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第百二十話 醒めない夢(1)

 初めに映ったのは、オレンジとピンク、水色と白。

 強いて言えばオレンジ色とピンク色が大部分を占めているが、所々に水色や白が見え隠れしている。


 次いで瞬きをし、烏の群れ、電柱、コンクリートの外壁を認める。

 視線を横にずらせば、他人の家の表札と、電柱に貼り付けられたプレート。


「……ここ……うちの近所じゃん……」


 プレートの住所を見て思わず呟いてから、ゆっくりと起き上がる。

 改めて見回すと、少なくとも記憶のある数年間は全く変わらない、忘れるはずもない景色がそこにあった。

 それを自覚した瞬間、当然と言えば当然の疑問が溢れるように流れ出る。


(なんでこんな道のド真ん中で寝てたの?! よく車にはねられなかったよね?! ていうかもう夕方?! これ学校サボったことになってるよね……!? うわああどうしよう……)


 ふと違和感を感じて、目線を下げる。

 身につけているものが制服ではない。服には違いないが、どちらかといえば着物だ。


(って、えええ!? なんであたしこんな服着てるの?! 制服は?! なに?! なにがどうなって)


「――あおい?」


 意識の外から声を掛けられ、心臓が飛び跳ねる。


 聞き覚えのある声だ。そして、とても懐かしい声だ。

 何故だかそう思い、不安と期待を抱いて振り返る。


 自分が通っている『傾陽けいよう中学校』の制服が目に入った。

 セーラー服でもない、ブレザーでもない少し変わった見た目だから、すぐに分かる。


 そこには、二人の少女がいた。

 声を掛けたのは、セミロングの癖毛を両サイドの耳上で結んだ、勝ち気な容姿。


 とさっ、と何かが落ちる。もう一人が鞄を落とした音だ。

 後頭部の少し高い位置で髪を一つ結びにした、真面目そうな容姿。


明海あけみ! 左保さほ!」


 間違いなく、自分の親友だ。見間違えるはずもなかった。

 それが分かるやいなや、走り出していた。


「良かったあー! なんかよく分かんないんだけど、こんなカッコして道路で寝ててさ、誰かに見られたらどーしよーって思っ……て……?」


 違和感を覚えた。いつもの二人の反応がない。


 勝ち気な明海なら、持ち前のノリの良さで笑いに変えるだろう。真面目な左保なら、どんなに馬鹿馬鹿しくても親身になって聞いてくれるだろう。


 今の二人は、全く同じ反応をした。

 明らかに困惑している。強いて言えば、動揺している。

 今、碧が目の前にいることが信じられない、とでも言いたげだ。


 それでも意を決したように、明海が口を開く。


「……ホントに、碧なんだね?」


「えっ。何、どしたのあけ――」


 肩口に小さな衝撃を感じて、数歩後ずさる。


「さ……左保……?」


「……た……」


 今度は碧が動揺する番だった。抱きついてきた左保の肩が、小刻みに震えている。

 泣いているらしいことは分かったが、一日会わなかったくらいであまりにも大げさではないか。


「良かった……っ……碧ちゃん……無事で……おばさんから、家に帰ってきてないって聞いて……もう、三ヶ月っ……だったから……もう……」


 思考が停止する。

 今、左保はなんと言った?


「さん……か、げつ……?」


「そうだよ」


 明海が絞り出すように答えた。次には顔を上げ、きっとこちらを睨んできて。


「ドコ行ってたの?! あたしも左保も……ずっと心配してたんだよ?!」


 明海の眼が赤い。彼女はあまり涙を見せないだけに、どうやら“三ヶ月前から家に帰っていない”というのが事実らしいことを悟る。


「拉致られたの?!」


「わ、分かんない……」


 詰め寄られるが、戸惑っているのは碧も同じだ。夜眠って朝起きたつもりがもう夕方になっていて、しかも道路で寝ていたなんて夢遊病かな、などと気楽に考えていたのに、実際はもっと深刻な状況だったとは。


「“分かんない”って……!」


「やっ……!!」


 ともすれば掴みかかりそうな勢いで明海が問い詰めようとしたとき、左保が小さく悲鳴を上げて飛び退いた。一点を凝視したその顔は青ざめている。


「あ……碧ちゃん……ケガして……! 血が……!」


「!?」


制服の代わりに身を包んでいる着物のような服の、胸あたり。細長い楕円形状に穴が空いていて、それを取り囲むように、夥しいまでの赤茶色が侵食していた。


 しかし、それでも思い当たる節はない。


「ごめん、明海、左保……でもホントに分かんなくて……さっき、目が覚めて……起きたらここにいて……どこにいたとか、全然……」


 碧の混乱した様子を見て、二人もただ事でないことは察したのだろう。ばつが悪そうに明海が呟いた。


「……あたしこそごめん、碧……家まで送ってくよ」


 いつもの帰路なのに、所々が違う。

 この時間なら過ごしやすかった気がするのに、今は昼間の暑さが尾を引いているかのように汗ばむ。

 新緑の若葉だった緑はすっかり鮮やかなそれになり、蝉の鳴き声が聞こえていた。


 その中で、変わらない場所。

蓮野はすの』と書かれた表札。

 もう随分長いこと正面に立っていない気がして、いつもは気にしない家の外観をじっくり眺める。


 扉の前で、インターホンを鳴らす。

 いつも母が家にいるから、鍵は持ち歩いていない。「はい」と母の声に、「碧」と答える。その一連の動作ですら少し緊張した。


 微かに廊下を歩く音がして、鍵が外されて。

 ウェーブがかった、背中までの長い黒髪の母が出迎えた。


「あら。明海ちゃんに左保ちゃん、いらっしゃい。今お茶とか用意するから。……あ、ジュースの方がいいかな? ホラ碧もさっさと着替えて手伝って」


「は、ハイ」


 三ヶ月ぶりに会うのだ。きっととてつもなく心配しているはず。

 でも、なんて言ったらいいのだろう……。


 そんな碧の懸念を知ってか知らずか、彼女の母・きよ子は娘との再会をあっさりスルーした。

 あまりにもいつものてきぱきした母すぎて、実は行方不明になんかなっていないのではないかと錯覚しかけたほどだ。


 他方、記憶にある格好よりも大分薄着になっている母を見て、やはり自分の知らないうちに時間が進んでいたのだと確信する。


「お母さんっ!」


 ダイニングの方へ慌ただしく駆けていく母を呼び止める。

 振り向くその表情もやはりいつも通りで、言葉を躊躇う。


「あの……あたし……何も憶えてなくて……三ヶ月もいなくなってたなんて、知らなくて……」


「いいのよ」


 碧は正直に話した。偽りでない、本当の言葉。

 それを感じ取ったのか、きよ子は柔和に微笑む。


「自分の意思でいなくなったんじゃないならそれでいい。思い出せるならゆっくりでいいから思い出して、あなたが話したくなったときに話してちょうだい」


 落ち着いた声を聞いて、これまで抱えていた不安がかき消えていく。


「……うん。ありがと」


「……碧のおかーさんって、いつもさりげなくカッコイイよね」


「ホントね」


 そんな友人らの会話を誇らしげに聞きながら階段を昇り、自室へ向かう。


 おそるおそる血塗れの着物を脱いだが、自身の下着はおろか肌にすら傷痕はない。

 さらりとした肌触りのそれを両手で持ち上げ、暫し見つめる。


 どういう経緯でこんな状態になったのかは分からないが、気味が悪いことは確かだ。

 捨ててしまおう。そう思うのに。


(なんだろう……捨てちゃいけない気が――)


「碧ー? 何してるの早くいらっしゃい」


「は、はーい!」


 階下からの母の声で我に返る。

 捨てるか捨てないかは明日考えよう。そう心に決め、急いで階段を駆け下りた。

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