表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
102/203

第九十六話 汝、その名は(2)

 サトナは一人の少女を連れてきていた。

 ただ、その顔は分からない。白く、つばの広い帽子を目深に被っているからだ。

 それでも“少女”だと特定できるのは、同じく白いワンピースと白い靴を身につけているから。


 忘れもしない。イチカはウイナー郊外の森で、あおいは魔族との戦闘の後、少女と出会っている。


「どちらも、見覚えがあるようだな」


 ヤレンが二人の心の中を覗き見るように、余裕のある笑みを浮かべる。


「それは私の分身だ。使える神術(しんじゅつ)は少ないが厳選に厳選を重ねてある。その成果はお前たちもよく知る通りだ」


 簡潔な説明をし、イチカに向き直る。


「さて、それではイチカ」

「どうやらあんたは、相当におれを馬鹿にするのが好きならしいな」


 自分ではないと、その次に現れたのは年端もいかぬ子供。

 修行相手がその少女だとすれば、イチカが怒りを露わにするのは無理もない話だ。


「あんたがこの件に関してまともに動いてくれているとは、到底思えない」


 そう言って、今すぐにでも踵を返して帰っていきそうな勢いのイチカ。碧も、少女が修行相手だと信じたわけではないが、納得できる状況でもない。


「確かに、信用しろと言ってもすぐには無理だろうな。だが忘れてもらっては困る。こちらはまだ説明の途中だ」


 静かな声調が、イチカの足を留まらせた。


 サトナが少女から離れ、距離を置く。

 少女を挟んで、互いに向き合ったヤレンとサトナは目配せをした後、双眸を閉じて手を組み合わせる。


 複雑に瞬時に各自の指を絡ませ、何らかの神術を造り上げていく。


 一瞬の間をおいて、ヤレンは片手を、サトナは両手を同時に少女に向けた。そのまま静止し、高らかに言霊を発する。


「我が名はヤレン・ドラスト・ライハント」

「その守護サトナ・フィリップ!」

「汝の魂は解き放たれた!」

「今一度、仮初めの身を以てここに降臨せよ!」


 交互に詠唱が発せられるたびに、少女の周囲に発生した風が勢いを増していく。

 微風から強風、竜巻へと強度を変え形を変えたそれは、やがて少女の小さな身体を地面から浮き上がらせた。


「汝、その名は――」

『セイウ・アランツ!!』


 個人名が発せられた直後、少女の身体を破るように青年が姿を現す。


 肩で切り揃えられた銀色の髪、身に纏う鎧と瘴気(しょうき)。イチカが持つそれと同じ剣。いつか夢に現れた、イチカの前世だという魔族の姿そのものであった。


 緩やかに開かれた双眸も、銀色。

 重力に逆らって、ゆっくりと降り立つ。


 銀と銀の双眸がかち合う。

 前世と生まれ変わりが邂逅(かいこう)を果たした瞬間だった。


 未だ漂う少女の残骸が青年の頬を撫で、舞い落ちる。


 それとほぼ同時。

 爆速で膨れ上がった殺気が、根源的な恐怖と不安を煽った。


「――っ?!」


 すんでのところで構えたイチカの剣に、相手のそれがのし掛かっていた。

 急接近した表情を見て唖然とする。


 場違いな笑みを浮かべている。二刀流の魔剣士よりも一層深い笑みだ。

 友好的とすら思えるそれに、しかしイチカは心肝から恐怖した。


 ――抗えない。歯向かえない。

 

 確かに柄を握っているはずの手の力が、抜けていく。


「恐れるな!」


 すかさず後方から叱声が飛んだ。


「何故早々に諦める? 何故それを認めてしまう? お前は手向かうことすら知らぬのか! それとも……手向かうという感情すら、過去に置き忘れたか!」


 ――“手向かうという感情すら、過去に置き忘れたか!”


 ヤレンの声が、どこか遠くで木霊する。


 過去とは、何だったろうか。

 暗闇に投げ出されたイチカの脳裏に、毎日のように繰り返されたある光景が甦る。

 

 

 


 決してこちらを振り向かない背中。うっすらと血の滲んだ拳。非情なまでに鳴り響く、納屋の扉を閉める音。


 また、何日かは外に出られない。

 それでも、不思議な安堵感があった。壊れてまともな時を刻んでいない時計を見たからだ。


(……あ)


 右眼が腫れ上がっているため、ぼやけて見えにくいが、何とか長針が見えた。


(今日は一〇分でやめてくれた。抵抗しなかったからかな)


 放置されたゴミ袋から立ち込める悪臭。

 カビ臭く薄暗い室内。

 体温を奪う冷え切った床。

 鈍痛。激痛。倦怠感。


(そっか。母さんは僕が言うこと聞かないから殴るんだ。何にもしなきゃいいんだ。そうしたらいつか、母さんは僕を許してくれる)


 信じた。信じていた。


(ハル兄と同じくらい、僕を好きでいてくれる)


 ただそうなることを、信じていた。願っていた。望んでいた。


 それなのに、向けられる眼差しは日を追うごとに強く険しくなっていった。

 憎悪に染まった視線は、やがて殺意へと変化していった。


 ――『死ねばいい……あんたなんて!』


「っう、ああ……!」


 なんとか抜け出して通った学校にも、味方はいなかった。

 ほとんど一日中納屋に閉じ込められ、全ての世話を放置された自分に、周囲は冷たかった。


 ――『うわっ、お前臭ぇーー!』

 ――『バーイキン! バーイキン!』

 ――『――くん、あのね、給食費が払われてないみたいなんだけど……もう一回、お母さんにお願いしてみてくれないかな……?』


 ようやく解放されたのは、小学校を卒業する頃。

 父方の叔母夫婦に偶然発見されたことで、母親の育児放棄が発覚。児童養護施設に入所することとなってから、二年が経とうとしていた。


 引き取られた当初こそ歓迎するような空気だったが、次第に彼らは自分を見なくなった。叔父には元々興味を持たれていなかったが、叔母の心変わりは顕著だった。仕方なさそうに、迷惑そうに扱うようになった。

 そんな彼らも外面だけは良く、取り繕ったような貼り付けた笑顔をよく浮かべていたが。


 ――『顔ぐらいしか取り柄がないんだから、もう少し愛想良くしたらどうなの?! ああ、こんな何もできない子引き取るんじゃなかったわ!』

 ――『おい、殴ったりするなよ。近所に騒がれたら面倒だ』

 ――『何よ、自分だけいい顔して! あたしにばっかり押し付けないで!』

 ――『オレはガキが大嫌いだって言っただろうが。顔だけ見て引き取ってきたのはお前だろ』

 ――『あなただって賛成してたじゃない! ――』


 暴力を振るわれることはない。食事も作ってもらえるし洗濯もしてもらえる。水回りを使うことも禁止されていない。

 それでも、世間体ばかりを気にする家庭に居場所はなかった。


 知り合いのいない中学校に入学することになった。

 環境が変われば、状況も変わるかもしれない。


 そんな考えは幻想だった。

 すでに出来上がっていたコミュニティに「よそ者」が馴染めるはずもなく、孤立した。

 小学生の頃と同じか、それ以上の仕打ちが繰り返されるばかりだった。


 ――『なんかさぁ、影薄くない?』

 ――『暗すぎじゃね? いるだけでテンション下がるんだけどー』

 ――『黙ってねーでなんか喋れよ、気持ちわりーな。幽霊かよ』

 ――『ヤバいんだけど! この教室幽霊いる! うち呪われるー!』

 ――『落ち着け! みんなで花を供えれば大丈夫だ!』

 ――『え? この墓汚ねーから水かけただけなんだけど』





「うぁあああーー!!」


 笑顔。笑顔。笑顔。笑顔。


 周りはいつも笑顔で満ちていた。嘲笑、冷笑、嗤笑、憫笑、そればかりで溢れかえっていた。彼らが笑えば笑うほど、自分がちっぽけなものになっていくように思えて仕方がなかった。


“自分”とは一体何なのか。“自分”の存在価値は。“自分”は何のために生きているのか。


「おれ、は……おれは……!!」

「イチカ!!」


 自分の名を呼ぶ、誰かの声がした。

 程なくして柔らかな匂いと、ぬくもりが背中に覆い被さる。


 首元に回された腕が怖かった。

 恐怖心を打ち消したのは、耳元で語りかけてくる優しい声。


「大丈夫」


 そっと、回された腕に力がこもる。

 不安に陥れるような動作ではなくて、あくまでも優しく、壊れ物を扱うように(いだ)かれた。


「この世界のどこにも、イチカを嫌ったりイチカの悪口を言ったりする人はいない。怖がる必要なんて、ないんだよ」


 確かにこの世界の人々は、最初こそ好奇の目で見てきたが、自分を悪くは言わなかった。日本人そのものの見た目を封印したことで、変わることができたようにも思う。


 けれど、やはり人は信用できない。良香(はるか)以外の言葉は信用ならない。

 それなのに。


「だから、大丈夫。安心して?」


 何故彼女の言葉は、こうも容易く信用できてしまうのだろう?

 

(知らなかったからだ)


 こんなにも優しいぬくもりを。体温だけではない温かさを。

 それらに付随して、初めて生まれる本当の『優しさ』を。


 答えを自覚して間もなく熱い何かが込み上げて、双眸から流れ出た。


 一つ、二つと、雑草に当たっては跳ね返る雫。

 それを見て、背後の気配が微かに息を呑んだ。


「イチカ……泣いてるの?」


(――泣いている?)


 視界が霞むこの感覚。そう言えばこんな感覚が、昔はあったような気がする。必要ないと思っていたから、いつの間にか泣き方すら忘れてしまっていたらしい。

 普通は、悲観的な気分の時に流れるものだったはずだが。


「そうか……おれは、泣いているのか」


 今は、そんなことはどうでもいい。


 もう一つ、感じるものがあった。身体の奥底から沸き上がる何とも形容しがたい感情。それは哀しみではない、むしろその対局に位置する感情のように思えた。

 

 

 


「やれやれ……『喜』とそれに関わる複雑な感情、二つの感情を同時に覚醒させるとは。私以上だと思わないか、サトナ?」

「そうかもしれませんね……」


 彼らを見つめていたヤレンは、そのように感嘆の声を上げた。サトナも温かな眼差しで、碧とイチカを見守っている。


 錯乱して剣を取り落とし、その場でうずくまってしまったイチカ。そんな彼を目撃するや駆け出していった碧。一時はどうなることかと思ったが、碧に抱き締められたイチカは徐々に落ち着きを取り戻し、感情さえも取り戻したようだった。


「なかなか絵になってるじゃないか」


『救いの巫女』は、満足げに微笑んだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ