第百十七話 目的(3)
魔星は四つの『区』に分けられ、一つ一つに『治権者』――俗に言う魔王がいる。
そのうちの一つ、第四区『ガザーラ』は、女王コヨーシカ・メイデ・フランソワが統治している。
見た目は年端もいかぬ少女だが、洋風人形のような可愛らしい容姿からは想像もつかぬほどの実力者であり、魔王の中では最も高い魔力を持つという。
彼女の城内。固い床を歩む音が響く。
荘厳な扉が開かれた先には、その最上段に座る者の地位を表すかのように、仰ぎ見なければならないほど連なる壇。
金地の絨毯に跪き、恭しく礼をする男の髪は短く、紫に輝いている。
「ご機嫌麗しゅう、姫君。
魔星諜報部情報局長レイト・グレイシル、只今戻りました」
うっすらと、妖しく輝く瞳を開いた男が、爆発に巻き込まれたのは次の瞬間だった。
「ふぅ~……やれやれ……相変わらず手厳しいですねえ……」
壁が崩れ床が抜け落ち、骨組みが剥き出しになっているのに、男――レイトそのものはあちこちから出血をしながらへらへらと笑っていた。久しぶりの日常が楽しいのか、余裕さえ見受けられる。
そんな彼の姿を、壇上の『姫』は忌々しげに見下ろし、投げ出すように玉座に身体を沈めた。
「フン。相変わらず無駄に頑丈ね。言っとくけどアンタがここに来る権限はもうないわよ」
「……それは、『三百年間の無断外出及び職務怠慢による処分』ということでしょうか?」
「分かってるならさっさと、」
「時間をください」
「はァ?!」
大きな瞳が眇められる。
同時に、先ほど爆発を生じさせたときと同じくらいの瘴気が周囲に充満した。にもかかわらず、レイトは変わらぬ表情でその場に佇んでいる。
「十分……いえ、五分で構いません。時間内に必ず貴女を改心させます」
怒りか、それとも呆れか。女王の長い睫毛が震えた。
「三百年、業務を怠っていたことはお詫びします。ただ、諜報内容の性質上報告することは得策ではないと考え、あえて連絡をしていませんでした」
一方レイトは、果敢にも弁明を始める。
並の魔族ならば、この空間に一歩踏み入れただけで消滅してしまうほどの瘴気。その中にあって平静を保っていられることは、彼もまた余程の実力者であることを示している。
「僕が調査していたのは、『この世の果て』についてです」
女王はそっぽを向いているが、彼女の形の良い眉がほんの少し跳ね上がったのを、レイトは見逃さなかった。興味を示した印だ。
「姫君も知っての通り、『この世の果て』は魔族も人間界の者も、皆が知っているほど知名度の高い島です。しかしながら、誰もその地に到達したことはない。当然です。何故ならそれは存在しない……いわば伝説の島だから」
相変わらずの仏頂面。しかしレイトは、彼女が耳を傾けていることを確信していた。先ほどよりも瘴気が薄れているからだ。
「――ですが、この島は実在していました。住民はなんと、巫女とエルフ」
「ふーん」
「……あまり驚かれませんね?」
「当然よ。今のところアンタの作り話って可能性が一番高いもの」
肘掛けの上で頬杖をつき、明後日の方向を見ながら、どこか自信たっぷりに言い放つ。興味津々であることを悟られまいと、意地を張る子どもに似ている。
これは難攻不落だな……と、レイトは早くも敗北感で肩が重くなる。
「……まぁ、おとぎ話だと思って気楽に聞いてくだされば……で、その島の巫女一族は皆、生まれながらに高い神力を持っていて、力が暴発することもあった。エルフはそんな彼らを制御する術を持っていたため、生まれた子どもを後見する役割を与えられていた。
が、稀に絶大すぎる力を持つ赤子が現れる。誰の手にも負えない子どもは異端児として蔑まれ、物心つく前に島流しにされた……それが現在、各地に散らばる巫女の出自です」
「物心つく前に流されたんだったら、故郷のことなんか憶えてないでしょ」
視線と同等の鋭い指摘がレイトを射抜く。
彼がこの情報を大陸の巫女から仕入れたのだとしたら、今の説明は確実性を欠くものだ。
紫色の青年はそれでも動じることなく返答する。
「どうでしょう? “絶大すぎる力”というのが具体的に何を差すのかにもよりますが、庶民でさえ生まれた頃の記憶を持つ者もいると聞きます。憶えていないと決めつけるのは早計なのでは?」
女王の様子を窺う。険しい表情をしてはいるが、納得がいかないのではなく、言い負かされたことがお気に召さないのだろう。
瘴気に変化は見られない。説明を続けても良さそうだ、と判断する。
「さて、“『この世の果て』が実在している”。このことをなんらかの情報網から知った第一区前王は、戦争を起こし『この世の果て』を支配しようと考えた。人間界の上層部――とりわけ王族や貴族といった特権階級の人間たちは、権力や資産にモノを言わせて強力なコネクションを作り、桃源郷の恩恵を受けることができていました。一般人はおろか、魔族でさえ知り得ない幻の島……そんな島を独り占めできたら、これに勝る覇道はありませんからね」
女王は不満げだったが、渋々続きを聞いている。
「しかし、前王と言えど『この世の果て』の場所を知ることは困難を窮めた。恐らく初めは、貴族や王族を片っ端から捕らえて拷問していたのでしょう。そうすれば口を割ると。ところが予想に反して人間たちは口が堅く、拷問に耐えきれず死んでいくばかり。いよいよ焦れてきた前王は出身者を捜すことにします。場合によっては何年でも待つつもりだったようですが、意外にも『彼女』はすぐに見つかった。しかも、第一区が攻めてくることを予言していて、戦うつもりでいた。
ここからは炙り出しです。人間の村を襲って、これ見よがしに無差別攻撃を繰り返した。そうして前王が導くままに対決することとなりますが、前王にとって唯一の誤算が生じます。それが、『彼女』――ヤレン・ドラスト・ライハントが高位の巫女であった、ということ……前王は哀れ、敗れ去りました」
「……フン、白々しい。“なんらかの情報網”? どうせアンタが前王に流したんでしょ?」
終盤の芝居がかった口調に、小馬鹿にしたような短い笑いが降りかかる。
「その“唯一の誤算”っていうのも、ご丁寧にそこだけ隠して伝えたからじゃないの?」
レイトは何も言わない。
ただ、それが肯定の意なのか、否定の意なのかは女王にも分からなかった。
核心を突いているとは思うのだが、いかんせんこの男は反応がない。
否、終始同じ反応に徹しているため、裏を読もうにも読めないのだ。
「僕が思うに、四百年前のアスラント侵攻は単なる人間界の支配ではなく、他区を出し抜きいち早く『この世の果て』を手に入れるためだった。これは、治権者たちが互いに険悪だった状況を考えれば、遅かれ早かれ起こっていたことでしょう」
女王の内心の奮闘を嘲笑うかのように、レイトは総括に入ろうとしていた。
「しかし此度は、四百年前とは事情が違います。『この世の果て』の掌握という目的はそのままに、魔星全土で協力して利益を共有する、という方向性に変わっている。現・第一区治権者殿の“仇討ち”も、主目的達成の障壁となり得る者を根こそぎ排除する必要があったから、というのが本当のところではないでしょうか?」
そうして腹を探っているうちに、切り返される。
「……残念だったわね、時間切れ。あたしはアンタみたいにヒマじゃないの。分かったらさっさと消えて」
返答を待たず、席を立つ女王。
事実、彼の提示した『五分』はとっくに経過していた。
「次、四区の土を踏んだら本当に命はないと思いなさい」
最後通告にも、微笑みは崩れない。まだいくらでも手札は残っているかのように、彼からは焦りというものを感じない。
「……ああ、姫君。こんなところに落とし物が……」
警戒心を拭えないまま立ち去ろうとして、わざとらしい言い回しに足が止まる。
「“成長促進剤 胸部・臀部用” “B”……? サイノア嬢宛の手紙のようですねぇ……この“B”というのが気になりますねぇ……」
明らかに身に覚えがある内容に、何故、という思いと、羞恥心が湧き上がる。
しかし、それだけならば決定打とはならない。せいぜい好きに想像するがいい。女王はまだ冷静でいられた。
「そうそう“B”と言えば、かの島には超強力な媚薬の原料があるそうですよ。どんなに強靱な精神を持った者でも一瞬にして恋の虜になるとか……」
「――姫? 顔色が優れないようだが」
それまで口一つ挟まなかった最側近、少年の姿をした魔族が主の変化に気付き、顔を覗き込んでくる。
女王にとって今この状況が、どんな拷問よりも酷な仕打ちであることも知らずに。
「そういう手合いのものは従者なんかに使うと良」
「レイト・グレイシル!!! 諜報部情報局長の任に就きなさい!!!」
被せるように響いた叫び。情報局長から飛び出した禁句は、幸いなことに最側近には聞こえていないようだった。
レイトは満足そうにその場で傅き、一礼する。
「ありがたき幸せ」
「姫、よろしいのか?」
「いいのっ!!」
最側近は突然主の態度が軟化したことが解せないのか、しきりに確認してくる。
他方女王は、火照った顔を即座に冷やすことに精一杯で、とてもそれ以外のことを考えられる状態ではなかった。
そんな彼らを横目に、広間を後にするレイト。入れ替わりに城大工が走り抜けていく。
慌ただしい廊下の奥、見慣れた者が腕を抱えて壁により掛かっていた。
「サイノア嬢」
「あまりあの子をからかわないであげてくれるかしら。女王と言っても、見ての通り根は純粋なのだから」
「いやあ、僕はこれでも僭越ながら応援させていただいたつもりですよ」
感情表現が著しく少ないと言われる魔族だが、実際は多種多様である。女王のように、恋愛に憧れを抱く魔族も決して珍しくはない。
「それはそうと情報局長再任、心から祝福させていただくわ」
「ありがたきお言葉」
「心から」と言う割には、心がこもっているように聞こえない彼女の言葉。
それだけではない。性格も嗜好も、あの女王とは正反対であるのに、友情とは分からない。
「代理には『三魔の軍』の貴方のご友人が就いておられるようだから妙な確執もないでしょうけれど、一度事情は説明しておくべきかもしれないわね。彼、貴方と話し合いたくて仕方がなかったようだから」
第一区と同じように、第四区にも魔王直属部隊がいる。
それが『三魔の軍』であり、その名の通り三匹のみの部隊だ。もちろん、各々の戦力は最高位と言っても差し支えない。
うち一匹――身体の八割を機械化させたその男は、身と同じように堅苦しい性格でありながら、何故かレイトとは馬が合う。その彼が話をしたいという。
多少面倒には思いつつも、抵抗はない。やはり、友情とは分からない。
「……分かりました。情報をありがとうございます」
丁寧に会釈し通り過ぎようとして、静かな声がそれを阻む。
「……レイト・グレイシル」
「はい?」
「私には、貴方が持てる情報の全てを出し切ったようには見えないのだけど。これはただの杞憂?」
魔星にはどうしてこうも、聡い女が多いのか。
そんな思考はおくびにも出さず、彼はまた平然と嘘をつく。
「僕が提供できる情報はあの場で全てお話しましたが……そう思わせてしまったのなら伝え方に問題があったのかもしれません。以後気をつけます」
そしてその嘘は、そう簡単に見破られることはない。
「……そう。留意して頂戴ね」
再び礼をして、彼は今度こそ歩き出した。
嘲笑、冷笑、微笑。全てを含めた笑みを浮かべて。




