第十五話 おてんばプリンセス(2)
「へえ~。それでラニア、姉さんって呼ばれてるんだ?」
「そういうこと」
碧らが会話を続ける傍らには、セレンティア名物『破邪の樹』が植わっている。大人が五人、両腕を広げたくらいの直径と、市内全体を見渡せるほどの長身を持つ。幹の表面に梯子状の切れ込みが自然と刻まれており、その気になれば凹凸を足がかりにして登ることができる。正確な樹齢は明らかになっていないが、創世時と同時に誕生したのではないかとする説が有力だ。
そんな『破邪の樹』から葉擦れの音がしたかと思いきや、誰かが降り立った。
坂の都の住人であろう一人が不意にそちらに目をやり――瞬間、驚いたような表情を浮かべ。
何事かを周囲に訴え、一人、また一人と伝播していく動揺。その眼差しは全て、たった今軽やかに着地した少女に注がれている。
「王女様!!」
若年の兵士が多い中、異彩を放つ初老の男性が少女に向かって叫ぶ。しかし少女は我関せず、悠々と歩き出したかと思うと、おもむろにその青緑色の瞳を碧に向けた。
少女の挙動を目で追っていた碧は彼女が振り向くとは思わず、多少たじろぐ。少女はやはり意に介した様子もなく、興味深そうにその深い色合いの瞳を漆黒の瞳とかち合わせ続ける。
(なに……?)
気を引く要素があるとすれば外見だろうが、きっとそうではないと碧は直感する。言うなれば、何かを確かめているような眼差し。しかし、何を確かめているのかまではさすがに分からない。
碧が戸惑っているうちに、少女の用は済んだらしい。ようやく碧から目をそらした彼女は、数十歩進んでから止まった。
年の頃は十代半ば。碧のそれより明るい赤褐色の髪は少し癖があるものの、肩に届くほどの長さ。左右それぞれの耳後ろで跳ねる一房の髪は、他に比べて赤みが強い。さらけ出された広い額、気の強さを表すかのように微かに吊り上がる眉と唇、自信に満ちあふれた碧色の瞳。身に纏うのは肩口の出る丈長の白い衣服に、ゆとりのある太股までの紺色のズボン。腰元で交差させた革帯には短剣が備えられている。
先ほど初老の兵士が称した“王女”とは程遠い身なりだが、容姿には確かに貴族のような気品が漂っている。
「ネオン様!!」
観衆がひしめく中、それらを押し退けるように一際大きく響く声。間もなく現れた姿は紛れもなく、先ほどカイズとジラーに声を掛けた青年のものだ。
壮年の兵士の声には何の反応も示さなかった少女がそちらを振り返り、凛とした声で問い掛ける。
「レクターン王国騎士隊長オルセト・グランディア。なにか?」
「毎回貴方を捜すために駆り出される騎士たちの身にもなってください。今回はどこへ行っておられたのです」
青年――オルセトの口調から静かな怒気を感じ取ったらしい少女は、長い長い溜息をついた。
「まーた説教? 言っとくけどね、あたし今回はレクターンから出てないわよ!」
聞いた者全ての姿勢を正させてしまうような勇ましい声質はなりを潜め、町娘たちと大差ない溌剌とした声質に変わる。どうやらまだ十代半ばほどの彼女は、状況によって声と口調を使い分けているらしい。
そして二人の会話からして、王女の脱走と兵を挙げた大規模な捜索活動は、どうやらほぼ日常的に行われているようだ。
しかし、今日ばかりは何やら事情が違う様子。
少々面食らったような表情を浮かべて、オルセトが詳細を問う。
「それでは一体……」
「ずーっと破邪の樹に登ってた。それよりも聞いてよオルセト! すっごく面白いことがあったの!!」
「なんですか?」
興奮を抑えきれないらしい少女に対し、呆れたような眼差しを送るオルセト。
少女は勝ち気な目元を一層つり上げ、笑みを深くし――
直後、張り詰める空気が周囲を包み込む。
(殺気!? どこから、)
見渡す刹那、真横に闘気を纏った影。
それが自分に向けられたものと閃くや、慌てて回避する碧。直前まで踏みしめていた地面が陥没し、破片が飛び散る。
微かに見えた横顔は、あの少女。勘が働いていなければ、碧は致命傷を負っていたことだろう。
(なんだかよく分かんないけど、戦わなきゃいけないのかな……?)
迷いを中断させるかのように飛んでくる蹴り。危なげなく躱したものの、これ以上考え事を続ければいずれは捕らえられてしまう。この少女には、碧がそう懸念してしまうほどの実力がある。
(戦わなきゃ、いけないみたい)
腹を決めた碧は、放たれた拳の勢いを利用して攻撃を仕掛ける。
少女は満足げな笑みを浮かべ、それに応える。
街の入り口で突如始まった格闘に、セレンティア市民はもちろん、イチカやラニアも呆然と見守るしかない。
しかし、彼女らの戦いに泥臭さはなかった。さながら演舞のように、華麗で隙のない技の数々。互いの手の内が分かっているかのように、攻撃を紙一重の位置で避け、けれども全ての動きに手は抜かない。
「はっ!!」
「はーっ!」
暫しの攻防戦の後、二人は前腕を盾に双方の攻撃を受けた。
沈黙が落ちる中、息づかいだけが聞こえてくる。
どちらからともなく拳が離されたのは、それから間もなくのことだった。
「ふーん……できるね」
まだ油断はできないと少女の動向を注視する碧に対し、赤くなった前腕を見ながら何やら感慨深げに呟く少女。何事か思いついたのか、「名案!」とばかりに両手のひらを打ち合わせ、その手を身体ごと城の方向へ向け。
「よしっ、特別に招待しちゃう! ついてきて! お連れさんたちも!!」
「へ!?」
突拍子もない言葉に戦意を削がれ、間の抜けた声を出す碧。「お連れさんたち」と一括りにされたイチカやラニアも、表面的な反応の違いはあれど状況が飲み込みきれていない。
他方、国民たちからは「相変わらずだなぁ」やら「特別が多いお人ねぇ」といった呆れ声が上がり、「またか」「心臓がいくつあっても足りん」と顔面蒼白の兵士たち、そんな彼らの肩を叩き「頑張れや」と去って行く者もしばしば。
「あ、そうそう。どっかでお茶してる、よ・わ・む・しさんもね☆」
周囲の動揺も何のその。少女――否、王女は自由奔放に指名し、明後日の方向に向かって茶目っ気たっぷり片目を瞑ってみせる。
よく通るその声は、もちろん“どっかでお茶してる弱虫さん”たちのところにも届いていて。
「あの野郎っ! あとで殺すッ!!」
「まあまあカイズ……」
愛用の細剣を今にも抜きそうな勢いのカイズを、ジラーがのんびりと宥めているところだった。
「さっきみんなが言ってたと思うけど、あたしは一応この国の第一王女で、ネオン・メル・ブラッサ・レクターンっていうの。かるーくネオン、て呼んでオッケーだからね?」
王族直々のご招待である。断る理由もなければ断れるはずもない。一行は視線のみでその認識を共有したのち、先を行く王女に付いて城へ向かうことになった。王女は一行が付いてきていることを軽く見返って確認し、それはそれは満足そうな笑みを浮かべる。
大型の馬車に移り、向かい合わせとなったネオンは道中唐突にそう告げた。「一応」を強調していることから、あまり自身の立場を好ましく思っていないらしい。
「はあ」
複雑な表情を浮かべながら曖昧な返事をする一行。いくら御口ずからの許可とはいえ、一国の王女をいきなり名前で呼ぶことができる猛者はなかなかいない。
加えて一行とネオンの周囲には、先ほどまで王女捜しに専念していた兵士のうち数人が取り囲むように座っている。馬車の外も馬を駆った兵士が囲っていることだろう。問題発言をした王女を咎めたり窘めたりするような声や雰囲気はないものの、誰一人としてこの状況で呼び捨てる気にはならない。「処刑してください」と言うようなものなのだから。
「そう暗くならない! あなたたちの名前は? あ、二人言わなくていいのがいるけど」
「けっ! いちいち鼻につく王女サマだぜ!」
「いいじゃないかカイズ。美人さんなんだし」
ネオンが空を仰いだと同時、見計らったように起きる軽い馬車揺れ。後方の入り口からカイズとジラーが飛び乗ってきた。(主にカイズが)反発しながらも付いてきた挙げ句、屋根を陣取っていたようだ。
そして、ジラーの持論によれば美人は何を言っても許されるらしい。
「カイズとジラーとは昔、ちょっとした理由で知り合ったの。さ、名前教えて!」
「ネオン様、よろしいのですか?」
最初の城門を前に停車する馬車。碧眼をこれでもかとばかりに輝かせるネオンに、隣のオルセトが口を挟む。見ず知らずの人間をむやみに敷地内に入れていいのか、という意味も込められているようだった。
自分に向けられた苦言に対し、ネオンは年相応の声色のまま気楽に返す。
「なによオルセト。文句があって?」
「……全兵、直ちに開門せよ! ネオン様の客人だ!!」
案の定、という表情をしながら窓から身を乗り出し、固く閉ざされた門の向こうに呼びかけるオルセト。
その声に応えるように門が軋み、唸りを上げたかと思うと、下方から少しずつ隙間が広がっていく。
『すっごーい……!』
やがて走り出した馬車は、次々と聳え立つ城門を潜り抜けていく。関所を越えるたび、石造りの城壁の上方、日の光を浴びて煌めく本城が間近に迫ってくる。
碧とラニアは一つ一つの光景に目を奪われ、歓声を上げる。王城などとは縁のない彼女たちにとっては、まさに感動の連続であった。
ようやく正門に辿り着いた馬車から降りた一行は、出迎えた使用人に促されるまま後に続く。等間隔に取り付けられた燭台には豪奢な装飾が施され、廊下いっぱいに敷き詰められた絨毯には節々に意匠が凝らされている。雲の上を歩いているかのような踏み心地に、碧とラニアは顔を見合わせずにはいられない。
通された部屋は豪華さこそないものの、整然としている。部屋のちょうど中央部、会談用の机を挟むように革張りの長椅子が配置されている以外は、壁際に背の低い木製の本棚、その真上に貼付された世界地図があるだけだ。
室内にはオルセトと、兵士がもう一人。さすがに王女捜索隊全員が警備に回ることはないにしても、もう二、三人護衛がいても良いのではないか――そこまで考えて、碧はふと思い当たる。あの戦闘時を。
(王女様、あれだけ戦えてたもんなぁ。これだけの人数でも、いざという時はなんとかなるのかも)
ヤレンが「気が合いそう」と称していた王女は、武術の心得があるという点では確かに的中している。ネオンもあの格闘の後に「招待する」と宣言したのだから、何かしらお気に召したのだろう。
問題はこのあとのことだ。「何かを教えてもらえるはず」というヤレンの言葉通り、有益な情報を得られるのか。それとも、単なる世間話で終わってしまうのか。
市民の様子からすると、この王女はどうも「お気に入り」の基準が低いらしい。独自の条件に該当すれば片っ端から本城に招待し、その度にオルセトに苦い顔をされているのだろう。
碧の予測でしかないが――自分たちも数ある「お気に入り」の一組に過ぎないという可能性は非常に高い。
故に。
「あの、」
「敬語厳禁! じゃないと聞かない!」
どういうつもりで招待したのか。それを丁寧に訊ねようとした碧だったが、よそよそしさを瞬時に感じ取ったらしいネオンが膨れっ面でそっぽを向いてしまった。当分碧たちの方を向きそうもない。「姫」と「わがまま」は切っても切り離せない関係のようだが、この姫のわがままはどこか方向性が違う。
とにかく、これでは話が進まない。しかし、尊敬語を使わずに話すことには抵抗がある。
悶々とする碧に助け船を出したのはカイズだ。
とは言っても。
「アオイ、心配ねーよ。コイツに限っては呼び捨てにしようがクソ王女って呼ぼうが何の問題にもなんねーから」
「くっ……?! そ、それはさすがにちょっと」
あまりにも礼節を欠いた発言に碧が戸惑っていると、ネオンの後方に控えるオルセトがカイズに対し鋭い一瞥を投げる。
「カイズ・グリーグ」
「んだよ。喩えだよ喩っ……ってててて!! 何すんだジラーっ!!」
「この通りだから見逃してくれると助かるなぁ~~」
カイズの後頭部と背中に手を当て、無理矢理謝罪姿勢を取らせるジラー。不遜な態度はジラーによって完全に瓦解。オルセトも相方の功績に免じて目を瞑るようだ。
なお、聞き慣れない「クソ王女」という響きが琴線に触れたのか、泳いでいる視線からして少しだけ心が揺れているらしいネオンである。
しかし、王女の心の機微など碧が知るよしもない。兎にも角にも、なんとかしてこの不機嫌な王女との会話を成立させなければ話は進まない。
現時点での解決策はたった一つ。
緊張で口内が乾く。
「えっと……ネ、オン……?」
「なあに?!」
たった一言名前を呼ぶだけで、何故こんなに汗だくにならなければならないのか。自身に問いかけてしまうほど、碧の顔は水浴びでもしたかのように汗に塗れていた。緊張はもちろんのこと、それを上回る恐怖心故であった。
この部屋にいる二人、あるいは部屋の外で見張っている兵士に「無礼者!」と罵られながら、手にした槍で突き殺されるのだ――。
妄想に恐れおののく碧だったが、危惧していた事態はいつまで経っても起こらなかった。オルセトももう一人の兵士も、顔色一つ変えずその場に留まっている。入り口から兵士がなだれ込んでくるようなこともない。ネオンが喜色満面返事をしてからは静かなものである。
それでも安心できない碧。聞こえてなかっただけかも、と思考を負の方向に傾けたまま、引き続き恐る恐る訊ねる。
「あたしたちを招いた理由、って……?」
「あなたに渡したいモノがあってね」
敬語さえ使われなければ多少辿々しい口調だろうと気にならないようで、ネオンは組んだ膝を両手で抱えながら答える。
襲撃に備えて身を固くしていた碧だが、やはり何も起こらないこと、そしてネオンの発言に呆気に取られ、思わず普段通り問いかける。
「渡したいモノ?」
この世界にも「つまらないものですが」というような風習があるのだろうか。そんな疑問が頭をもたげる。
出会ってたった数時間の相手に何かを渡す。決してあり得ないことではない。ましてやここは異世界。日本の常識が通用しないのは当たり前だ。何をもらっても不思議ではないが、それ以前の問題がある。
「な、何か分からないけど、あたしなんかがもらうワケには……」
そう、異世界とはいえ相手は王族。対する碧は言わば平民。功労があった者へ勲章が授与されるならまだしも、この世界に来て数日、褒められるようなことをした覚えもない。精一杯両手を振って謙遜する碧を見て、ネオンが目を据わらせる。
「“あたしなんか”?」
立ち上がり半目で復唱するネオンに怯みながら、碧は声もなくこくこくと頷く。
「そう。それならなおのこと、もらってもらわなきゃね。座ってもらって悪いけど、ちょっと庭に出てくれる?」
訊ねておきながらさっさと部屋を出て行ってしまうネオン。オルセトらは視線だけは王女を追ったものの、一歩たりとも動く様子はない。その眼差しから感情を読み解くことは困難だが、一行に判断を委ねているであろうことは明白だった。
誰からともなく顔を見合わせる。
「もらっていいのかなぁ」
不安を吐露する碧を、ラニアが優しく諭す。
「ヤレン様からは、「王女に会えば何かを教えてもらえる」って言われたんでしょ?」
「うん。でも、それがさっきの『渡したいモノ』のことかどうかは分かんないし……」
「行くだけ行ってみればいいんじゃないか? 身分不相応だと思ったら丁重に辞退すればいいんだし」
「そうだよね。うん、そうする!」
ラニアとジラーの助言を受け、少しだけ心が軽くなった碧は大きく頷いて決意を示す。
歩き出した先にはすでに開け放たれた扉。オルセトともう一人は廊下に出て、一行が出てくるのを待っていた。
兵士に連れられしばらく歩くと、壁を取り払った渡り廊下が現れる。廊下を一歩外に出れば、もうそこは庭の一部だ。
ただ、それをすぐに「庭」と認識できる者はそう多くないだろう。城壁よりもさらに高所に位置するこの空間は、一面が緑色に覆われている。視界を遮るものが何もないため、王城の一部というよりは牧草地に近い。
風にそよぐ草原の中、ネオンはいた。一人芝生に腰掛け、空を仰いでいる。植物を踏みならす音に気付いたのか、振り返って一行を――正確には碧を見つめる。
「来たわね」
凜とした表情に、機嫌を損ねている様子はない。ただこの場に来たことを確認しただけのようで、ネオンはまた天を振り仰ぐ。
日光浴ならぬ風浴、といったところか。彼女が心地よさそうに風を受けているのを見た碧は、なんとなくその隣まで歩み寄る。
「ねえ、アオイ」
ネオンが空を見上げたまま、思い出したように口を開いた。
「強くなりたい?」
それは何気ない問いかけだったのかもしれないが、碧にとってはこの上なく重要な意味を持っていた。
魔族から狙われている自分と、共に旅をすると言ってくれた仲間たち。そのことを素直にありがたいと思う反面、数々の仕事をこなし、技術面においても精神面においても頼りがいのある彼らの手を煩わせたくないとも感じていた。碧自身、一応体術は身につけているものの、不可解な技を繰り出す魔族相手にどこまで通用するか分からないという不安も抱いていた。
少しでも糸口があるならば。彼女がそれを知っているならば。
「……強くなりたい」
一陣の風が吹いた。
「みんなの足を引っ張らないくらいの、力が欲しい!!」
碧を変える、風が。




