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第百二十四話 崩壊への序曲(1)

 サモナージ帝国辺境・サイモンの村を出て、十日。


 北方の暗雲が日に日に黒く重く、その面積を拡大していく様を見ながら、白兎ハクトとミリタムはようやく兎族うぞくの里に辿り着いた。


 この分ではもう魔族の侵入を許しているかもしれない……、浮かんだ悪い考えを掻き消してくれたのは、灰色の長髪をなびかせ、悠々と歩く獣人の少女の姿だった。


兎美ウミ!」


「族長?! どうして……!」


「どうしても何もッ! あたいらの故郷に魔族が攻め込んでくるって聞いて来てみりゃ、もうあんな近くまで黒いのが来てるじゃねェか! みんな無事なのか?!」


 走り寄って矢継ぎ早に訊ねれば、驚きを露わにしていた少女――兎美の表情に影が差す。


「やっぱりあれ……魔族だったんですね……しかも、こちらに来るなんて……」


「あァ! けどお前のその様子で分かった。今ンとこは来てねェみたいだな」


 ええ、と頷く兎美の顔色はやはり優れない。大人しい性格故、争い事が苦手なのだ。

 それがたとえ、自分たちに危害を加える相手であっても。


 白兎は自分の無遠慮な態度を省みながら、ミリタムとともに里に入る。


「騒がしいと思ったら。お帰り、族長」


 皆が白兎の凱旋に歓喜している中、一際小さな兎族がのんびりと歩み寄ってくる。


兎母ウバ、ゆっくり話をしてるヒマはねェんだ。まずは、」


「ご心配には及びません。非戦力は安全な場所に避難させてあります」


 兎母ではない低い声が聞こえて、反射的にそちらを向く白兎。


 ――こんなヤツいたか?


 率直な感想が浮かぶも、知らないはずはない、と思い直す。

 生まれて間もないならともかく、皆この里で生まれ育った者ばかりなのだから。

 その少年の目の下に引かれた、十字の入れ墨には間違いなく見覚えがあるのに、一向に思い出せない。


 白兎の凝視を受けながら、少年はやんわりと微笑む。


「私たちとて兎族。族長には負けていられませんからね」


「えッ? お前、もしかして……」


 その微笑みで、白兎は思い出した。それを悟ったのか、少年も嬉しそうに頷く。


「お久しぶりです、族長」


「おまッ、ホントに兎色トシキ、なのかッ?! あの軟弱兎色なのかッ!!??」


「もちろんですよ」


 兎色と白兎、兎美は同い年のいわゆる幼なじみだ。


 幼い頃は里内最弱と言っても過言ではないもやしっ子だった彼を、父親が武者修行の旅に連れて行ったのは何十年前のことだったか。

 あの頃の面影は入れ墨と笑顔ぐらいで、すっかり逞しくなった兎色を、白兎は感慨深げに見つめるのだった。


 一方、初めは白兎との会話を楽しんでいた兎色だが、不意に彼女から視線を外し、その後方を見た。

 正確には、白兎の斜め後ろにいたミリタムを。


 ミリタムもその視線に気付いたのか、兎色を見る。


 最早見るだけに留まらず、睨み合いに発展し、火花が飛び散る。互いに一寸たりとも目をそらさない。それが何を意味するのか、ほとんどの者は気付いていた。


 ただ一人、渦中の白兎は、不自然に会話が途切れた兎色と、そんな彼と『見つめ合っている』ミリタムを見比べて、「お前ら何してンだ?」と零しただけであった。


「さぁさ、族長が帰ってきたことだし、今日は人参づくしの料理にするよ」


 喧嘩なら外でやっとくれ、と言わんばかりに三人の間を縫いがてら兎母が宣言すると、白兎の瞳が俄に輝き出す。


「ッしゃァ! 良かったなァ、ミリタム?! 人参が食べれるッてよ!」


 彼女の言葉で、睨み合いはとりあえず中断させられるが、それとは別の意味でミリタムの眉間に皺が寄る。


「兎母様のは久しぶりだな」


「修行中も食べてたンだろ?」


「もちろん! 人参がないなんて考えられませんよ」


 兎色はそう言ってから、ちら、とミリタムを見て。


「そういえば、人参が食べられない人間の子どももいるそうですね。信じがたいな」


「だよなー!」


 ミリタムはかぁっと顔が熱くなるのを感じた。

 明らかに当てつけだ。悔しさと屈辱で手が震える。

 一体どこでそのことを知ったのかと考えて、先ほど白兎に投げかけられたとき、表情に出してしまったのを思い出す。


 まだ睨み合いは続いていたのだ。早々に弱みを見せた自分を恥じつつ、こちらから何か攻撃できることはないかと考えるが、何もない。


 魔法で物理的に攻撃する、という方法も考えたが、白兎も巻き込んでしまうし、それはあまりにも大人げない。


(まだ子どもなんだけどね)


 結局その日は、人参半分に相当する料理を胃に詰め込んだあと、「食欲がない」と言って逃げた。





 翌朝、藁の上で目が覚めると、何やら話し声が聞こえる。

 見ると、炊事係らしい何人かの兎族が竃の前で顔を見合わせている。湿気混じりの風が吹き、上手く点火できないようだった。


「火が使えればいいの?」


 頷いたのを確認すると、ミリタムは早速詠唱に入る。


は灼熱の化身・烈火の象徴・全てを焼き払え! 【火蜥蜴サラマンダー】!」


 恰幅の良い巨大な蜥蜴が細く長く火を吐くと、竃の中が一挙に紅く染まった。

 初めは怪訝そうに見ていた兎族たちだが、あっという間の出来事に歓声を上げる。


「これが魔法という物ですか?」


「そうだよ」


「思っていたより便利なんだな」


「魔法とは本来そうあるべき物だからね。これで解決できる問題なら、ここにいる間はいくらでも引き受けるよ」


 一斉に取り囲まれ、あちらこちらから質問が投げかけられる。面食らいながらも、魔法に興味を持ってくれたことは純粋に嬉しい。


 一つ一つに喜びを押し殺しながら答えていると、白兎が【火蜥蜴】を見上げながら歩いてくる。少し遅れて兎色も一緒だ。


「すげェだろ、魔法ってヤツは!?」


「貴方のじゃないからね?」


 まるで自分がやったかのように得意満面な白兎に釘を刺すが、当人は気にも留めない。


「固ェこと言うなよ。お前は見たことあンのか、とし……何やってンだお前?」


 先ほどまでほんの少し後ろを歩いていたはずの幼なじみが、距離以上に小さくなって木陰に隠れている。心なしか耳も少し垂れ気味だ。


「な、何かの拍子に、こちらに火の粉が降りかかるかもしれないので……念のためですよ……」


「【火蜥蜴】は賢いから、そんなことあり得ないよ」


「念のためと言ってるだろ!」


「なァ、兎色……お前もしかして、まだトカゲ苦手なのか?」


 呆れたようにミリタムが言うと、子供のようにムキになって声を荒げる兎色。

 そのやりとりを見て、白兎はふと察してしまう。


「わっ、私は修行中何十頭もの熊を倒してきたんですよ?! 今更トカゲ一匹が怖いなどと……」


「いやー族長。お恥ずかしい話、倅は未だにトカゲだけはダメでね」


「父上っ!!」


 押し隠そうとした弱点は、思いも寄らない方向から暴露されてしまった。一気に笑いの渦に呑まれる周囲。赤面し、俯く兎色。


『残念なヒトだね』。


 顔色と同じ瞳がこちらを向いた瞬間、すかさず唇を動かすミリタム。

 読み取ったのか、兎色は露骨に苦渋に満ちた表情を浮かべる。


 両者痛み分け、勝敗は分からなくなった。





 それまでは、世界は確実に平和だった。


 四百年前に確実に起こった戦争も、今となっては子供を寝かしつけるためのお伽話。

 ともすれば魔族による襲撃などなかったのではないかと、ほとんどの人間が錯覚している。そして、これからも起こり得ないだろうと。


 しかし、どれほどその存在に懐疑的であろうと、人々が絶対に寄りつかない場所がある。

 それが北にある城――魔族の城と言われる建物だ。


 どれほど暇を持て余した怖い物知らずの若者であろうと、「あそこだけは止めよう」と全員が『肝試し』の候補から真っ先に外すような、そんな場所。


 その最上階、最奥の間に、少女の姿があった。

 一見すれば人間と見紛う、否、仮に数日共に過ごしても、彼女が人間以外の何かであると気付く者はほとんどいないだろう、そんな容姿だ。切り取られた壁を背に、眼前に黒く渦巻く空間を飽くことなく見つめ続けている。


 黒い空間が一瞬、脈打って、何かが吐き出された。

 ぴしゃっ、と水音を響かせて地面に落下する様は、さながらたった今胎内から産み落とされた赤子。


 ただ、普通の赤子とは決定的に違う。

 大きさは既に成人男性ほどはあるし、全身が半透明のゼリー状、なにより顔がない。顔とおぼしき部分は矢印形の模様が一つあるのみで、頭部は先端が尖っている。


 その物体は脚先まである長い腕を器用に動かして立ち上がり、少女とは反対方向に向かって歩く。生まれたての動物のように、おぼつかない足取りで。


「動くモノ全て抹殺なさい。それが貴方の使命よ」


 歩みが止まる。

 返事もなければ、振り返りもしない。刹那にも永遠にも感じられる沈黙が続く。


 突如静寂は破られた。

 物体の後頭部が大きく裂け、獣のように鋭利な牙を備えた口に変化したのだ。

 同時に発せられる、声とも音ともつかぬ振動。


 物体は牙を剥き出し、後ろを向いたまま加速、少女の際を通り過ぎて、窓のない空間から空へと飛び立っていった。


 数分後、一部始終を見ていたらしいドレス姿の魔族が、不快感を露わにした表情で外を窺いながら、警戒感たっぷりに現れる。


「なァにィー? あのキモチ悪いヤツぅ……」


シルマシ。魔星第三区で開発された、意思のない生物兵器」


「あー三区ならあり得るー」


 魔星第三区『ウィダーン』は、合成獣の姿をした魔王が治めている。日夜生命体の創造を主とした様々な実験を行っており、実験によって生まれた存在が三区住民の九割を占めるという、魔星の中でもかなり異質な区として知られる。


「アレ? “意思がない”って……でも、ノアちゃんの言うコトちゃんと聞いてたわよね?」


 あれを返事ってゆーのかビミョーだけど、と先ほどの怪の様子を思い出しながら問うと、少女は静かに首を振った。


「言ったでしょう、生物兵器と。“殺せ”という言葉だけは理解できるように創られているの」


「ふーん……それにしても、無関係の人間まで殺そうとするなんて……魔王サマもいよいよワルモノじみてきたわねェ~~……」


 怪が出て行った壁の枠に頬杖をつき、空を見上げながら世間話のように呟くクラスタシア。


「そうね。些か冷静さを欠いているようには、見えるわね」


 後ろ姿に返事をしてから、空の玉座に視線を転じるサイノア。


 いつからか、兄王は自室に閉じこもることが多くなった。

 王たる者、どのような状況下であろうと部下たちに威厳を示さねばならないというのに。


 けれど、とサイノアは考える。

 討ち取ったと思われた敵が、どういうわけか異世界で安穏と過ごしていると知れば、苛立ちや焦りが募るのは必定。これまで以上に視野が狭まっていてもおかしくはない。

 そして、標的を追い詰めるためにはどんな手段も厭わないこともまた、必然なのだと。

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