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第百三十九話 カミカゼ(2)

「光魔法第三変形ですか。貴方は意外と繊細な魔法が得意でいらっしゃる」

「“意外と”は余計だ、アバース」

 

 透明な足場を歩くように移動している男性に、どこからともなく慇懃いんぎんな声がかかった。溜息交じりに返しつつ、一瞬だけそちらを見やってからすぐに視線を戻し、振り返りもせず歩みを進める。斜め後方を陣取って、一人の男性が後に続く。


 二人は何もかも真逆だった。前方の男性は声を出すのも億劫そうな――しかし声は良く通るから不思議である――声質、上背のある筋肉質な体躯を略装のローブが覆っている。後方の男性は無味乾燥な声質、中背痩躯、式典に参列するかのような正装を着込んでいる。


 唯一の共通点は、左胸に縫い付けられた横長五角形のワッペン。額から一角を生やし細長い身体をうねらせた龍と、その尾を取り巻くように散らばる楓の葉があしらわれている。サモナージ帝国の紋章である。

 

「ついでなんでオレからも一つ言わせてもらおうかねぇ」

「なんです?」

 

 略装の男性は赤茶色の短髪ごと後頭部を掻きながら、垂れ目をさらに垂れさせて溜息をひとつ。声に出さずとも面倒くさそうなのが見て取れる。何をするにも今ひとつ腰が上がらない性格なのか、そうではなく何かしらの煩わしさを感じているからなのか、現段階で読み解くことはできない。ただ、目元や口周りに微かに刻まれた皺と無精ひげが、何かと気苦労の絶えなさそうな印象を与える。

 

 意を決したのかとうとう立ち止まると、振り返って正装の男性に――正確には強烈な違和感のある頭部に向かって声を張り上げた。

 

「ズレてんだよ!」

 

 男性は驚いた様子もなく、ただ静かに藍色のカツラを調整しただけだった。

 おそらく、日常的に「ズレて」いるのだろう。そして、カツラの男性は常時ツッコミ待ちなのだろう。だからこそ赤茶髪の男性は必要以上に疲れているのだ。


 身体中の空気を押し上げる勢いで深い溜息を吐き出す。大きな背中に「帰りたい」と書いてあるように見えるのはきっと気のせいではない。


 下方から間延びした声が響いたのはその時だ。

 

「お~~! 来た来た!! デューダー! アバースぅ! こっちこっち~~!!」

「あーいたいたバカお……レミオル皇子」

 

 赤茶色の男性――デューダーからまたとんでもない問題発言が飛び出しかけたが、肝心の皇子ことレミオルは気付いていないようだ。否、気付いていたとしても、この国の王女のようにあからさまに喜色満面になるだけだろう。彼もまたそういう人間なのだ。

 

「困りますよ皇子。貴方様は一応、仮にもお国の――」

「あ~~出たよ『お国の宝』。いーんだよ、アニキも甥っ子もいるし。オレなんて別にいてもいなくても変わんねーの! 必要ねーの!」


 先ほどから細々とした失言が多いデューダーである。宝のくだりは皆まで言っていないが、皇子の方で勝手に変換されたようだ。その代わり、別方面でムキになっている。

 

「そう卑屈になりなさんな。少なくとも我々は必要としてますよ? なあアバース」

「そうですね。出世の道具としてですが」

「おまっ、そういうことは直接言うものじゃねーんだよ」


 咄嗟に諫めるデューダーだが、不適切な発言という意味では彼も人のことを言えた義理ではない。

 

「出世の道具でもいーわ。必要としてくれてるんだろ? ありがとなアバース」

 

 皮肉でも、お世辞でもない。本心からの礼だ。

 純真無垢とも言える微笑みを浮かべるレミオルに、藍色のカツラの男性、アバースは静かに四角縁の眼鏡を押し上げ「いえ」と返す。

 

「……」

 

 デューダーはまた困ったように後頭部を掻いた。

 この皇子は寂しがり屋だ。四人兄弟の末っ子で、他の三人とは十以上年が離れている。その兄たちは既に家庭を持ち相手にしてくれない。おまけに「サモナージのお荷物」などと、親族のみならず側仕えの侍女たちからも陰口を叩かれる始末。そんな孤独感や劣等感を紛らわすように、いつからか素行不良となったのだ。

 

「つーかオレ臭くない? 十日ぐらい風呂入ってねーんだけど」

「他の者たちも同じようなモンでしょう。魔族は時間を選びませんからなぁ。この緊急事態に風呂に入りたいなんて言おうものなら、それこそ顰蹙ひんしゅくを買いますよ」

「言ってねーよー! ただ、臭いかな? って思っただけだし! なんかぁ、気になるじゃん? ドキドキするじゃん?」

「女子か」

 

 事情を知っているからこそ、デューダーたちも問題行動には口を出しながら黙認してきた。レミオルが十二、三の頃からの付き合いだ。魔法士団の訓練に潜り込んできたのを第四皇子と気付かず、ぞんざいな態度を取ったことがお気に召したらしい。以来、王宮の中では群を抜いて懐かれている。

 

「お気を確かに」

 

 水溜まりに飛び込み、子どものようにはしゃぐ十九の皇子。その様子を半分兄のような、半分親のような心境で眺めていたデューダーの耳に、アバースの落ち着いた声調が届く。

 座り込んで建物に背を預けている兵士がいた。息はあるが、かなり消耗しているようだ。注意深く見れば至る所から出血している。

 

「オイ、大丈夫か?」

「っ……あんた、らは……サモナージの、魔法士団か」


 紋章を見てか、兵士の目元が少しだけ安堵で和らいだ。

 

「貴方一人でここを?」

「いや、逃げてるうちにな……こっちも反撃したんだが、仕留め損ねちまった……」

「そうかい、お疲れさん。救護所で休むこった。後はオレたちが引き受けた」

 

 下がった肩を叩いて立ち去ろうとするデューダーを、追い縋るような声が引き留める。

 

「気をつけた方が良い……! オレが戦ったヤツ、他のとは少し違ってた」

「ほう。どのようにです?」

「普通のヤツは人型だろう。なのにソイツは、元から分裂して向かってきた……着地したあとは、水溜まりと区別がつかねえ。それでオレも……」

 

 ――“水溜まり”?

 

「うわっ?!」

 

 嫌な予感が全身を支配したと同時、響き渡る声。考えるより先に身体が動いたデューダーは全力で駆ける。

 路地を奥へ奥へと入り込んでいたようで、見つけ出すのも一苦労だったが、レミオルはひとまず無事だった。四方を『水溜まり』に擬態していた化け物に囲まれているので、厳密に言えば無事ではないのかもしれないが。

 

 本体は一匹のようだが、身体の一部を四等分しているらしい。分身のそれぞれから拷問具のごとき無数の『棘』がじわじわと突き出んとしていて、串刺しにされるのは時間の問題だ。

 

「お逃げください皇子!」

 

 逃げ場などない以上、その進言がどれだけ無意味であるかはデューダー本人が一番理解していた。それでも、叫ばずにはいられなかった。人である以上魔法の詠唱は必須。できうる限り早口で起動を試みるが、僅差で魔物がレミオルを突き殺す方が早いと思われた。

 

「皇子!!」

 

 その身が穿たれる、まさにその瞬間。四体はどれもその場で砕け散った。

 

 万に一つの奇跡を前に、呆気に取られる魔法帝国の面々。特に驚きを露わにするデューダーとレミオルの間に、溌剌とした声と共に軽やかに降り立つ影。


「ふーん、そういうこと。道理で声に聞き覚えがあるワケだわ」

 

 街灯の明かりが映し出したのは、十代半ばほどの少女。癖の強い茶髪のショートヘア、自信に満ち溢れた碧眼。丈の長いノースリーブの上衣に、太股丈のキュロット。肘と膝は保護具で覆い、腰に短剣をぶら下げている出で立ちは一見冒険者のよう。しかし、身なりに釣り合わない気品漂う顔立ちが、その辺の町娘でないことを端的に裏付ける。


「借りは返したわよ、団長・・


 したり顔の少女をしばらく怪訝そうに凝視していたデューダーだが、やがて何かに気付いたのか垂れ目を見開いた直後、その図体が小動物のように小刻みに震え出す。

 

「っは、はは。こいつは……なんたる僥倖……」


 僥倖と言う割に乾いた笑いを浮かべるデューダーには、相手が誰なのか理解できたらしい。そして、先ほど助けた“子ども”の正体も。これまでの無礼が走馬灯のように駆け巡り、しばらく生きた心地がしなかった、とは後の証言である。

 

「あなたがサモナージ帝国の皇子?」

 

 ネオンは未だ縮こまっている帝国第四皇子に視線を投げる。その皇子は腰が抜けたのか、尻餅をついたままこくこくと頷くだけだ。腰に手を当て堂々と仁王立ちしている王女と対比してしまうと、控えめに言って格好悪い。

 

「なんか思ったより……情けないわね」

 

 初対面であろうと遠慮も忖度もしないネオン、率直な感想をぶつけて跳ぶように颯爽とその場を後にした。『情けない皇子』の烙印を押されたレミオルは、あまりにも唐突で辛辣な言葉に声も出ないようだ。

 

「……アバース。気付いておられると思うか?」

「バカにされたことにですか?」

「イヤ、まあそうなんだが……頼むからそんなハッキリ言うなよ……」


 ただでさえ日常的に冷遇されているというのに、追い打ちを掛けるように隣国の王女からのダメ出しである。いくら脳内お花畑の皇子でも今回ばかりは堪えただろう。いつも以上に同情の眼差しを送ってしまう。

 

「デューダー!!」

「は、はっ!」

「今のは?!」

 

 ごく稀に聞く王族然とした覇気のある声音に、内心肝を冷やしながら応える。レミオルとて腐っても皇子である。自尊心を傷つけられた腹いせに、不遜な輩を捕らえよという命を下してもおかしくはない。もちろん、相手が相手だけにそう簡単に捕縛というわけにもいかないが。

 

「はっ、申し上げます。今のお方こそレクターン王国第一王女であらせられる、ネオン・メル・ブラッサ・レクターン様でございます」

 

 緊張しすぎて普段の調子は影を潜めている。アバースはそんなデューダーを横目に中指で眼鏡の位置を調整。レミオルは、ただデューダーの回答を吟味するように数度頷き、感慨深げにネオンが跳び去った方向を見つめ。

 

「そうか……気に入った! 政略結婚だ!」

「皇子、気が早すぎます」


 びしぃっ、と力強く右手人差し指を突き出し声高らかに宣言するレミオルに、アバースの無感情な指摘が入る。皇子の脳内庭園は健やかに育まれているようである。

 

「愛すべきバカ皇子……」

 

 いよいよ王族としての自覚を身につけたか、という期待とそうでなかったことへの落胆で、うっかり涙ぐんでしまうデューダー。

 もっとも、レミオルの皇位継承順位は今や最下位なので、政略結婚だなんだと言ったところで婿入りさせられる可能性の方が高い。力関係を考えれば、それが一番安全安心で平和的手段かもしれない。少なくとも自国にいるよりは心穏やかに過ごせるはずだ。

 そんな親兼兄の気苦労などつゆ知らず、レミオルはまた無邪気に興味の対象を探す。

 

「ん、アバース。またズレてるぞ?」

「貴方の固定観念には負けます」

「イヤ直せよアバース……」

 

 デューダーが疲れた様子でツッコミを入れると、やはり無表情にカツラを微調整するアバース。人のことよりもと、その狐目がやおら鋭く動いて。

 

「貴方こそ、その貧相な格好を何とかしたらどうです?」

 

 略装ではあるものの正式な魔法士団の衣装なのだが、デューダーのそれはまるで身寄りのない子どものようだ。既製品では恵まれた体格を強調しすぎてしまい、見ている側にも窮屈な印象を与える。靴に至っては爪先が破れ、素足が空気に晒されている。公的組織に属している以上、少々値は張っても仕立ててもらった方が良さそうなものだが、そうしないのには事情があるようで。

 

「金がねーんだよ!」

 

 齢二十五にして妻子持ちの彼にとって、不要不急の支出は極力避けねばならぬもの。自らの節約ひとつで家族が幸せに暮らせるのならと、自己犠牲の精神で泣く泣く我慢しているのだ。とはいえ、さすがに改まった場でみすぼらしいのはいただけないということで、正装に関してはあつらえ品を持つことが許されたそうだ。

 

 最愛の妻や娘には決して見せてはならない苛立ちをぶつけるも、やはりアバースは涼しい顔。レミオルに至っては星の数を数えて一人感動していた。

 

「さて、お遊びにかまけている場合ではないようですね」

 

 デューダーの「お遊びかよ」という愚痴は適当に聞き流し、人気のない空間を見据えるアバース。おもむろに腰に携えた指揮棒を引き出すと、淀みなく滑らかな詠唱が始まって。

 

は永遠なる道標・始まりの揺りかご・障壁を穿て・我が意のままに【断崖の三頭狼(テ・ラ・ルプシズ)】」

 

 唱え終わるやいなや地表がめくれ上がり、趣のある石畳は瞬く間に岩肌を持った三匹の狼へと姿を変えた。三匹は思い思いの方向へ駆け、その先に潜んでいた人型の魔物の「喉笛」に食らいつく。何にも形容しがたい耳障りな高音とともに、人型の三体は粒子化し消滅した。

 

「お~~ヨシヨシ」

 

 獲物を仕留めた三匹は何故か皆レミオルの元に群れ、岩の尻尾を振っている。

 悪行こそ働くものの、根は素直で澄んだ心を持っている。彼らもそれを見抜いているのだろう、とデューダーが推測していると、辛辣な指示が飛んでくる。

 

「皇子。和んでいる暇があったらお得意の水魔法で援護でもしてください」

「……アバース、お前よくそれで副団長になれたな?」

 

 あまりにも自由人すぎる生き様に、怒りも呆れも通り越して純粋な疑問が湧くのは無理からぬことかもしれない。

 

 魔法士団という組織は、独立してはいるが王宮と全く無関係というわけでもない。たとえ上辺だけでも王族への敬意は最低限払うべきというのが暗黙の了解、共通認識である。

 ところがアバースはまるでそれをしない。忌避されているレミオルだけならいざ知らず、誰に対しても同じような塩対応だ。ある意味平等なのだろうが、「あれでは出世街道からは外れたな」と誰もが噂していた。

 

 大方の予想に反して現在の地位を手にした青年は、その細目に似合う四角縁の眼鏡をついと押し上げ。

 

「その見てくれでよくぞ団長に上り詰めたものだと返しておきましょう」

「魔法士は見た目じゃねーんだよ。パッションなんだよ」

 

 一見噛み合わない団長と副団長ではあるが、唯一共通するのはその素質。

 無駄口を叩いている間にも次々と襲いかかってくる魔族。それらに対し、互いの行動の妨げにならないよう絶妙なタイミングで魔法を放ち、消滅させていく。それを可能にするのは、帝国内でも限られた者しか修得できない高度な技術。蚊帳の外のレミオルは安全圏から眺めているしかない。

  

「やっぱすげーなぁ~~『変形』は……」

「皇子、邪魔です。阿呆面を引っ込めて物陰にでも隠れていてください」

「だからお前は粗相が多すぎるんだっつーの!」

 

 攻撃魔法は大きく二つに分けられる。自由意思を持つものと、持たないもの。【火蜥蜴サラマンダー】や【白煌妃フリージア】などは前者、【光刃シャイン・クロウ】は後者にあたる。アバースが使用した【断崖の三頭狼】も本来の名前は【断崖狼テ・ラ・ルプス】であり、後者に分類される。

 

 自由意思を持たない魔法は直線的な攻撃が主であり、変則的な攻撃は得意ではない。また、自由意思を持つ魔法は基本的に独断で行動するため、融通が利かないことも少なくはない。これらの問題点を一挙に解決し、意のままに操る高等技術が『変形』である。

『変形』は魔法の特性を熟知し、極限まで極めた者のみ修得を許される。そして、それを駆使できる者はサモナージ帝国でも一握り。

 

 サモナージ帝国魔法士団団長デューダー・アハヤ。

 同副団長アバース・ウェルィントン。

 

 風のように現れた二人によって、レクターン王国の旗色は急激に変わり始めた。


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