第百十三話 悲しみの先に(1)
凄惨な状況に、白兎は言葉無く項垂れる。
ほんの数日、数時間前には誰一人として想像もつかなかっただろう結末。
それが今、刮目せよと言わんばかりに、目の前に突き付けられている。
変えることはできなかったのか、と過去に思いを巡らせるが、すぐに行き詰まった。
全てを知ったつもりでいたからだ。現実は思いも寄らぬ方向から忍び寄っていた。それを察知することは、あまりにも困難だったのだ。
先ほどから、地面を削る音が響いている。
見れば、自分以外に唯一五体満足である魔法士の少年が、木の枝で何かを描いている。
「何してンだ?」
「【瞬間転送】の魔法陣を描いてるんだよ。さっき調べたんだけど、近くの村まで一日半。とてもじゃないけど、僕たちだけで三人運ぶのはムリがあるからね」
魔法書を見ながら淡々と語る少年を、思わず凝視する。
――“三人”。
彼は何気なく言ったのだろうが、白兎は心持ち安堵した。
その言葉の中に、小さな配慮が垣間見えたからだ。
「……そう、か。そうだよな。アオイも一緒に運んでやらねェとな」
「そりゃあね。今ここで埋葬するのは簡単だけど、ラニアたちが目を覚ましてからじゃないと」
彼らの誰とて、何十年来の親友というわけではない。
しかし、過ごした年月は短くても、絆の深さは計り知れない。
特に、ラニアと碧は誰の目で見ても、一層強い絆で結ばれているように思えた。だからこそ、葬儀の場には彼女がいなければいけないのだ。
「けどよ、【瞬間転送】って大魔法じゃなかったか?」
「そうだよ」
「!?」
『大魔法』は読んで字の如く、規模の大きな魔法のことを指す。
それ故、術者が複数人いなければ基本的に発動しない。やってやれないことはないが、その分失敗のリスクは大きくなる。
とりわけ【瞬間転送】のような時空を超える魔法で失敗しようものなら、どことも知れぬ狭間に永遠に取り残される恐れもある。
最悪の状況を考え身震いする白兎の心情を察したのか、ミリタムは一瞬だけ拗ねたように目を据わらせた。
「僕もなめられたもんだね。まぁ、確かに一人でやるのは危険だけど……それは転送人数が多い場合。意識のない人間は『物』と見なされるから、僕と貴方で転送人数は二人。二人くらいなら、単独でやっても失敗することはないんだ」
距離もそんなにないしね、と微笑む。
もちろん、並の魔法士にとっては大魔法などもってのほかだろう。群を抜く力量を秘めるミリタムだからこその発言である。
「……へェ~……よくできてンなァ」
その自信の持ちようと魔法の奥深さに、白兎は素直に感心するのだった。
「……よし、できた」
五人を囲んで余りある、巨大な魔法陣が完成した。
ミリタムは満足げに円陣を見渡し、【瞬間転送】の詠唱に入る。
「其は姿無き乙女・天空を越え・時を裂き・追放されし狭間の異端者……」
詠唱が進むにつれ、呼応するかのように、あらゆる線という線から光が立ちのぼる。
「東の大海・西の森羅・南の荒野・北の頂・箱庭は鎖された・我が意に従い舵を切れ! 【瞬間転送】!」
光の粒子は瞬く間に彼らを包み込み、同族へと変換する。
そして、全てが白く染まった瞬間――その場から少年らの姿が消えた。
ミリタムや白兎からすれば、目映いばかりの光が辺りを一瞬にして埋め尽くし、軽い目眩から覚めたときには、周囲の風景が一変していた、といったところだ。
目の前にはローマ字で、『サイモンの村』と彫られたアーチ状の木製看板。
「……ホントに一瞬だなァ」
「いろいろ手間はかかるけどね」
しばらく立ち尽くしていた白兎だったが、ふとミリタムの言葉にひっかかりを覚える。
「つーかエラく長い詠唱だったよな? ナントカって村のときの魔法士団は何も言ってなかっただろ」
しばらく前に、運命のいたずらで別れざるを得なかった友人たちを訪ねたときのこと。
レクターン王国魔法士団の【瞬間転送】によってさほどの労苦もなく目的地に辿り着いたのだが、白いローブに身を包んだ集団は円の中に入るよう促しただけで、それ以上口を開くことはなかった。
「あの人たちは魔法陣を直接全部描き込んでるから早く済むんだ」
抽象的な物言いに、白兎の思考が一旦停止する。
「? 描き込んでたか? つーか言った方が早ェだろ」
「それは僕みたいに手で描いたら、の話だよ。彼らは頭の中でイメージした式を具現化できるから、わざわざ詠唱したり手を使わなくても魔法が完成するんだ」
「……?? ……テ、【思考送信】みたいなモンか?」
白兎にとってはすでに理解の行き届かない内容だったが、脳の全範囲をフル稼働する勢いで考えを捻り出す。
「似てるけどちょっと違う。【制御型記憶】っていう魔法の一種なんだ。僕はむしろ【思考送信】より高度だと思ってるよ。何てったってイメージを表出できるんだからね。ただ、【制御型記憶】は僕ら名門にさえ修得方法が公開されていない究極魔法で、いかにサモナージ帝国民と言えどもそれを知ること自体が刑罰の対象になるんだ。けど、秘密裏に行われてた研究で最近ようやく方法が分かってきてね、それが――」
「……宿探してくる」
とうとう自分の世界に入ってしまったミリタムに付き合いきれず――理解の範疇を越えたとも言う――白兎はふらふらとおぼつかない足取りでその場を離れたのだった。
「で、ですから、お泊めすることはできませんと……」
「あァ?! コッチも何度も言ってンだろーが! “金は多めに払う”ってよォ!!」
多肉中背の、気の弱そうな宿主に盛大に突っかかっていく白兎。
どうやらこの村で唯一の宿らしく、重傷者の命を背負っている以上譲るわけにはいかない。
一方で、凶暴な獣人を前に怯えきってはいるものの、宿主も意思は固いようだ。
「お、お金の問題ではなくってですね、そのー……」
「金じゃねェならなンだってンだよ? まさか獣人が問題だとか言わねェだろーな? 獣人が宿取ったらダメだって決まりでもあンのか?」
「めめ滅相もございません!」
おそらく四、五十年ほどの彼の人生の中でも、獣人が宿を取りに来るなど前代未聞であろう。それこそ、断ろうものなら自分の命が危ない。
「あ、あちらのお連れ様がですね、その~……」
「“連れ”ェ? ツレがどうしたってンだよ」
「イヤあの~……茶髪のね、巫女さんだと思うんですけどね……あの方……どう見ても死……ヒッ!!」
「死んでねェッつってンだろーがァ!! だからあたいらは劇団で、アイツらは徹夜続きで爆睡してるだけなンだよ!!」
『禁句』とも言える言葉を聞き終わる前に、白兎の手は宿主の胸ぐらを掴んでいた。
分かっていた。どうあがいても、死人を生きているように見せかけるのは不可能だ。どうしたって生気のない肌は見透かされる。
それでも白兎は、せめて本当に葬るまでは、生きている人間と同じように扱って欲しかった。
しかし、どんなに小さな村だろうと、死体を宿泊室のベッドに眠らせるなど営業妨害以外の何物でもない。
青ざめる宿主の、小さな瞳の奥。非難の色は明瞭だ。
「……チッ。ッたく一般人だと思って下手に出てりゃこのザマだ。こーなりゃ仕方ねェ……」
宿主からすれば、彼女が下手に出た記憶など一瞬たりともない。
手は胸元から離れたものの、相変わらず受付には不穏な空気が漂っている。
そして、白兎の方。
自分が今どれだけ理不尽な怒りをぶつけているのかは重々承知している。兎族の里で同じような状況になれば、もちろん絶対にご免だ。嫌なものは嫌なのだ。
だが、それとこれとはまた別物だ。
「腕ずくで泊めさせてもらうぜ。歯ァ食いしばりやがれ!!」
「【滅獣】」
振り向きざまに繰り出した拳は、しかし虚しく空を切った。
聞き覚えのある声と、馴染みのある衝撃。意識の半分は混沌に沈んだ。
「彼女はこれ以上危害を加えないように見張っておくから。お金も倍くらいなら出せるし。ダメ?」
ようやくまともな人間が現れたと思ったら、やはりどこか論点がずれている少年の交渉。
宿主は憔悴しきった様子で、先ほどと同じ言葉を繰り返そうとする。
「イヤ、ですからね、死人が……」
「……ここ、サモナージ帝国領なんだ」
「えっ?」
少年の目線の先には、受付の壁。
正確には、壁に固定されている帝国旗だ。
「え、ええ。サモナージ帝国領サイモン。レクターン王国との国境に位置する農村でございますが、国境ということでそれまでの疲れを取りたいという方が多くいらっしゃいまして。以来五十年、細々と経営させていただいているへんぴな宿です」
「ふーん。でもさ、」
何やらごそごそと懐を探り、取り出したそれは。
「いくらへんぴでも、ステイジョニスの家紋のことは当然知ってるんだよね?」
サモナージ帝国旗の真横にある、三大名家の紋の一つと一致していた。




