FLASH
「……あー、変身してえなぁ」
いつものファミレス、もうほんの少ししか残っていないフライドポテトを摘まみながら、千野ちゃんがぼそりと呟く。
「……何、急に」
言葉にするのも億劫だった俺の気持ちを、隣に座っていたアネが代弁してくれた。
「え、したくないか?変身」
「……」
あ、これ絶対面倒くさい話の流れになるぞ、という判断から極力この話を広げないように、俺もアネも沈黙を守った。
千野ちゃんこと、千野正明。同じ大学の同じゼミ。見た目はかなりイカつくて、正直最初はかなりびびりながら話しかけていた。体はでかいけど声もでかい。笑い声なんて更にでかい。でも話してみるとかなり気が合って、今じゃゼミ以外でも一緒に行動している。
アネこと、三笠愛。同じ大学の同じゼミ。すげえ三白眼でド金髪。完全にヤンキー。怖すぎて話しかけられなかった。でも千野ちゃんが物おじせずに話しかけまくってたら、「アンタ体も態度もでかすぎでしょ」って笑った。以来、俺らは仲間になった。仇名の『アネ』は、冗談で「姉御」って呼んだら意外に本人がまんざらでもなさそうで慌てて俺らで修正したものだ。本人は良くても言う俺らが恥ずかしい。
「いや、あれだよ?別に巨大化とかしたいとかそういうんじゃないけどな」
続けるのかよこの話題。
「実は俺こないだデパートの上でよくやる感じのヒーローショーに出たんだけどさ」
「え?中の人やったの?」
おい、アネ。何で食いついちゃったんだよ。
「いや、会場のセッティングだけ」
「何だ。それ出たって言わないでしょ」
アネが凄く残念そうに顔を顰める。お前にはガッカリだよって言いそうな顔してんな。
「そのガタイは飾りかよ。ガッカリだわ」
言った。
「いやだって日雇いのバイトだし。いきなりは無理だって。……でも、それでさ、すっげー久しぶりにヒーローショー見たんだけどさ。あれって結構面白いんだ。だってもうこの年で戦隊ものとか見ないじゃん」
いや、見てる人だっている、と思ったが俺は黙っていた。
「かなり久しぶりに見たけど、勧善懲悪っていうの?ああいう分かりやすいのって、見てて胸がすっとするんだよなー。分かりやすーく悪い奴がいてさ、正義の味方がバーン!って感じで敵倒すの。そういうのってあんま現実じゃ、無いじゃん?」
確かにそうかもしれないけど、その方がいいだろ。悪い奴らに会わないに越したことは無いはずだ。
「で、思ったんだけどさ。現実には居ないよな。ヒーローって。だからさー、もしだよ?万が一、俺が変身とか出来たらさー、絶対ヒーローになるのに」
俺は沈黙を守る事にした。余計な事は言うまい。
「……まぁ、でもヒーローつってもやる事なんかないでしょ」
アネが興味なさ気に呟く。
「ええ?何でだよ、だってヒーローは正義の味方じゃん」
「だって犯罪が起きたら実際に行動するのは警察でしょ。犯人を裁くのは裁判所だし。あんた司法立法行政何だと思ってんの?実際ヒーローが居ても犯罪者の仲間にしかならないでしょ。だから『ショー』なんでしょ?更に言えば、悪い奴が悪い事してる現場に出くわす確率なんてどれ位かって話じゃん。いくらヒーローでも未来なんか予知できるわけないんだから、実際変身出来たって、何か凄い力持ってたって、ただの宝の持ち腐れじゃん」
正論過ぎてぐうの音も出ないな。千野ちゃんもでかい体を縮ませてしまった。
「いやそうだけどさぁ。……なぁ、圭はどう思う?」
いきなり話を振るなよ。
「……アネの言う通りだろ。変身出来たって何の意味も無いよ」
そう言うと千野ちゃんは「何だよ二人ともロマンがねえなぁ」と言って最後のフライドポテトを口の中へ放り投げた。
悲鳴が聞こえたんだと思う。耳障りな音に思わず顔を上げると、お店のカウンター前に、男が立っているのが見えた。フルフェイスのヘルメットに、黒のブルゾン。怯える店員の女の子に向けて、ヘルメット野郎は右手を突き付けていた。
男が右手に持つもの。俺の目にはそれがおもちゃには見えなかった。
「は?何?」
隣のアネが普段絶対出さない様なか細い声で呟く。僅かに震えていた。
「か、金を出せっ」
ヘルメットの下で、男が呟く。調子の外れた声。……何で真昼間のファミレスで強盗するんだよ。この時間じゃレジにある金なんてたかが知れているのに。こんな博打を打つならATMごとショベルカーでパクれよ。俺は内心毒づいた。
事態に気付いた他の客が悲鳴を上げる。それに触発されたのか、男は振り返ってこちらに銃口を向けた。悲鳴が更に甲高く店内に響き渡った。
「う、うるせえ!!お前ら全員床に伏せろ!!黙れ!!」
喚き散らすヘルメット野郎を刺激しないように、次々と客が床に伏せていく。俺も茫然とするアネの肩を掴むと、床に抑え付けた。アネが必死に腕を掴んでくる。
「ど、どうしよう。警察……」
アネが縋り付く様な視線をこっちに向けてくる。いつもの勇ましさはどこへやらだ。
「馬鹿。変に刺激すんな。盗れるもん盗ったらどっか行くだろ。いいから伏せとけ」
アネはこちらをじっと見つめていたが、躊躇いがちに頷くと震えながら床に顔を伏せ、ぎゅっと目を閉じた。
俺は頷き、次の瞬間はっとして後ろを振り返った。
千野ちゃんはそのデカイ体を床に伏せてじっとしている。俺は心底ほっとして、でも次の瞬間には肌を粟立たせた。
伏せてるんじゃない。飛び掛かるタイミングを探してるだけだ。
(……おい!!馬鹿な真似すんな!!)
ヘルメット野郎に聞えないように、極力小さい声で千野ちゃんに話しかけるが、聞こえていないのか聞こえない振りをしているのか、千野ちゃんはこちらを見ようともしない。
……まさか。やめろ。相手は銃持ってんだぞ。ショーじゃねーんだぞ。やめろ。
俺の心の声が届いたとは思わないけれど、千野ちゃんはこちらを振り返った。
俺の表情がどうなってたかは分からない。千野ちゃんはまじまじとこちらを見つめた。
初めて会ったときみたいに。
「……あぁ、そうか」
千野ちゃんが呟いたのが聞こえた。俺を見つめたまま、にっこり笑う。おい。何考えてるんだ。
「おい!!!早くレジあけろや!!」
銃を突きつけたままヘルメット野郎は喚き散らしている。銃口はあちらこちらを彷徨っていて、引き金には危なげに指がかかったままだ。
怯えきった店員の女の子が泣きながらレジを開けると、男は乱暴に金をポケットに突っこんでいく。場当たり的な、計画性も無い犯罪。足が付かないはずが無い。絶対に捕まるに決まってる。さっきの話を思い出せよ。何の為の警察だ?だから。
「……おい」
店中の視線が、集まる。
「……おい、聞こえてんのかよヘルメット野郎」
初めて見た時、何てでかい体なんだと思った。でも笑う顔は人懐っこくて。誰とでも仲良くなれる才能を持ってるんだって思った。きっと、こいつみたいなのが。
自分が呼ばれているとは思っていなかったのだろう。ヘルメット野郎はおもむろに振り返るとぎょっとしたように銃口を向けた。
「!?おい!!!お前!!何立ち上がってんだ伏せとけ!!!!」
「……やべえ」
千野ちゃんが呟く。その声の調子は、いつもとまるで変わらない。初めて会ったとき、俺は何て思ったんだっけ?
あぁ、そうか。……こいつみたいなのが、ヒーローにお似合いなんだろうなと思ったんだ。
「……立ったは良いけど何も考えて無かったわ」
いや、そりゃねえだろ!!!!俺は心の中で叫ぶ。
「……えーっと。あの、頑張ってるところ悪いんだけど、帰ってもらえないですか?」
千野ちゃんがヘルメット野郎に話しかける。店内が凍り付いたのが分かった。俺は思わず床に頭を擦りつける。馬鹿だなと思ってたけど、ホント馬鹿だな!!
「何……?」
ヘルメット野郎の声の調子が変わる。それも良くない方向に。
「いや、今だったらそのポケットの金戻してさ、そのピストルもどっか捨ててさ。そしたらほら、まっとうな人生に戻れるかもしれない……ですよ?」
「てめえ、……舐めてんのか?」
「いや、舐めてるとかじゃ無いけど……。それ本物……ですよね?あれ、何か敬語になるわ。何でだろ。……何かあんまかっこよくねえなぁ俺」
カッコいいとかそういうの良いから!!頼むから黙ってくれ!!俺の願いはまったく届かず、千野ちゃんは喋り続ける。
「えーっと、だから、あれだわ。今だったら無しに出来なくも無い……のか?無理かな」
「……あぁ!?」
今や完全に銃口は千野ちゃんに向いている。もう俺は吐きそうだった。何のつもりなんだ。もうやめろよ千野ちゃん。
「でも、うん。……俺立っちゃったし。銃口向けられてるし。やっぱさぁ、無しだよ。目の前でこんなに分かりやすく悪い奴いんのにさ、そのままスルーとか。今ここに居るなら、やっぱ対決したいよなぁ。まぁ俺変身出来ないけど。俺なりのっていうか」
俺は顔を上げた。いつの間にか千野ちゃんはこちらを振り返っている。
「……だって、今『変身』しなきゃいつ『変身』すんだよ」
千野ちゃんは笑う。何言ってんだよ。何笑ってんだよ。
……あぁ、もう。
「……ほんと、ああ!!ふっざけんなマジで!!」
叫ぶと、俺はありったけの力を込めて飛び出した。銃口が向いている先を、とにかく潰す。
そのままのスピードでヘルメット野郎に駆け寄りながら叫ぶ。
「……『変身』!!!!」
閃光が店内を包む。閃光弾と同じ要領だ。余りの眩しさに、店内の人たちが反射的に体を縮ませて目を瞑った。目の前のヘルメット野郎以外は。
ヘルメットの中で、男の顔が驚愕に歪んだのが分かる。よく見える。
後、3メートル。男の指が引き金を絞り始める。後、2メートル。銃口がふら付き、定まらない。よく狙え。俺は腕を広げ、命一杯的を広げてやる。後、1メートル。ヘルメットの中で男が口を開ける。悲鳴を上げる。震える指が引き金を。
「寝てろぉおおおおお!!!!!!」
ありったけの力を拳に込める。吹き飛べ。
ヘルメット野郎が宙に浮いた。頭、肩、腕、胴体、足。順繰りに勢いよく回転しながら吹っ飛んでいく。オーバーキル。そんな言葉が頭に浮かぶ。久しぶり過ぎて、加減が出来なかった。でもまぁ、死んではいないはずだ。たぶん。
「……」
ヘルメット野郎が、ひっくり返って尻をこっちに向けたまま伸びている。間抜けすぎる。俺が今年見た光景の中で、ぶっちぎりで一等賞に間抜けだ。
「……圭!!!」
……。
「け、圭!!!何それ。……な、何やってんの?!」
……あぁ、もう絶対振り返りたくない。皆ヘルメット野郎見てよ。見てあの尻の角度。
「ねえ、圭なんでしょ!?何シカトしてんの!?」
アネの金切り声が耳に障る。うるっさいな今尻の話してんだよ!!
「……変身だよ!!見りゃ分かんだろ!?」
俺は大声で言い返す。もうヤケだ。
「変身って……。何それ、どういうこと!?」
「うるせえ!!言ってなかったけど俺、純日本人じゃねーんだよ!!何かおじいちゃんがこう、外宇宙的なアレの人で、だからクォーターだよ!!」
「は!?」
「だからー!!!生まれながらにして変身出来ますけど!?見てみ!?はい、いつもの俺。……はい!!!光りました!!今光りました!!はい見て下さい!!変身した俺!!」
アネの前で元に戻ったり変身したりしてやる。
「うわ、チカチカ点滅して凄い目に毒!!」
「すげー光るだろ!?たぶん光の一族とかだわ俺!!知らないけど!!それで!?何か他に質問ございますか!?」
店中の視線が俺に集まっている。消えたい。テレポーテーションしたい。でもここで消えたら余計めんどくさい事になるに決まってんだ。
「……圭」
にこにこ笑う千野ちゃんがこちらを見つめている。
「千野ちゃん」
どうしてくれんの?これ。
「俺の分も、頑張ってくれよ、ヒーロー」
やなこった。返事をする代わりに俺は激しく点滅してやった。