ。これ以上、誰かが犠牲になることがないのなら……それでいい」


 独りごちてから『ソーディアス』はようやく視線を上げ、側に佇むイチカらと目を合わせた。

 

「『彼』と戦っていたのは、君たちか?」


『彼』というのは一人称が「おれ」のソーディアスのことだろう。細かい事情はもちろん知る由もないイチカだが、どうやら人格が二つあるらしいことは理解できたので、静かに頷く。

 

「ああ」

「ありがとう。『彼』は随分と長いこと、鬱屈としていたみたいだから。満足して、逝けたようだ」


 そう語る『ソーディアス』の顔も、これ以上ないほど穏やかだった。同じ身体とはいえ他人が同居しているようなものだろうに、まるで肉親か血の繋がった兄弟を想うかのような優しげな瞳。

 夜の海を思わせるその瞳が一度閉ざされて、再び開く。打って変わって虚ろな眼差し、生気を失いつつある肌。さすがにもう永くはないだろう。

 

「ああ、でも、残念だな。これで終わってしまうのか。叶う、なら」

 

 ――官吏になりたかった。

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