第十四話 おてんばプリンセス(1)
「レクターン王国?」
カイズが怪訝そうな表情で問い返す。
ヤレンから受けた伝言を、碧は翌朝いの一番に仲間に報告した。
自身がヤレンの生まれ変わりであること、だからこそ魔族に狙われるのだということ、彼女の意識は今『森の中』にあるのだということ――。
その内容には皆少なからず驚いているようだったが、これまでのこともあり八割方信用してもらえたようだ。
そして、“レクターン王国の王女に会いに行け”とも言っていたことを告げると、冒頭のような反応が返ってきたのである。
「別に構わねーけど……」
言葉とは裏腹な眉間の縦筋が、その否定的な心境を物語っている。ここまで乗り気でないと、何かしら不都合があるように見える。
「いいじゃないの、アオイが行きたいって言ってるんだから」
カイズの不都合を知ってか知らずか、碧を擁護するラニア。挙げ句「あたしも行きたいし」と付け加えている。異論を唱えているのはカイズ一人、劣勢なのは火を見るより明らかだ。
ここで波風を立てるわけにはいかない。碧はしばし考えた末、折衷案を引っ張り出す。
「なんなら、あたし一人で行こうか?」
「ダメよそんなの! 狙われてるっていうのに!」
真っ先に反論の声を上げたラニアが、流れるようにカイズを睨めつける。さすがにばつが悪いと思ったのか、慌てた様子で両手を振るカイズ。
「わ、わりぃわりぃ! ホントに構わねーから! みんなで行こうぜ、レクターン王国へ!」
と言いつつも笑顔が引きつっているカイズを、碧は申し訳なさそうな眼差しで見ていたのだった。
「それにしても……」
その会話から五日かけて訪れた、レクターン王国王都・セレンティア。ちょっとした坂の都として有名であり、人口およそ二五十万人の大規模な都市だ。
王都南側の入り口は坂の最高点となっており、そこから見下ろせば、遠くで魚を買う主婦や、肉屋で必死に値切っている子供、挙げ句の果てには道の真ん中で酔っぱらいが寝ているという風景が臨める、なんとも愉快な都である。
「すごい……」
王国民の自由奔放そうな生活と、そこかしこに見える広大な坂に対し、揃って感嘆の声を漏らすラニアと碧。
「あれ? ラニア来たことないの?」
「ええ。話には聞いてたけど、こんなにスゴイ都市だったなんて」
未知なる街に足を踏み入れ、感動を共有する女性陣の後ろ。
相も変わらず何を考えているのか分からないイチカ、きょろきょろと辺りを見回すジラー。そして明後日の方向を向き、しかめっ面をしているカイズ。ラニアらには見せないよう彼なりに気を遣ってはいるようだが、「来たくなかった」と書いてありそうな顔である。
「兵士が多いな」
「そういえば」
そんなカイズの渋面は、イチカの何気ない呟きによって崩れた。全員が街中に視線を巡らす。
深緑の隊服を来た青年たちが国民に紛れて右往左往している様子が見て取れる。胸には『レクターン王国騎士』と記されているワッペン。被っている帽子は顔の二倍ほど縦に長く、帽子の下部、短いつばとの境目付近に「レクターン」の頭文字である『R』を象った金色の刺繍が施されている。
その中の一人――年の頃は二十歳前後の青年が、こちらに駆け寄ってきた。帽子の隙間からのぞく短い黄髪は活発な印象を受けるが、茶色がかった橙色の瞳に人懐こさはない。その上、真面目を絵に描いたような青年の口元は真一文字に結ばれている。
「げ」
カイズが小さく拒絶を示すも、青年はお構いなしのようだ。
「カイズ・グリーグ、ジラー・バイオスだな?」
「……ああ」
訊ねられ、カイズが苦虫を噛み潰したような顔で答えたのに対して、ジラーはきょとんとしている。青年はそんなカイズの表情も気に留めた様子はなく、やはり理性的に淡々と訊ねてくる。
「王女様を見かけなかったか? 第一王女だ」
「え~と……」
「知らねえよ」
ジラーの返答も待たず即答するカイズ。その声色には嫌悪感が如実に表れている。
「……そうか」
その嫌悪感を読み取ったのか、それとも「本当に知らないらしい」と踏んだのか。暫し二人を見比べたあと、少しだけ落胆したように目を伏せてそれだけ呟く青年。それ以上何かを訊ねることもなく、踵を返し走り去っていった。
青年を見届けた直後に流れる、微妙な空気。
追及を拒むように、あるいは気まずさを叩き切るように声を上げたのはカイズだ。
「ジラー、カフェでも行くか?」
「んー、その方が良さそうだなぁ」
「わりぃ兄貴、すぐ戻ってくるから」
謝罪もそこそこに、カイズは訳知り顔のジラーを連れて行ってしまった。
「どうしたんだろ? あの二人」
「さあ……?」
坂を駆け下りていくカイズたちを見ながら碧が呟くが、イチカもラニアも心当たりはないようだ。
先ほどの兵士との会話から察するに、お互い顔見知りであり、王女とも面識があるのだろう。しかし、少なくともカイズの方は良い印象を抱いていないらしかった。
五日前といい今日といい、どこか様子がおかしかったカイズ。この国絡みであることは間違いなさそうだが、その心中を推し測ることは容易ではない。
「そういえばあの子たち、自分の話とか家族の話とか、全然しないのよね」
「そうなの?」
「ええ、五年前だったかしら。ウイナーの郊外で倒れてたのを、たまたまあたしが見つけてね」
ラニアは当時のことを思い出し、碧に話し始める。
――その日は雨が降っていた。
叔母の住むユピテールという町へお使いに出かけた帰りのことだ。ユピテールはレクターン王国領ではあるものの、国境にほど近い田舎町。ウイナーの北東、王国へ伸びる郊外の道がそのままユピテールに通じていることもあり、大抵はこの道を使う。
郊外を抜ければ自宅はもう目と鼻の先だ。
見慣れた建物を見て安堵感を覚えるよりも先に、見慣れない何かに気付き立ち止まった。
道の真ん中、少年が二人並んでうつ伏せになっている。
慌てて駆け寄った。雨は随分前から降り続いていた。もしかしたら、もう手遅れかもしれない――。
呼吸を確かめると、二人とも息はあった。
ほっとしたものの、そのまま放ってはおけない。すぐに母を呼びに行った。
先に目を覚ましたのはカイズだ。救出してからおよそ二時間後のことだった。見知らぬ部屋で、見知らぬ人間と目が合ったからか、飛び起きて後ずさりしていた。
「あ、起きたみたい! お母さんお粥、お粥!!」
「はい、はい」
未だ状況が飲み込めていないのだろう。怪訝そうな顔をしながら仕切りに瞬きをする彼に訊ねてみる。
「あなたたち、そこの道で倒れてたのよ。覚えてない?」
「……覚えてない」
警戒心の表れか、素っ気ない返事が返ってきた。
「そっか。そっちの子は覚えてるかな?」
「ジラー、起きろ」
もう一人の少年――ジラーが覚醒したのを見計らって同様に訊ねたが、やはり彼も覚えていないらしかった。と言うより、何も答えなかった。ただカイズと同じく身を硬くして、こちらをじっと見据えていた。
不信感からか、母が間もなく運んできたお粥にも手を付ける様子はない。ただ空腹ではあるのか、ほんのりと漂う塩気混じりの芳香に惹かれるようにそちらを凝視している。
「食べたいの? 遠慮しないで食べたらいいじゃない」
「……」
毒なんて入ってないわよ、と補足するも、揃いも揃って返事どころかこちらを向く気配すらない。
せっかくのお粥が冷めちゃうじゃない、と多少苛つき始めたとき、二人が動いた。といっても、スプーンを手に取ったわけではない。血走った目を互いの目とお粥に行き来させている様は、まるで声を発さず会話しているようだ。
そんなやり取りが数十秒続いただろうか。二人の手がおもむろにスプーンに伸びた。そのままスプーンを透明なスープの中に差し入れ、申し訳程度の米と出汁を掬う。やや躊躇うように口元へ運ぶ手を一瞬止めたものの、次には覚悟を決めたように食らいつく。
『ぷはあ~……』
それからは早かった。よほど空腹だったのか、決して少なくはない量のお粥をものの五分で平らげ、揃って盛大に息を吐く。
「助けてくれてありがとう! オレ、カイズ・グリーグっていうんだ!」
「オレはジラー・バイオス!」
お粥を食べるまでの無愛想さはどこへ行ったのか。カイズとジラーは無邪気に微笑みながら自己紹介をした。
あまりの変わりように何かが引っ掛からないではなかったが、助かるかどうかの瀬戸際にいた二人が、こうして元気になったのはとても喜ばしい。つられて笑顔が零れる。
「よろしくね」
『よろしく!! 姉さん!!』
「はあ?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
一体どこからそんな呼び名が出てくるのか。驚きとも呆れともつかない気持ちで二人を見ると、カイズもジラーも血色の戻った顔と瞳を目一杯輝かせていて。
「姉さんはオレたちの命の恩人だ!」
「姉さんが通りかからなかったら、オレたちは死んでた! よって尊敬します! 姉さんと呼ばせてください!!」
大真面目にそんなことを言うものだから、とりあえず悪い気はしない。
ほんの少しこそばゆさを感じながら、了承したのだった。




