第百四十三話 魔星第二区
意識が覚醒していく。
閉じた瞼の向こうは微かに明るい。
開いた視界の先、広がる高い天井。
身を起こそうと力を入れた瞬間、全身を駆け巡る刺激に耐えられず呻き声が漏れる。
「起きたか」
聞き覚えのない少年のような声がして、彼女は――ラニアは反射的に声の方に目を向ける。
無愛想な少女が寝台に腰掛けていた。一見した限りでは人間と大差ない見た目だが、その両耳は鋭く尖っており、闘気でも殺気でもない異質な気『瘴気』を放っている。硬質そうな桃色の髪は、頭部の側面高い位置で二つに結われ、吊り気味な群青色の瞳は心なしか興味深そうにラニアを見つめている。身体に沿うが伸縮性のある上衣は腹部が露出するデザインのようで、薄く腹筋が浮き出ている。下衣は太股丈のスカートである。二の腕までの長手袋をはめ、膝下までのロングブーツを履いた片足をもう片方の膝に載せ、そのさらに上に三叉鎗を載せている。周囲に散らばる道具から、どうやら武器の手入れをしていたらしい。
しかし、ラニアにとって少女の存在はそれほど大きな問題ではなかった。
痛みと共に蘇った記憶が、自らの身に起こった全ての出来事を鮮明に思い起こさせる。
「あたし……生きてる……?!」
手詰まりと思われたあの瞬間――ラニアは確かに決死の覚悟で「あの男」の胸ぐらを掴み、爆弾を発動させた。引き裂かれるような、あるいは焼き切られるような痛みから、死に直結するほどの威力だったであろうことは想像に難くない。そしておそらく、回避する暇さえなかったであろう「あの男」も。
(あいつは? あいつはどうなったの?)
「死にたかったなら運悪かった。ここ人間嫌わない、女尊重する。瀕死のお前放置できなかった」
ラニアの発言の真意など知るはずもない少女は誤った解釈をしたようだ。片言ながら事情を説明する彼女の瘴気に変化は感じられない。言葉通り、ラニアに対する敵意はないのだろう。
今しばらくは脅威となる存在ではない。それが分かればひとまずは十分だ。少女に対して気を許したわけではないが、緊張がいくらか解れたのは確か。同時に、なりを潜めていた憎しみが沸々と湧き上がってくる。
「……死にたかったワケじゃない。でも、あいつに殺されるくらいなら死んだ方がマシだと思ったから……!」
「“あいつ”? レイト・グレイシルのことか?」
「ヒヒッ。無理心中ってヤツかい?」
少女の問いに被せるように響き渡る引き笑い。
室内を複数回宙返り、軽い身のこなしで現れたのはまた違う少女。後頭部で逆立てるようにまとめられた、毛質の硬そうな桃色の髪。瞳孔が開き気味な群青色の瞳。張り裂けんばかりに吊り上がる口角。最初からいた少女とは真逆の表情や言動ではあるものの、その容姿や背丈は酷似している。なお、下衣はスカートではなく密着性のあるハーフパンツである。
「ソイツは失敗だよ、ヒヒッ! アイツなら早々に帰って今頃娼婦共とお楽しみ中さ! ヒヒヒッ!」
癖らしい引き笑いを何度も繰り返す少女の言葉を、ラニアは信じられない思いで聞いていた。
いかに強大な力を持つ魔族であろうと、至近距離で防げる爆発ではなかったはずだ。完全消滅とまではいかなくとも、再起不能ぐらいには追い込んだと思っていたのに。
寝台で俯くラニアの両拳に力がこもる。
さすがに気の毒だと思ったのか、最初の少女が次に現れた少女を睨み据える。
「シャライ。空気読め」
「読んでるさ! ソイツは笑い飛ばしてほしいんだよ、自分の甘さ加減を!」
「……シャライ」
「そうよ」
俄に強まる瘴気を遮るように、半ば投げやりに肯定するラニア。
「あたしが甘かったの。弟の忠告を聞かないで、あいつを信じ続けてたあたしがバカだったの。笑っちゃうわよね」
今なら客観的に見つめられる。同時に、どうしようもなく腹が立つ。弟が感じ取った違和感の片鱗すら、気付かなかった自分自身に。
(……ホント、バカよね)
「まぁお前さんの言い分はそんなとこだろうが、アイツはアイツでなんだかんだお前さんに執着してる感じはしたぜ?」
負の淵に落ちていきそうなラニアの思考を拾い上げるように、少年の無邪気さと成熟した女の余裕さとを併せ持った声質が響く。
「もっとも、アイツの本心を理解するのはオレたちでも難しいがね」
声の主は入り口の壁により掛かっていた。自由奔放に逆立ち折れ曲がる朱色の髪は、室内の魔族以上に硬そうな毛質だ。頭部から右耳上にかけて巻かれた包帯は右目を完全に覆っており、髪色と同じ色の左目がこちらに向けられている。やや長い両耳は斜め上方に尖り、人ならざる者であることを端的に物語る。足先までの濃緑のマントは、動物の骨を加工したマント留めで固定されている。髪型や一人称、身に纏う雰囲気は男性的だが、夕日色のビスチェに収められた豊満な胸や、足首までのゆとりのあるベージュのズボンに隠れた肢体は女性らしい丸みを帯びている。
「シェノー様」
声調こそ違うが、桃色の髪の少女らが揃って声を上げる。敬称を用いていることから、彼女らより立場は上なのだろうが、今のラニアにはどうでも良いことだった。ただ、シェノーと呼ばれた女の含みのある発言が引っ掛かった。
「どういう意味?」
「言葉通りの意味さ。アイツは自分勝手にお前さんを捨てた気でいるが、無意識レベルではお前さんにご執心だ」
ラニアはやはり理解できなかった。否、理解したくなかったという方が正しい。レイトが家族を手にかけた――その事実がある以上、裏にどんな意図があろうと今さら心揺らぐことはない。ただただ、不愉快なだけである。
苦々しく視線を下向けるラニアの心境を知ってか知らずか、女はマイペースに自己紹介を始める。
「それはそうと自己紹介がまだだったな。オレは魔星第二区『ベルセルス』治権者、シェノー・ベネス・ザナン。俗に言う『魔王』だ」
親指を自らに向けながらのシェノーの名乗りを、聞くでもなく聞いていたラニアだが。
「……!? 『魔王』って、」
「人間界に降りてるって?」
左目が面白そうに眇められている。
今となっては他人事のような響きだが、確かに意識していた存在だ。前世である巫女の強い願いによりこちらの世界へ招かれた日本人の友人、その命を脅かす一派の頂点。ラニア自身相見えることはなかったが、正に今、友人たちが最後の戦いに挑んでいるはずだ。
(まだそんなに経ってないはずなのに、懐かしいわ)
人間界へと思いを馳せる合間、荒んでいた心が少しだけ凪ぐ。
ごく短時間思い出に浸ってから、自らを『魔王』と称する女性型の魔族に意識を戻す。
(今戦ってる最中だと思ってたけど……もしかして、もう戦いは終わってるの……? じゃあ、アオイたちは……?!)
ラニアの疑念と焦燥を見透かしたように、シェノーは先手を打つ。
「言っておくがオレは一度も人間界には降りてねえ。下にいるのはグレイブ・ソーク・フルーレンス……魔星第一区『フロウレル』の現治権者。魔星には一区から四区あって、それぞれに一つずつ治権者――王の椅子がある。要はオレもアイツも正式な魔王ってことさ」
魔星における『区』は人間界で言えば『国』のような概念なのだろう。最初からそうだったのか、それとも武力統一などにより四つにまで減ったのか。いずれにしても、かなり特異な世界であることには違いない。
「グレイブは四百年前に結界女……お前さんたちが言うところの『救いの巫女』か? ソイツに殺された魔王の息子だ。仇の生まれ変わりがいると知ってアスラントに降りたが、そこに自分の女を連れてったのがいけなかった。元人間のその女が大層目障りだったらしいアイツの部下たちは、どさくさに紛れて同士討ちを提案してきたそうだ。生まれ変わりを殺し損ねたことに託けて「王の手足としてあるまじき失態を犯したヤツを生かしてはおけない」ってな。アイツもアイツで昔からの部下の懇願に情が湧いて許可しちまったらしい。そのやるせなさを化け物ども使って晴らしてる最中、ってワケだ」
流れるような説明に納得しかけたラニアだったが、すんでのところで疑念が浮かび上がる。
「……ちょっと待ってよ……父親の敵を取るために来たんじゃなかったの? アオイたちを殺そうとしてるのも、無関係な人たちを巻き込んでるのも、自分の恋人が殺された憂さ晴らしってこと?」
「まぁそういうことになるな」
こともなげに放たれた一言に、ラニアはとうとう怒りを爆発させた。
「自分勝手にも程があるわよ! 魔族ってみんなそうなのね!! ヒトの命をなんだと思ってるの?!」
「じゃあ聞くが」
水を打ったような静寂ののち、それまでと変わらぬ口調でシェノーは切り出す。
「家族を皆殺しにした昔の男諸共この星を消そうとしたお前さんは、オレたちと何が違う?」
「?!」
明日の天気を訊ねるような声調なのに、その声に乗って流れてくる気は無数の刃物のように鋭く肌を刺激する。ラニアの位置からは包帯で隠された右目しか見えず、彼女が今どんな表情をしているのか読み解くことは容易ではない。
しかし、ラニアにとって何よりも不可解なのはその問い。
(“この星を消そうとした”って……あたしが……?!)
「な……何言って、」
「お前さんは体よく気絶してたから知らねえだろうがな。お前さんが持ってたあの爆弾は、下手すりゃ一区丸々消滅するくらいの威力があった。ソイツをあのレイト・グレイシルが同程度の力をぶつけて相殺したから、この区は何事もなくこうして存在してるワケだ。そういう意味ではオレたちはアイツに感謝してもいる」
口元は笑っているが、ようやく向けられた左目はそうではない。暖かみのある色は仄暗く影を落とし、冷たい眼差しの奥深く明確に灯る敵意。ラニアは初めて、このシェノーという存在に恐れを抱いた。
「ごめんなさい。あたし、そんな大変な物だとは」
強ばった表情から恐怖心を見抜いたのか、シェノーは何事もなかったかのように顔を逸らす。
「別に責めてるつもりはねえ。ヒトにしろ魔族にしろ、復讐心に駆られたヤツってのは大抵手段を選ばねえものだ」
「……なんでそのこと……」
進んで打ち明けたわけでもないのに、見てきたように的確な語り口が気にかかる。
「人間は考えてることが分かりやすい……ってのは半分冗談だが。お前さん言ってたよな? 「殺されるくらいなら死んだ方がマシ」云々と。アイツの性癖を考えれば大体何をされたのかは想像がつく。殺されたんだろ、親兄弟を?」
無言で首肯するラニアを左目に収めると、女王は得心したのか数度頷く。
「アイツは魔星でも有名な軟派野郎だからな。だが、ただ女の尻を追いかけ回してるような連中とは一線を画してる。一晩関係を持った女とは自分からは二度と接触しねえ。二度目を求めた女はもれなく殺されてる。アイツの気分ひとつでその関係者まで殺すこともある」
十五の少女にはやや刺激の強い単語が使われ、状況も忘れて赤面していたラニアだったが、非情な真実を聞いて瞬時に表情が引き締まる。
「魔星には『家族』って概念はねえが共同体意識は強い。アイツを殺したいほど憎んでるヤツはごまんといる」
被害者は自分だけではなかった――強い共感の念が大多数、不謹慎ながら安堵感が少し。
そして、見過ごせない疑問点。
「それならどうしてアイツはのうのうと生きていられるのか? って言いたそうなカオだな」
先ほど「人間は考えてることが分かりやすい」と言ったのは出任せではないようだ。疑念を口にするより早く先手を打たれてしまい、ラニアは中途半端に口を開け放ったまま固まるしかない。シェノーは心なしかしたり顔である。
「そいつはもっと単純に、アイツが強いからだ。アイツには魔王を凌ぐ程の力がある。オレの見積もりだと――少なくともグレイブよりは上だ」
相対したこともない魔王と比較されたところでラニアにはピンとこなかったが、その強さについては納得せざるを得なかった。忘れもしない、全てが覆ったあの日。そして、決死の覚悟で挑んだ先日。いずれも全くと言って良いほど歯が立たなかったのだから。
「あなたよりも……強いの?」
少なくとも上と言ったからには、彼女もまた下剋上の危機に晒されている可能性がある。
ラニアの問いに、しかしシェノーは頭を振ってはぐらかす。
「さぁな。オレは基本的に博愛主義でね。戦争は避けられねえって脅されてきたんで、正直この世界に飛び込むのは乗り気じゃなかったんだが……オレが赴かなきゃならねぇような流血沙汰はこの数百年一度もねえ」
「お言葉ですがシェノー様」
機敏な動作で片手片膝を地に着けたのはツインテールの少女。
「この区において戦争起きなかったのは、ひとえにシェノー様の雅量ゆえ。それは我ら姉妹、拾っていただいてから幾百年変わらない。だからこそこうしてお仕えしている次第。それに、我らにとってはシェノー様こそ魔星の覇者」
部下からの賛辞が意外だったのか呆気に取られていたシェノーだったが、暫くして吹き出したかと思うと、からからと笑い声を響かせる。それを聞いた少女、ただでさえ吊り上がり気味の眉を皺が寄るほど寄せ、不服を露わにする。
「シェノー様。笑い事では」
「心配するな、真面目に受け止めてるよ。……ってワケだお嬢さん。オレの信頼に足る部下に言わせりゃ、そこそこイイ勝負はできるらしいぜ」
「ヒヒッ! シュライの奴、またシェノー様の前でカッコつけやがったよ!」
「“そこそこ”ではなくっ」という反論に被せるように茶化すハイテンションな声。少なくともツインテールの少女――シュライの方は、ことあるごとに褒めそやすほどにはシェノーに心酔しているようだ。ニタニタと滑稽そうに口角を釣り上げるシャライを、咎めるように睨み上げている。
「――ま。だからお前さんの手助けをしてやれる、とは言えねえわけだが」
「言われなくても分かってるわ。それに、これはあたし自身の問題なの。あたし一人で片付ける。助けてくれたことには感謝してる」
話は済んだとばかりに寝台から立ち上がるラニアに、余裕のある笑みはそのままに感心した様子を見せるシェノー。
「気丈だねぇ。何か策でもあるのか?」
「……ないけど、あいつに傷を付けたことならある」
「へえ? そいつは面白いな」
建前のそれではない。心から興味を惹かれたのだろう。黄昏色の左眼が心なしか爛々としている。
「巫女でも魔法士でもなさそうなお前さんが、ヤツに手傷を負わせるとは。ヤツの奇術か、はたまたお前さんが魔族なのか――」
その発言は、ラニアの心の引き金を引くには十分すぎた。
気の変化を察知したシェノーが即座にマントを広げ、後方の部下たちを覆うように庇う。僅差で放出された膨大な闘気が、絶え間なく濃緑の生地を打ち付ける。
少なくとも数秒前まではただの人間に過ぎなかった娘。薄紅色だった虹彩はやや彩度が落ち、こちらに銃口を突き付けるその表情は人形のように乏しい。そして、自らの闘気の影響か――長い金髪が大きく波打つ合間、背の辺りから確かに伸びる純白の両翼。
「……まさか、あれは」
シェノーの脳裏に浮かぶ、たったひとつの可能性。
『エルフの存否』。それは魔星においても永らく謎のままであった。
転機は四百年前のアスラント侵攻。独自に調査していた三区がその居場所を突き止め、エルフの捕獲を試みている。生体の捕獲は叶わなかったものの、撮影と毛髪の採取には成功し、その存在が証明されることとなった。しかしそれ以降、ただの一体も捕捉不可能となり、原因不明の絶滅として記録され現在に至っている。
「シェノー様。申し訳ありません」
「気にするな。アレはお前らじゃ防げねえ」
シェノーのマントはあらゆる魔法や効果を跳ね返す特性を持つ。格下からの不意打ちへの対抗手段として用いることがほとんどで、これまで圧し負けたことはない。
それが今回に限っては、暴風雨のような気が和らぐ気配もない。内心の驚嘆は押し隠し、あくまでも余裕を貫くシェノーに、シュライは彼女にしては珍しく口ごもる。
「いえ、そうではなく……」
「あの女の武器取り上げたハズなのに、いつの間にか取り返されてたってさ! ヒヒッ!」
躊躇うシュライを押し退ける勢いでシャライが笑い叫ぶ。
シェノーは今度こそ瞠目した。
【――そうそう。一つ言い忘れていましたがその娘、少々厄介なモノを持っているようなので。取り扱いには呉々もご注意くださいね】
少女の保護を指示した直後、脳内に流れてきたレイト・グレイシルの声が蘇る。忠告を受けて、少女が気絶している間に身につけているもの全て押収するよう言い含め、シュライらはそれを忠実に実行した。
しかし、どうやらそれだけでは不十分だったようだ。一体どんな力を作用させたかは不明だが、彼女が磁石のように自らの武器を引き寄せたのは事実である。
「……そうか」
少々どころじゃねえよバカ野郎、とその場にいない紫の影を胸の内で罵倒する。生憎と【思考送信】で抗議するほどの暇はない。少女から放たれる闘気が瘴気を無力化しているのか、時間をかけて侵食する毒のようにじわじわと体力が削がれていくのを感じる。
「お嬢さん、お前さんの力はよく分かった。だがいい加減止めてくれないと、オレの部下に障る」
マントが盾としての役目をほとんど果たしていないため、シェノーよりも抵抗力のないシュライらは顔には出さないまでも消耗が激しいことだろう。
部下を思っての呼びかけに、しかし少女は微動だにしない。
(聞く耳持たねえか)
気が進まなかったが、このままでは自身も部下も危うい。シェノーは仕方なく攻勢に転換しようとして――
「!」
変化は思いがけず訪れた。少女の手から、拳銃がこぼれ落ちたのだ。
身体がぐらつき、後方に向かって仰向けに倒れる。落下した拳銃が立てる乾いた音が合図だったかのように、シュライとシャライが動いた。目にもとまらぬ速さで振るわれた三叉鎗は、皮一枚の距離を残して倒れた少女の首筋と胸にそれぞれ宛がわれる。
「どうします」
「八つ裂きだろ! ヒヒッ!」
「ん~~……」
得物を対象に向けながら律儀に命令を待つシュライに対し、少女の太股に片足を乗せながら三叉鎗の先を泳がせるシャライ。
シェノーは顎に手を当て唸ること暫し。
「オレはソイツに興味が沸いたね。『処分』はしねえ」
主が否と言えば彼女らには抗う理由もない。同時に引かれる三叉鎗。
「ヒヒッ! 相変わらずシェノー様はおヒト好しだ!」
「慎めシャライ。では一体……」
拾い上げた少女の銃を片手で器用に回転させながら茶化すシャライを、たしなめるように睥睨してから主に意図を訊ねるシュライ。シェノーは一つ頷き、少女に視線を落とす。
「……人間界でエルフが絶滅したのは四百年前。仮に生き残りがいたとしても四百年以上生きてることになるが、コイツはどう見てもまだガキだ」
四百年前撮影に成功したエルフは、尖った耳を除けば二十代前半ぐらいの成人女性とほとんど変わらない姿だったという。しかし、数本採取された毛髪と血液を用いて特殊な鑑定を行った結果、推定三百歳であることが判明した。
魔星の突出した技術はその成長過程も明らかにした。すなわちエルフは、ある一定の年齢までは人間と同じように成長し、それ以降は若さを維持したまま年齢を重ねると発表されたのだ。
後にも先にも一人のデータしか得られなかったため、信憑性には欠けるものの――その法則に目の前の少女は当てはまらない。少なくとも年齢に関しては。
「だが、あの羽根は魔族にはまずあり得ねえし、人間界でも有翼種なんてお目にかかれねえ。となると、オレの中で考えられる可能性はただ一つ……生まれ変わりだ」
エルフの最大の特徴である純白の翼が出現した。それはつまり、エルフの特徴を持ったまま別の何者かに転生したということ。
「アイツもそれに気付いてわざわざコッチに寄越したのかもな。エルフの力を持った人間が魔星にいるなんて知れたら四区じゃ晒し首、三区に至っては死ぬより過酷な人体実験がオチだ。つくづく頭の回る野郎だぜ……反吐が出る」
辛辣な言葉尻とは裏腹に心底楽しげな声だ。
一口に魔族と言っても、全てが人間界を見下したり差別しているわけではない。人間を忌み嫌い軽蔑する、いわゆる過激派に属するのが四区。人間を限定的に嫌悪することはないが、実験対象という意味では深く興味を示している狂気じみた危険地帯が三区。
なお、一区も決して穏健ではなく、先の侵攻で前王を葬られたとあって人間に対しては並々ならぬ怨恨の念を抱いている者が大半である。よって、人間にとって安全なのは実質二区のみということになる。人間に対する印象はどちらかと言えば良く、性差による差別もなく(むしろ女性優位)、魔星の良心である。
そんな自分の区へ女を、それも人間の娘を――意図的にしろそうでないにしろ――連れてきたあの男。
(面白くないワケがねえ)
「暫くここで匿う」
「了解」
野心的な笑みを浮かべてその場を立ち去るシェノー。
残された部下二人は息の合った仕草で、主の後ろ姿に向けて右拳を突き出すのだった。




