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ラスト・トラベラー ~救いの巫女と銀色の君~  作者: 両星類
第一章 見たこともない世界
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第十一話 黒い瞳(3)

「すぐに戻ってくると言ったのは誰だ」


 女から剣を引き抜きながら、振り向かずに苦言を呈する。


「……あれは……確かにあたしが言ったけど、あたしの意思じゃなくて……」

「……まあいい」


 要領を得ない碧にイチカは一瞬怪訝そうな顔を向けたものの、溜め息を吐きながら視線を戻す。


 血の滲む脇腹を押さえこちらを注視する女に見覚えはないが、昨日から察知していた気配そのものだ。人間では決して発し得ない、禍々しい気。


(魔王軍か)


 大芋虫のような魔物を想起していたイチカにとって、人とほとんど変わらない見た目だったことは想定外ではあったが――何よりもその気配が証拠だ。自身の中で結論を出し、剣を正面に構える。


 女は今丸腰だ。イチカが脇腹を刺した際に、武器と思しき羽根は手から離れ、風の影響で遠くに飛ばされていた。


 武器を持たない相手を攻撃することに、何の感慨も抱かないかと言えば嘘になる。他方、最大の好機と捉えることもできる。


 イチカは正面に構えていた剣をやや後方に引き、地を蹴った。胸を狙って放った突きは、しかし虚空を素通りする。女は流れるように水平移動し、イチカの攻撃を躱したのだ。体制を立て直し、一気に距離を詰める。横薙ぎした剣は、やはり空振りに終わる。今度は滑るように後退している。


 その後も立て続けにあらゆる角度から攻撃を仕掛けるイチカだが、予測不能な動きにより悉く躱される。さながら宙を舞う羽毛のように掴み所がない。


 避け続けているうちに、取り落とした羽根の側に辿り着いたらしい。女は手早く羽根を拾うと、イチカを嘲笑うようにその瞳を細める。

 

「さっきのは()()()か? 手負いのあたしを捉えられないようじゃ、魔王様に指一本触れることも叶わないよ」


 手にした羽根を口元に寄せ、囁きかけるように言葉を紡ぐ。


「【冥府の大扇翼(ヘラ・パヴォーザ)】」


 その声と同時に、上空へ羽根を放り投げる女。すると、一枚だった羽根が数百枚に増え、空中で独りでに円を描く。円状に展開した羽根の集合体は一斉に向きを変え、風を纏って標的へと――イチカへと降り注ぐ。


「イチカっ!!」


 碧の悲鳴が響き渡る。

 羽根とは思えぬ質量と速度が巻き起こした砂煙は、瞬く間に一帯を黄土色に染め上げる。


「フッ。案外大したことなかったわね」


 勝利を確信したらしい女は、虚空から羽根を取り出しながら、気配を探るように視線を彷徨わせる。本来の標的である碧の気配を探っているのだろう。

 ――その隙を突いて。


「なっ……!」


 煙幕の内から女の気配を探り当てたイチカが突進する。

 驚嘆を露わにする女の下方から、その上体を深く切り上げる。


「が……っ……!!」


 間髪入れず横へ薙いだ二撃目は、しかしすんでのところで避けられた。後方に大きく跳び、着地した先で女の顔が苦痛に歪む。それは無理もないことだった。彼女が負った傷は本来、縦横無尽に飛び回れるような代物ではないのだから。


「何故……?!」

「あの羽根は数こそ多いが軌道が直線的で避けやすい。残りは斬った」


 悲鳴のように吠える女の意図するところ。視線の指し示す先。それらを総合し怪我の程度と解釈したイチカは、表情を動かすことなく説明する。全身に擦り傷を負ったものの、流血にまで至らなかったのはそういうことだ。刃物にも劣らぬ鋭利な先端を持つ羽根ではあったが、直撃しなければどうということはない。

 

「……避けなかったな」


 羽根のことよりも、イチカにとってはその事柄の方が重要だ。

 こちらを凝視し真意を測りかねているらしい女にも分かるよう、自らの思考を補足しつつ投げかける。

 

「あんたのあの不可解な動きなら、さっきのおれの攻撃も避けられたはずだ。たまたまか、それとも……あの状況では使えない動きなのかは、知らないがな」


 女が息を呑む気配。どうやら図星らしい。引き続き攻撃を続けながら、さらなる糸口を探ることにする。


 再び構えを取るや、瞬時に女の間合いまで接近する。左右からの連続した斬撃は、たゆたう女に一つとして命中しない。


 女は深手を負ってはいるが、躱し続けるうちに余裕と体力が回復してきたらしい。懐からおもむろに羽根を取り出す。


 そこに生じた僅かな隙を狙って、イチカは地を抉りながら後方から前方へ剣を振り抜く。


 その瞬間を、イチカは注視していた。砂礫から羽根を守るような仕草。それはイチカでなければ見逃してしまうような、些細な挙動。

 とはいえ。

 

「……この程度の煙幕では意味がない、か」

 

 返す刃で繰り出した横薙ぎから、素早く距離を取った女の目に浮かぶ戸惑いと――微かに滲む『恐れ』。武器そのものに弱点が潜んでいることはほぼ間違いないようだ。


 漠然と、相手の視界がきかない状況を作り出せばいいことは理解したイチカだが、そう都合良く先ほどのような砂煙を起こせるものでもない。数秒黙考し、剣を構え直す。

 まだ試していないことがある。


「なっ……!」


 動揺する女の、左肩から胸元上部にかけて吹き出す鮮血。イチカは水平切りと見せかけてわざと避けさせ、後方へ回避した女の無防備な肩を狙って斬り下ろしたのだ。

 

 視界は遮っていない。二撃目に移るスピードを上げただけだ。これまでは言わば様子見だった。初撃の隙を狙われる可能性もあったから。

 

 この女は回避行動を取ってから攻撃に移るまで、ある程度時間が必要なようだ。先ほどの無数の羽根による攻撃もそうだったが、あの魔法はこちらが看破してしまったのでもう使えないだろう。そして、女が攻勢に転じるよりイチカの追撃の方が速い。


 そこからは独擅場であった。次々と「ふり」をしては斬撃や突きに切り替えていくイチカ。女はかろうじて避けているが、その身体には確実に生傷が増えていく。


「そろそろ()()()()を呼んだらどうだ。あんただけではおれには勝てない」


 肩を激しく上下させる女を見て、イチカが口を開く。勝ち誇ったそれではなく、状況を冷静に分析した結果、自らが優位に立っていると判断しての発言だった。


(もう一人?)

 

 他方、それまでの応酬を息を殺して見守っていた碧は、イチカの提案に首を捻る。これまで襲撃してきたのは、大芋虫を除けばこの女性だけだったはずだ、と。

 

 碧が疑念を抱くのも無理からぬことで、宿を取る直前、イチカが察知していたのは複数の気配だった。もっとも、女以外は気配の制御に優れているのかイチカもあまり自信は持てなかったのだが――瞠目する女を見て確信に変わる。


 覆面から覗く黒い瞳が、忌々しげに眇められた。しかしそれもほんの一瞬で、持っていた羽根を顔の前で横向ける。

 

「余計なお世話よ。ひとまず今回は退くが……次は必ず、お前の首を頂戴する!」


 碧を一瞥し、黒い羽根を手放す。すると、羽根の降下開始地点である頭部から下方に向かって、羽根の動きと同時に身体が掻き消えていく。羽根が地面に着地したとき、女の姿は完全に消えていた。


「消えたか」


 気配も絶たれている。どこかに潜んでいるのではなく、言葉通り撤退したようだ。

 一旦警戒を解いたイチカは振り返り、碧に目をやる。正確には、彼女が腕に負った真新しい傷に。


「あ、大丈夫! 大したことないから!」


 その視線に気づき、首と手を振る碧。イチカはそんな彼女に近づきながら自らの懐に手をやったかと思うと、通り過ぎざまに何かを碧に差し出す。


「え……」


 こちらを見ない横顔は何も発しないが、その手に握られているのは一枚の葉と一巻の包帯。

 戸惑う碧に業を煮やしたのか、イチカが正面を見たまま淡々と告げる。

 

「薬草と包帯だ。薬草はそのまま貼れば消毒作用がある。あとは包帯で巻け」

「あ、ありがとう」


 半ば放り投げるように手放された手当道具を、慌てて受け取る碧。イチカは顧みることもなく小屋へと歩き出す。


 ――『本当は優しい人なんだ』。


 ジラーの言葉が碧の脳裏で再生される。自分には専ら冷たく当たると思っていただけに、思いがけない行動に面食らってしまった。


(たしかに……優しい、のかも。ちょっと分かりづらいけど)


 しばらく銀髪を見つめていた碧は、はっと我に返り手の中に意識を向ける。赤みが強い茶色の薬草を患部に宛がうと、傷口が脈打つように痛んだ。痛みを堪えて包帯を手に取り、葉がずれないように慎重に巻いていく。


(初めて巻いたけど、結構いい感じ)

 

 包帯を巻き終わり、様になった腕を満足げに確認していたとき、碧はふと振り返った。直接名前を呼ばれたわけでも、声を掛けられたわけでもないのだが、何かが自分を呼んでいる気がしたのだ。


 そこには、木陰の側に佇む幼い子どもの姿があった。

 袖のない白いワンピースを身につけていることから、少女と思われる。碧に向かって控えめに手を振っているが、目深に被ったつばの広い帽子のせいで顔の大部分は見えない。


 子どもは辛うじて確認できる口元を笑みの形に象ってから、その小さな指を碧の左腕に向けた。


(……なに?)


 その間、僅か数秒。人差し指を引っ込めると、少女は再び口元を緩めた。

 直後、その姿は背景に溶け込むように見えなくなった。


 一部始終を直に目撃した碧は、瞬時に身の毛がよだつ。


(え? え? 今のなに?! もしかして本物の幽霊……!? こっちに来てからこんなことばっかり……! もうやだーー!!)





 北方の寂れた平野。人はおろか動物の気配すらないこの地に、ぽつんと佇む古びた城があった。塔のように細長い灰色の外観は蔦や苔に覆い隠され、等間隔に縦に並ぶ四角い壁の向こうは暗闇が広がるばかりだ。


「真夜中にこの壁を見つめ続けると、白い影が浮かび上がって冥界に連れて行かれる」「真偽を確かめに向かった者は誰一人として帰らなかった」というような都市伝説がまことしやかに囁かれており、その手の話題には事欠かない有名どころでもある。

 

 しかし、少なくとも今現在においては、外観と内観の雰囲気に著しい差違が生じている。


「ねー魔王サマ~。あの女、全っ然役に立たないわよお~?」


 塔最上階、最奥の間。王座に腰掛ける魔王と称された男に、一人の女がしなだれかかる。魔王の表情から読み取れるのは、心からの困惑と不快感。対する女は悩ましげでありながら楽しそうに、魔王の首に緩く腕を回している。


 女性的な顔立ちと中性的な声質を持つその女は――一目見ただけで判別することは困難だが――クラスタシアである。自他共に認める「女嫌い」の彼だが、普段からドレスを着込み、女になりきるという矛盾した行動を取っているため、魔星では二つの意味で注目を集めている。


 彼が自ら「それ」をし出したのはもう随分昔のことで、当初は見るに堪えないと考えていたヴァーストも、今となってはその二面性を当たり前のものとして認識している。故に、余計な口は挟まず成り行きを見守っている。


「殺しちゃダメなの? 魔王サマがあの女のコト好きなのは知ってるけど、元は人間よ? 良く思われてないの、分かってるでしょ?」


 魔王の肩に掛かる金髪を指先で弄びながら、クラスタシアが不満げに問う。彼の説明からすると、烏女は何らかの手段で人間から魔族に転化したということになる。

 

「確かにそうだが……」

烏翼使(うよくし)忍者は二度襲撃に失敗しております。王の手足となり、勅命を遂行するために我々は存在している。その我々が過ちを犯すなどということは、すなわち万死に値します。それでも、貴方はあの娘を飼い慣らすおつもりですか?」


 魔王は密着してくるクラスタシアに顔を引きつらせていたが、滔々(とうとう)としたヴァーストの進言に我に返り咄嗟に反論する。


「飼い慣らしてなど……!」

「ならば、我々の意見にお従いください。恋仲であろうとなかろうと、あの女をこれ以上お側に置くべきではない。今日まで敢えてお伝えしていませんでしたが、民は皆憂えていました。“四百年前の再来ではないか”と」


 含みのある懸念を、しかし魔王は一笑に付した。


「何をバカな。お前は、オレが()()()と同じ轍を踏むと思っているのか?」

「滅相もありません。ただ、気がかりなのです。あの女が我々を裏切ったとき、貴方はどうなさるおつもりなのか」

「……烏女はもう人間ではない。人間界に未練があるとは思えない」


 ヴァーストの危惧を聞いた魔王が、やや不服そうな顔でそれだけ返す。


「グレイブ殿。「裏切り」は何も離反だけに留まりません。不利益をもたらせば、それも一つの「裏切り」です。現にあの女は、『手足』としてあるまじき失態を犯している。それは同じく手足である我々の誇りをも踏みにじっている。今一度お考え直しください。代々お仕えしている我々『フィーア・フォース』の誇りと、人間上がりの小娘、どちらを優先すべきかを」


 目を見ながらの情に訴えかけるような問いは、暫しグレイブ――魔王を沈黙させた。しなやかに伸びる眉が悔恨を示すように眉間に寄せられ、重たい溜息が薄い唇の隙間から漏れ出る。

 

「……分かった。お前たちの意見を受け入れる」

「ありがとうございます。それではこちらを」


 用意周到に差し出された書類に署名と捺印を済ませ、ヴァーストに返す。


「ありがと~~魔王サマ!」


 唇をうっすらと歪めたヴァーストと、満面の笑みを浮かべたクラスタシア。ふたりは対照的な反応ののち魔王に敬礼し、その場を後にした。


 残された魔王は玉座の上で俯き、目頭を押さえる。微かに震える肩と、押し殺していても響く嗚咽。部下たちの手前、曝け出してはいけないと自制していた感情が、彼の内心の葛藤を押しのけて溢れ出てくる。


「烏女……オレを許せ……」


 ようやく絞り出したか細い声は反響することもなく、延々と続く昏い広間に吸い込まれていった。





 深い森の中を跳ぶように走る、黒い影。

 影を追いかけるように、赤い雫が地を弾く。


「くそっ! あいつさえいなければ、あたしの計画は成功していたのに……!!」


 数え切れないほどの木々を追い越して、影は――烏女はようやく立ち止まった。木に背を預け、荒い呼吸を繰り返す合間に恨み節を吐く。


「次こそはあの女を殺し……この世界を、我が魔王様の物に……!!」


 不敵な笑みを湛えながら発された決意は続かなかった。


「いや。むしろお前は必要ない」


 毛皮に覆われた獣のような巨大な手が、烏女の腹から生えている。


「な――」

「もう用済みだ」


 冷淡な声と共に、獣の手が引き抜かれた。

 思い出したように烏女の腹部から吹き出す鮮血。


 地に倒れ伏した黒い身体を、紅が密やかに取り囲む。

 際に立った人影は、その様を眺めながら悪態をつく。


「ったく、余計な手間かけさせやがって。オレならヤツらを倒せる」


 彼女を貫いた手に視線を転じ、男は冷たく微笑んだ。


「この、獣配士(じゅうはいし)ヴァーストならな」 

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