第百二十七話 信念(2)
「『決戦の時は来た。我らの城へ参られよ。何時でも、何人でも我らは拒まない。少なくとも三人寄越すのであれば』」
同時刻、兎族の里でもその姿が確認された。
しかし、あくまでも伝言役でしかないのだろう。瘴気も感じられない、不鮮明な少女はそれだけ告げると、粒子化され跡形もなくなった。
【幻影】と遠隔型魔法の『変形』を組み合わせたのだろう、とミリタムは推測する。
魔法大国サモナージ帝国ですら、それを極めた者は一握りしかいないという魔法の変形。ミリタムもまた、一握りの外側だ。
「お呼びみたいだ。行かないと」
「ッしゃあ! 今日という今日こそは決着を、」
「何言ってるの? 貴方はここに残らないと駄目だよ」
手のひらを勢いよく叩いて気合いを入れ、いざ行かんと歩を進めた矢先にそんなことを言われ、白兎は思わずつんのめりそうになる。
「はァ?! お前一人で行く気かよ!」
「そうだよ。“少なくとも三人”っていうのはイチカとアオイと、たぶん僕のことだ。それ以外は来ても来なくてもいいって言いたいんでしょう。なら貴方まで一緒に来る必要はないよ」
白兎にとっては腹が立つほど正論だった。
魔王と二刀流の剣士、それに怪力オカマ。それぞれ浅からぬ因縁がある。自分の出る幕でないことは明白だ。
もしや最初からこうなる可能性を考えて、兎族の里へ行くと言ったのだろうか。故郷のウェーヌに戻るよりは、ここから魔族の城へ向かった方が遥かに早く着くのだから。
だが、それで納得できる白兎ではない。
溢れる怒りを全て右腕に注ぎ、目の前の少年に突き付ける。
「身の程をわきまえろよてめェ! たった一人で何ができるッてンだ! むざむざ殺されに行くッてのか?! あれだけ強いヤツが相手なら、一人でも多く行った方が良いに決まって、」
「……身の程をわきまえるのは貴方の方だ」
想像だにしなかった冷たい声色と瞳に息を呑む。
白兎は押し黙るしかなかった。そこから先の言葉を、紡ぐことができない。
「僕たち人間を下等生物扱いしていた、誇り高い兎族の族長はどこに行ったの?」
「!」
どこにも行っていないと、反論したかった。唇を開きかけて、噤んだ。
今も自分は兎族の、仲間たちのために、その誇りを捨てていないと――言い切れる自信がなかったからだ。
「白兎」
拳を握りしめて俯く彼女には、ミリタムの顔は見えていない。しかし、その声調が幾分か柔らかくなったと思ったのは、おそらく彼女の気のせいではない。
「貴方は僕たちの仲間である前にこの里の長なんだ。ここで兎族の長として戦って、里と仲間を護る義務がある。忘れたわけじゃないでしょう?」
「……あァ」
――いつの間にか、一緒にいることが当たり前になっていた。
兎族の誇りを守るために仕方なくついていったはずが、人間の女に屈服させられるわ、妙な魔族に好かれるわで、災難続き。
揃いも揃ってワケの分からない連中で、人間なんて、心底嫌いだったはずなのに。
(全部、コイツから始まったんだ……)
始まりは、屈託のない笑顔だった。
こちらを滅ぼしかねない魔法を放っておきながら、悪気無く色んなことを言ってくれたものだと、白兎はあの時から少しだけ成長した顔を眺めながら思う。
「白兎?」
「……なンでもねェよ。とっとと行きやがれ」
ふい、と顔ごとそらして。
「その代わり……絶ッッてェに生きて帰って来いよ。じゃねェとぶッ殺す!!」
暫く呆けていたミリタムだが、言葉の矛盾と、微かに染まる頬に気付き、小さく微笑んだのだった。
立体映像のように粗のある少女は、用件だけ告げて姿を消した。
イチカもまたミリタムと同様、魔族側の提示した「三人」の意味に気付いていた。
「……あいつは、地球にいるんだろう。戻ってくる保証はあるのか」
「それは……碧次第。……!」
返事を聞くやいなや、ベッドから立ち上がろうと試みるイチカ。
しかし、臥せている期間が長すぎたせいで筋力が衰えたのか、床に崩れ落ちる。
「イチカ。駄目」
橙綺が初めて、慌てたような様子で駆け寄る。それほどに、今のイチカは弱々しげだ。
「そんな身体で行っても結果は、」
「……さっき、お前が……言っただろう」
「……?」
「……ここは、おれに居場所をくれた世界……この世界の……人間が殺されていくのは……耐えられない」
荒い息とともに、想いを吐き出す。
「だから……おれ、だけでも……」
「イチカ!」
両腕と両脚に力を入れ、再び二本足で立とうと藻掻くもやはり叶わず、橙綺に抱き留められる。
「お願いだからもうやめて、イチカ」
思い通りに動かない身体に辟易しながらも、イチカは己を支えている少女が不思議でならなかった。ただの他人のために、涙混じりの声で必死に引き留めようとしている。
掴み所のない性格だと思っていたが、今はそうは思わない。おそらくこれが優しさというものなのだろう。そして、本来の彼女の姿なのだと。
「……もう少し、もう少しだけでいいから……ムリしないで……碧を、信じてあげて……」
たったこれだけのことでここまで疲れるとは思わなかった。すぐ側の温もりも手伝って、眠気が襲う。恐れも悲しみも憎しみも苦しみも、全てを忘れられるような心地よさに眼を瞑る。
少し前にもこんな経験をした気がする。
(……あの、修行の時か)
意識を失う直前、焦茶色の髪の少女が脳裏を掠めた。
――リハビリがこんなに辛いものだったとは。
松葉杖を置き、切り株に腰掛ける。自然と零れる溜息。
様々な想定外に直面し、ラニアは舌を巻いていた。心が折れてしまいそうだ。
歩くことがこんなにも難しいなんて。修行すら満足にできないなんて。
(……挫けるもんですか)
こんな所で暢気に過ごしているわけにはいかない。まだ脅威は残っているのだ。
仲間の敵は自分の敵。
そう、本当に敵となってしまった「あいつ」と、いつかまた相見えた時のために。
「レイト・グレイシルを、討ちたい?」
心の内を覗き込まれたのかと思うほど的確な問いに、思わず顔を上げる。
血色の瞳がこちらを見つめていた。
「あんたは……!!」
「取引しましょう、ラニア・クラウニー」
飯事にでも誘うかのような口調で、魔族の少女は無表情に持ち掛けた。




