300円ルール。
道を歩いていてふと思いついた短編です。
ぼくは、田舎のとある農家の家に生まれた。
田舎といっても芸能人たちが一日農業体験をして家庭料理を食べ、そこの家族とふれあう心温まる物語とかは多分作れないだろう。
要するにそういう『都会人』たちが引くほどのド田舎、なわけだ。
見渡す限りの山、山、山!そしてそれを無理矢理切り開いたような集落に、田んぼが少しだけ広がっている。そんな小さな村だった。
道路が整備されていないため、車やタクシーも通ることが困難で観光に来る人なんかいない。
もちろん公共交通機関なんてないに等しく、ぼくは高校に入るまでは電車の存在すら知らなかった。
そんな世間から隔離されたような田舎だったが、子どもの数はそれなりに多く、ぼくが小学生のとき通っていた小学校には、一学級30人のクラスが各学年に2つずつあった。
初めは自分の知らない、少し遠い所から来る子と友達になったりしてわくわくしたが、入学して少し経つとみんな顔なじみのようなものになり、体育大会も球技大会も、代わり映えがせずあまり面白くなくなった。
友達も、『今更かけっことかやってもな、いつもみんなで走りまわってるしなあ』と苦笑交じりに語っていた。
閉鎖的な田舎の小学校、つまらない行事。
だがそんな中、ぼくには唯一楽しみにしているイベントがあった。――遠足だ。
遠足といってもそうたいしたものじゃない。
近くの山に登山に行くとか、紅葉狩りに行くだとか。時々山が川に変わったりとか、そんなものだ。
費用もかからないお手軽な行楽で、ぼくの学校では年に2、3回の遠足があった。
まあ、実を言うと遠足自体はそう楽しいものじゃない。
ぼくらは毎日毎日自然を遊び場にして走り回っていたから、目新しさは全くなかった。
川に入ればザリガニや小さな魚を捕まえて大興奮し、山に入れば珍しい形のキノコだの山菜だのを取って大騒ぎしていた。
だからわざわざ遠足で山だの川だのに行かなくても、という考えを誰しもが持っていて、ぼくもそのうちの一人だった。
だが、遠足には普段遊ぶのと違い、遠足にしかない魅力があった。
―そう、おかしが買えることだ。
ぼくの学校では、遠足にはきまって300円分だけおかしを持っていけることになっていた(俗に言う『300円ルール』だ)。
ぼくが遠足のなにが好きだったかというと、普段よりうんと贅沢をしておかしを買えることだった(月のおこづかいが大体100円であったから300円というのは随分な大金だった)。
もちろん、ぼくだけじゃなく他のみんなにとっても遠足のおかしは魅力的で、特にぼくらの間ではきっかり300円分でどれだけいいおかしを買えるかを競うのが流行っていた。
遠足の前日、ぼくはいつもこの『300円ルール』のために胸を高鳴らせながらお店へと駆け込んだものだった。
コンビニや百貨店なんて洒落たものがあるわけのない村で、ぼくらがどこでおかしを買ったかというと、田んぼのあぜ道の側にぽつんと立っている駄菓子屋だった。
そこは一人のおばあちゃんが経営している『たみや』という名前の駄菓子屋で、子ども向けのおかしが小さな店内をさらに狭く見せるようにたくさん置かれている。
放課後には小学生がこぞって立ち寄る、格好の寄り道場所だった。
―遠足の前の日になると『たみや』は大盛況で、たくさんの小学生で店はにぎわっていた。
あとでトレードしような、と高いキャラメルを大胆に買ったり、こまごましたチョコレートとかガムを買って少しでも量を増やそうとしたり。それぞれが自分の好きなように300円分のおかしを取りそろえる。
ぼくはそんな凝った戦略を立てている小学生や買いものをしている風景を見るのも好きだった。
ぼくもまた、なるべく賢い買い物をしようと、売り場の前で毎回頭を悩ませた。
…さんすうは苦手だったから、いつも失敗してしまったのだけど。
ぼくは遠足に行くと決まる度にわくわくして、『バナナはおやつに含まれますか?』なんて言って笑いをとっているやつを小突きながら『たみや』で300円きっちり買い物をする。
その度に
―300円ルールって、誰が考えたのかな
と、子ども心にも不思議に思ったものだった。
しかし、最初に考えた人は天才に違いないとも思っていた。
だって、こんなにわくわくすることは他になかったのだから。
―しかし、ぼくは一度だけ、300円ルールでおかしを買わなかったことがある。
小学校3年生のときだったか。
春になって、ぼくらの小学校ではまた遠足に行くことになった。
近くの丘でお花見をするとか、そんな内容だった。
遠足の前日、ぼくはいつものように親から300円を徴収し大事にポケットに忍ばせた後、今度はどんなおかしを買おうかと期待に胸を膨らませながら、『たみや』に向かっていた。
その道中だった。
一人の女の子が田んぼの傍でうずくまっているのを見かけたのは。
ぼくはこんな所でどうしたんだろうと不思議に思い、女の子に声をかけたが、途端にぎょっとした。
―女の子は、おかっぱの髪を揺らしながら泣いていたからだ。
『…どうしたの?』
ぼくはしどろもどろになりながらも再度声をかける。でも女の子は嗚咽をあげて泣くばかりで答えてくれない。
困ったな、と頬をかいて少し逡巡した後、自分も彼女の隣に腰を下ろした。
よく見れば女の子は隣のクラスに来た転校生だった。
『……おかし、買いにいきたかったの。でも、お金、落としちゃったの。』
しばらくして、その子は小さな声でそう言った。
聞くと、女の子はぼくと同じように明日の遠足のために『たみや』におかしを買いに行こうとしていたが、石に躓いて転んでしまい300円を田んぼの溝に落としてしまったのだと言う。
田んぼの溝はとても深く、ぼくらのような子どもが入って探せるようなものではない。実際に落としたと言われた所を覗いても、硬貨らしきものは全く見えなかった。ぼくも『そっか』と呟いて気まずそうに顔を俯かせる。
『おかしを買ったらこうかんしようねって友達と約束してたのに…』
お金を落としたのがよほど堪えたのか、彼女はまた泣いた。
300円という大金を落としてしまったのだ、そりゃあ悔しいにきまっているだろう。
ぼくだって遠足におかしを持っていけなかったらすごく嫌だし、泣くと思う。
かける言葉が見当たらず、ぼくも女の子の隣で座り込んでじっとしていた。
気付けば日はもう沈みかけ、辺りが暗くなってきていた。急がないと自分も『たみや』でおかしを買いそびれてしまう。
でも声を上げて泣く彼女を見ていたら、なんだかさっきまでのわくわく感がしぼんで、自分まで悲しい気分になってきた。
―違う。全然楽しくない。300円ルールはもっと、楽しいもののはずなのに。
そう思ったら急にふわふわとした期待感の代わりにむかむかとした不愉快な気持ちが湧いてきて、あれだけ楽しみにしていた『300円ルール』も色あせたように興味がなくなった。
――このままおかしを買ってもぜんぜん楽しくないだろう。だったら、ぼくはもういらない。
そう考えたぼくはふと立ちあがり、ズボンのポケットから百円玉を3枚取り出すと、彼女の手に乗せてやった。
『これ、あげる。』
『え?』
女の子は大きく目を開いて自分の手に載ったお金を見つめる。
『なんか楽しくなくなったから、いらない。これでおかしを買って。』
『……で、でも、やっぱりいいよ。』
『いいの。』
『じゃあ…100円だけもらう。』
『300円ルールは、300円ぴったり買うから面白いんだよ。ほら。』
そう言って、ぼくは女の子の小さな手にひんやりとした硬貨を握らせた。
少し名残惜しい気もしたけど、女の子の手前カッコいいことがしたかったのと、このまま女の子を無視しておかしを買いに行く気になれなかったのもあって、ぼくは全く後悔していなかった。
『…ありがとう。』
女の子がそうぽつりと呟くのを聞き、急に自分が正義のヒーローになったみたいな心地がした。
『別にいいよ』なんて、いい気になって手を振ってみたりとかした。
しかし回れ右をして帰ろうとすると、彼女は真っ赤になった目をこすりながらぼくの手を掴んだ。
『ねえ、じゃあ今から『たみや』に行っていっしょにおかしを選んで。』
予想外の申し出だった。
このままカッコよく立ち去るはずだったぼくは目を丸くし、ドギマギしてしまう。
ヒーローはカッコ悪く女の子の手を見つめ、狼狽した。
『なんで。自分で選べばいいだろ。…ぼく、いつもうまく買えないし。』
『いいの。どれがおいしいか分からないから、いいおかしがあったら教えてよ。』
女の子は都会から転校してきたので、いわゆる駄菓子には疎いのだと言う。
それはそうか、とぼくも頷き、二人で『たみや』に行った。
二人で話し合いながらの『300円ルール』は想定外に楽しかった。
さっきまでどん底に落ち込んでいた気分が上昇して、あのおかしはイマイチだ、あれは値段の割に量が少ない、などと彼女相手に饒舌にしゃべった。女の子も楽しそうに目を輝かせ、一生懸命におかしを選んでいた。
―結局、閉店時間ぎりぎりになってやっとおかしを決めることが出来た。
…やっぱり計算が合わなくて恥ずかしい思いはしたのだけれど。
『ありがとう。』
おかしの入った袋を持った女の子はまたぼくに向かってお礼を告げた。
おかしを半分あげると言われたけど、そこはやはり300円ルールの規則だ。ぼくはきっぱりと断った。
女の子は少し不満そうにしていたが、やがてそれぞれの家路についた。
――その日、ぼくは自分の分のおかしを買えなかったのだけれど、それまで以上の満足感に満たされたのを覚えている。
遠足当日も不思議と『300円ルール』にも、自分だけおかしがないという劣等感にも、苛まされることはなかった。
********
「お疲れ様です。」
私はまだディスプレイとにらめっこを続ける同僚にぺこりと頭を下げ、席を立つ。
今日は残業もなく、定時で帰れる。
隣から恨めしそうな視線を受けながらも、荷物をまとめ、早々とタイムカードを通して会社を出た。
通りを歩くと、都会の喧騒が一気に耳に入り込み出て行く。高層マンションやビル街を見上げつつ、すり減った革靴で歩き出した。
――故郷の田舎からここに出てきて、もう10年経つ。
大学に入ってから一人暮らしを始めたのだが、『都会』に出た当初は軽くカルチャーショックをうけた。
あれほど慣れ親しんできた山がなく、車やトラックが広い道を堂々と通り過ぎている。
数メートル歩けば必ず店屋があるし、道行く人通りも多いこと。
何もかもが自分のいた世界とは異なり、めまいを起こしそうだったが、流石に10年も経った今では慣れたものだ。
大学を出て就職し、一人称も『ぼく』から『私』に代わり、もうすっかり大人となった今では淡々とした『都会人』としての生活を送っていると自負している。
曇天の中、通りを歩きながら私は幼い日のことを思い返していた。
―そう、例の『300円ルール』のことだ。
幼い頃の『ぼく』は何故たかがおかし選びに夢中になっていたのか、今となってはよく分からない。しかし理屈では言い表せないような漠然とした楽しさがあった。
あれは子どもという期間限定で楽しめるイベントだったに違いない。
大人になってしまった今ではあの妙なわくわく感は味わえないのだから、幼少時にそれを存分に楽しめた『ぼく』は幸運だったのだろう。
ちなみに、あの女の子とは『たみや』で別れたきり会うことはなかった。
聞けば転勤族の父に連れられ、遠足の次の週に転校してしまったのだと言う。
そのことに『ぼく』は一種の寂しさを覚えた気がするが、それもすぐに忘れてしまい学年を重ねていった。
……忘れていた、はずだった。
だが、あれから20年もたった今。今更になって私はそのことを思い出していた。
何故、今なのか。
幼い頃にはもう戻れないという寂寥感がそうさせるのだろうか。
もしくは都会に慣れ切った身体が自然と田舎を恋しく思い、懐かしさを感じさせるのだろうか。
私はそんなノスタルジックな人間ではなかったはずなのだが。
スクランブル交差点に差し掛かり信号待ちをしていると、前方にコンビニエンスストアが見えた。蛍光灯の機械的な明るさが目に飛び込んでくる。
―そういえば給料が入ったばかりで、少し懐が潤っていたのだった。
今日はいつもは買わない高めのビールでも買って帰ろうか、と私はそちらの方に足を向けた。
箱のような店の中では数人が買い物をしていた。
その間を通り抜け、私はしばらくアルコール類が入ったケースを物色し、中から数本を取ってカゴに入れた。ついでにおかしのコーナーで酒のつまみもぽいぽいと放り込む。
するとふと、足元近くの棚に昔好きだった駄菓子が置いてあることに気付く。またも懐かしさからか、私はかがんでそれを手に取った。
―このチョコレートを買うと、あのグミが買えなくなる。でもそっちのガムは2個買える……
私はハッとした。
無意識のうちにまた『300円』の計算を思い返していたのだ。
そして一瞬遅れて、自分が四苦八苦しながら数を数えている光景が視界の隅に浮かんできた。
なんだか今日はおかしいな、と苦笑する。
ふとした瞬間に昔の自分が横で笑いかけてくるようだ。
結局、その駄菓子も数種類、カゴの中にいれて会計をした。
コンビニ袋をぶらぶらと下げながら自動ドアを開ける。辺りはもうすっかり暗くなって、街灯がその役割を存分に発揮する時間帯だった。
私はぼうっと空を見上げ、また歩き出した。
―過去とは不思議なものだ。
何気ない瞬間に心のうちからわっと湧きおこり、過ぎ去っていく。
それは楽しい出来事だったり、若さゆえの苦い思い出だったりするのだが、それをただ呆然と見送っているしかない、というのはなんだかとても悔しい心地がする。
もう少しうまくやれたのに、とやきもきする記憶も、もう一度体験したい、と望む記憶も、今の自分には手をだすことができない。
いっそのこと思い出さなければいいのに、とも思うのだが、後をついて追って来る記憶はまた未来を導いてくれるような存在でもある。
過去のひとつひとつの出来事があったから現在への道が開け、自分はここにいるわけで。情けない自分を回顧させるだけでは決してないのである。
―だからといって、頻繁に出てこられては参ってしまうのだけれど。
「―××さん!」
思考の渦に身を投じていると、急に自分の名前を呼ばれパッと顔を上げる。
声の主を探し後ろを振り向くと、グレーのスーツを着た女性が小走りでこちらの方へ向ってくるのが見えた。
「…よかった、まだ近くにいたんですね。探しましたよ。」
「はあ、えっと……」
私の前で立ち止まると、女性は軽く息を整える。
どうやら私を探しに来たようだが、あいにくと彼女の顔に見覚えはなかった。
おそらく初対面のはずだが…
私が怪訝そうに眉をひそめると、彼女は慌てて口を開いた。
「あ、すいません。私、この秋からお世話になります、派遣社員の○○です。」
「ああ、そうだったんですか。」
派遣の人か、同じ部署になるから挨拶にきた、ということだろうか。
やっと得心がいった私も自己紹介をし、頭を下げた。
…だが就業時間もとっくに終わっているのに、何故わざわざ私を探していたのかと疑問に思う。
もしかして会社になにか忘れ物をしたのだろうか。
「あの、300円ルール、覚えてます?」
「は…」
しかし、続いた言葉は予想していた台詞と違った。
代わりに妙に馴染みのある単語が彼女の口から聞こえてきて、心がごとりと音を立てて動く。
ぽかんと口をあける私を見て、ショートカットの女性はいたずらっ子のように笑い、はい、と彼女の小さな手が私の右手になにかを置いた。
開いてみると、そこには百円玉硬貨が3枚。
私は目を見開いた。
「ずっとお返しをしたかったんですけど、すぐに転校しちゃったから結局返せなくて。あの時は本当にありがとうございました!」
今度お礼にお食事でもいかがですか、とにっこり笑う彼女の顔が、記憶の中の女の子の顔と重なる。
同時にフラッシュバックのようにあの日のことが浮かんでくる。
…また、過去が私を捕まえに来たようだ。
呆然とする私はただ黙って頷くことしかできなかった。
―ではまた、と言って頭を下げた彼女の、グレーの背中が遠くなっていく。
後にはコンビニ袋を片手に立ち尽くす私だけが残された。
『ねえ、』
頭の中で幼い『ぼく』がくすくすと笑う。私も彼の方を向いて苦笑した。
―君はおそらくこのために、会いに来てくれたのだろう、と。
「…300円ルールって、誰が考えたのかな。」
私と『ぼく』は同時にそう呟いた。
END




