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ラスト・トラベラー ~救いの巫女と銀色の君~  作者: 両星類
第一章 見たこともない世界
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第一話 光に誘(いざな)われ(1)

 夕日に染められた住宅街を歩く、制服姿の三人の少女。無邪気な笑い声が、燃えるような紅い空に吸い込まれていく。


 初めこそ寄り添うように伸びていた影は、何をきっかけにか徐々に二つと一つに別れた。そのまま二つの距離は開いていくばかりで、前を歩く二人はそれに気づいた様子もない。


 恨みがましささえ感じられる瞳で二人を見つめているのは、日本人にしては少々珍しい焦茶色の髪を持つ少女だった。首の中ほどあたりまでのショートボブが、沈みゆく陽光を浴びて燦然と輝いている。


 いつまで経ってもこちらに気づかない友人たちに対する怒りか、それともまた別の理由か、握りしめられた拳が震えている。


 いよいよ焦れたのか、後方に一人取り残された少女はありったけの声量で叫んだ。

 

「つまんないっ!!」


 前を歩いていた少女らは呆気にとられた様子で振り向く。今の今まで会話に夢中だったのか、叫んだ少女が思いのほか後ろにいることに目を丸くしている。


「どしたの、(あおい)。てか離れすぎじゃない?」

「気づかなくてごめんね、碧ちゃん。それはそうと“つまんない”って?」


 怪訝そうな表情と、困惑したような表情をそれぞれ浮かべながら、二人が歩み寄る。

 碧、と呼ばれた少女はむくれっ面で順に二人を指差し、


「いる。……いる」


 なにやら抽象的だが、二人には理解できる内容だったらしい。

 戸惑い気味だった空気は得心がいったように氷解し、二人が同時に苦笑いを浮かべる。


「あ~~ゴメン。彼氏の話して悪かった」

「大丈夫よ、碧ちゃんならすぐに、」

「そーじゃないの! ……いや、そーなんだけどそれだけじゃなくて! なんか、もっとスゴイ冒険がしたいってゆーか」


 一体何だというのだ。二人の少女はそう問いたげに顔を見交わしながらも、黙って耳を傾ける。


「ごっつい鎧着た、すんごい剣の使い手のかっこいい人があたしを守ってくれて、それで……」


 いつのまにやら碧は手を胸の前で組み、明後日の方向を向いていた。漆黒の瞳はきらきらと形容できるほどに輝き、頬は微かに赤みを帯びている。


 彼女らが通う学校に何人かいる“イケメン”にその情熱を注いでいるのなら、聞き手の少女たちも進んで応援する気になっただろう。けれども碧が語る理想は、非現実的な空想に過ぎない。


 二人の少女に共通して沸き上がったのは、碧に対する危機感。それ以外の何物でもなかった。


 二人のうち一人、癖の強いショートヘアを両サイドの耳上で結った明海あけみは、少し釣り気味の目を憐れむように下げて。


「……碧。あんたとうとう、リアルと二次元の区別もつかなくなったか?」


 碧が何事か発する前に、たまりかねたように碧の肩を掴む。


「いい、碧? そーゆーのは、ゲームとか漫画の中の話だよ? そりゃあたしも好きだし、あんたの趣味をどうこう言う気はない。でも、あれは創作なの。作り物なの。目を覚ませ。現実を見ろ、現実を」

「で、でも、そういうの好きな男の子は結構いるし、まずは友達になってみたらいいんじゃないかな? 冒険とかは、ちょっと難しいと思うけど」


 鬼気迫る勢いの明海に代わり、肩までの髪を後ろで一つ結びにしたもう一人の少女、左保さほがおずおずとフォローする。明海に比べれば物腰柔らかだが、微苦笑気味な表情が、彼女と同意見であることを暗に物語っている。


 二人から同情のような眼差しを受け、居たたまれなくなった碧は。


「……うん。分かった」


 気落ちしながら一言、そう返すしかなかった。


 ――リアルと二次元の区別くらい付いてるよ。区別できてるから憧れるんでしょ。


 明海に言いかけた言葉は、深刻そうな顔を見た途端引っ込んでしまった。


 分かれ道で二人と別れてから、碧はさらに沈んでいた。何を言っても受け止めてくれる、そう信じていた小学校時代からの友人たちに、明らかにドン引きされていたからだ。


「せめて強い人とか、剣に興味がある人とか」


 諦めなければならない、という想いと、捨てきれない希望。

 覚えず溜め息が漏れる。


「なんか違う……」


 中学校生活二年目にして彼氏がいる友人たちが羨ましい、それは紛れもない事実だ。年相応に恋愛には興味があるし、憧れていた。

 しかし、碧が今日まで秘めてきた夢はそんな単純なものではなかった。


 ファンタジーな世界に入ってみたい。

 あわよくば、素敵な戦士に護られたい。――


『あれは創作なの。作り物なの。目を覚ませ。現実を見ろ、現実を』


 今の碧にとっては辛辣とすら思えるが、明海なりに碧の将来を案じてくれたからこそ出た言葉とも言える。どうでもいい相手なら、適当な反応を返して終わるはずだから。


(心配してくれてるんだよね。感謝しなきゃ)


 きっと時間はかかるけれど、いつかは「真っ当な考え」ができるようになるだろう。

 言い聞かせたものの、心のしこりは取れそうにない。


 もう一度嘆息し、何か面白いことはないかと、周りを意味もなく見渡して。


「ん?」


 人が横歩きでやっと通れるような狭い路地。

 その奥、目を凝らさなければ分からないほど小さな光。


「朝、こんなとこなかった、よね」


 小学生の頃からこれまで、十年近く往復している通学路。変化があればすぐに気付くはず。


(これくらいの道なら、学校行ってる間にできちゃうのかな? でもこんな不便そうな道、なんのために?)


 その間、数十秒だったかもしれないし、数分だったかもしれない。

 さんざん迷ったあげく、好奇心が勝った碧は、路地を覗いた。


「!?」


 何かに掬われるように、身体が宙に浮いた。


 直後、確かにあった外壁も、周囲の住宅も、全てが消え失せ、辺り一面仄かに黄色系に染まる。

 覗き込む前に見えた光だけが、変わらぬ距離感のまま点灯している――かのように思えたが。


(違う。近づいてる!)

 

 風はなく、引っ張られる感覚も押されている感覚もない。にもかかわらず、初めは点のようだった光が親指大、手のひら大と、徐々にその面積を広げていることに気づく。


 それとも――光が自ら近づいているのだろうか。

 確かなことは、このままでは碧は光に飲み込まれてしまうということだった。


 飲み込まれたら、どうなってしまうのか。

 想像もつかない未来に、心肝から恐怖心がこみ上げる。


 手足をばたつかせて必死に藻掻く碧。彼女の抵抗をあざ笑うかのように、視界を覆い尽くす光。


 あまりの眩しさに目を閉じたその瞬間、碧の姿は悲鳴ごと光に溶け込んだ。





「う、ん?」


 撫でるような生暖かい風と、制服越しに伝わるゴツゴツとした感触で目が覚めた。


 目の前には雲一つない青空。


 二、三度瞬きし、身を起こそうとするも、妙な気怠さで身体の自由が利かない。

 混乱して叫びそうになったが、喉の奥を風が通り抜けるばかりで、すぐに掻き消えてしまう。


(なっ、なんで!? どこか、動いてよ!!)


 目の奥がじわりと熱くなり、視界が霞む。


 ふと、先ほど瞬きをしたことに気付き、眼球を動かせないか試みた。

 上下左右動く。少しだけ恐怖心が薄まった。

 意を決して、周囲を見回す。


(え!? 何ここ、どこ?)


 瞳に映った光景はあまりにも絶望的で、再びその胸中を心細さが支配するには十分すぎるほどだった。


 朽ちた木々はどれもが痩せ細り、風が吹くたびに虚しい音を立てる。どこまでも広がる黄土色の地面には大小様々な石がまばらに転がるばかりで、草一本生えていない。木々の残骸よりも少し色が白く、細長い複数の物体が地に落ちている。目を凝らせば、動物の骨のようだ。確かに悲鳴を上げたはずなのに、音の乗らない空気が微かに口内から漏れ出ただけだった。


 見慣れた家々も、電柱も、車も、何もない。

 見渡す限り、青と黄土色の奇妙なコントラスト。


「おーい兄貴! 人が倒れてるぜ!!」

「もしかしたら死んでるかもしれないぞ。この辺物騒だからなー」

「だからってほっとくわけにもいかねーだろ。アイツらに喰われる前に助けねーと」


 遠方から少年のような声が響いたのは、そのときだった。


(人だ!!)


 感極まる心とは裏腹に、やはり働かない声帯。

 もう一度身体を動かそうとするが、相変わらず指一本ぴくりともしない。


(どうして!?)


 狼狽している間に近づく複数の足音。どうやら頭上の方から来ているらしく、姿を確認することはできない。そのことが、碧の不安を一層掻き立てる。


 砂利を踏みならす音が、止まった。


「大丈夫かー?」


 繰り広げられていた不穏な会話とは裏腹に、緊張感のない声が降る。逆毛の、くすんだ金髪が揺れている。細身の少年が上から覗き込んでいた。「細身」と言っても病的に痩せているわけではなく、必要最小限の肉付きがある。特別整っているわけでも、劣っているわけでもない容姿だ。猫のように少し目尻が吊り上がった目は、夜の初めのような深藍色。右耳には小指のつま先ほどの赤く丸いピアス。一見『不良』のように見えるが、その雰囲気から荒々しさや凶悪さは感じられない。


 大丈夫、と唇を動かしかけて、碧は別の場所に目を奪われた。


 少年が身につけている物には、嫌と言うほど見覚えがあった。

 何度も何度も漫画で目にした鎧と、腰に帯刀された細身の剣。


 ――夢のような光景だ。いっそのこと夢の方がいい。こんな都合のいい夢もう見られないかも。


 碧の瞳に、生気を伴った光が満ちていく。


「師匠ー! この子生きてるぞー!」


 彼女の輝いた瞳を見てか、次に現れた少年が後方に向かって叫ぶ。最初に声を掛けてきた少年とは正反対に体格が良く、筋肉質な身体が衣服を圧迫している。

 前頭部から後頭部にかけて中央部の髪を逆立て、側頭部は全て刈り上げた頭をしている。淡い紫色の髪を部分的に灰色に染めていることも相まって、周囲に迷惑をまき散らす派手な集団の一員のような髪型だが、目つきはそれとは不相応に穏やかだ。その顔は「平凡」の一言に尽きるが、瞳の色は黒にほど近い紫色。筋骨隆々とした腕をさらけ出し、幅の広い武器のようなものを斜めに背負っている。


 師匠、と呼ばれた少年が碧の視界に収まると、漆黒の双眸はまた別の意味で釘付けになった。


 肩で切り揃えられた銀色の髪と、同じ色合いの切れ長の瞳。感情のうかがい知れない、どことなく物憂げな表情。二人の少年よりも少し背が高く、引き締まった体つきをしている。彼もまた鎧を身につけ、金髪の少年のものより二回りほど大きな剣を腰に携えているが、二人と明らかに違うのは、その整った容姿だった。状況も忘れて思わず恍惚とその少年を見つめてしまう。


(か、かっこいい~~!)


 視線に気づいたのだろう、銀髪の少年が碧を見た。

 視線と視線が交わった瞬間――少年の表情が一瞬にして険しく、憎悪に染まる。

 微かにちらつく光が、碧の視線を少年の腰元に導く。陽光が、顔を覗かせた白銀の刀身に反射していた。


「――え?」


 抑えつけられるような空気の中、間の抜けた声がようやく碧の口から漏れた。


 しかし、喜んでいる余裕はなかった。ただ見とれていただけなのに、銀髪の少年から明らかな敵意を感じ取ったからだ。


 否、「敵意」などという生易しいものではない。おそらく殺意なのだろう。強ばる身体と、俄に震え出す唇や四肢が、それを物語っていた。


「兄貴! やめろ!!」

「師匠!」


 二人の少年も碧と同じ気を感じ取ったらしい。切迫した様子で前後から止めにかかるが、銀髪の少年は一向に殺気を解こうとせず、ただ嫌忌の眼差しだけを碧に向けていた。


「っ、このコは恨むべき相手じゃないだろ!?」


 業を煮やした金髪の少年の叱咤に、はっとした表情を浮かべる銀髪の少年。

 目を伏せながら碧から視線を逸らし、剣を鞘に収めた。


「悪かったな」


 態度を改めるつもりはないらしい。言葉こそ謝罪のそれだが、そっぽを向いたまま、少しも悪びれていない無愛想な低い声。それ以上口を開く素振りもない。


 踵を返すのを見届けて、二人の少年が申し訳なさそうに碧に駆け寄り、しゃがみ込む。


「あんな兄貴だけど、許してくれよ」

「本当は優しい人なんだ」


 銀髪の少年に聞こえないようにか、小声ながらも手を合わせて何度も頭を下げてくる少年ら。

 そんな彼らを見ているうちに、碧の身体を支配していた恐怖心や不安感が次第に薄れていって、自然と笑みが零れる。


「はは、大丈夫大丈夫。それより、ありがとう」

『ふぇ?』

「さっき、かばってくれて」

『いやあ~、当然のことをしたまでっすよ~』


 碧の言葉に固まってから、ややあって、手のひらをぽんと打ち。

 少し頬を染め、手を頭の後ろにやり、照れ臭そうに掻く仕草まで、二人の動きは細部まで全く同じだった。


(双子? 顔も似てるし……でも、双子じゃない気もする)


 気にはなりながら、それ以上に知りたくて仕方がないことがある。


「あの、ちょっと聞いてもいい?」


 声が出たということは、身体も動くのではないか――。碧の予想通り、全く言うことを聞かなかった四肢が、今は思い通りに動かせる。

 身を起こしながら、二人に訊ねた。


「ん、なんだ?」

「ここって秋葉ば……じゃなくて、アメリカ? それともヨーロッパのどこか?」


 たまたま日本の漫画やアニメ関連のイベントが開催されていて、会場に大規模かつリアリティ溢れるコスプレスペースがあり、たまたま日本語が流暢な彼らが来たのだろう。あの狭い路地の光が実は瞬間移動装置だったとすれば、一瞬で海外に来れた理由にもなる――と、端から見れば突飛な理論を一通り頭の中で展開した末。


(そもそも、夢かもしれないし)


 気楽に考えていた碧の予想はどうやら外れたらしい。質問を受けて、見た目は純欧米人の彼らがきょとんとした表情を浮かべている。聞いたこともない、とでも言いたげな顔だ。


「あめりか? よーろ?」

「なんだか分からないけど、ここは『アスラント』で、『レイリーンライセル』の北方にある荒野だよ」


 鶏冠(とさか)頭の少年の口から聞き慣れない地名が出てきて、今度は碧の頭の中がこんがらがる。


「アス、ラン、ト? リンレー……何?」

「イヤ、リンレーじゃなくてレイリーンライセル」

「そんな片田舎の名前分かるかよ。じゃあこれだ! 『ウイナー』なら分かるだろ?」

「ウインナー? ワルツ?」


 金髪の少年と、鶏冠頭の少年は同時に顔を見合わせる。

 それを見て、我ながら的外れなことを言ってしまった、と後悔の念にかられる碧。


(だって聞いたことないもん、そんな地名! 聞いたことないだけかもしれないけど! ……ん? そっか、聞いたことないだけ……? そ、そうだよね! 世界は広いもん。知らない地名があってもおかしくないよ。アメリカやヨーロッパを知らない人がいたっておかしくない。うん、おかしくない、大丈夫)


 一体何が大丈夫なのか。一人冷や汗を掻きながら自らに言い聞かせ、碧は次なる質問を投げる。


「ね、ねえねえ! そのアスラントって国? は()()()大陸にあるの?」


 細かな地名は分からずとも、大陸で絞れば何か手がかりが見えてくるかもしれない。淡い期待を抱きつつ訊ねた碧だったが。


「えーっと。『アスラント』は国でも大陸でもなくて、この世界のことなんだけど」


 鶏冠の少年が困惑顔で放った一言は、思考の一切を停止させるには十分すぎるほどで。

 金髪の少年も、先ほどよりも一層憐れみのこもった視線を向けている。そんなことを気にする余裕もない碧は、力なく呟くしかなかった。


「世界?」


 完全に石のように固まった碧を後目に、二人の少年は深刻な面持ちで意見を交わす。


「アスラントもウイナーも分からないとなると、記憶喪失か?」

「かもなぁ。髪の色からして巫女の家系だけど、巫女様がこんなところ、うろついてるワケないし」


(“巫女様”? “髪の色”?)


 新たな情報が耳を打ち、放心状態だった碧は少しだけ自我を取り戻す。


 碧の髪は生まれつき焦茶色だ。両親が外国人、あるいはハーフというわけではなく、水泳を習っていたこともない。もちろん染めてもいない。謂われのない疑いをかけられたことも、一度や二度ではない。


 それでも大きな問題になったことがないのは、()()()()()()()色が明るいだけだからだ。

 そして、碧の知る限り一家全員神職とは縁がない。


(そりゃああたしはちょっと特別かもしれないけど、みんな似たような色なのに。じゃあ、やっぱりここは地球じゃない? それとも夢?)

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