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第百二十九話 瞼の裏、浮かぶひと(2)

 レクターン王国はサモナージ帝国の助力を得て、ひとまず危機を回避することに成功。幸先の良い開戦となった。

 一方。世界全体としては、サモナージ帝国民や各国の魔法士団が中心となって応戦するも、数百年を安穏と過ごしてきた人々と、ただそのためだけに創られた殺戮兵器とでは戦闘技術に雲泥の差がある。『シルマシ』の軍勢は型にはまった単調な攻撃を掻い潜り、半透明の身体から鋭利な触手を複数本伸ばし、瞬時に数十人を葬る。変則的な攻撃を前に為す術なく、犠牲者数は確実に増えつつあった。


 所変わって、日本。

 あれからも何体か時空を越えてきている魔物だが、進出割合は数百体に一体程度。そのほとんどは一般人に危害が及ぶ前に紫憂しういが片付けている。あおいの周囲もここ最近は平和なものだ。


 うだるような暑さはもう過去のことで、半袖では肌寒い時分。

 結局再度長袖を購入してもらい、他の皆よりも新しい制服を着ているというささやかな優越感に浸りながら、碧は退屈していた。

 母がいて、友人がいて、大好きな漫画を読みあさって。何不自由ない生活を送っているはずなのに、心に隙間風が吹いている。この年代ならば多かれ少なかれ誰でも一度は経験することではあろうが、碧の感じている空虚感はそれとはまた違っていた。

 初めから無いものを欲しているわけではないのだ。言うなれば、折角手にした何かを失ってしまったような――


「碧はどーすんの?」


「え?」


 内にこもっていた意識が急浮上して、現実に引き戻される。

 反射的に反応を返したはいいが、何を意図しての“どうするか”なのかが分からない。


「“どーすんの”って……何が?」


 考えたとおりに返事をすると、「呆れた」と言わんばかりに問うた本人――明海あけみが眉をひそめる。


「何がって、あんたねぇ……さっき配られたヤツ見なかったの?」


 さっきとは、いつのことだろうか。

 しょっちゅう何かが配られている気がして思い出せない。何よりそのどれにも興味が持てない。下校時間が迫っていることはおそらく関係ないと思うのだが。

 曖昧な表情をする碧に業を煮やしたのか、明海はああもう、と自身の机上の何かを乱暴に手にして。


「進路だよ進路!」


 ああ、と思わず声が漏れる。本当についさっき、十分ほど前に目にしたそれ。ごく一般的な制服を身につけた男子生徒と女子生徒がこちらを振り返って微笑んでいる、爽やかなイラストが表紙に描かれた冊子。その上部には、やや丸みを帯びた字体で『進路のしおり』とある。前の席から回ってきたのを手にとって、残りを機械的に後ろへ渡した記憶はあるけれど、手元のそれは無造作に机に置いてそのままになっていた。

 反応が今ひとつの碧のことはもう良いのか、明海はもう次の行動を取っていた。身を乗り出し、前席の左保さほにちょっかいを出している。


「左保はどーせ春ヶ丘(はるがおか)だよねー頭イイし」


「どーせって……まあ……行けたらいいな、とは思ってるけど……」


 明海の言う「春ヶ丘」とは『春ヶ丘第一高等学校』の略称であり、指折りの進学校である。ある種の僻みのような言い方に、左保は首だけ振り向いて苦笑いを返している。


「ダイジョブダイジョブ、左保なら行けるよ! そんでイイ大学行って、弁護士のお父さんの跡継ぐんでしょー?」


「うーん……」


 小首を傾げ、考えること暫し。左保は椅子ごと明海に向き直った。


「高校も大学も、行けるように勉強する。でも……もしなれるなら、私はお医者さんになりたい。病気や怪我で困ってる人を、助けられるようになりたいの」


 照れ臭そうに微苦笑を浮かべながら、その瞳は決して揺らぐことがなくて。

 明海はもちろんのこと、何を考えるでもなくぼーっとしていた碧も、彼女の真摯な想いを前に、すっかり聞き入ってしまっていた。明海は感極まったのか、頬を紅潮させ前のめり気味に左保へ宣言する。


「……あたしっ、応援するかんね!」


「ありがとう。そういう明海ちゃんは?」


「へ?」


「将来のこと」


 言葉に詰まる明海。全く考えなしというわけではないのだが、左保のそれに比べれば随分抽象的な展望でしかなかったのだ。妙な冷や汗が頬を伝う。


「あたしは~~……そーだなァー……あんま頭良くないし……陸上できるトコ行ければいい……かなぁ……」


 気恥ずかしさからか。視線を斜め上に逸らしながら、尻すぼみになっていく語尾。そんな明海へ、左保が悪気なく一言。


「春ヶ丘も陸上強いよ」


「鬼だな! だからそんなスゴいとこ行きたくても行けないし、あたしでも行けるとこあればなーって思ってるんだけど……」


 一瞬はつり上がったものの、すぐさま自信なさげに下がる眉。捨てられた子犬のような眼差しで見つめてくる明海を安心させるように、左保は微笑む。


「明海ちゃんはいろんな大会で優勝してるし、学級委員もやってるし、先生に推薦書いてもらえると思うよ。推薦は推薦で、勉強大変だろうけど……」


「そっか……推薦……かぁ。勉強キライだけど、頑張ろっかな……蒼日そうじつとか優星ゆうせいあたりを……」


 蒼日学園高等学校、優星高等学校とも体育系の部活動が活発であり、明海が得意としている陸上を始め、種々のスポーツにおいて上位に名を連ねるほどの入賞常連校でもある。


「その意気その意気」


 左保の助言を受け、漠然とした不安に苛まれていた明海の表情にやる気がみなぎっている。そんな彼女らを見て焦燥感が募る碧。その視線に気付いたのか、碧を振り返る左保。


「碧ちゃんは?」


「ふぇっ?!」


「どこに行きたいとか、何になりたいとか考えてる?」


 当然のように問いかけてくる左保に、思わず声が裏返る。そんな碧を気にすることなく、物腰柔らかく仔細に訊ねる左保。一旦は興味を失った明海も、興味深そうにこちらを眺めている。

 

「え……っと……」


 答えられなかった。

 夕暮れの町を一人とぼとぼと歩く。


(左保も明海もすごいなぁ……彼氏がいるだけじゃなくて、将来のことまでちゃんと考えてる……)


「フツーは皆そこまで考えてないと思うよ!」


「たしかに左保はちょっとフライング気味だよね」


 友人たちの擁護の声が蘇るが、一旦走り出した思考はそう簡単には止まらない。


(……あたし……あたしは、何になりたいんだろ……)


 父はサラリーマンで単身赴任中。母は主婦。ごく平凡な家庭だから、跡を継ぐ継がないというような問題とは縁がない。夢中でやっていたはずの空手も数年前に辞めてしまった。受験の武器にするには物足りないだろう。

 ならば小さい頃の夢をもう一度追ってみるかと考えて、「怪獣」だったらしいことを母から聞いたのを思い出す。さすがに再燃はしない。


「あ」


 肩を落とし、途方に暮れる帰り道。通学路際にある公園に何気なく目をやって、自然と声が出る。ベンチに見知った人物が座っていた。下顎あたりまでの、不思議な色の髪。


「紫憂!」


 振り返った少年は、少しだけ驚いているようだった。


「……将来?」


「うん。全然思い浮かばなくて」


 都合も聞かず、勢いよく隣に座りこれまでの経緯を説明した。こちらを見ることはないが、時折相槌を打ってくれる。それだけで受け入れてくれている気がして、それがまた碧の悩み相談を加速させる。


「自分が将来何になりたいのかとか、高校も……どこに行こうかなんて、考えたこともなかった。ヤバイよね」


 苦笑しながら隣の少年を見るが、やはり目が合わない。これまでになく無表情に近い顔で、地面を見つめている。

 何か考え事をしていたのかもしれない。少しの罪悪感を抱えつつ、控えめに訊ねる。


「紫憂はどうするの? 海外帰っちゃう……んだよね?」


「……まあ……目的が達成できたら」


「“目的”? お父さんの転勤とかで来てるんじゃないの?」


「そう、目的……だった」


 後半の問いは聞き流されてしまったが、どうやら家庭の事情で転校してきたわけではないらしいと直感する。

 

「“だった”?」

 

「最近、分からなくなった」

 

 若葉色の瞳が細められる。名の通り、憂いを秘めて。

 

「おれはそれを成し遂げることは当然で、それ以外に選択肢なんてないと思ってた。けど……実は選択肢は他にもあって、そっちの方が正しいんじゃないかって思い始めた」

 

「……そっか。難しいよね」

 

(よく分かんないけど)

 

 碧の心は正直だった。悩みを打ち明けてくれたのが嬉しい反面、内容が抽象的すぎて無難な答えしか返せない。

 

「考え出したらキリがないよね」

 

 返事はない。欲しい言葉ではなかったのかもしれない。それ以上紫憂から何か発せられるわけでもなく、碧に正解が分かるはずもなく。

 沈黙が続く。


「……あ、そう言えばさ! 紫憂、あたしのこと知ってるんだよね?!」

 

 静寂が続く中、居心地の悪さに耐えきれなくなった碧は苦肉の策を取る。

 即ち、話題の変換。正確には、本題に戻したのだ。

 

「あたしのやりたいこととかも知ってたりする?!」

 

 紫憂は唐突な質問に面食らっていたようだが、やがてその口元が緩んで。

 

「さあ、どうだったかな」

 

 息を吐き出すようにそう言い、ベンチから立ち上がる。碧ははぐらかされたことが気に入らない。

 

「教えてよー!」

 

「思い出したらいいじゃん」

 

 彼らしい意地の悪い提案に臍を曲げかけるも、それもそうかと考え直し、思い出そうと試みる。頭の中はごちゃごちゃしていて、いっそ清々しいほど何の記憶も蘇らない。頭に両手を当てて唸っていると、小さく吹き出す気配がして。

 

「――なんてな。思い出さなくていーよ」

 

「え?」

 

「あんたは何も思い出さなくていい」

 

 そう言ってこちらを見つめる紫憂の表情は、これまでにないほど悲哀に満ちていた。眉を下げて、でも口角は上がっていて、考えなくても無理矢理微笑んでいることが分かるくらい。

 

「そのまま何も気にせず、ずっとここで生きてけばいい」

 

(紫憂――?)

 

 言葉以上の重みを感じた。彼の決意を感じた。何に対する決意なのかは読み取れなかったが、なんとなく、このままでは彼が「いなくなる」気がした。

 そして碧の予想通り、踵を返してどこかへ歩いていく薄紫の少年。

 

「ちょっと……ねぇ……どこ行くの……?」

 

「帰る」

 

 ただ単に、帰宅するという意味ではない。

 それが分かってしまったから、急激に不安に苛まれ、気付けば叫び出していた。

 

「帰るって……! あたし、どうしたらいいの?! またあのヘンな化け物出たら、あたしなんにもできないよ! どうしたら……!!」

 

 その先は継げなかった。

 向けられた若葉色が、あまりに冷ややかだったから。

 

「どうしたらいいか? そんなの自分で考えろよ」

 

 瞳と同じくらい冷たい声で吐き捨てられる。

 

「あんたは元々あんなヤツら一人でどうにでもできる力を持ってた。それが今は、『ここにいること』と『副作用』が原因で使えなくなってる」

 

「副……作用……?!」

 

 ――テレビでしか耳にしたことのない恐ろしいことが、自分の身にも起こっている?

 それどころか、力を持っていた? いつ? 記憶にない。思い当たる節がない。


 混乱する碧を置き去りに、紫憂は言い募る。

 

「オレはずっとはここにいられない。そのうち、否が応でも帰らなきゃならなくなる。あんたの世話ばっかしてられないんだよ」

 

 背を向けたその姿が、距離以上に遠く感じる。首筋に刃物を宛がわれたような空気に四肢が震えた。身体が凍り付いたかのように固く、動かない。初めての経験であるはずなのに、碧は何故だかそんな気がしなかった。

 

 この震えを知っている。

 この恐怖を知っている。

 

 浮かび上がる顔、頭痛。

 

「痛ッ……!!!」

 

 立っていられないほどの激痛に、堪らずうずくまる。

 呻き声に気付いて見返った紫憂の目に映ったのは、碧の側に佇む半透明の怪物。

 

「くそッ!」

 

 これまで以上に碧と魔物との距離が近い。感情を高ぶらせ冷静さを欠いたばかりに、瘴気しょうきの察知も遅れてしまったらしかった。どうして気付かなかったのかと自身を責め立てたい気持ちを抑え、紫憂は全速力で駆ける。

 

(紫憂……じゃない……あの眼……すごく、悲しそうな……)

 

 碧は激痛に喘ぎながら、日に日に鮮明になっていくその顔を冷静に分析している自分がいることに気づいた。初めは大まかな輪郭程度だったのに、今日は目元まで詳細に見えた。決まってモノクロなため、色はないが、形は分かる。切れ長の瞳だった。

 

『……勝手にしろ』

 

「誰……? 誰なの……!?」

 

 静かな声調が脳内に響くも、碧の問いに答える者はない。

 代わりに、耳元を風が吹き抜けた。次いで、形容しがたい叫び声と、荒い息づかい。

 風がさらっていったのか。頭痛も声も一瞬にして収まった。顔を上げれば、紫憂が剣を構えたまま肩で息をしている。またあの化け物が現れたのだろう。頭痛と、脳内を埋め尽くす顔と声で、全くそれどころではなかった。

 

 紫憂がいてくれて良かった。

 そうでなければ、何も分からないまま――。

 

「何やってんだグズ! そんな体勢じゃ避けられるものも避けられな……」

 

 元はといえば自分の不注意なのだが、不器用な彼はそんな言い方しかできなかった。けれど、苛立ちを露わにした顔もやがて困惑に塗り替えられる。

 こちらを見上げる碧の両眼に、涙が溢れていた。認識するやいなや雫がこぼれ落ちて、制服に、地面に染み込んでいく。

 

「あれ……なんで……」

 

 どうやら自分でも気付いていなかったらしい。勝手に湧き出るそれが滑稽なのか、碧は笑いながら目元を拭うが、止まることを知らず流れ落ちる。

 

「ねぇ、紫憂……ヘンなの……おかしいよね……なんか……止まらなくて……」

 

「殺された日」の記憶が潜在意識で呼び起こされたのだ、と紫憂は悟った。

 人の脳は、あまりにも衝撃的な出来事が降りかかった際、強制的に前後の記憶を遮断してしまうことがあるらしい。碧の今の状態もそれに近い。

 しかし、封印は徐々に解かれ始めている。最初に怪と遭遇したときから少しずつ、彼女自身も気付かぬうちに。

 それだけに、紫憂は碧の奥に眠る真意を図りかねる。


 もう一度『イチカ』に会いたいと焦がれる涙なのか。

 二度と帰りたくないと願う、拒絶の涙なのか。

 

【分かってるでしょ? 碧が戻らなかったら、】

 

「それは分かってる」

 

【それだけじゃない。結局、碧は危険に晒される】

 

「それも分かってる。けど、たぶんそっちに戻るよりマシだ」

 

【本当にそう思う?】

 

 妹の問いに、静かに首を振る。

 そう思わない、という意思表示ではない。分からない。お手上げなのだ。

 

橙綺とうき。もうオレにはどうすることもできねーわ」

 

 紫憂は空を見上げながら明るく言い放った。吹っ切れたのではない。そうでもしなければ、泣いてしまいそうだったから。

 

「お前はどう思う?」

 

【……どうも何もない】

 

 問い詰めるような声色はなりを潜める。橙綺には、兄の胸中が痛いほど伝わっていた。胸元のペンダントをいじりながら、遠い昔を思い返すように目を伏せる。

 

「あたしは紫憂の分身だから、想いは同じだよ」


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