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第百四十六話 待望(1)

 靴音が反響する。

 一段上がるごとにその一歩前の音と混ざり合うため、絶えず高音が鼓膜を刺激している。


 吹き抜けの天井は遙か上方で固く閉ざされているらしく、仰ぎ見ても果てが見えない。高さだけの問題ではなく、一寸先も見えないほど暗いのだ。


 正確には“暗かった”と言うべきか。

 

 一階の広間を抜けた途端一面の暗闇で、足下もおぼつかない状況だったのだが、イチカの用意が良かった。枯れ枝と使い古しの布と油、火起こし道具を取り出し、呆然としているあおいの前であっという間に松明を作って見せたのだ。今は前を歩くイチカのおかげで、薄ぼんやりとではあるが周囲が把握できている。


 無機質な石段と石壁が延々と続くばかりで、踊り場はおろか手すりさえもない。階段の幅も二人と並べないほど狭いため、壁に沿って登らなければ誤って転落してしまう恐れがある。


 ミリタムと別れてどれほど経ったのか。外から見た塔には窓があったはずだが、この螺旋階段だけの空間にはないらしく、時間感覚が掴めない。おまけにこの塔、一階から二階までが異様に遠い。適当な高さまで登れば扉なり開口部なりありそうなものだが、ここに至るまでそれらしきものが見当たらないことから、複数階あるのではなく、一階一階が相当の高さなのだろう。少なくとも、家数軒ではとても足りない。


(デパートの一番下から上までを二往復くらいしたような気がする)


 碧が想像しているのは八階建てのそれなので、単純計算で三十二階分上がったことになる。それでもまだ辿り着かないのだから、さすがに疲労も溜まる。碧の呼吸の乱れに気付いたのか、イチカが立ち止まった。


「少し休むか」

「……うん」


 問いかけるイチカの息も少々上がり気味だ。どんな些細な音も拾う構造が、その事実を曝け出す。大丈夫と言いかけた碧は厚意に甘えることにした。

 

 しばらく互いの息遣いしか聞こえなかった。不気味なほど静まり返っている。下階で死闘が繰り広げられているとは思えないほどだ。二人がいるこの階段だけ、他の空間から切り離されているのではないかと錯覚してしまいそうになる。

 しかし――。


「!」


 あちらこちらに跳ね返って特定しづらいが微かに、確かに聞こえた衝撃音。直感が一階の音だと告げる。イチカも同様に感じ取ったのか、息を呑む気配。


 勝敗は決したのか。どちらが勝ったのか。再び静寂に包まれる中、空気はどことなく重苦しい。一旦引き返すか、このまま昇り続けるか考えあぐねているのだろう。赤く照らされた表情から全てを読み解くことはできないが、そのことだけは碧もなんとなく察した。


「ミリタム、“大丈夫”って言ってた」


 別れ際の会話を思い起こす。決して余裕というわけではなかったけれど、悲観的でもなかった。いつも通り、落ち着いていた。


『貴方たちは先を急いで』


「行こう、イチカ。ミリタムが開いてくれた道を進もう。きっと、大丈夫だから」


 本当は怖くて震えていた。確証なんて持てなかった。引き返そうと言いたかった。しかしそれを口にすることは、ミリタムの勇気を蔑ろにすることと同義だ。だから碧は、できるだけ明るく提案した。不安だらけの顔は、暗がりのおかげでろくに見えていないだろう。それだけが幸いだった。イチカはしばらく黙りこくっていたが、やがて「分かった」と返事をした。


 再び歩き出し、休憩前の半分ほどを登った頃。前方から、僅かに漏れる明かりと空気。ようやく二階に辿り着いたようだ。ほっと安堵したいところだが、残念ながらそれは当分の間難しいだろう。イチカがぽっかりと口を開ける入り口横の壁際に張り付き、手で碧を制している。ここが敵の本拠地である以上、いつ誰と出くわしてもおかしくない。その先は紛れもなく彼らの領域。細心の注意を払って踏み込まねばならない。


「行くぞ」


 静かな声を合図に、新たな広間へ飛び込む。久しぶりの光に目が眩んだ。左手の、大きく切り取られた壁の向こう、外界が広がっていた。そこから景色を一望できるようだ。

 

 仔細を確認することは叶わない。数歩進んだか否かのところで飛来した殺気が行く手を阻んだ。碧が身構えるよりも早く、金属の擦れ合う音が拮抗を伝える。狙いは最初からイチカだったのだろう。碧には目もくれず、愚直なまでにまっすぐな殺気だった。

 

「良い反応だ。鍛錬は怠っていないな」


 冷たくも愉しげな声。逆光が覆い隠そうとも、その声の主には嫌と言うほど心当たりがある。これで三度目の対峙。イチカにとっての、もうひとりの宿敵。

 

「それでこそ殺し甲斐があるというものだ」


 白布で一つに束ねられた、腰元まではある長い紺色の癖毛。その身を固める黒革の鎧。そして、逆手に握りしめるは左右一対の剣。


 二刀流の魔族、ソーディアス・シレイン。


 己の剣に食らいつく二刀を見て、イチカは終始劣勢だった初戦を思い出す。双剣使いであることをひけらかしておきながら、実際に二本とも用いたのは一度か二度。考えるまでもなく侮られていた。そうして瞬く間に窮地に追い込まれ、左の指四本を失った。


 ハンデを抱えて挑んだ二戦目。欠点を補って余りある戦法を身につけた成果か、初戦時とは比較にならないほど善戦した。相手の力の全てを引き出せたとは言えないものの、ほぼ互角の状態に持ち込めた。ソーディアスとしても及第点だったのか、イチカを見くびるような真似はしなかった。今回の二刀流での出迎えは、前回に引き続き期待を込めてのものだったのだろう。好敵手として認められたのだ。

 

 つば迫り合いの末、どちらからともなく地を蹴って後退する。

 

「前回はクラスタシアの暴走で決着がつかなかったからな」


 独り言のように小さく、心なしか不満げに吐露するソーディアス。意に沿わぬ形で勝負を放棄せざるを得なかったことがよほど気に入らなかったらしい。あれから早数ヶ月。こちらを――イチカを見据える濃紺の瞳は、待ちわびたかのように瞳孔が開いている。

 

「ようやくこの時が来た。尋常に勝負しろ」


 諾否も聞かずソーディアスの姿が揺らいで、再び剣と剣の噛み合う甲高い音が鳴り響くまでが一瞬の出来事。間髪入れず交互に放たれる一対の剣撃を、イチカは正確に見切りながら弾いていく。まだ探り合いの域を出ていないが、以前はこの肩慣らし程度の速度にさえ太刀打ちできなかったのだ。それを考えれば十分進歩している。渡り合える。


 碧の目にはふたりの残像しか映らず、口を挟む余裕さえない。下手をすれば神術しんじゅつによる援護さえ邪魔になりかねない。この戦い、黙って見守るしかなさそうだ。


(大丈夫……)


 気が付けば、両手のひらを組み合わせて祈るように握りしめていた。超人的な戦いを目の当たりにして身体の震えが止まらない。言い聞かせて、どこでもいいから力を込めていなければ崩れ落ちてしまいそうだった。強く握りこんだ指を通して自らの高ぶった脈拍を感じながら、碧は瞬く間に移動する影を見つめる。

 

「どうしたイチカ! 貴様の強さはこの程度ではなかったはずだろう?!」


 斬撃の重みと速度は徐々に増していく。時間を掛けて自らへのリミッターを解除し、イチカがどこまで耐えうるか試しているようだ。そういう意味では未だイチカは対等な立場にない。嵐のような打ち込みをひたすら受け流している消極的な姿勢が、よりその構図を浮き彫りにしている。


 しかし、以前の彼と確実に違うのは「攻勢に転じようと思えば転じられる」という点だ。つまり、様子見をするだけの理由がイチカにはあった。

 

「一つ訊きたい。あんたは何のために戦っている?」


 ソーディアスは全力でこそないものの、それなりの力をもって双剣を振るっている。そんな相手に会話を持ちかける余裕がある時点で、イチカもまた真価を発揮していないことになる。

 そのことに既に察しが付いていたからこそか、また別の理由があったのかは定かでないが――ソーディアスの片眉が僅かに跳ね上がった。

 

「愚問だ」


 瞬間、かち合う剣と剣。ただし両者とも一本のみだ。ソーディアスのもう一方の剣は後ろ手に握られているが、両手で対応するイチカに圧し負ける気配はない。それどころか押し返しそうな勢いである。しかしイチカとて厳しい修行を積んだ身、そう簡単に屈しない。均衡状態が作り出された結果、幾分か近接した距離。

 

「貴様を倒すことがかねてからのおれの望み。それ以上でもそれ以下でもない」


 深い谷底のような瞳に燻る、紛れもない野心。彼の主張が真実であり、切実な願いであったことが考えずとも読み取れる。だからこそ、イチカはこの戦いに疑念を抱かずにはいられない。

 

「……おれは『セイウ・アランツ』じゃない。おれを倒しても、あんたの望みは叶わない」


 イチカ自身がかの魔族の生まれ変わりだとしても、彼そのものではない。セイウ・アランツは四百年前に同胞に殺された。それもまた真実だ。魂は同じなのかもしれないが、イチカ自身は今ひとつその実感が持てていない。ヤレンの確信めいた言動、セイウが愛用していたという剣の扱いやすさ、修行で身につけた戦法への懐かしさなど、種はいくつかあるが――碧のように前世との交流があればまた違ったのだろうか。


 集中は切らしていないつもりだったが、ソーディアス相手には通用しなかったのだろう。自らに迫る高速の何か。それに対する反応が僅かに遅れ、イチカはまともに吹っ飛ばされた。

 

「フン。確かに正論だ」


 辛うじて受け身は取ったが盛大にせる。腹部に強烈な一撃を浴びせられたためだ。霞む視界を無理矢理こじ開け、相手を捕捉する。二つの剣ごと上半身を仰け反らせた姿勢から、片脚を下ろすところだった。どうやら足蹴を食らったようだ。剣ではなかったのがせめてもの救いか、あるいは情けか。クラスタシアが相手なら胴体は泣き別れだったかもしれない。

 

「おれもはなから貴様に期待していたわけではない。流言であろうと真実無妄であろうと、あれほどの才を持つ男はそうは現れないものだ。生まれ変わったところで所詮は中身・・のないがらくた。哀れにも業を背負ってしまったのなら、二度と蘇らないようこの手で解き放ってやろうと心に決めていた。ところがどうだ。貴様の強さは戦いを重ねるたびに、一目置くほどに変化していった。気付いているかは知らんが、その剣も大分馴染んでいるようだしな」


 イチカの手の内にある剣を目で示す。柄に『紅水晶』と呼ばれる鉱物が埋め込まれたその剣を、間近で見るのは五百年ぶりと語っていたのは初戦時だ。

 

「分かるかイチカ。貴様がどれだけ反目していようと、セイウ・アランツの意識は貴様の内にある。そしてその意識は、本体との融合を目的としている。……いや、欲深い“奴”のことだ。本体を服従させるつもりやもしれん」


 随分と突飛な理論である。ソーディアスはつまり、イチカの意識に潜むセイウがイチカの自我ごと乗っ取ろうとしていると言っているのだ。一体何の根拠があってそんな推測が出てきたのかは知らないが、イチカの答えは一つだった。

 

「おれはおれだ。“そいつ”は関係ない」


 前世。生まれ変わり。そんなものはどうでも良い。

 今ここに立っているのはイチカという人間で、それだけは絶対的に揺らがない。

 

「あくまでも抗うか。だがな、貴様が一度理性を失いクラスタシアの腕を落としたのは紛れもない事実だぞ」


 たとえ、身に覚えのない“事実”を突き付けられようとも。


 イチカには全く心当たりがないのだから影響はないはずなのだが――ソーディアスがそれを告げた途端、身体の奥底で何かが大きく脈打った。まるで「それは自分がやったのだ」と自己主張するかのように。


 確かにあの日、碧が串刺しにされた瞬間からイチカの記憶はなくなっていた。仮に彼の言うとおり「理性を失っていた」のなら記憶がないのも筋が通る。しかし、それがセイウの意識によって動かされていたことの証明になるかと言えば疑問が残る。第一「腕を切り落とした」と言うが、先ほど再会した限りでは五体満足に映った。

 

「虚言だと思うなら仲間にでも確かめてみればいい――まあ、」


 戸惑っている時間はない。仕切り直しとばかりにソーディアスが一対の剣を構える。

 

「貴様がおれと我らが王を倒し、この奈落の城からの退路を見出せれば、の話だがな!!」

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