第百一話 束の間の休息を(1)
リヴェルの入り口が見えてきた。
町の入り口までは、緩やかな石段と多様な植生が連なっている。石造の階段に寄り添うように色鮮やかな花々が風にそよいでおり、来訪者をもてなしている。
リヴェルという町は避暑地としても人気がある。裏を返せばそれなりに標高も高い。訪れる際は登山の心意気が必要である。
なお、観光客を呼び込むため登山道の安全性にも抜かりがない。子どもからご老輩まで誰もが登れるよう、初心者にも優しく整備されている。
「アオイ!」
休み休み登っていると、歓喜の声と共に軽い足音が聞こえてきた。
上方から走ってきた親友の姿を認め、微笑もうとした碧だが、それよりも先に華奢な腕が伸び。
碧は狼狽えた。半ば飛びつくような形で強く抱き締められたのもあるが、背丈と立ち位置の違いから彼女の胸がちょうど鼻と口に押し付けられ、息ができないのだ。
「ら、ラニア、苦し……」
「イチカがあなたも連れてくって言ったときは、とうとう来たか! って思っちゃったけど! そうよね違うわよね修行よね! でも、それでもなにか進展あったらな~なんて不道徳なこと考えちゃったあたしを許して! ていうか、一週間以上一緒にいたんだから絶対何かあるはずよね?! ね!?」
碧の耳元で囁きながら、色めき立つ自身を抑えきれないのかぎゅうぎゅうと腕に力をこめるラニア。器用なのか不器用なのか分からない。ただ一つ言えるのは、そうしている間にも碧の鼻口は無情にも圧迫され続けているということだ。
「……ラニア。早く離してやった方がいいんじゃないか」
「えっ?」
会話の内容は聞こえていないものの、その光景をさすがに気の毒に思ったらしいイチカが指摘する。そこで初めて目の前の少女がぐったりしていることに気がついたラニアは。
「ご、ごめんなさい! あ、アオイ、大丈夫!? しっかりしてーー!」
涙目で碧の身体を揺するラニアと、小さく溜め息を吐くイチカの後ろ。
「巨乳って、武器になンだな」
「自覚してないのも考えものだよね」
唖然とした様子の白兎に対し、ミリタムはどこか冷ややかである。
およそ半月ぶり。一行が久々に顔を合わせた瞬間だ。
「お帰り、イチカ」
「よォ、強くなったみてェだな」
ミリタムと白兎にそれぞれ声をかけられ、イチカはあぁ、と生返事をする。
「どんな修行だったの?」
「過酷だったとだけ言っておく」
元からとはいえ言葉少ななイチカの応答に、ミリタムは不服そうだ。
「秘密ってこと?」
「話せば長くなるだけだ」
「そういうことか。まぁアオイが元に戻ったら、一緒に聞けばいいしね」
ミリタムは納得した様子で、碧とラニアに視線を向ける。
意識を取り戻したもののまだ顔色が優れない碧へ、ラニアが半泣きになりながら謝罪している。
「あ、あのね、ラニア」
「うん、うん! ごめんね、本当にごめんなさい!」
「それはもういいんだけど、あの……イチカのことで、話したいことが」
「……あたしの勘は正しかったみたいね。いいわ、あとでいくらでも聞いてあげるから!」
年頃の少女相応の『恋バナ』で盛り上がる彼女らの喧噪はしかし、肝心なところは声を抑える徹底ぶりである。
「楽しそうだね。何話してるんだろ?」
「……さァな」
常人には聞こえずとも、白兎の耳には筒抜けだ。だが、うっかり口走ろうものならあの狂銃士の拳銃が火を吹く。白兎は遠い目をしたまま、黙して語らずであった。
「お前たちも修行していたのか?」
「貴方やアオイほどじゃないだろうけど、一応ね。大体の攻略法は見えてきたかな」
「あたいも新技の開発に成功したぜ!」
「……それは頼もしいな」
イチカは本心からそう告げた。
煽てたわけでも、皮肉ったわけでもない。
巫女の森にて、ヤレンの結界を通して彼らの様子を知ったときから。そして今――再会して、それは確信に変わったのだろう。何よりも彼らの纏う気が物語っている。以前よりも一段と逞しく、一回りも二回りも成長した彼らの気が。
仲間が皆、魔族に立ち向かおうとしていること。イチカにとってはそのことが、何よりもありがたかった。
「みんなー! ちょっと来てー!」
やや緊張感の入り混じったラニアの呼び掛け。ただならぬ気配を感じ取り、三人は駆け足でラニアと碧の元へ集う。
「どうした」
「ネオンから【思考送信】がきて、カイズとジラーのことで話があるって……」
碧の表情は固い。きっと量刑のことだ。
皆が息を呑む中、イチカが乾いた声で訊ねる。
「どう、なった?」
「今聞いてみるね。ネオン、教えて」
沈鬱な空気が漂う一行に反して、ネオンの声は朗らかなものだった。
【だーいじょーぶよ。量刑が決まったわけじゃないし】
「えっ……そうなの?」
手のひらを大きく上下させる姿が容易に碧の目に浮かぶ。あまりにも危機感がない。碧の眉間に寄った皺を見て、【思考送信】の内容が聞こえない周囲は一層不安感を募らせているが。
【ええ。ひとまず今回は経過報告ってとこね。頭のカタいじいやたちなんかは、一生牢獄入りしかない、ってうるさいもんよ。で、審議が一向に進まないものだから、とりあえず奉仕活動をさせようってことになったワケ】
あまりにもざっくばらんな語り口で、碧の反応も一瞬遅れる。
「……奉仕活動?」
【そ。あいつらの故郷、ベルレーヴ村だっけ? そこでしばらくは奉仕活動に勤しめ、ってね】
「じゃあ! じゃあ……今、そこに行けば、二人に会えるってこと?」
感激で涙が溢れそうになるのを必死に堪え念押しする碧に、ネオンはひとつ間を空け明るく言い放った。
【そう言うと思って、レクターンお抱えの魔法士団派遣しといたわ。歩かなくて済むようにね。もう少ししたらそっちに着くはずだし、しばらく待ってるといいわ】
「ありがとう、ネオン!」
【思考送信】を終えた碧は、晴れ晴れとした笑顔で仲間たちを振り返った。
「カイズとジラー、奉仕活動で二人の故郷のベルレーヴ村に帰ってるんだって! そこに行けば会えるんだって!」
「本当に?」
「うん! だってネオンがそう言ってたし! それで、今から魔法士団が来るから待ってればいいって!」
「至れり尽くせりだなァ」
白兎が感心しながら、頭の後ろで手を組む。
「刑はどうなった?」
「はっきりとは決まってないみたいだった」
イチカの冷静な問いに、碧は力なく首を横に振って答える。
「とりあえず死刑ではないんだな。それが分かればいい。しばらく会っていないし、待てばいいと言うなら従わせてもらうまでだ」
イチカはそう結論づけて、今度は碧の隣にいるラニアに問いかける。
「ラニア。怪我はもういいのか?」
「もっちろん! 丸三日寝たあとは修行三昧だったわ」
ぐっと拳に力を込めながら、軽くウィンクをしてみせるラニア。
イチカは結界を通して修行の様子を垣間見てはいたが、怪我の程度は実際に確認してみないことには分からない。彼女の証言通り、外見上は問題なさそうだ。
しかし、いくら完治したとはいえあのラニアバカが黙っていないだろう。
「レイトが時間・食事・睡眠まできっちり管理してる上に、一日中付きっきりの修行だったけどね」
「ミリタム! そーゆーことは言わなくていいのっ!」
顔を真っ赤にしながら抗議するラニア。レイトの寵愛っぷりを見慣れてしまったらしいミリタムや白兎はおろか、碧でさえ悟りきったような表情でラニアを見つめている。
イチカはというと、いつもの無感情な顔から幾分か険をなくして彼女を見たあと、リヴェルの町中へ入っていくところだ。
その後ろ姿を視界に収めたラニアが、慌てた様子で引き留める。
「あ、イチカ! アイツにはもう出発するって言ってあるから大丈夫よ!」
「おれは何も言っていないんだが」
「あのっ、もし挨拶しに行こうと思ってたなら、って意味だからっ!」
「……そうか。それならレイトのところへ行く」
「だから行かなくていいってば!!」
イチカは笑いこそしないが、ラニアの反応を面白がるような言動を繰り出すばかりだ。ラニアもラニアで、どうしてか二人の顔を合わせぬよう必死である。このやりとりには碧、白兎、ミリタムもひたすら笑いを堪えるほかなかった。
そんな矢先、一行の背後に一陣の風が吹いた。
何かを囲むように円状に砂埃が舞い、視界が遮られる。
やがて風が止み、砂塵が掻き消えたその場所に、十人ほどの白い集団が方円形に立ち並んでいる。
頭からつま先まで白一色のローブを身に纏った奇妙な一団に、警戒心を露わにする一行。その中でただ一人、好奇心からか、彼らへ歩み寄るミリタム。先頭の白い人物が驚嘆の声を上げた。
「おや、あなた様は」
「僕が分かるの?」
「魔法士団に籍を置く以上、その名とお姿を知らぬは不見識も甚だしいというもの。ステイジョニス家のご令息様でありましょう」
全員が鼻先まで隠すようにフードを被り、どのような容姿かを確認することも難しいが、ミリタムに優しく語りかける声質は女性のように柔らかい。
「今の姿は知らなくて当然だと思うけど。それで、貴方たちはどこの魔法士団?」
「申し遅れました。我々、レクターン王国魔法士団の者でございます」
恭しく一礼するその人物に倣い、微動だにしなかった後方の魔法士たちが一糸乱れぬ動きで頭を垂れる。
「ネオン様からお話は伺っております。どうぞこちらの魔法陣へ」
魔法士が指し示した先の地面には、いつの間に描かれていたのか、複雑な文様の魔法陣が刻まれていた。
「【瞬間転送】の式だね。人数や目的地によって微妙に模様が違ってくるんだ」
「【瞬間転送】」
読んで字の如くである。
なお、魔法は原則サモナージ帝国及び領内出身者のみ使用できるが、例外として各国に一つ配備されている魔法士団だけは、大部分の魔法公使を許可されている。
それぞれ顔を見合わせて頷き合う。そして、誰からともなく魔法陣へと歩き出した。
皆が線の内側に入ると、一つ一つの線や式から光が立ち上る。
光の粒子に包まれた一行は、次の瞬間完全にその場から消えていた。




