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第百四十話 カミカゼ(3)

 戦渦に呑まれるレクターン王国王都・セレンティア。心強い援軍のおかげで風向きは変わってきたものの、未だ予断を許さない。力や武器を持たない者たちは引き続き避難が必要だ。住人たちの退避は粗方完了し、残るは王宮内の人員だけとなった。


「こっちです!」

 

 王国第二王女であるクリプトンは勇敢にも先頭に立って道を指し示し、側仕えのメイドや料理人、庭師、宮廷音楽家といった非戦闘民を誘導する。

 

 宮中の非戦力をいくつかのグループに分け、そのどれにも魔法士を二名配置した。全員で一斉に動けばいいのに、という声も上がったが、大勢ではいざという時に身動きが取りづらい。それに、不安や恐怖は人数が多ければ多いほど伝播する。魔物に遭遇したとして、冷静になれば対処できることも、誰かが取り乱したり動揺したりすればあっという間に統制が取れなくなる。そうなれば――あまり考えたくないことだが――全滅の可能性もある。最悪の事態を避けるためにも、少数で動くのが最も効率的と言えるだろう。


 グループは一〇分程度の間隔を空けて、地図を片手に一つずつ地下深くの避難所へ出発していく。王と王妃はより安全な別ルートを通って、先ほど無事避難所へ辿り着いたとの情報が魔法士経由で入ったばかりだ。

 

 受信役の魔法士は一つ前のグループに属しているので、今はもういない。唯一の誤算がそれだった。自分たちのグループの分まで魔法士を補充できなかったのだ。幸運にも残った者たちは皆クリプトンと親交が深いこともあり、不満の声は上がらなかった。

 

 クリプトンは城の外に思いを馳せる。

 頑強な屋内にいるとほとんど実感が沸かないが、外では姉とレクターン王国騎士隊が戦っている。

 

(オルセトも、戦ってる)

 

 非常時にもかかわらず頬が緩みそうになって、懸命に首を振る。意中の彼が信頼して任せてくれたこの大役、何としても成し遂げてみせる。

 

 地中に網の目状に張り巡らされた通路の数は数十にのぼるが、クリプトンはその道順を全て覚えていた。姉ほどでなくとも放浪癖のある彼女、宮中探索と称して地下空間には何度も訪れている。この先二つめの分岐で左に曲がって、右側にある鉄製の扉を回し開け階段を下りれば、皆と合流できる。


(オルセト、褒めてくれるかな)


 まだ任務の途中だというのに、頭の中は全てが終わったあとの妄想で埋め尽くされている。恋する少女にはよくあることだろう。今に限っては、現実逃避することで緊張づくしの心身を無意識にリラックスさせているのかもしれない。

 

「……!!」

 

 分岐に至ることは叶わなかった。

 まさしく盲目状態の彼女を、どん底に突き落とす光景が待ち構えていた。『それ』が視界に入った途端、意図せず足が止まってしまった。浮き足立った気分が一瞬で退いていく。代わりにうるさく鳴り響く警鐘、震える四肢。本能からの危険信号が「最悪の事態だ」と告げる。

 

 目の前のそれは確かに人の形を象っているが、『人』でないことは明白だった。半透明の身体に浮かぶ矢印の文様、引きずるほど長い四肢、尖った頭部、目も鼻も口もない顔。現在世界中を脅かしている魔物の姿については事前に共有していたものの、そのあまりの異様さは正気を吹き飛ばすには十分すぎるほどだった。

 

「こんなところにまで化け物が……!」

「私たちもトーレスのように……!!」

「も、もうおしまいだ……!!」

 

 悲嘆に暮れる声が通路に木霊する中、のったりと近づいてくる異形を見つめながらクリプトンは沈黙を守っていた。青ざめた顔で、しかし、何事か決意したように唇を引き結ぶ。

 

「ミーナ」

 

 もう一人、泣き言を言うことなく側に控えていたメイドのミーナに声を掛け、正面を見据えたまま告げる。

 

「みんなも、逃げて。敵は一匹です。わたしが囮になれば皆逃げられます」

 

 第二王女の突拍子もない発言に、先ほどとは違う意味の悲鳴が響き渡る。

 

「そ、そんなことできません!」

「そうです私が!」

「いえ私が!」

「ダメです!! レクターン王国第二王女クリプトン・ラグ・デイ・レクターンの名において命じます、わたしを置いて今すぐ逃げなさいっ!!」

 

 心からの申し出ではない。それが分かってしまったから、彼女は激しく首を振った。

 誰だって、自分の命は惜しい。たとえ誰に仕えていようと、自らの命を進んで投げ打てる者はきっと多くない。それに、彼らには家庭がある。引き離すような真似はしたくない。


 クリプトンだって、できることなら家族と離れたくない。優しくて温かい両親と、頼れる姉に囲まれてずっと過ごしていたい。


(おねーさま)


 彼女にとって、年子のネオンはいつまで経っても憧れの存在だ。武術に長け、物怖じせず見聞を広める姿は誇りに満ちていて。嫉妬する気も起きないほど心酔していた。

 いずれは姉がこの国の未来を担うだろう。そうなれば、特別秀でたものがない『第二王女』は他国との橋渡しのため嫁がされるだけ。


(この国は、おねーさまがいれば大丈夫。わたしは、いなくたって)

 

 様々な思いがせめぎ合っているのか、クリプトンの命令後も未だその場から逃げ出した者はいない。少しの嬉しさと切なさを抱いた直後、生温く水気のある何かが足首に絡みついた。

 

「クリフ様!!」

「ダメだミーナ!!」

「危ない!!」

 

 逆さ吊りの状態で、クリプトンは従者たちの姿を見た。血相を変えて駆け寄ろうとするミーナを、後ろから必死に引き留める三人。視線を転じれば眼下に待ち構える、鋭い牙を剥き出しにする魔物。

 ひどく緩慢に流れてゆく景色に、覚悟していたこととはいえ目の奥が熱くなる。

 

(ああ、どうしてこんなときに)

 

 最も親しい存在が脳裏をよぎる。

 ネオン。オルセト。ミシェル。彼らに少しでも近付きたかった。自分は戦うことはできないと諦めていたけれど、武器を持たなくても戦えることを知った。ずっと遠くにいた彼らに、ようやく追いつけると思っていた。

 

『非戦力の者たちを安全地帯へ誘導することが、貴方に与えられた役割です――できますね?』

 

(ごめんなさいオルセト、できなかった)

 

 肩に触れた手の感触が、優しい眼差しと声が、浮かんで消える。

 

(ごめんなさいオルセト。こんな時でも、「逢いたい」なんて思ってしまって……)

 

 地面が近づく。熱い雫が滑り落ちて、いよいよ来るであろう苦痛を想像して。

 風を感じた。ほぼ同時、通路中に反響するほどの絶叫。

 

 形容しがたい悲鳴に、自分から発せられたものではないと判断したクリプトンだが、それ以上を理解することは困難だった。

 混乱している最中、俄にツインテールを引っ掴まれ、放り投げられる感覚。また違う痛みの予感に身を硬くするも、ほんの少しの振動のみ。一向にその時は来ない。

 

(?? な、なに? 何がどうなって)

 

「何をしておられるのです」

「?! オルセト!!」

 

 頭上から降ってきた低い声にはあまりにも聞き馴染みがあって、それまでの恐怖や葛藤はどこへやら、クリプトンは喜色満面顔を上げた。

 そこには予想通りの人物が、いるにはいたが――

 

「って、アレ? おこ、ってる……?」

 

 元々他人と比較すれば表情豊かではない彼だが、今回はより一層顕著だ。無表情に輪が掛かっている。にもかかわらず、明らかな怒気を滲ませている。

 

「“怒っている”? それは勿論です。私は貴方に“民を護ってほしい”とは言いましたが“身代わりになれ”とは一言も言っていません。ですから何をしているのですか、と訊ねたのです。貴方は姉姫様と違って身分を弁えていらっしゃるものだと思っていましたが、どうやら私の思い違いだったようですね」

 

 淀みない事務的な口調はいつも通りであるのに、言葉の節々に針のような鋭さを感じる。これまで受けたどんな説教とも違う空気に圧倒され、冷や汗が止まらない。


「え、っと。どうしてそれを」

「通路の向こう側まで響いてきましたよ。随分切羽詰まった声を上げていると思ったら」


 仕留め損なった魔物が城内下層に侵入したとの報を受け、オルセトらが追っていたところ、クリプトンの“命令”が聞こえてきたのだという。

 

「いいですか? 貴方はこの国の王女なのです。その自覚をしっかり持っていただかなければ困ります」

 

 そのままくどくどと、硬直したクリプトン相手に小言を並べ立て始めるオルセト。

 互いに気付いていないが、オルセトはクリプトンを横抱きにしている。その様子を、オルセトに同行していたウオルク――あろうことか乙女の髪を掴んで投げた張本人である――は訳知り顔で眺めながら、しれっと大剣を肩に担ぐ。

 

「その体勢で言うセリフかよ。なあ?」

 

 同じく同行組の青髪の青年に同意を求めたつもりだったが、肝心の彼は心ここにあらずだった。振り返った先には、右腕と右脚、左腕と左脚を交互に前に出すミシェルの姿。その目前には、メイドのミーナ。機械音が聞こえてきそうなぎこちなさで歩み寄り、一時停止する。

 

「先輩。お怪我はないですか?」

「大丈夫よ、ありがとう。あら? ミーくん、ここに傷が」

 

 おそらくミーナにとっては深い意味はなかったのだろうが、白く細い指先が頬に触れた途端、何かが爆発したような音と共にミシェルの顔から湯気が上がる。驚いたミーナが数度声を掛けるも、鼻血を出して恍惚の表情を浮かべたまま気絶している彼に聞こえるはずもなく。

 なんとなく取り残された気がして、孤独さに居たたまれなくなるウオルクだった。

 

「だってわたしも誰も失いたくなかった! ただみんなを護りたかっただけ! それはいけないこと?」

 

 初めのうちは混乱したままオルセトの苦言を受け入れていたクリプトンだったが、次第に反発心が湧き上がって、気が付けばそう口にしていた。迂闊な行動だったことは否めないが、クリプトンなりに譲れない想いがあったのだ。

 

「いいえ」

 

 思わぬ反撃に遭ったオルセトは少しだけ目を見開いていたが、やがて、それまでとは打って変わって柔和な口調で否定する。

 

「そのお気持ちだけで十分です。そのお心遣いだけで、我々は救われている。貴方は何もしなくて良いのです」

 

 それからどこか困ったような、寂しげな顔でやんわりと微笑み。

 

「ですからどうか、ご無理をなさらないでください」

 

 そんな表情を見てしまっては、縦以外に首を振れるはずもなく。

 

「はい。ごめんなさい……」

 

 それから互いに見つめ合う騎士と王女。王女の方は頬を紅潮させ、目の前の騎士を潤んだ瞳に映し続ける。二人のポーズも相まってどことなく「それらしい」雰囲気が漂っていたが、王女の方がはたと重大な事実に気付いた。


(これっ……お姫様抱っこじゃない?!?!)

 

「キャー!!!!」

「! どうなさいましたクリフさぶォっ!」

 

 悲鳴に気を引き締めたのも束の間、羞恥心から激しく暴れ出した第二王女の無差別パンチが炸裂し、騎士の意識は遥か彼方へ飛び立った。

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