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第九十四話 決意と決心(3)

「ん……」


 ぼんやりと、前方の風景が映る。

 白い空間。天井だろうか。


 一度瞬きをすると、真っ白い空間が不意に何かに遮られた。

 徐々にその全貌が明らかになってくる。


 紫の短髪。糸目の奥は未だうかがい知れない、終始笑みを浮かべた顔。


「やぁ、気が付いたみたいだね」

「……レイト?! どうしてこんなトコ、に……っ……」


 思いがけない人の姿に身を起こしたラニアだが、その反動で身体の節々に痛みが奔る。


 脂汗が滲むほどの苦痛に耐えていると、そっと肩に触れるものがあった。僅かに険しい顔をしたレイトの手だった。そのまま少しだけ力を入れたかと思うと、ゆっくりとベッドに押し戻される。


「まだ起きない方がいい。全体的に傷は浅いけど油断できないからね。それに僕は君たちを保護してあげたんだ。覚えてないのかい?」

「覚えてないわ、記憶が飛んでて。確か、魔族に襲われて……」


 瞬間、記憶が波のようになだれ込んでくる。

 こんなところで、悠長に会話をしている場合ではない。


「そうよレイト! 魔族は!? 魔族はどこにっ?!」


 即座に起き上がり腰元を探るが、肝心の銃がない。まだ戦いは続いているのに。

 

 混乱するラニアの額に、今度は大きな手のひらが触れる。それ以上の動きを制するかのように。


「僕が来たときにはもう何もいなかったよ! だいたい“保護してあげた”って言ってるのに、どうして魔族が出てくるんだい?」


 それもそうだ、とラニアは振り回していた腕をはたと止める。よくよく見回せば、ここはレイトの家で、それも自身が寝室として使わせてもらっている部屋だった。

 

 正気に戻った途端傷口が開いたのか、またもや全身を駆け巡る痛み。


「ったたた……」

「言ってる側から動く」


 たしなめるような言葉とは裏腹に、レイトは楽しそうだ。痛みで小さくなるこちらを暫し見つめてから、くすくすと笑い出した。


「ホントに君は、おっちょこちょいで可愛いなぁ」

「~~っ」


 顔に瞬時に熱が集まるのを感じた。

 彼はいつもこうやって不意を突いてくる。


 頼みの綱の銃はレイトがホルスターから抜き取ったのだろう。万が一の暴発を防ぐためでもあるだろうが、十中八九ラニアの“照れ隠し”対策だ。

 よって彼女は、恨めしげに婚約者を睨み上げることしかできなかった。

 

「ごめんごめん、久しぶりだからつい。でも、君が可愛いのは周知の事実だろう?」


(どうしてこう、次から次へと歯の浮くような台詞を言えるのよ?!)


 レイトの謝罪は結果的に、ラニアをより膨れさせただけだった。

 

(でも、そうよね)

 

 婚約者となってからたった三年、されど三年。定期的に会ってはいたが、「久しぶり」という言葉が出るほど離れていたのはいつぶりだろう。二人きりで過ごす、当たり前のようで貴重な時間。この穏やかな空間に、少しでも長く浸りたい。


「ねぇ、ラニア」


 会話が途絶えて、どれくらいの時間が過ぎただろうか。

 睨むのも疲れたラニアは外を眺めていたが、レイトからの呼び声に振り向く。


「なに?」


 目元は笑っているのに、表情全体で見ると真剣な顔。ただならぬ空気を感じ取り、彼の言葉を待つ。


 レイトは黙ったまま自分の両手を移動させ、ラニアの両手を包むように持ち上げた。

 そして、興味深くそれを眺めていたラニアと目線を合わせる。


 レイトの手の力が僅かに強まった。


「式を挙げよう」


 唐突すぎて、何を言っているのか理解できない。

 そんなラニアの心中を見通しているかのように、レイトは入念に続ける。


「正式に夫婦になって、ここで一緒に暮らそう」

「ふう、ふ……?」


 まだ上手く働かない頭で、彼の言葉を反芻し、ようやく把握できた。


 いつかこんな日が来るのだとは思っていた。だが、こんなに早く、こんな時期に。

 

「だって、あたしまだ十五よ? 結婚は十六になるまでは……」

「そうだね。だからせめて同棲しよう。いや、君がリヴェルに住むのでもいい。とにかく僕の側にいてほしい」


 話がめちゃくちゃだ。彼はどうしてこんなに焦っているのだろう。


「正直僕は気が気じゃなかった。婚約者の僕の目の届かないところで、僕以外の男と君を旅させるなんてね」


 答えの代わりにぶつけられた言葉の節々に、独占欲の強さが窺える。ラニアの肩が小さく震えた。


「でも君がどうしても、って言うから……危険だと分かっていたけど、敢えて行かせてあげた。それがこの有様だ。今はこれだけで済んだけど、次はどうなるか分からない。死んでしまうことだって、あり得る」


 目を伏せるラニア。

 確かに、その通りだ。


 人外の敵との戦いは、これからも熾烈を極めるだろう。

 これまではたまたま運が良かっただけだ。彼の言う通り、いつ誰が犠牲になってもおかしくはない。

 

「君を幸せにしてあげたい。でもそれ以上に、君を危険に晒したくない」


 切実な訴えが鼓膜を震わせる。


 こんなにも真摯な言葉は初めて聞いた。そして、なんて悲痛な響きだろう。今までにないほどのまっすぐな想いで、彼は自分に相応の答えを求めている。


 だが、できない。今は応えることができない。


 ラニアはシーツをきつく握り締め、断腸の思いで言葉を紡いだ。


「ありがとう、レイト。でも――ごめんなさい」

「ラニア……」

「あたし、今が平和だったら、こんな状況じゃなかったら、跳び上がって喜んでた。でも、ダメなの。大切な仲間が、魔族に狙われてる。あたしじゃ何の役にも立てないかもしれない。だけど、この戦いの結末を見届けるまで、イチカたちと一緒にいたい。この気持ちは変わらない」


 それが、想いの全て。


 レイトは納得がいかないようだった。唇を噛み締めて、黙り込んでいた。

 零れる溜め息。


 その次に何を言われようと、ラニアは譲るつもりなどなかったが――意外なことに、その唇が笑みの形に緩んで。


「そうだったね……すっかり忘れていたよ。ラニア、君は筋金入りの頑固者だってこと」


 やると言い出したら聞かない。冒険が大好きで、止めてられても「行く」の一点張り。

 ラニアは幼い頃からそんな少女だった。


「そしてそんな所も、僕が君を好きになった理由の一つだってこと」


 ようやく、レイトにいつもの笑顔が戻った。


「レイト……」


 いつかもこんな風に笑顔で見送ってくれたことを思い出す。おまじないと言って、手の甲に口付けた彼。まるでお伽話のお姫様と王子様のような展開だと、ぼんやり思ったものだ。


 そう考えているうちに、あの日の光景が鮮明に浮かんできて、顔が熱くなる。きっと今、自分は真っ赤だ。

 

(勝手に赤くなるなんて頭がおかしいみたいじゃない!)


 必死に頭を振って熱を冷まそうとするが、火照りは消えない。俯いて隠すしかなかった。


「ラニア」

「あっ、なに――」


 未だ重ね合わせられたままの手のひらに体重が掛かる。

 顔を上げれば、レイトの顔が間近に迫っていて。


 驚く暇もなく、ほんの一瞬唇が重ねられた。

 ラニア自身、片手で足りるほどしかしたことがない。そのどれもが、今のようにレイトからの不意打ちだった。


 呆然とするラニアに見せつけるように、自らの唇の前で人差し指を立てるレイト。


「おまじないの効力維持。平手でも飛んでくるかと思ったけど……満更でもなさそうだねぇ? もう一回しようか?」


 宣言通り近付いてくる婚約者の顔。それでようやく、自分の身に何が起きたのかを自覚したラニア。羞恥で顔から湯気が出そうだ。


「っの、バカレイトーーー!!」





 派手な音と叫び声が響き渡る。


 庭にいたあおいとイチカの耳にもそれは届いている。

 発砲の音でなかっただけ幸いか。


「何かされたのかな、ラニア」

「さあな」


 イチカはそれだけしか言わなかったが、碧は言外に何か違う意図が含まれているような気がした。しかし、それを推測するのは容易ではない。


「あ、ごめんね、急に呼び出したりして」

「……別に」


 そうは言うものの、先ほどから彼はずっと眼を閉じて塀に寄りかかっている。

 手短に済まさなければならない気がして、碧はさっそく本題を切り出した。


「ヤレンから【思考送信テレパシー】があって。「教えたい技がある。()()()()()()()()()()()()からお前も来い」って言われたんだけど、一緒に行ってもいい、かな……?」


 瞬間、イチカの眉間に深い縦線が刻まれる。

 機嫌を損ねただろうかと、碧は慌てて追従する。


「あのっ、白兎ハクトとミリタムも行くかもしれないし、一緒が嫌なら時間ずらすし……!」

「構わない」

「……え?」


 何に対する「構わない」なのか、測りかねて視線を上げると、イチカの視線とぶつかった。眉間の皺はどこへやら、イチカはいつもと変わらない表情のまま碧を見つめていて。


「明日の朝食後に出発する」


 それだけ補足すると、イチカは視線をそらし、レイト宅へ戻っていった。


(さ、三秒……)


 正面から目が合って思考が停止しそうになったものの、頭はしっかり時間を数えていた。

 たかが三秒、されど三秒。

 これまでは、長くても一瞬向けられるだけだった。


(やっぱり、キレイだったな)


 元々は同じ漆黒だったとは思えないほど、よく馴染む銀色。

 何よりも、殺気や侮蔑といった負の感情が一つも混じっていない、純粋な瞳を向けてくれた。

 そのことが、碧の心を高揚させる。


 明日からしばらくは二人だけになるが、何とかやっていけそうだ――。


「――え? ()()()()? 二人きり……?」


 ようやく事の重大さに気が付いた碧は大慌てで白兎とミリタムを誘いに行ったものの、「そんな野暮な真似できるワケねェだろ」「お邪魔しちゃ悪いし、楽しみなよ」とそれぞれから激励されてしまうのだった。

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