ファンシーな家
私が白ウサギに連れられて、どのくらい経っただろう。不意に彼が、あっ、と声をあげた。
「どうしたの?」
「……その格好のままじゃ駄目だね」
白ウサギは私を見つめ、そうこぼす。その格好というのが、私の着てるセーラー服を指していると理解できた。
「駄目って言っても……」
「着替えようか」
「はい!?」
予想外の言葉に、私の声は見事に裏返る。彼はそんな私に微笑みながら、ん?と返した。
「き、着替えるって、どうやって? 何に? なんで?」
なんとか冷静に努めつつも、たくさんの疑問詞が口から自然と飛び出る。白ウサギは私の胸元のリボンを軽くつつきながら
「だってそれはアリスの服じゃないから」
これはまた素っ頓狂なことを言ってのけた。
「──これは、私の制服よ?」
「アリスの服だけど、アリスの服じゃないでしょ」
……頭大丈夫? なんて言葉が喉元まで出かけた。ますます意味が分からない。
私が怪訝な顔をしたせいか、白ウサギが僅かに眉をひそめた。気づかないくらい、僅かに、一瞬。
――え?
彼の表情に違和感を感じたが、次見たときはすでに微笑んでいた。
「白ウサギ?」
「着替えに行こうか。アリスの服は用意してあるよ」
彼は私の頭を撫で、方向転換した。
流れてく風景は、井戸の中とは思えないくらい明るく、おもちゃ箱のよう。
地下の世界は、意外とファンシーでした。
◇
そう時間がたたないうちに、白ウサギは足をとめた。
「ここ?」
私が仰いで彼に尋ねると、白ウサギは頷いた。
目の前の建物はそう大きくなく、ピンクや黄色のパステルカラーでリボンや花飾りがつけられている。
「可愛いー。お菓子の家みたい!」
「? お菓子で作られていないから食べないでね」
「そのくらいわかってます!」
私は失礼だわ、と文句をたらし、白ウサギより早くその家(?)の扉を開けた。
アリス、と制止の声が背後から聞こえたけど、とりあえず無視する。そして、無視したのが運のつき。
「いらっしゃ〜い」
中から声と共に現れたのは───
「きゃあっ!」
私は飛び退いて、白ウサギの後ろに隠れた。
――な、なにこの生き物…!
現れたのは、緑色の怪獣。大きさは人間の子供くらいある。鱗が皮膚にびっしりついていて、太い尻尾をバタバタと揺らす。例えて言うなら、イグアナ。
生で見たの初めてだわ。
「あ、白ウサギ様っ! どうしたんですか?」
声をあげ、ひょこひょこと、…いや、やっぱりバタバタと、その生き物は近づいてくる。っていうか、二足歩行!?
……どうやらウサギと知り合いらしい。様付けなんて、いったいどういう関係なんだろう。
「そんな可愛い女の子連れて〜。変に誤解されますよぅ?」
「ビル」
「ひぃ! ごめんなさいっ」
まだ何も言ってないのに、イグアナは短い手(前足?)で頭を覆った。どうやらかなりの臆病みたい。
「この娘はアリスだよ。服をくれない?」
私のセーラー服を指さしながら、白ウサギは言った。その瞬間、イグアナは私を凝視する。強すぎる視線が痛い。
「……アリス?」
「いや、私の本名は有栖川唯だけど」
「アリスっ! アリスなんですか!?」
「ひゃっ」
もう、いきなり大きな声出すからびっくりしたじゃない!
イグアナは急に満面の笑顔になって、心底嬉しそうだ。
「僕はトカゲのビルです! よろしくアリス」
そう言って、手を差し出してくる。…トカゲだったのね。
「私はアリスじゃないけど、よろしく」
礼儀として、握手した。拒んだら泣きだしそうだし。
「アリス、ビル」
今までことの成り行きを見ていた白ウサギが、焦れったいような声をはさんだ。
ビルは慌てて謝り、室内の奥へと消えていった。
二人きりになる。だけど不思議と、緊張しない。わりと落ち着くのはなんでかな。
地下の世界。ウサギと人間の合体。二足歩行のトカゲ。やっぱり不思議すぎる。これは現実なのだろうか。それとも私の夢? もとの世界には、どうやって戻るの……。
私が本気で不安になってきた頃、ビルが箱を持ってやってきた。
「はい、アリス」
なんとなく受けとってしまう。未だに着替える必要があるとは思えないけど、どうせ私の主張は汲み取ってもらえない。
「じゃあアリス。着替えて」
「うん。……って、どこで?」
「? ここで」
紳士なイメージが粉砕された。これはセクハラじゃない? 女子高生にむかって、なんて理不尽なことを言うんだろう。
「あの、できれば個室貸してほしいんだけど」
「必要?」
「当然ですっ!」
白ウサギは、それもそうだね、と言って、部屋を貸してくれた。
私は個室の中で、箱を開けてみた。出てきたのは、水色を基調としたエプロンドレス。
「わぁー、なんか衣装みたい」
着替えろなんて言うから、どんな服かと思ったらずいぶん可愛い。そういえば、お城に行くとか言ってたな。やっぱセーラー服じゃ場違いになるから?
「軽くコスプレだわ」
そうこぼしつつも、内心ウキウキしてた。普段こんな服着ないもん。
最後に大きなリボンのついたカチューシャをして、着替え完了。
立掛けてあった全身鏡を見れば、お伽話に出てきそうな女の子が立っている。なんだか気恥ずかしい。
「アリス〜まだですかぁ?」
扉の向こうから、ビルが私を呼んだ。私は控え目に返事して、二人の前に出た。
「よくお似合いです〜」
「そ、そう? ありがとう」
可愛い、可愛いと繰り返し褒めてくるビル。照れくさくって、うつ向いてしまう。
「そろそろ行こうかアリス」
いつまでも続く褒め言葉に、白ウサギが終止符を打った。ビルが残念そうにうなだれる。
「もう行っちゃうんですか?」
「遅刻しちゃうからね。ほら、もうこんな時間」
そう言って、彼は私達に時計を見せた。…心なしか、前回見たときと針の位置が変わってない気がする。
「本当だ。急がないと、女王様に怒られちゃいますね」
「うん。首をはねられるのは、僕だって嫌だから」
――え?
私は彼等を上目に見つめた。だけど当の本人達は気づいてない様子。
……白ウサギ今、どさくさに紛れて恐ろしいこと言わなかった?
「アリス」
「あ、うん!」
白ウサギに連れられて、私はメルヘンな家を出た。涙目でいつまでも手を振るビルには、苦笑した。変な生き物なんて思って、失礼だったかも。結構可愛げある。
この不思議な世界に、少しずつ、でも確実に魅了されてた。