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ラスト・トラベラー ~救いの巫女と銀色の君~  作者: 両星類
第一章 見たこともない世界
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第十話 黒い瞳(2)

「おれはお前たちと別れて森を歩いていた。そうしたら、目の前に子供が現れて――」


 嫌忌の対象から離れたかったこともあるが、足は自然とその森を目指す。声が聞こえたわけではないのだが、何かに呼ばれているような気がして、気がつけば随分と奥の方まで入り込んでいた。


 突如浮かび上がった白い人影。それに対する警戒心は、その小ささと挙動を認識した途端急速に(しぼ)んでいった。四、五歳ぐらいの小さな子供が両拳を目元に当て、肩を震わせている。いつの間にか葉擦れすら聞こえなくなっていた空間で、子供のしゃくり上げる音だけがやたらと大きく反響していた。


 両肩を覆い隠すほど()()の広い白の帽子を目深に被っていて、その容姿を窺い知ることはできないが、袖のない白いワンピースを身につけていることからどうやら少女らしいと推測する。


「どうした?」


 歩み寄り、片膝をついて話しかけるが、少女は肩を震わせて泣いているばかり。


「泣いていても分からないだろう。はぐれたのか?」


 根気よく訊ねながら、何故少女がこんな森の中にいるのかと考える。一見したところ、少女の外見に目立った傷はない。自ら問うたとおり両親を見失った、というのが最も有力な理由に思えたが、少女は首を横に振った。


「……ぉ……」

「?」


 考えあぐねていたところに、ようやくか細い声が届く。しかし、耳を澄ましても聞こえないほど小さい。


「まおうぐん、アオイを、ころそうとしてる」

「……」


 弱々しい声は、確かにそう告げた。正直、願ったり叶ったりだと思ったことは否めない。しかし、少女はそれを一因として泣いているらしいのだ。名詞に不快感を覚えながらも、続く言葉に黙って耳を傾ける。


「みんなが、そろうまで、イチカがまもらないと……アオイがしんじゃうの」


 辿々しい少女の訴えはまるで予言のようだ。言うとおりにしなければそれが現実となる、現実となった未来を知って泣いているのだ、と言わんばかりに。


 それ以外にも疑問がある。面識もなければ、自ら名乗った覚えもない。それなのに何故少女がこちらの名前を知っているのか。そして何故、自分ではなく他人に起こりうるであろうことで泣けるのか。


「“みんな”というのは?」

「イチカと、いっしょにあるいてるひとたち」


 直感的に、三年前から行動を共にしている少女らが浮かぶ。


「それならもう揃っている。それに、おれである必要はない」


 これ以上顔を突き合わせるのはごめんだ。その意味も含めて少女に返したものの、やはり必死に首を振る。


「ううん、ちがう、もうすこしふえるの。イチカには、ちからがあるの。そのちからがないと、アオイをたすけられないの……」


 説得力がない。どういう力があるから守らなければいけないのかが伝わってこない。

 そもそも、子供に論理的な説明を求める方が間違っているのかもしれない、と思い直す。


 ただの妄言として片付けることもできた。

 ――けれども。


「おねがい……みんなそろうまで……イチカが、アオイをまもってあげて……?」


 唯一見える丸みを帯びた頬に、無数の雫が伝う。

 どれだけ泣いても縋っても振り払われた子供時代に、その少女が重なった。ついぞ伸ばされなかった救いの手。それを、今度は少女に差し伸べるように。

 最終的には首を縦に振っていた。





「――全身白い格好をしたその子供は泣いていた。はぐれたのかと訊いたら、違うと言って。……あんたが」


 イチカは言葉を切り、(あおい)に視線を向けた。一瞬にして逸らされた銀色の瞳はその後は碧を映すこともなく、ひたすらに木目を捉えている。


「魔王軍に狙われる、と。仲間が増えるまでおれが守らなければ、あんたが死ぬと」

「あんたあんたって何なのよ……? 名前で言いなさいよ」

「いいよ、ラニア。なんとなく分かるから」


 イチカの態度に苛立っているらしいラニアが文句を垂れている。それを耳で捉えた碧が、小声でなだめる。


「……って、え? それだけで? “分かった”って言ったのか?」

「……泣いて頼まれたら断るわけにもいかないだろう」


 カイズの意外そうな問いに、イチカは多少間を置いて答えた。


 嘘は言っていない。核心部分を伝えなかっただけだ。助けてほしいときに助けてもらえなかった自分のような子供は、もう見たくなかった。だから、手を伸ばした。


 けれども、その心情を(さら)け出すかどうかは別問題だ。消し去りたい過去を否が応でも呼び起こすことになるから、彼としては極力触れたくないのだ。


「自分が傷つけて泣かせた相手にはごめんの一言もないのに? 幼女趣味なんじゃないの?」


 他方、あえて説明を省いたことにより、一部からさらなる反感の声が上がる。今度は確実に耳に届いたのか、イチカの眉間に皺が寄り、眇められた銀色の瞳がラニアを映す。小さな火花が二人の間に散っていて、まかり間違えば一触即発の事態だ。 


「ラニア、やめて。イチカの気持ちも分かるから。あたしも小さい子が泣いてたら、助けてあげたくなるもん」


 軽く身を乗り出して二人の仲裁に入る碧。ラニアは仏頂面ではあったが渋々引き、イチカは視線を明後日の方向に投げる。


 碧はひとまず衝突を回避できたことに安堵しながら、昨晩の状況と酷似した内容に内心驚いていた。


 ――【お前は……魔王軍に……狙われる……】


 ――【理由は言えないが……確かなことだ……それともう一つ……新たに三人……仲間に加わるだろう……】


(夢だと思ってたけど、似てる……偶然、なの?)


「けど、今のが魔王軍だってどうして分かったんです?」

「昨日と同じ気配だった」


 ジラーの問いにイチカが簡潔に答えると、カイズが疑問符を浮かべる。


「昨日……ってどんな気配だ……? 芋虫か?」

「芋虫のときは、気がついたら腹の中だったしなぁ~~」

「……あー、そうだったそうだった! 気配も何もあったもんじゃねーよな!」


 カイズとジラーの会話から、芋虫と百足を掛け合わせたような姿をした大型の魔物・セルフィトラビスが思い起こされる。


「……いや、微かに気配はあった。さっきの黒い羽根を放ってきた奴と似ていた」


 その会話が糸口となり、イチカの記憶も呼び起こされたようだ。

 そうは言っても、イチカ以外は察知することすらできていないので想像の余地もない。


「強いて言えば、邪悪な気配だ。人間がいくら真似たところで、到底及ばないほどの」


 辛うじて出た感想も誰が聞いても抽象的と言えるもので、仲間たちの理解を得るには足りなかった。


「何にしても、これ以上ウイナーの人間を巻き込むわけにはいかない。もちろん、他の場所もだ」

「旅に出る、ってワケね」


 ラニアの補足に頷くイチカ。

 一つ所に長く留まれば、それだけ周囲をも危険に晒す可能性がある。現に、ラニアたちと親交の深いウイナーの人々にまで魔手が及んだ。今回は操られただけで済んだが、今後危害を加えられないとは言い切れない。


 イチカの言外の懸念を感じ取ったのか、反論する者はいなかった。満場一致である。


「てことは、しばらく仕事もやらねーってことだよな?」


 カイズの言う『仕事』は、ウイナーの中心部にある『紹介所』で得ることができる。『紹介所』には日夜様々な依頼が寄せられ、その内容も「暴漢退治」から「浮気調査」「落とし物探し」など多岐にわたる。金額の多寡はあるものの、解決しさえすれば報酬を受け取ることができるため、小遣い稼ぎのために挑戦する者も少なくない。


 なお、イチカらはここ数年の間、高難度高報酬の仕事を総なめにしてきたため、ウイナーの中ではかなり名が知れ渡っている。


 報酬が得られないことへの嘆きか、心なしか残念そうなカイズにラニアが言う。


「何言ってるの、アオイの護衛っていう立派な仕事があるじゃない。さっきの話だとあたしたちも、イチカがアオイを守るために必要な仲間ってことでしょ?」

「あ、そうか。なんかカッコイイな、それ!」

「アオイの護衛かぁ~~。騎士みたいだな~~」

『……けど、報酬はなしか……』

「ご、ごめん……」


 途端に陰を背負い目に見えて沈み込む二人を見て、ついつい謝罪の言葉が口を突いて出てしまう碧。ラニアは浮き沈みする二人に溜息を吐いてから叱咤激励する。


「もう、しっかりしなさいよ! よく考えるのよ二人とも! 魔王軍を倒せばあたしたち、『英雄』なのよ?」

「英雄……てことは」

「報酬が……山のように?!?!」


 うおおおと盛り上がるカイズ、ジラーと満足げに頷くラニアを見て、碧は悲しさが込み上げる。たった二日ではあるが、様々な出来事を通して友情を築けていたと思っていただけに、あたかも「報酬ありき」の存在であるかのような雰囲気に溶け込むことができないのだ。


 三人から意識的に目を逸らした碧は、哀愁漂う銀髪の少年を視界に入れる。彼はあぐらを掻いたまま胸の前で腕を組み、両眼を閉じて物思いに耽っているようだった。


「あの……ごめんね。あたしのこと、嫌いなのに」

「仲間とやらが揃えばおれの役目も終わる」


 そう答えたイチカは双眸を閉じたままで、それ以上会話を続けようとする意思も感じられない。自身の気晴らしになればと投げかけてみた会話は、ものの一往復で終わってしまった。


(顔も見たくないのかも)


 若干の被害妄想を抱えた碧は、まだ見ぬ報酬で舞い上がる三人とも打ち解けられず孤立した。


 孤独感を強める碧の脳内に、微かに笛の音が響く。どこか懐かしさを感じる音色は、空虚な心を惹きつけるには十分すぎるほどだ。


(どこから聞こえるんだろう。外から?)


「アオイ? どうしたの?」


 ふらふらと入り口に向かう彼女に気付いたのか、ラニアが声を掛ける。


「なんか、音が……気分が悪くて。外の空気吸ってくる」


(――あれ? なんで?)


「音楽が聞こえない?」と訊ねるつもりだったのに、思考を上書きするように勝手に口走る自分自身に碧は混乱する。表情を曇らせる碧の様子から、ラニアも深刻そうに申し出る。


「ほんとに顔色悪そうね。あたしもついて行くわ」

「ううん、大丈夫。すぐ戻ってくるから、心配しないで」


(待ってよ。あたし、そんなこと考えてない)


 動揺する碧の心は置き去りに、表情が笑みを象る。ラニアの表情から、少しだけ緊張感が緩んだのが分かる。


「分かったわ。でも絶対に長居はしちゃダメよ」

「うん」


(違う、違うのラニア。あたし、何かおかしくなってるの……!)


 訴える心を置き去りに、身体は勝手に扉を開け屋外へと歩を進める。


 小屋から二十歩ほど進んだところで、澄んだ音色を奏でていた笛の音が急に耳障りな不協和音へと変わった。狂ったような荒々しいそれは苛立ちを象徴しているかのようで、たちまち焦燥感と不安感をかき立てる。

 

「っう……?!」


 今にも倒れ込みそうなほど不快な旋律。それにもかかわらず、足だけは何の影響も受けないまま前へ前へと動き続ける。


(どこに、行こうとしてるの……?!)


 碧の問いに対する答えは、背の高い木々のうちの一つに潜む者が持っていた。

 心の抵抗の表れか――ぎこちない動きで歩み寄ってきた碧を、鋭く見下ろす黒い影。


「今度こそ、息の根止めてくれる!」


 基本的に烏女の笛の音は、ある程度心身共に鍛えられている者には通用しない。ただし、通常よりも多めに魔力を込めることでいわゆる「一般人」以上に対象範囲を広げられる場合がある。碧はその拡張により網にかかってしまったことになる。


 強く乱暴な旋律に殺意を乗せ、烏女(ウメ)は木の上から笛を吹き鳴らし続ける。標的を、確実に仕留められる場所へ誘導するまで。


死の烏翼(デス・ウィング)


 手のひらにあった羽毛は、吹き掛けられた息によって方向を定め加速する。


「行け、我が化身!! 奴の心臓を貫け!!」


 見えない死の羽根は、主の望み通り確実に碧の心臓に突き刺さる――はずだった。


(動いてッ!!)


 羽根の気配を感じ取ったわけではないが、身体の奥底から湧き上がる危機感が警鐘を鳴らす。笛の音が一時的に止んでいたことが幸いしてか、碧の思い通り半身が捩れた。


「痛っ!!」


 しかし完全には避けられず、左腕に激痛が迸った。ただ掠めていっただけと思われたが、地面に垂直に突き刺さった羽根は小さいながらも刃物のように鋭い羽軸と無数の棘を備えており、毒のように静かに広がる痛みが、確実に碧の体力を削っていく。


「外したか……ならば!」


 烏女は舌打ちを一つ零し、木から軽やかに降り立った。目標を瞬時に捕捉し、風のように駆ける。その手に、黒き死の羽根を握りしめて。


(黒い()……)


 碧は荒い息をしながら、コマ送りのように突撃してくる女を認めた。全身を黒で統一したその姿は、衣装こそ違えど「忍者」のようだった。その上、吊り上がった瞳も覆面から()()()髪も日本人のように漆黒で、思わず気が抜けてしまう。


(なんだ。やっぱり日本人が住んでたんだ)


 彼女が羽根の射手だと知らない碧は友好的に微笑んだ。対する女は一瞬たりとも表情を和らげることなく跳躍し、碧の眼前に躍り出る。


 振りかざした手に握られた、上腕とほぼ同じ長さの黒い羽根。高速で迫り来る、刀剣のように尖った先端。探らずとも鮮明に感じ取れる殺意。


「死ねぇ!!」


 呪詛の言葉と同時に振り下ろされる凶器。逃れるには僅かに遅い。

 碧は強く目を瞑った。


「うあっ!!」


 聞こえた悲鳴が自分のものではないことに気付き、おそるおそる眼を開ける碧。


 草地に滴る赤黒い液体。漆黒の瞳を苦痛に歪め、脇腹を貫かれた女。視界の隅で揺れる銀髪。


「イチカ……!」

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