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第九十七話 正統派VS非正統派

「あの……ヤレン様」


 サトナがおずおずと口を開く。何かに気を遣うように、視線だけをちらりとヤレンに向けて。


「そうだな。目の保養にはなるが、」


 その視線の意図を理解したのか、ヤレンが口元に笑みを浮かべて答える。そして意味深に眼を細め――『彼』と『彼女』を見つめた。


「いい加減空気というものを、読んでもらおうか」


 二人の巫女の前には、今にも暴れ出しそうな魔族の擬似体。


 彼女らは表情にこそ出さないものの、それを辛うじて神術(しんじゅつ)で押さえ込んでいるところだった。





 どのくらい、そうしていたのだろう。

 時が止まったのか、あるいはあれから何時間、否、何日も経ったような気さえしていた。

 むしろこのまま膠着すればいいと思うほど、今いる空間は心地よくて。


「アオイ」


 不意に名を呼ばれて、仕方なく、おもむろに意識を現実に引き戻す。

 温かい何かが、胸の位置にある。ちょうど良い温度で、下手をすれば睡魔に襲われそうなほどだ。


 例えるならそう、布団のぬくもりから抜け出せない感覚。

 それ故に、なかなか手放すことができない。


「見せつけも結構だが、そろそろこちらの術が限界だ。そいつを解放してやってくれないか?」


 まるで寝起きのように、言葉がひどく遅れて届く。

 放っておいてほしいと思いながらも、頭は勝手に文章の組み立てを始めていた。


(“見せつけ”……“術が限界”……“そいつ”を“解放”……?)


 ゆっくりと瞳を開く。


 飛び込んできたのは、艶やかな光沢のある銀色。その下には重厚そうな鎧。

 そして自身の腕は、その鎧ごと引き寄せるように交差されている。


 顔の真下にある銀糸に、暫し見とれた。絹のようにさらさらとしていて、それでいて傷みもない。羨ましいと思う。


 突然、今までの出来事が脳裏を駆けめぐった。


 気づけばいつも眼で追っている背中。

 表情の読めない切れ長の銀眼。

 瞳と同じ色合いの髪を持つ、自分と同じところから来た、自分とは正反対の少年。


 それが今目の前で、半強制的に抱き寄せている人物だと分かったのはそれからすぐのことだった。


 体温が急激に上昇して、反射的に両手が挙がる。その体勢のまま数歩後ずさりした。

 顔が熱かった。とりあえず何か言わなければ思う前に、口が動いていた。


「ごっ、ごごごごめんなさい!! 身体が勝手に……ってそれもヘンだ! えーと……!」


 少年は――イチカは何も言わない。

 こちらから表情は見えないが、少なくとも纏う気にも変化はない。


 非難されたならどんなに良かっただろう。

 今の(あおい)にとって、彼の無感情ほど恐いものはなかった。非難する価値もないと思われているようで。


「ホントに……迷惑なことしちゃって……」


 しょぼくれていく碧の言葉を聞いているのかいないのか、イチカはやはり無言だった。

 剣を拾い、立ち上がる。


「――いや」


 思いがけず否定の言葉が前方から聞こえ、碧は耳を疑った。


「助かった」


 振り向いて、横目ながらも碧を見て、確かにそう言った。

 それだけで抱いていた不安は一瞬で消え去り、嬉しさが込み上げる。


「話の続きを聞いていなかったな。おれの修行の相手はこいつか?」


 イチカは碧から目を逸らすと、ヤレンにそう問いかけた。


「ああ。ただし条件付きだ」


「条件付き?」と問いたげな顔をしているイチカを見て、ヤレンはそれまで浮かべていた笑みを消した。

 どことなく和らいでいた空気が張り詰める。


「できる限り早い方が良いが、何日掛かってもいい。そいつを()()


 それはつまり、“ただの”修行ではないということ。

 イチカの、物足りない左手が握り締められている。


「それでおれは、強くなれるか」


 俯いていて表情はうかがい知れないが、少なくとも彼の覚悟は碧にも感じ取れた。


「保証しよう。だが忘れるな」


(イチカ……)


 碧は気が気でなかった。

 彼とうり二つの魔族の殺気は異常なほどだった。巫女とは相反する存在、それもどうやら上位種らしい魔族。その疑似体を、一体どういう神術を使えば作れるのか甚だ疑問ではあるが――いくら姿形を似せた紛い物だとはいえ、この修行は熾烈を極めるだろう。


「剣技を極めるだけが強さではない。護りたいもの、護るべきものを認識し、どれだけその想いを明確にできるか……。想いだけで強さは変わる。それをしっかりと肝に銘じておけ」

「……ああ」


 今までと同じで、違う。彼の目つきが変わったのが碧には分かった。まさに覚悟を決めた瞳だ。やり遂げようとする信念、相手に打ち勝とうとする意思が、確かに伝わってきた。それはこれまでのような降って湧いた責任感だけではなく、自らの意思で選び取ったという証。


 想いは、彼の手にある剣にも行き届いたようだ。

 その色は、いつか見た紅。


「……!」


 ヤレンが瞠目し、イチカの剣を凝視している。彼女もまた記憶に残っている光景なのだろうか。心なしか瞳が潤んでいる。しかしそれも一時のことで、次には全てを振り切るように視線を逸らしサトナに目配せした。

 

 頷き、両手のひらを打ち合わせるサトナ。次いで対象へと両手を向け、言葉を紡ぐ。


「【(カイ)】!」


 この時を待っていたと言わんばかりに、とてつもないスピードと猟奇的な笑顔でイチカに向かっていく『セイウ』。

 イチカは今度は自分を見失わなかった。冷静に相手の剣を受け止めている。


(見届けなきゃ。この修行、ううん、「闘い」の結末を!)


「アオイさん」


 決心したのも束の間、凛とした声が碧を呼んだ。

 振り返ればサトナが、彼らとは正反対の空間に手を差し出している。


貴女(あなた)はこちらへ。神術の伝承に移ります」


 一瞬、何を言われたのか理解できなかった。


「“伝承”、って……もう教えることはないって」


 初めて『巫女の森』を訪れた時、彼女は間違いなく「私から教えられることはこれだけです」と断言したはずだ。

 それに、教えたい技があると言ってきたのはヤレンのはず。


 混乱していると、サトナは碧にとって予想外の言葉を言い放った。


「あれは嘘です」

「嘘ぉ?!」


 頭を固い床に打ち付けたほどの衝撃を受けて、碧は暫し立ちすくむ。


「どういうことですか嘘って!? 悪ですよそれ!」

「いいえ。神の御言葉は絶対、時には嘘をつくことも肝心です」

「サトナさん、無理してません?」


 悪に関して潔癖なまでの言動を取るサトナが、嘘を肯定的に捉えるとはどうしても思えない。前回、嘘をついた回数をわざわざ数えて謝罪してきたくらいなのだから。


 碧の読みはあながち間違っていないようで、淡々と話すサトナの瞳に光がない。身体も小刻みに震えており、本心でないことは明らかだったが、サトナは魂が抜けたように「いいえ」と述べるのみだった。


 碧が諸々の意味で戸惑っていると、途端にサトナの顔が真剣味を増す。


「それに今回お教えするのは、神術に不可欠な『癒しの力』。つまりは治癒の術です」

「“治癒の術”……ってことは」

「ある程度の怪我は治すことが可能になります。以前貴女(あなた)が怪我をされた際、あの子が傷を治してくれたでしょう? あれが中位神術の【()】です」


 もう何ヶ月前になるだろうか。魔王配下である烏翼使忍者(うよくしにんじゃ)烏女(ウメ)による襲撃で、碧は腕に傷を負った。イチカがくれた包帯を巻いた直後、白い少女が現れ、傷を癒してくれたのだ。あの時は幽霊かと思ったが、そうではなかったらしい。


 攻撃系の神術は使えても、傷ついた仲間を癒すことはできなかった。

 今まで見守ってばかりで、肝心なときに役に立てずにいた。


 やっと、役に立てる。

 それを考えたら、何故か目頭が熱くなって。


「えへへ」


 頬に涙が伝うのも構わず、碧は笑みを浮かべていた。


「なんだろ。すっごく嬉しい……!」


 碧が心の底から歓喜していることが分かったのだろう。ほんの少し照れくさそうにサトナも微笑んでいる。


「よしっ! そうと決まったら早く行きましょうサトナさんっ!」

「そうですね」


 泣き笑いから一転明るく言い放った碧に、サトナは朗らかな笑みを向ける。


「言っときますけど完璧に修得するまで帰しませんよ?!」

「え? はぁ……」


 それはむしろ(わたくし)の台詞だと思うのですが……、という言葉は碧のハイテンションな声に覆い隠されてしまう。


「さぁさぁレッツ修行~~!!」

「……」


 この先大丈夫かしらと、誰にともなく呟いたサトナの言葉は、当然ながら碧の耳に届くことはなかった。





 端から見れば愉快な光景を見送ったのち、ヤレンは表情を引き締める。


(奴の修行は私が責任を持って見ておこう)


 揺るぎない視線の先には、銀色の髪をした少年。

 普段と変わりない表情に見えるが、普段以上に集中していることは確かだった。


(万が一の場合、『奴』を制御せねばならないからな)


 相手の姿はない。

 それどころか、気配すら感じられない。


 剣を片手に一人佇み、イチカは周囲を見渡している。


 彼は知る由もないが、高等結界【(シャ)】が解かれたことで魔族の特徴とも言える瘴気しょうきは認識しやすくなっている。それでもなお、イチカの並外れた探査網に引っかからないのだ。


 その上、他の動物たちの気配も皆無。

 否、あるにはあったが、皆怯えているのか身動き一つしない。


 仮初めとは言え人ならざる邪気である。身を潜め、息を殺していようとも、人間の何十倍もの危機察知能力を持つ動物たちには容易に感じ取れるのだろう。


 しかし、「人間離れした」知覚能力ならばイチカとて負けてはいない。いくら身を隠そうともあの莫大な瘴気だ。仮に結界が機能していたとしても、あれだけの瘴気はそう隠しきれるものではない。


 変化は唐突に訪れた。


 迫る猛々しい殺気。

 場所は――

 

「――?!」


 驚愕の表情を浮かべながらも振り向きざまに方向転換し、勢いをつけて後方に飛ぶイチカ。

 わずかに遅れて地面が砕け、拳大の破片が舞う。


 土煙が上がり、辺りは黄土色の霧に包まれた。


 今のイチカの三倍はある威力の突き。

 戦士とは思えぬ、『卑怯』とも言える手口。

 そして、速度。


 またしても相手は気配を絶っているようだ。戸惑いを隠せないイチカの、地面に映る影が一層濃くなったのは次の瞬間だった。

 瞬時に状況を把握し、振り仰ぐ。


 爆風を利用し、頭上を陣取った相手の攻撃。辛くも防御に成功するが、受けた衝撃の軽さに気を取られたらしい。『本物』の軌跡が迫っていることに気付いていない。


 肩から胸にかけての一撃。吹き出る鮮血。ぐらりと身体が傾く感覚が彼を襲ったはずだ。

 そう、まるで本当に斬られたかのように。


 自身が五体満足であることが不思議そうに目線を下げ、イチカは不格好な左手を見つめている。


(戸惑っているな)


 ヤレンは一連の応酬を、瞬き一つせずに見ていた。


『敵』の闘気、殺気、剣圧、振動は、イチカの意識が感じ取っている。傷を負ったように錯覚するのも、意識の一時的な誤作動のためだ。

 忠実に再現されてはいるものの、実体はヤレンと同じく意識である。そのため、相手の意識に直接届く攻撃でなければ『倒す』ことはできない。


 それに、と目を眇める。


 四百年前のあの日もそうだった。常軌を逸した剣技。異質で、しかし華麗な剣捌き。

 微笑みたくなるような懐かしさは、今はない。


(正統派剣術で敵と渡り合ってきたお前にとって、戦いを楽しむためだけの『奴』の剣術は手強いぞ)

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