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第百四十五話 子の心、親知らず(2)

 時を同じくして、重く垂れ込める黒雲の真下。

 緑髪の少年が見上げるのは、蔦に覆われ苔()した塔。劣化が進みひび割れた外壁は、少し触れただけで破片が崩れ落ちる。こんな脆い建物では、たとえ勝てたとしても崩落という名の二次被害に気を払わなければならない。


 草木を踏みならす音が聞こえて、少年は――ミリタムは振り返った。探知魔法で接近は分かっていたため、特に警戒はしない。


 予想通りの人影だ。

 もっとも、うち一人は本当に現れるのか今の今まで半信半疑だったが。


「久しぶり」

「ああ」


 銀髪の少年はいつも通り、言葉少なに応答する。


「アオイも、久しぶり」

「ミリタムぅ~~……!」


 もう一人――こちらの世界では見慣れない服を着た少女にも声をかけると、驚いたような顔が一気に泣き出しそうなそれへと変わる。


「なんでか分かんないんだけど、生きてた……!!」

「僕もよく分からないけど、貴方は生きてる気がしたよ」


 まだイチカに言ってないんだろうし、と小声で鎌をかけると、一瞬間を置いて火を噴きそうなほど赤く染まる顔。これも、いつも通りと言えばいつも通りである。日常に戻ったようで、ミリタムは少しだけ和やかな気分になった。死地へ赴く前に、こんな平和なやり取りを望んでいたのかもしれない。


「大分待ったんじゃないか」

「全然。寄り道してたしね」


 兎族うぞくの里からこの城までは本当に何もない。だから彼は、里の周囲で野生の獣たちを相手に力試しをしたり、アクシンまで戻って食料調達をしたりと、地道に時間を潰していた。早々に兎族の里を出る必要はなかったのかもしれないが、何しろ行動が読めない魔族のこと。標的一人のためにそれ以外を犠牲にしないとも限らない。あえて単独行動を選んだのはそのためだ。


(まあ、あのヒトはそんな卑怯な真似しないだろうけど)


 一瞬だけ、女性の姿をしたオカマ魔族を思い浮かべる。


 古ぼけた扉を三人がかりで引くと、滑りの悪そうな音と共に鉄扉が地響きを立てる。暗がりの向こうから仄かに埃っぽい空気に混じって、異質な気が流れてくる。瘴気しょうきだ。纏わり付くようなそれに導かれるまま歩を進める。

 全員が入り口をくぐった直後、再び重苦しい音。扉が独りでに閉まったのだ。


「魔族の城へようこそォ」


 甘ったるく艶のある声が三人を出迎える。

 声の方を見やれば案の定、上階へと続く階段の手すりの上で膝と手を組んでこちらを見下ろす怪力女装魔族。


 クラスタシア・アナザント。


「また会えて嬉しいわぁ。……って言っても、こんなやり取りはこれで最後でしょうけど……」


 偏執的な視線はまっすぐこちらを捉えている。その視線に応えるように、イチカと碧の横から歩み出る。


「ミリタム……!」

「貴方たちは先に進んで。僕はこのヒトと決着を付けなきゃいけない」


 引き留めるような声を遮り、ミリタムはイチカらに背を向けたまま促す。

 二人の憂慮の視線が突き刺さる。対峙はこれで四度目だが、常に劣勢と言っても過言ではなく分が悪い相手。一度は一対一を崩して優勢に立ったこともあったが、かえって逆鱗に触れ、結果(あおい)が『死んだ』。今度はミリタムがそうなるかもしれない。


「大丈夫。僕も修行したから」


 この数ヶ月、いたずらに手をこまねいていたわけではない。ベルレーヴ村でヒントをもらい、温めてきた秘策がある。必ず勝てるという確証こそ未だないが、それなりの自信はあるつもりだ。


「……行くぞ」

「えっ?! う、うん……」


 ミリタムの自負を察したのか、イチカは碧を振り向く。碧はまだ後ろ髪を引かれる思いのようだが、イチカとミリタムを数度見比べてから渋々頷いた。


「ミリタム。……死ぬなよ」


 静かな声には苦渋が滲んでいる。逡巡の末に決断したのだろうと分かる。ミリタムから彼らの姿は見えないが、どんな表情をしているかは大体想像がついた。


 だが、敵は目の前の魔族だけではない。

 最大の目的は首謀者を止めること。それが叶えば、少なくとも世界を混沌たらしめている事態は収束する。


 返事をする代わりに軽く手を振ると、イチカと碧は今度こそ迷いなくその場を離れた。クラスタシアはそんな彼らには一瞥もくれることなく、妖艶な笑みを浮かべたまま道を譲った。彼にしてみれば願ったり叶ったりの状況、邪魔立てする理由もないのだろう。


「……腕、治ったんだね」


 イチカらの足音と気配が遠ざかって、どれくらい経っただろうか。あのとき確かに切り落とされた腕を目の当たりにして、自然と声が漏れていた。


「そォよ~~」


 嬉々として返したクラスタシアは、両腕を顔の高さまで持ち上げ見せびらかすように複雑に動かす。見る限り支障なく動いている。それ以上説明するつもりはないようだ。


 アスラントの医療では一度身体から離れた手足を繋げる技術はない。高度の神術しんじゅつでもなければ修復不可能と思われた腕を、一体どうやって元に戻したというのか。魔法か、それ以外の何かか――


 考える猶予は与えられなかった。クラスタシアが掲げていた両腕を手すりに戻した直後、四肢に力を込め突っ込んできたのだ。


「ッ、【石壁ロック・ウォール】!」


 避けている余裕はない。ひとまず防御魔法を展開し、凌ごうとした。しかし詠唱を省略した魔法は豪腕を誇る魔族の前では意味を成さず、呆気なく砕け散る。

 それでも、【石壁】ごと貫かんとする腕から逃げる時間は作り出せた。距離を取って対峙する。


「ふーん、ほとんど詠唱なしであの耐久性? スゴイじゃない」

「……どうも」


 その“スゴイ”耐久性の魔法を一瞬で破壊された側としてはお世辞にすら聞こえない。

 小手調べのつもりなのか、先ほどのように間を置かず攻撃してくる様子はない。こちらの体制が整うのを待っているのだろう。そう踏んだミリタムは早口に詠唱を終える。


「我を守りし石壁・阿僧祇あそうぎの王!」

「前より立派ねぇ~~。完成形ってヤツかしら?」


 値踏みするような視線がミリタムの魔法に注がれる。

 兎族の里で複数人に協力してもらい、実戦を交え磨きを掛けてきた。その結果、穴だらけだった半透明の盾は今やヒビ一つ入ることなく発動することが可能になった。防御力も申し分ない。


「……けど、それだけでアタシに勝とうとしてるワケじゃないわよねぇ?」

「さあね」


 誘い水には乗らない。盾が攻撃になる可能性だってゼロではない。何より、手の内を明かすわけにはいかないのだ。


 手刀による攻撃が再開される。時に目で追うことすら困難な突きが放たれるが、半自律型に改良した盾は、攻撃の軌道を読みミリタムの意思よりも正確に防いでいく。とても油断はできないが、十分対応できていると感じる。あとはいかに隙を見つけ、攻撃に転じるか――機会を窺うミリタムだったが。


 異変を感じたのは攻防開始から十数分が経過した頃だった。突きの速度が格段に上がってきている。もはや人間の目では残像を捉えるのがやっとの状態だ。盾がなければとっくに串刺しにされていたかもしれない。


(違う。前とは、全然)


 変化したのは速度だけではなかった。ただでさえ尋常でない腕力が強化されている。繰り出された手のひらにかまいたちのような風圧が付与され、ミリタムの後ろの内壁が切り崩されていく。まともに当たってしまえば大穴が空くだけでは済まない。瞬時に身体を引き裂かれてしまうだろう。


 回避行動によるものではない嫌な汗が伝い始めたミリタムを、さらなるどん底に突き落とす光景が飛び込んできた。予測した位置に辛うじて発動していた盾に、亀裂が入り始めたのだ。


『阿僧祇』の名の通り、数え切れないほどの無数の盾が幾重にも重なって出現する仕組みである。早々に全てを突破されることはないにしても、その前に魔力が枯渇してしまう可能性の方が高い。

 どちらにしても、このままではいずれは看破される。


は輝々たる刃・駆けたる閃光・今金色なりて・闇を切り開かん! 【光刃シャイン・クロウ】!」

「ムダよ!」


 単独で使えば最強の名を欲しいままにする【光刃】でさえ、右腕一つで容易く弾き返されてしまう。


 単体魔法が通用しない場合、次なる選択肢は混合魔法となるが、こちらは単体魔法と違って詠唱の省略はできない、と()()()()()。膨大な魔力と容量を持ち経験を積んだ者の中には成功者もいるという事実の元そういった見解が広まっているわけだが、少なくとも現時点でミリタムが実現させるのは不可能だ。


 とはいえ詠唱し終わるまで待ってくれるほど親切な相手ではないし、かといって単体魔法の詠唱省略では心許ない。

 詠唱必須であることが、これほど煩わしいと思ったことはない。


「ねェ、魔法士。アンタが一体何を狙ってるのか知らないけど、ナマな魔法は効かないわよ? 特に、()()アタシにはね」


 分かっていた。痛いほどに痛感していた。本来ならばこの戦いは、年単位で挑むべきだったのだ。いかに自身が希有な実力を秘めた魔法士だったとしても、圧倒的に足りなさすぎる経験値が足を引っ張る。


「……イイ顔ね。興奮しちゃう」


 舌なめずりをするその様は、獲物を食い殺す前に痛めつける獣。

 彼と対峙するたびに感じ取ってきた悪寒が、一層強まる。蝋燭の火のように揺らめいた影が、一瞬にしてミリタムの目前に迫る。


 盾は確かに発動した。

 しかし、無限だったはずの全てを突き崩され、回避動作もままならないうちに。


「つーかまーえた」


 空間中に反響する楽しげな声と、生々しい衝撃音。


 クラスタシアの腕が、ミリタムの身体を貫通していた。




 

「族長?」


 弾かれたように空を振り仰いだ白兎ハクトを見て、兎美ウミが不思議そうに声をかける。


「どうかなさいましたか?」

「……イヤ……」


 酷く戸惑った様子で虚空を凝視し続けていた白兎は、やがて絞り出すようにそれだけ呟いて視線を逸らす。当人は「なんでもない」と言ったつもりなのだろうが、兎美からすれば「何か気がかりがあった」と言わんばかりの表情だ。


 兎美は改めて白兎が見据えていた方向に目をやった。

 暗闇が支配し続ける魔の城。


「魔族だ! 生き残りがいるぞ!!」


 同胞からの注意喚起に、再び緊張が走る。あの異形たちは粗方掃討したはずだったが、魔王軍が人間界にいる限りはいくらでも湧いてくるようだ。


「野ッ郎、まだ居やがったか!!」


 牙を剥き今にも駆け出しそうな白兎の眼前に立ち、両手を広げて立ち塞がる。急なことに勢いを削がれた白兎は怒りも忘れて動揺している。


「兎美……?」


 何かを堪えるような表情が、魔族出現の報せを受けて振り切るようなそれに変化した一部始終を、兎美は双眸に捉えていた。だからこそ族長の――否、幼なじみの少女の目をしっかりと見つめて助言する。


「族長。あなたは魔族の城に向かってください」

「何言って……!」

「心配なんでしょう?」


 二の句も告げず、困惑した顔で見つめ返してくる白兎。あまりにも分かり易すぎる「図星」の反応に、兎美は吹き出してしまいそうになる。


 彼女にとって、今やかけがえのない存在となったであろう共に旅をした人間の仲間たち。けれども同率一位ではなく、特別な一人がいることも兎美には分かっている。


「わたしは族長に後悔してほしくないんです。魔族はわたしたちだけでも食い止められます。だから……迷わないでください」


 幼い頃に最愛の両親を喪い、二人を奪った人間を恨み続けてきた白兎。

 そんな彼女が、不本意ながらも人間に同行する中で彼らへの認識を改めていき、両親に勝るとも劣らない大切な存在と出逢うまでになった。


 最初こそ【滅獣めつじゅう】を扱う厄介者と警戒していたが――鬱屈としていた白兎を救い出してくれた人間たちに、兎美は今では感謝の念さえ抱いている。それ故、白兎の気持ちを尊重したいのだ。


 白兎は兎美の懇願に暫く俯いていたが、やがて奥歯を一層強く噛み締め。


「……わりィ……!!」


 悲痛な面持ちでそれだけ告げたかと思うと、すぐさま踵を返し、四足歩行で里を疾走していった。吹っ切れた後ろ姿にほんの少し寂しさを覚えながら、兎美は遠い過去に思いを馳せる。

 

『いいなァお前、女らしくて』


 二人で野花を摘んでいた幼い時分、唐突にそんなことを言い出した白兎に面食らったものだ。急にどうしたのだろう、まさか誰かに恋でもしたのだろうか。そんな憶測が瞬時に掠めて、違うな、と思い直した。恋をするととかく気分の浮き沈みが激しくなるというが、現状白兎にそんな様子はないし、何より気分ではないだろう。月日が流れたとはいえ、肉親を喪った心の傷がそう簡単に癒えるはずもない。

 

 族長夫妻が死してから白兎は変わってしまった。天真爛漫という言葉が良く似合うほど明るく活発で無邪気だった彼女は、どこかしら影を背負い、今やほとんど笑顔を見せない。やさぐれたように粗野に変わった口調は周囲を驚かせ、何を考えているのか分からない根暗な娘だと距離を置く者も少なくなかった。その中には、族長夫妻に気に入られようと媚びへつらっていた者も複数人いたようだ。


 大人たちの大小様々な思惑が渦巻いているのを肌で感じても、兎美は自分だけは絶対に白兎の味方であり続けたいと思っていた。兎色トシキも合わせて三人、生まれた頃からの幼なじみ。ただそれだけでなく、親友であり家族のように心安らぐ存在だった。つまるところ兎美は全部ひっくるめて白兎のことが大好きだったのだ。


『わたしは白兎ちゃんみたいに、強い女の子になりたいけどなあ』

『女はか弱いモンだろ? 護りたくなるモンだろ?』


 幼少の域を出ないながら、白兎はすでに大人たちも一目置くほど強かった。兎色父子が武者修行に旅立ったのは、力が劣るはずの女の子にこてんぱんに伸された息子を見かねてのことらしいという逸話もあるほどだ。


 類い希な強さを持つ友人への憧れから零れ出た一言だったが、白兎はなお食い下がる。本当にどうしたというのだろう。彼女の母がそんなことを言うとは思えないし、彼女が目標としているであろう母は真逆の存在だろうに。


『あたいはか弱くもねェし、見た目も男みてェだし……今更言葉遣い変えれねェし……』


 列挙されていく悩みは随分具体的だ。まるで、どこかで耳に入れたかのような。

 そういうことか、と兎美は得心すると同時に心がすっと冷えるのを感じた。族長とその妻の庇護が無くなった今、白兎は言わば野ざらし状態だ。元々やっかみを持っていた何人かが、ここぞとばかりに事細かに難癖をつけているのだろう。


 つまらない人たち。


 呟こうとしたが、白兎に聞かせるほどの内容でもない。前の白兎も可愛くて好きだったけれど、今の白兎は今の白兎で別の可愛らしさがある。つまらない大人の心ない陰口なんか気にする必要はない。


『白兎ちゃんはじゅうぶん女の子らしいよ。そうやって真剣に悩んでるんだもん』


 野草と小さな花々の茎を編み合わせた花冠を、ふわっと白兎の頭部に被せた。しばらく呆けたように視界に入る草花を見上げていた白兎だったが、ここ最近乏しくなった表情にやがてほんのり朱が差して。


『ありがとな、兎美』


 照れくさそうにはにかんだ白兎は、この上なく可愛かった。


(あなたはやっぱり、ちゃんとした女の子ですよ)


 幼いなりに思い悩んでいたあの頃も。

 大切なヒトのために一生懸命に突っ走る今も。

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