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第百二十五話 崩壊への序曲(2)

 暗澹たる雲が上空を覆い尽くすようになって、何日が過ぎただろうか。

 丹精込めて育てた作物はほとんどが枯れ果て、売り物にならなくなってしまった。

 小さな村なりに特産品の生産に勤しみ、近頃ようやく大都市圏に出荷できるようになった矢先の不運。


 しかし、嘆いている暇はない。日が差さぬなら、日の光を必要としない作物を育てれば良いのだ。

 幸い、一日のうち僅かに日が差す時間はある。利用しないわけにはいかない。


「ん?」


 その僅かな晴れ間、育ち具合を確かめていると、不定期に地面に影が走る。

 訝しんで空を見上げると、細長い物体が縦横無尽に飛び回り、陽光を遮っている。


「なんじゃありゃあ? 鳥? ……じゃねぇよなァ……?」


 逆光で姿はよく見えなかったが、あんな飛び方をする鳥などまずいない。

 しかし、それほど生物に詳しいわけでもない。新種の動物か何かだろう、と結論づけて作業に戻ろうとしたとき、それが『羽』を広げた。


「おっ。なぁんだやっぱり鳥――」


 違う。鳥ではない。


 気付いた頃にはもう、逃げ場はなかった。


「ぎゃあああああ!!!」


 悲鳴を聞きつけた村人たちが見たのは、生物が『顔』からはみ出さんばかりの大口を開けて、彼を飲み込む姿だった。

 否、飲み込むだけならばまだ可愛らしかったかもしれない。

 耳障りな咀嚼音と、『口』から滴り落ちる血が、嫌でも彼がどうなってしまったかを悟らせる。


「ハ……ハッサンが喰われた……」


「バケモノだ……!!」


「バケモノがどうした!」


 信じがたい光景に、農具を構えながら二の足を踏んでいると、勇ましい声が走り抜けた。


「ハッサンの仇だ!!」


 鍬を掲げ、勢いよく振り下ろす。

 生物は咀嚼に夢中で、こちらに気付いていなかったようだ。その身体はあっけなく砕け散った。


「やった……!!」


「すごいじゃないか、アイン!」


「なぁに、当然のことをしたまでよ」


 まさしく勇者然とした行動に、皆が彼に称讃の眼差しを向ける。

 だがそれも一瞬で、次には全員が一点に視線を戻した。あまりにも凄惨な光景を忘れまいとするかのように。


「それにしても……見たことのないバケモノだったな……」


「まさか……四百年前の復讐じゃあ……」


「何をバカなことを! あれは作り話だろうが!」


「そ、そうだよな!」


「けど、今のヤツは……」


「他所の大陸から渡ってきたんだろうさ。ただ注意はせんとなぁ。全く魔族なんかより、人を食う動物の方が厄介ときたもんだ」


 皮肉混じりに吐き捨てる。


 どれだけ消化が早いのか、生物の中からは骨の一つも見つからなかった。

 せめて骨を拾えれば丁重に弔うこともできたのにと、昔からの顔なじみであり仲間を失い、彼らの間に悲壮感が漂う。


 しかし、それ以上の被害は防ぐことができた。


 彼の努力を無駄にしないよう、今後は一層作物の栽培に精を出そう。

 口には出さずとも、皆想いは同じだった。悲しみに暮れている時間があるなら、その時間を農業に充てよう。

 それがきっと、彼への一番の弔いになるから。


「あ……アイン……!!」


 誰かが、慌てたように声を上げた。


「? どうした」


 不思議そうに振り返る今日の勇者。


 その頭部や、膝下――彼が攻撃した際に浴びた生物の残骸が、そこかしこで『牙』を剥いていた。

 そして、地面に飛び散っていた飛沫はあろうことか各々結合、元の大きさに戻るべく、彼の身体に付着した欠片へ、彼もろとも集おうとしていて。


「うあああああ!!!」


 結末は同じだろう。一部始終を見る前にその場にいた全員が逃げ出していたから、本当のところは誰にも分からない。

 ただ、あの生物がその辺の動物などではないことだけは皆理解していた。


「なっ、なんなんだよ、アイツら!?」


「オレが知るかよ!! とにかく今は逃げるしかねえ!!」


「そ、そうだな! 早くみんなに知らせ――」


 その行く先を阻むように、頭上が黒い影に覆われた。





「……たった今、情報が入りました」


 息を荒げて飛び込んだ室内。

 真正面の隊長席に座る男は驚きもせず、こちらにその能面顔を向ける。自分が問いたいことが何か分かっているかのように。


「トーレスの村に謎の怪物が複数出現。生存者は……ゼロとのことです」


 思った通りの答えだった。分かっていたことだ。先ほど神殿で神託を受けたのだから。


 それでも彼女は――ネオンは、できることなら違う答えが聞きたかった。崩れ落ちそうになるのを堪え、そう、と絞り出すように呟く。


「ネオン様。どうかご自分を責められませんよう。神託は絶対ですが、特定はできない。加えてトーレスはこの大陸の最北端です。一日で移動できる距離でもありません」


「……分かってる」


 王女の拳が力強く握りしめられているのを見て、オルセトが冷静に告げる。


 およそ一月前――破邪の木に亀裂が入ったときは、『魔族が攻め入って、多くの人間が死ぬ』という趣旨のことしか分からなかった。そして今朝、新たに方角や特徴が加わった神託が下り、それらの情報から割り出した結果、「トーレスの村が被害に遭う」ということがようやく発覚したのだった。


 トーレスはどの国にも属していないが、地理的にはレクターン王国に近い。そのため、有事の際はレクターン王国魔法士団、及び近隣の騎士隊分団が救援に向かう取り決めが交わされている。


 その取り決めに基づき、王国内に常駐している魔法士団も、騎士隊本部からの要請を受けて現地へ向かったのだが、到着するまで僅か十数分だったにも関わらず、怪物の姿は見つけられなかったという。


 国としてできる限りの準備はしていた。相手が悪すぎたのだ。


 ネオンは眉間に皺を寄せ、強く眼を瞑る。そして大きく息を吸い込んで、目を開いて、いっそ明るく言い放った。 


「その代わり、レクターンでは誰も死なせないわよ!」


「御意」


『第一王女の客人』としてその場に同席していたウオルクは、それはさすがに無謀だろ、と口を挟みかけたが、笑みすら浮かべる世話係や王女の前では、ソファの上で固まるしかなかった。


「そうと決まれば腹ごしらえしなくちゃね!」と、慌ただしく部屋を出て行った王女。彼女とは対照的に、穏やかな顔で悠々と部屋を出る騎士隊長ら。

 ウオルクは妙な不安感に包まれ、気付けば彼らの後を追っていた。


「アンタら正気か?」


「何がだ」


「死人を一人も出さねえとかムリに決まってんだろ?」


「何故そう言い切れる」


 追い縋るウオルクを見向きもしないどころか、問い返される。

 呆気にとられた。先ほどの報告を聞いていないわけではあるまいに。


 その台詞をそっくりそのままぶつけてやりたい衝動に駆られたが――思い留まり、周囲を軽く見回してから、ウオルクは躊躇いがちに零した。


「……食い荒らされてたって話じゃねーか。農具なんかも噛み砕かれてたみてーだし。しかもその謎の怪物、どんな姿かもよく分からねえ上に、とんでもなく速いんだろ?」


 いくら暗殺を稼業としていても、この手の話は口にしづらい。ただ殺すのと、損壊するのとは訳が違う。


 想像するだけで嘔吐いてしまいそうになるだけに、実際に目の当たりにした村民と、地方の騎士隊員――正確には『レクターン王国騎士隊北方第六分団』らしい――には同情する。


 散乱した農具の破損状況などから、村人たちが応戦したらしいことは見て取れたようだが、ただの「獰猛な動物」では片付けきれない相手に、どう立ち向かうというのか。


「その点については既に手を打ってある。ご神託は私たちにも下っているのでね。それに……」


 正面を向いたまま答えないオルセトに代わって、ミシェルが軽く振り返る。


「私たちには『最初から諦める』という選択肢はない。ネオン様が、それを望んでおられないからだ。傍目には無謀と思われるかもしれない……だが、王女が「諦めない」と言っているのに、私たちが諦めるなどできるはずがない。……まあ、そんな方だからこそ私たちは無茶も聞くのだけどね」


 微笑むミシェル。能面顔のオルセト。二人を見比べて、どうやら心の底から王女に忠誠を誓っているらしいと分かる。

 今でなければ、美談だっただろう。

 現状は、そんな生易しい理由で切り抜けられるものではない。ウオルクは頭を抱えたくなった。


「……ホントに大丈夫なのかこの国」


「まぁガイラオ騎士団には分からないだろうさ」


「ガイラオ騎士団かどうか以前の問題な気がすんだけど」


 伝説の『救いの巫女』直々の命で訪れたレクターン王国。予想外の戦力を知って、確かに希望を持てたはずなのに、その頂点や騎士団の甘さがネックだ。


 秘策に自信があるにしても、最低限、予測される犠牲者数やリスクも考えるべきではないのか。それを端から「犠牲は出さない」などと、楽観的にも程がある。


 伝説の巫女っつってもこんなもんか、と肩を落としていると、遠くから地響きが聞こえてきて。


「オーールーーセーートーー!!」


 室内だというのに土煙を上げそうな勢いで走ってきたかと思いきや、ごすっ、と鈍い音を鳴らしてそれは止まった。

 見れば栗色の長髪をツインテールにした少女が、オルセトの腰辺りに頭を衝突させている。


「ねえねえ聞いて今日ね、今日ねっ!」


 少女の方は無事らしく、何事もなかったかのように頬を染め上げて抱きついているが、抱きつかれている方は先ほどの頭突きで気を失っていて、されるがままになっている。


「……アレ何?」


「第二王女のクリフ様だ。見ての通りオルセトにお熱だよ」


 はぁ、と曖昧な返事を返すやいなや、甲高い声が悲鳴を上げた。


「ミシェル! オルセトが変なの! 話しかけても返事してくれないし目も虚ろだし……!! どこか具合悪いの?!」


「大事ありませんよ。医者に診せれば治ります。ただ今後、力加減には注意してくださいね。貴女が抱きつくまでは元気でしたから」


 切羽詰まった表情で訴える第二王女に、諭すように説明するミシェル。


「……! じゃ……じゃあ……わたしのせいでオルセトが……?」


 肯定も否定もせず、見つめ返してくる副騎士隊長を見て、悟ったのだろう。その大きなみどり色の瞳が潤んでいく。


「うわあああああんごめんなさいオルセトーーー!!」


 鍛え上げられているはずの男の身体のあちらこちらから、何かが折れる音が立て続けに聞こえてくる。クリプトンが感極まって再度オルセトにしがみついているのだが、か細い身体と腕のどこからそんな力が出るのだろうか。


「クリフ様ーあんまりやるとホントにオルセト死にますよー。まあそのときはオレが騎士隊長継げるから良いんですけどねー」


 そして、この男。日常茶飯事なのか、止める様子もないどころか、微笑んでいる。懐に秘める、どす黒い何かを垣間見た気がする。


 やっぱダメだわこの国。

 ウオルクはどこか死んだような瞳で彼らを見つめていた。

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