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第百十二話 戻らぬ幸福(1)

 それはまさに、一瞬の出来事だった。


 戦いの最中(さなか)、戦況はやや人間側が優勢。連携技を決め、敵の放った灰色の龍はほぼ無害な生き物に成り下がった。

 そして魔法と神術しんじゅつのある種禁忌とも言える融合が、魔族の隙を作る。


 狙いを定め、撃ち込んだ銃弾は見事に的中。しかしそれが却って相手の怒りを買い、瘴気しょうき混じりの黒風が吹き荒れる。

 誰も手が付けられぬ異常事態に敵味方はなく、全面撤退ということで今回はひとまず幕引き、のはずだった。


 ――何が起こったのか分からない。

 

 一人は、目の前の光景をどこか他人事のように見つめる。

 しかし、何が起こったのか分からない、などということはあり得なかった。眼前いっぱいに真相を映していながら、脳が理解を拒んでいたのだ。


 またある一人は、誰もが棒立ちになったまま一点を凝視している中、物のように投げ捨てられた影にいち早く駆け寄った。

 声をかけても反応がない。

 生気のない肌と、見開いたまま虚ろな眼を見て手遅れだということは分かっていた。それでもまだ、信じたかった。

 

 もう一人は、一足先に駆け出していた仲間につられて走り寄る。

 その顔を見て、一瞬で悟った。悟ってしまったが、自らの身体は至極冷静に動く。まるでその受け入れがたい現実を、なかったことにするかのように。


 ()()()一人は、鈍い音に振り返って目を疑った。倒れていくその姿は、まるで時が狂ったかのように緩慢だったから。

 そのままぴくりとも動かなくなった影を見て、何故か笑いがこみ上げそうになる。そんな芝居を打ってどうするのかと、問い掛けてしまいそうになる。止め処もなく一点から流れ続ける血さえ、いつ用意したのかと勘ぐってしまう。

 血相を変えて飛んでいく仲間は、何を焦っているのか。どうして、脈を取って、そんなに深刻そうな顔をするのか。考える頭を置き去りに、足は勝手に歩を進めていた。

 ふらふらと、何故か力の入らない足。心臓が早鐘を打ち、その音が脳内にまで響いてくる。寒くもないのに全身が震えて、喉が引きつる。

 横たわる身体の側で立ち止まって、思考が完全に停止した。唇が我知らず戦慄いた。


「いやあああああ!!!!!」


 土色の肌、何も映さない瞳。

 これまで幾度となく目にしてきた死人の顔が、そこにあった。





 よく間に合ったものだ、と彼は素直に感嘆した。


 同時に、仲間に対する怒りが沸々と湧き上がる。あれは自分の獲物だと再三釘を刺していたのに、我を忘れているとはいえ横取りするとは。

 たまたま身代わりがいたから良かったものの、そうでなければ同胞だろうがなんだろうが、いの一番に殺しているところだ。


 そう、身代わりになった。

 彼――ソーディアスは仲間の餌食になった少女を見遣る。


 正面から胸を一突きだ。まず助からない。

 少女と少年の距離はそう遠くなかったから、反射的に動いたのだろう。どれだけ速く動いたところで無駄な足掻きだと思っていたが、人間とは分からない。


 前世の縁だけで庇おうとしたのか、それとも色恋というやつか。

 ソーディアスには理解しがたいし、理解する気もない。


 標的でないと分かったのか、クラスタシアが少女を串刺しにした腕をおもむろに掲げ、投げ捨てる。

 最も忌み嫌っている女の血で己の腕を汚したのだから、あいつもまあ気の毒なことだ。と、一瞬同情しそうになったソーディアスだったが、即座に自業自得だ、と思い直す。


 少女の亡骸が転がり落ち、弾かれたように獣人が駆け寄る。

 一歩遅れて魔法士も駆けつけ、なにやら無駄なことをしている。


 不意に殺気の膨張を感じ、視線を巡らす。

 驚愕した表情のまま固まり、戦意喪失状態のイチカを、再び素手で突き刺そうとしているクラスタシアがそこにいた。


「言ったはずだ。そいつはおれの獲物だ、と」


 その状態を認識したときには、ソーディアスはすでに行動を起こしていた。

 クラスタシアの左腕が宙を舞う。


「分からんようならお前から先に殺すぞ」


 二叉の剣『真橙しんとう』と、冥暗の剣『影貫かげぬき』を交差させ、背後から首元に宛がう。


 魔族と言えど、急所は人間と同じ。

 行動、もしくは返答次第では、未だに暴走状態だろうと確実にその首を切り落とす。


 くすっ、と押し殺した笑いが漏れる。


「やあねぇ、ソーちゃんったら。お遊びよォ、お遊び」


 口調こそ普段のおちゃらけたそれだが、首から上だけゆらりと振り向いたその顔には依然として闇が燻っている。

“お遊び”などでないことはむしろ、彼の熱の籠もった瞳を見れば一目瞭然だ。


 しかし、表情とは裏腹に殺気の方は徐々に薄れていることも事実だった。すんでの所で餌に逃げられた肉食動物のようなものだろう。

 ソーディアスは静かに剣を引き数歩下がった。




 

 ――酷い有様だ。

 白兎ハクトは死体を見て項垂れる。


 止血しようにも、心臓を貫かれている時点でもう彼女にできることは何もない。ミリタムが簡易的な神術でどうにか修復を試みるが、即死状態の人間には効果がないらしく、発動しない。


 遅れてきたラニアは泣き叫び、狂ったようにあおいの身体を揺さぶっている。

 少し離れて立つイチカは、碧を見開いた目で見つめたまま指先一つ動かさない。


 少年の手に握られていた剣が滑り落ち、乾いた音を立てたのはいつだったか。

 仲間を突然失った彼らは、敵前であまりに無防備だった。


 視界の隅を何かが横切った気がして、白兎が顔を上げる。

 そこには今まさに、茫然自失のイチカを再び手に掛けようとする魔族の姿があった。イチカはやはり、微動だにしない。


「ッか野郎ポーカーフェイスッ! 逃げ、――」


 舞ったのはイチカの血ではなかった。


 フリルのついた袖ごと、腕と肩口から吹き出した血潮が放物線を描く。

 瞬く間に現れたもう一匹の魔族の仕業のようだった。

 自分の獲物を横取りしようとしたから腕を落とした、ということらしい。


 ――狂ってやがる。


 白兎は心底辟易する。


 それにしても、とたった今まで危うい状況下にあったイチカに視線を戻す。

 

 相変わらず突っ立っているだけのように見えるが、少し違った。やや俯き加減になっていて表情を窺い知ることはできないが、動揺はなりを潜め、妙な静けさが彼を覆っている。それも、注意しなければ見逃してしまいそうになるほど小さな変化だ。

 普段から何を考えているのか分からない少年ではあるが、今回はこれまで以上に心の動きが読めない。


「だけど、牽制にしてはちょっと行きすぎなんじゃないのォ? こっちは誰も掃除したがらないゴミを処分してあげたんだから」


 訝しむ白兎の耳に、聞き捨てならない言葉が聞こえたのはその時だ。

 これまでの言動から、誰をゴミ扱いしているかは考えるまでもない。


 しかし、彼女が怒りを露わにするよりも速く鉄槌は下された。

 かろうじて残っていた右腕が、クラスタシアの足下に落ちている。


 ただ、白兎からすれば、心ない悪罵に振り向いたら敵の両腕が無くなっていたようなもの。

 そのような早技を成し得る人間は、彼女の知る限りただ一人。


「イチカだ」


 ごく小さな呟きを捉え、反射的に声の主――ミリタムを見やる。

 疲弊が色濃く残る表情に、微かな希望の色が窺えた。


「なッ……お前、見てたのか?!」


 獣人の聴力をもってしても、なんの兆候も感じ取れなかったのに。

 白兎の問いに、ミリタムは首を左右に振る。


「見てないよ。けど……今この場で、誰が一番頭にきてるか……それは分かる」


 どこか遠い目で銀髪の少年の背を見つめるミリタムに倣い、改めて彼に視線を向ける。

 地面に落ちていた剣は今確かにその手中にあり、微弱だったあの不穏な気配は、明白な殺気へと進化を遂げた。

 だが、何故だろう。不思議と威圧感はない。感じ取れるのは、むしろその対局に位置する深い悲しみ。まるで背中で泣いているように見えた。

 きっとそれは、人間こちら側にしか分からないことだ。





 予期せぬ反撃を受けてもなお、二匹の魔族は少年を見据えたまま動かなかった。


 否、動かないのではなく動けなかった。

 人間の、それも子供から放たれる異様な殺気に、気圧されていたのだ。


 これまでの対峙で闘気の上昇は見られても、身体の自由が利かないなどということはなかった。冷や汗が止まらない。両脚は健在であるはずのクラスタシアでさえ、焦燥に駆られた表情で少年を注視している。


 背を向けている少年が、右足を半歩下げた。

 それを理解したときには、両腕の無い魔族の正面紙一重まで迫っていた。


 ――(はや)い。


 その場にいた誰もがそう感じ、同時に誰もが魔族の消滅を確信した。


 ところが、大方の予想に反して数秒経っても決着はつかなかった。

 少年の放った一撃は、魔族の首まであと一歩のところで止まっていた。その一歩を詰めようとしているのか、少年の両腕は小刻みに震えているのだが、見えない何かに阻まれ切っ先は食い込まない。


 何度も、何度も。急所目がけて突進を繰り返すも、ある地点から一向に進まない剣先。相対する魔族も状況が理解できていないのか、喉元を凝視したままだ。

 

 時の狭間に取り残されたような奇妙な攻防が、幾分続いただろう。


「いやー、ごめんごめん」


 場違いなほど陽気な声に、その場の全員が声の方を向く。

「ごめん」という言葉の割には反省の色など微塵も感じられない、そんな声だ。

 木々が生い茂っていて姿は朧気だが、徐々に大きくなる足音から、こちらに向かってきていることは確かだった。


「どうも最近まで厄介な神術がかけられてたらしくてね。居場所を特定するのに手間取っちゃったよ」


(……え?)


 その飄々とした口調に、困惑する者。


「『一魔王の僕(フィーア・フォース)』ともあろう君たちが、ここまで苦戦するなんて想定外だったしね」

「……オイ。ジョーダンだろ」


 次第に明らかになる片影に、疑念を投げかける者。


「あぁ、そうでもないか。『結界女けっかいじょ』は片付けたみたいだね?」

「……聞いたでしょう、今の。ジョーダンじゃないみたいだよ」


 その風貌を見て、悟った者が一人。


 ――長身痩躯、紫の短髪。絶えることのない笑み。


「……そよ、ウソ。ねぇ、嘘……よね? ……なんとか、言ってよ。ねえ……! レ、」

「ッ!!」


 息が詰まるほどの強力な圧迫感が彼らを襲う。

 それは紛れもなく、人ならざる者たちと同じ性質の気。


「なんつー瘴気だ?! やっぱアイツ……!」


 ――魔族。


 行き着いた答えに応えるかのように振り向いたレイト・グレイシルの瞳は、闇の光を宿していた。

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