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第百二十三話 回り出す歯車(2)

 白いベッドに横たわる、銀髪の少年。その傍らに、少女が立っていた。

 背中まで伸ばした淡い橙色の髪を肩口で二つに束ね、眠る人物を見下ろす眼差しは優しい。

 薄緑色の瞳を細め、おもむろに少年の――イチカの手を握る。


「もう少しだよ、イチカ。もう少しであなたは『人』に戻れるから……」


「……ヤバくね?」


「ヤバいね」


 愛おしげに彼の手に頬を寄せる姿は「恋する乙女」と呼称しても差し支えないもので、扉の外から室内を窺っていた白兎ハクトとミリタムは危機感を募らせる。


 そもそもこの少女、いつの間にかイチカの部屋に入り込んでいたのをたまたま白兎が見つけ、今に至る。


 一体どこでここまで親密な間柄になったのか、ラニアたち以外の交友関係があったらしいことにまずは驚きつつ、あおいがこの状況を目の当たりにしていたらどうなっていたのか、という純粋な興味も頭をもたげる。


「白兎さん。ミリタムさん」


 鈴の鳴るような声がすぐ側で聞こえたと思えば、渦中の少女が扉を開け、廊下の壁に身を寄せる二人を見下ろしていて。


「しッ、してねェぞあたいはッッ! 盗み聞きなんてしてねェからなッッ!!」


「何逃げようとしてるの」


 咄嗟に四つんばいになって走り去らんとする白兎の足を、ミリタムが魔法で押さえつける。

 そんな二人をきょとんとした顔で見つめてから、少女が本題を切り出した。


「お伝えしたいことがあります」


 部屋に入り、少女は空いているベッドに、白兎とミリタムは丸椅子に腰掛ける。

 程なくして少女の口から、これまで二人が想像もしなかった事実が告げられる。


「アオイが……地球に……?」


「ンなバカな?! だってアイツは……!!」


「おっしゃるとおりです。確かに碧はこの世界では死んだことになっています。でも神術しんじゅつによって、その『身』が完全に滅ぶ前に元の世界に戻ることができた」


 二人の狼狽に小さく頷いてから、少女は淡々と続けた。


 その神術は、被術者の全身を神力しんりょくでできた膜で覆い、一度に限り命に関わる攻撃を無効化できること。


 致命傷となるような攻撃を受けた際は、膜が被術者を象って身代わりとなり、同時に被術者の身体は一旦切り離され、霊体のようになること。


 切り離された身体は指定された場所へ強制転送することができるが、成功する確率は五分ほどであること。


 あたかも人間そのものの質感、体温、器官等が再現された膜は、強制転送が成功してもしなくても、一定時間が過ぎれば全て消失すること。


「この手の神術は禁術であるが故に短時間では発動しません。碧がこの世界に来たと同時に術をかけたのだと思われます」


 本来「使ってはいけない術」なのだから当然と言えば当然だが、『禁術』の難点は制約があること。


 ヤレンが碧にかけた禁術の制約は、発動までに時間を要する他、下準備が完了するまで身体の自由が利かないという性質のもの。

 碧がこの世界に来てからしばらく身動き一つ取れなかったのは、この制約が機能したためと言える。


「……よく知ってるね。怖いくらいだ」


 ここまでの説明で二人は、どうやら彼女が単純に碧の恋敵ではないらしいことは理解できた。何よりも、碧と同年代に見えるのに、神術の知識がずば抜けている。


 サトナレベルの巫女ならば良いが、あまり考えたくないことも浮かぶ。

 すなわち、魔族なのではないかという仮説。

 扱うことはできなくとも、どんな神術があるかを研究することは決して不可能ではない。


「貴方は、何者なの?」


「……詳しいことはお話しできません――ただ、」


 疑念を秘めたミリタムの問いにも、表情は揺らがない。


「地球には私の兄がいます。碧の安否は兄から【思考送信テレパシー】で聞きました」


「……【思考送信】ができるンなら巫女か?」


「そうとも言えません。私たちは少し特殊なんです」


「なんで?」


 ミリタムはともかく、白兎の眼力は気弱な人間ならば震え上がってしまうほどのものだが、それでも少女は沈黙を守った。見た目とは裏腹に、相当に鍛えられた人物のようだ。


 強い意志を宿した、真っ直ぐな瞳がこちらを見つめる。

 たとえどんな拷問を受けようと、口を割ることはないだろう。それで自らが命を落とすとしても。


 だが、ミリタムたちは何も彼女の命を取りたいわけではない。


「……答えられない?」


「はい」


 白兎は鼻から大きく息を吐いて、背もたれに寄りかかる。


「……ま、そーだろーな。なンであたいらの名前知ってンのかとか、訊きてェことは山ほどあるけどよ。どーせ全部話せねェンだろ? お前からは瘴気しょうきも感じねェし胡散臭ェニオイもしねェし、敵じゃなけりゃ問題ねェよ」


 もちろん、瘴気を隠している可能性も否定できない。しかし、ミリタムも彼女の意見には賛成だった。まず間違いなく、少女は『白』だろう。


 あまり直感というものに頼るのは良くないとは思うのだが、白兎のぞんざいな物言いに一瞬目を丸くし、くすりと微笑む姿を見て、それは確信に変わる。


「すみません。両親の親友に似ていたものですから」


 怪訝そうな表情を見てか、少女が弁解する。

 眉間の皺は取れたが、より一層複雑な顔つきになる白兎。


「あたいみてェのが親友って……お前の両親そーとー変わってンな」


「あ、自覚あるんだ?」


「どういうイミだコラ」


「そういえば話の途中だったね。続き、聞かせてくれる?」


「……はい」


 白兎の問いかけをあっさり無視し、笑顔を向けるミリタム。その背に強烈な視線と殺気を浴びながら、物ともしていない。


 少女はどこか嬉しそうに目を細めてから、大きく頷いた。そして、兄・紫憂しういから伝え聞いたことを二人に話そうとして――。


「ちょっと待って」


 ミリタムが突然立ち上がって少女に手のひらを向け、その先を制止した。そのまま腕ごと身体を反時計回りに回転させ、壁を向いて止まる。


 何事かと問いたげな二人を見遣ると、少し思案してから口を開いた。


「ラニアが目を覚ました」


「!!」


 ミリタムの言葉を聞くやいなや、白兎は部屋を飛び出した。





 ラニアはレイトの正体が判明してから以後、目を覚ますたびに、あらゆる方法で自殺を試みていた。


 それを見かねたミリタムや白兎が、首をつろうとすれば四肢を拘束し、舌をかみ切ろうとすれば猿轡をかませ、頭を打ち付けようとすれば頭も固定するなど、異常な状況が続いていた。

 最近はようやく諦めたのか、それとも他の方法が思い浮かばないのか、新たな動きはない。


 部屋の扉を開ける。

 確かに彼女は目を覚ましていた。


 しかし、瞳に光はない。目の前の天井を映しているだけで、見てはいない。


 傷はもう塞がっているため、包帯は必要ないが、胴体を覆い隠すほどの複数の帯で寝台に縫いつけられていて、そちらの方がよほど痛々しかった。


「……なんつーか……あの……元気出せよ!」


 歩み寄り、天井を遮るように立つ。

 目は合わなかった。


「……ほ、ホラお前、実はスゴかったンだよな! あの時、エルフの羽根が一瞬だけど生えてよ! ひょっとしたらお前もエルフの生まれ変わりかなンとかだったりしてなー!」


 無理矢理にでも笑ってみせれば、つられて笑うのではないかと思った。

 それでも彼女は笑わない。笑うどころか、長い睫毛も、瞼も動かない。


「……ッそうそう、こないだポーカーフェイスも目ェ覚ましてよ! まァアイツも一瞬で、それからは寝たり起きたりッて感じだな! けど確実に良くなってきてるって医者も言ってたからまァ、気にすンなよな!」


 言って、逃げた。


 反応のなさに落胆したのではない。

 暗い瞳は、全てを見透かしている気がした。白兎の空元気も、押し込めていた同情も。全てを見通し、拒絶しているのだ。


 悔しさで溢れそうになる涙を堰き止めながら退室した白兎と入れ替わりに、ミリタムが部屋に入る。


「ラニア。気分はどう?」


 ここで彼女が「最高よ」と皮肉を飛ばしてくれれば良いのだが、あいにくと事はそう簡単には運ばない。それくらいはミリタムも分かっている。


「……良いわけないよね。そんな風にしたのは僕らだし」


 自嘲気味に呟いて、側に寄る。


 何も見ない瞳。


 今何かを考えているとしたら、「出て行ってほしい」「放っておいてほしい」あたりか。

 愛していた者に裏切られ、仲間は望みを叶えさせてくれない。疑心暗鬼になってもおかしくはない。


「ひょっとしたら僕らのことも信用できなくなってるかもしれないけど、これだけは信じてほしいんだ」


 彼はあえて、明るく言い放った。

 きっとこれは、今の彼女にとって一番の朗報だから。


「アオイは生きてる」


 そして、彼の読み通り――あらゆる物事に反応を示さなかったラニアの表情が揺れた。


「信じられないでしょう? 僕もまだ半信半疑なんだ。たぶん白兎も……会ったこともない人に言われたことを信じるなんて」


 ずっと暗闇だけを映していた瞳が、微かな光を灯して、ゆっくりとこちらを向く。


「けど、その人の言うことは間違いじゃないって、何故か思えるんだ。彼女がアオイとどういう関係なのかはよく分からない。でもきっと、アオイに近い人なんだ」


 未だに名前も知らない少女。けれど、確かに感じる聖気。言葉では言い表しがたい、絶対的な何か。


「貴方も、そう感じてるんでしょう? その涙」


 直接会っていなくとも、彼女もそれを理解したのだろう。『アオイが生きている』という情報が事実であることも。頬を伝う一筋の涙が、それを証明していた。


「ねえラニア。貴方は何もかも失ったわけじゃないんだ。アオイにもう一度会えるかもしれないのに、そのチャンスを自ら消してしまうの?」


「……っ」


 ミリタムはラニアを信じて、拘束具を全て解いた。

 一抹の不安は拭えなかったが、「万が一」の事態は過ぎらなかった。


 彼女は確かに強くはない。しかし、決して弱くもないのだ。





 結局、少女の話の続きは翌日に回された。

 これまでに分かった全てのことを伝え聞き、ミリタムと白兎の表情に影が差す。


「……記憶喪失……」


「しかも、神力までか……」


 禁術ともなると、被術者にも何らかの副作用が出ることは決して珍しくない。少女はそう補足し、少し沈黙した。


「魔王軍は間もなくアスラントにも攻撃を仕掛けてくると思います。あなた方と面識のある人も、国も、町も、全てを滅ぼすつもりで」


 二人の脳裏に、これまで関わった場所や人々が浮かんでは消える。


「! 里が、危ねェ……!?」


「……レクターン王国……レイリーンライセル……カイズやジラーがいるベルレーヴ村……サモナージ帝国……この大陸はほとんど警戒した方が良いってことか……」


「イチカとラニアさんは私が見ておきます。あなた方は一刻も早く、あなた方の大切な場所へ向かってください」


 少女が申し出る。


 彼女が実力者であることは、これまでの言動からほぼ間違いない。

 だからと言って、「それなら」と気軽に頼めるほどの間柄でもない。


 二人の複雑な表情で察したのか、少女は両手を持ち上げ、身体の前で握ってみせた。


「大丈夫です。私、これでも一応強いですから」


 華奢な身体からは想像もつかないほどの闘気が溢れ出て、白兎もミリタムも目を見張る。

 しかし、荒々しさはない。感じ取れるのは、気高さと優しさ。少女の内面から滲み出ているのだろう。


 自身を鼓舞するだけではなく、こちらをも激励してくれているようなその気を浴び、白兎はたちまち希望がみなぎるのを感じて。


「ッし! ンじゃああたいは里に行くからお前は実家に、」


「僕も兎族うぞくの里に行くよ」


 勢いのまま告げて、思いも寄らない切り返しに絶句する。


「……はァッ?! なンでだよ?! お前家族が心配じゃねェのか?!」


「全然。だって、サモナージでも指折りの名門だからね。父さんや母さんがなんとかしてくれる。それよりも貴方たち、どうやって戦うつもりなの?」


「あ、あたいらには【兎使法としほう】があるからなッ! それで……」


「それで魔族相手に苦戦してなかった?」


「ぅぐッ……!」


 痛いところを突いてくる。

 確かに、白兎は惨敗を喫した。魔王配下の大鬼に。


 誇り高き兎族ではあるが、魔族との実戦経験はほとんどないまま来た。何かのついでに降りてきたような下級魔族ならば渡り合えるが、それ以上となると正直荷が重い。


 そんな彼女の心中が分かっているかのように、続けるミリタム。


「ドレスのヒトみたいなのがうじゃうじゃ来たらお手上げだけど、あのヒトたちが魔王直属の部下みたいだし、よっぽど強い相手じゃなければ僕の魔法でもなんとかなると思うよ」


「……ま、まァ、お前の魔法なんかなくても楽勝だけど来たけりゃ来いよ! あたいらのホントの強さ見せてやるからよ!」


 顔は引きつり汗を掻きながらも、声だけは意気揚々としている白兎の後ろ。

 ミリタムが少女に振り向き片目を閉じる。


「それじゃあ、お願いするね」


「はい。お気を付けて」


 とうとう、長く世話になっていた宿を後にする。


 ――はずが、部屋を出てすぐの、廊下の真ん中で立ち止まってしまった。

 視線の先に、思いも寄らない人物が待ち構えていたからだ。


「ラニア……!」


 杖をついて、しかしゆっくりとこちらに向かってくる人影は、まさにラニアのもので。

 驚きを露わにする二人を見て、心なしか不満げな表情を浮かべる。


「なによー、人が化けて出たみたいな顔して? これから出陣だって言うんだから、お見送りくらいしたっていいでしょ?」


 掠れた声。おぼつかない足取り。見ていられなくて、白兎は一目散に駆け寄る。


「そーじゃなくてッ、おまッ、いろいろ……!」


「“いろいろ”って?」


 小首を傾げられ、言葉に詰まる。

 また、傷つけなければならないのか。碧という希望の光を見つけ、再び前を向こうとしている彼女に、またあの残酷な事実を話さなければならないのか。


「――ッ、だから……!」


「なんてね。分かってるわよ」


 躊躇って、それでも意を決した白兎の言葉を、ラニアは明るく遮った。


「もう、自分勝手に死のうとしたりしない」


 少し眉を下げて、申し訳なさそうにしながら。

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