表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
28/31

  捨てた迷い



 ――時間は止められない。

 別れは刻々と迫っていた。






「芽衣……!」


 目を開けた彼女に、僕は勢いよく抱きついた。彼女は痛みに身体をこわばらせながらも、優しく抱き返してくれる。

 意志とは無関係に、僕はひたすら芽衣の名前を呼んだ。存在を確かめるように。

 芽衣はそんな僕を、あやすようにずっと背を撫でてくれた。涙が、頬を伝って、彼女を濡らす。


 やっと落ち着いた頃、僕は彼女から少し離れ、容態について話した。芽衣は一言そっか、と呟き微笑む。


「ごめんね、芽衣」


 そんな言葉で済むことじゃないのに、謝らずにはいられない。

 芽衣を刺したと自覚した時、心臓が止まるかと思った。真っ赤に染まった自分の手が信じられなくて。

 大事に至らなくて良かった、なんて言えない。君は僕の全てなんだから。


「ねぇ、白ウサギ」

「…なあに?」


 彼女の髪をすきながら、相槌をうつ。芽衣は頬を緩めて、淡く微笑って言った。


「良かったでしょう? 軽傷で済んで。なんでそんな悲しそうな顔するの?」


 そこで気付く。彼女の瞳が、哀しみに染まっているということに。

 ――あ……。

 酷い。僕は、酷い。芽衣が助かったというのに、なぜ喜ばないの?

 罪に苦しんで、罰を求めた。

 ただただ、そればっかりで。もしかしたら今、ここに芽衣はいなかったかもしれないのに。今こうして彼女に触れてられるのは、奇跡にちかいのに。


「嬉しいよ、芽衣」


 伝えるべき言葉は、ごめんなさいより。


「死なないでくれて、ありがとう。

生きていてくれて、ありがとう。

もう一度僕を見てくれて、ありがとう」


 そう言うと芽衣は、笑った。悲しい笑顔なんかじゃなくて、綺麗な本物の笑みを。


「好き。好きだよ」


 抱きしめて、キスをする。僕等は存在を確かめるように、何度も好きだと囁きあった。







 ◇唯side


 ベットの上で私とチェシャ猫は、何をするわけでもなく、二人して柔らかな布団に包まれていた。

 なぜか彼は私の腰に手を回して、顔を胸にうずめているけれど。

 ――普通、逆じゃない? やっぱり猫なのかな。甘えん坊。

 大した会話もなくて、だけど沈黙が辛くない。ずっと、こうしていたいとさえ思ってしまう。


「チェシャ猫」

「なに?」

「私、いつ帰るのかな」

「さぁ? 俺が知ってるわけねぇし」


 たいして興味なさそうに猫は言う。

 ――それもそうなんだけどさ……。

 彼は、私が帰ることに何も思わないのだろうか。それは、結構切ない。チェシャ猫がそういう性格だってこと、もうわかってるのに。

 『忘れないでね』

 言いたい言葉は、そんなものじゃない。あなたにとって、私はきっと価値なんてないのだろう。だったらむしろ、忘れてほしい。

 そしたら私も、あなたのことなんか忘れることができるから。きっと、笑顔で帰れるから。思い踏み止まらないから。


「バカだよね、私」


 小さく呟くと、何を今更、と返ってきた。ひどい。失礼な子だ、本当。私より年下に見えるのに。

 ――でもそれは、あくまで見える、だよね。

 実際は、私の何倍も生きているのかもしれない。ただ、身体の成長が遅いだけで。

 そう思うとなんだか悔しい。


「アリス」


 不意に呼ばれた。誰にって、今部屋にいるのは彼しかいない。


「……なんで」

「久しぶりに呼んでみようかと思って」


 胸もとに息がかかって、チェシャ猫が笑ったのが分かる。

 久しぶり、なんて。一度でも彼が、私をアリスと呼んだことがあっただろうか。懐かしいその響きに、苦笑がこぼれた。


「私はもう、いらないね」


 だって、アリスじゃないもの。ここにはいられないし、必要ともされない。


「用なし……か」


 チェシャ猫が呟く。胸が少し軋んだ。

 求められたと思ったら、突き放される。これ以上、私を翻弄しないで。

 電気もつけずにベットで戯れる私達は、ひどく滑稽だ。甘い雰囲気なんてない。


「君も、そうなの?」

「………」

「私はもういらない? ああ、でも君は最初から私を拒絶してたね」


 アリスなんて呼ばず、何度も意地悪をした。全然優しくなかったけど、私どこかで安心してた。

 アリス、と呼ばれるたびに、何かを失っていく気がして。唯が消えそうで、怖かった。


「別に俺は、どうでもいい」

「チェシャ猫らしいね」

「皮肉か?」

「違うよ」


 ……本当に、そう思ったの。

 別に期待してたわけじゃないけれど、それで少し傷ついたことは秘密。悔しいから。

 だって、私はチェシャ猫ともう会えなくなるのは、寂しい。悲しいよ。でも君にとっては、私がどうしようが関係なくて。私の側にいたのでさえ、暇潰し。娯楽、なんだね。

 ちょっぴりアンニュイに浸っていたら、ノックの音が静寂な空間に響いた。なんとなく、誰かは解る。


「……入っていいよ」


 だからこう言った。そして、扉を開けたのは予想通りの人。


「おね…え、ちゃん……」


 包帯を巻いた姿とは裏腹な笑みを浮かべてるのが痛々しくて。でも、お姉ちゃんもその後ろにいる白ウサギも笑顔だから、私も笑った。それでも涙が瞳に溜るのは、仕方ないよね。


「お姉ちゃん……!」


 私が上半身を起こすと、チェシャ猫もそれに引かれるように起きる。白ウサギの表情が少しこわばったけど、何も言わなかった。仲良く───は無理でも、いがみあいは終わりかな?


「心配かけてごめんね」


 ベットの上、私の隣に座り抱きしめてくる。私はひたすらかぶりを振った。


「良かった…本当に良かった……!」


 私は小さな子供のように、大声で泣く。そんな私をお姉ちゃんは、優しく頭を撫でてくれた。

 確なぬくもりが、そこにはあった。



 一頻り泣いたあと、私達はたくさんのことを話した。お姉ちゃんはこの世界のことを。私は向こうの世界のことを。こんな風に笑い合える日が来るなんて、思ってもみなかった。でも、それと同時に、気付いていた。

 いつまでも、この時間が続かないって。別れはすぐそこにあるって。気付いていたんだ。

 そして白ウサギは、その言葉を私に向ける。


「明後日、君をもとに帰すよ」


 ――明後日…か。

 分かってる。分かってるの。自分のいるべき場所くらい。お姉ちゃんの居たい場所くらい。痛いほどに、理解してるんだよ。

 後ろでチェシャ猫が、のどを鳴らした。





  ◇


 私が帰る当日、みんなが見送りに来てくれた。そんな深い仲じゃないのに、こうして来てくれたことがたまらなく嬉しい。でも、同じくらい切なかった。


「唯」


 白ウサギは私の手をとり、優しく頭を撫でてくれた。その手に、泣きそうになる。


「あの、チェシャ猫は──」


 私がそう聞くと、彼は黙って首を振った。


「…そう…」


 見送りに来るような性格じゃないって、知ってるけど。最後くらい、なにか言ってほしかった。だってもう、会えない。


「ねぇ、白ウサギ」


 私は彼の手をぎゅっと握り尋ねた。とてもとても、悲しい問いを。













タイムリミットは限界にきてた

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ