明かされる真実
話を聞く気になったのか、それとも女王様の邪魔をしないようにと思ったのか、法定内は静寂に包まれていた。
白ウサギは上品な笑顔を浮かべながら、口を開く。先程よりだいぶ落ち着いて見えた。
「まず、皆さんに言わなければいけないことがあります」
そう言って、彼は私のほうへと手を向ける。それに伴い、聴衆たちの目もこちらに向いた。白ウサギは口許を上弦に歪め
「彼女は、前のアリスの妹です」
はっきりと言う。その瞬間、あちらこちらから、立ち上がる音が聞こえて、それは彼等の戸惑いを表していた。
その上たくさんの驚愕の叫びが刺さってきて、居心地が悪い。
「それは真か白ウサギっ!」
いきり立った女王様が、身を乗り出して白ウサギに尋ねる。彼はつとめて冷静に答えた。
「驚くことも無理ありませんが、お静かにお願いします。前のアリス、芽衣とこの唯が姉妹。もちろんこれは偶然なんかじゃありません。不幸な事故と事件が合わさって、成立したものなのです」
説き伏せるように、敬語で淡々と話す。白ウサギがもう一度、首だけ回して私を見た。笑っていたけれど、どこか不自然な微笑だった。
「それを今から教えましょう。唯とこの国の住人、両方に説明するため、多少長くなることをお許し下さい」
そうして、白ウサギの長い話が始まった。
◇
「きゃあっ!」
悲鳴と共に、女の子が僕の身体へと落ちてきた。柔らかな衝撃が、腕や鳩尾を刺激する。
痛いなんて思わない。いつだって最優先すべきはアリスだから。愛しいアリス。今日からこの子がアリスなんだ。
「び、びっくりした」
そう呟いた彼女は、そっと顔をあげる。そして僕をまじまじと見た後、更に驚いた表情をした。
「う、うさぎ!?」
えー! と叫ぶ彼女。だけど、僕も彼女を見て違和感を感じた。
――おかしいな。今回のアリスは、もっと幼い子だった気がするんだけど……。
まぁ、所詮は僕のフィーリング。外れることもたまにはあるだろう。
僕は大して気にしないことにした。
「初めまして、アリス。僕は白ウサギ。君を城まで連れて行くよ」
にこ、と微笑めば、目の前の女の子は瞬きを数回する。理解できないのも無理ないだろう。でも、ゆっくり話してる時間もない。
――いつもみたいに歩きながらでいいかな。
僕はアリスとなる彼女の手をやんわりと引いた。繋いだ場所から、戸惑いが伝わってくる。
前のアリスが死んだのは悲しいけど、こうやってアリスが来て。僕等は消えない。だから、手は放さないし、逃がしたりしない。
「あ、あの……アリスって?」
「君の名前だよ」
遠慮がちに尋ねてくるアリスにきっぱりと答えると、彼女はえっ、とこぼした。そして控え目に口を開く。
「わ、私アリスじゃない。有栖川芽衣だよ」
「そう。君はメイっていうんだ。でも、今日からアリスだよ」
「な、なんで……」
『なんで』
思って当然の疑問。その答えを教えたところで、この子が納得するわけない。本当の名前を捨ててなんて、我儘で残酷。
僕が彼女の手を握ったままだから、僕が足を進めれば彼女も自然と歩くかたちになる。
その手は僕から逃れようとしているけれど。
「この世界は、君がいた世界とは違う。女王様が統一する、狂った国」
「女王様…?」
歩幅が狭い彼女に合わせ、ゆっくりと歩く。彼女は相変わらずわけが分からないといった顔をしていた。
そんな彼女に、僕は城へと向かいながら少しずつ説明していった。途中でビルのところで赤いエプロンドレスを貰い、彼女に着せて。
なるべく優しく説いたのだけど、芽衣は四六時中苦い表情をしていた。
狂っている住人たち。追放された事。この国の不思議な法則。アリスの存在意義。
できるだけ簡単に話した。でも、まだ12歳の彼女には難解なようで、首を傾げるばかり。
「わたし、リアリストだから、こういうファンタジックな事信じられない」
やや大人びた口調で彼女は言った。でも実際に起こってるから否定できない、とも。
思えば、この頃から僕は芽衣を疑っていた。毎回アリスに選ばれる少女は、みんな僕等を受け入り易い夢見な子たちだけだったから。
城へ着いてからも、戻りたいと、何度も訴えられた。その度に僕がいるよ、みんながいるよ。そう慰めて、留めて。
裁判だって、芽衣は乗り気じゃなかった。ぎりぎりまで渋られて、結局半ば強引にアリスにした。
もう帰れない。もとの世界に自分は忘れられた。
そう気付くと、彼女は泣いた。僕がアリスと呼ぶたびに怒鳴る。正直、ひどく困った。この数百年間、ここまでアリスに拒絶されたのは初めてだったんだ。
最初の一年は本当に酷いもので。誰が何を言っても、泣き崩れるばかり。女王様は深く悲しんで、無意味に首をはねた。僕も心体ともに疲れ果てた。
だけど、少しずつ少しずつ、芽衣もとけこんでいった。
部屋に篭りきりだった彼女が、森へ行ってお茶会に混ざったり、海へ行ってグリフォンや海亀モドキと談笑したり。
それは僕等にとって、嬉しい変化だった。
アリスが僕等を愛してくれる。
アリスが僕等に笑いかけてくれる。
アリスが僕等を理解してくれる。
僕等はアリスという存在をひたすら大切にした。それはもはや、依存に近く。
僕等を消さないで。これ以上傷つけないで。
無意識にそう釘を挿してた。とにかくすがっていたんだ。
だけど芽衣がアリスとなってから五年たったある日、彼女は信じられない事を言った。
『もとの世界に帰りたい』
『わたし本当はアリスじゃないの』
『もう離して』
目の前が真っ白になった。どうして、どうしてそんな事を今更言うの? そう問えば、芽衣はうつ向いて答えた。
「言ったよね、白ウサギ。声が聞こえたなら、アリスだって。でも、私に貴方の声なんては聞こえなかった。貴方が呼んだのは、本当は、私の妹なの」
彼女からつむがれる真相。僕はとても驚いたけど、そんなのどうでも良かった。最初の予定と狂ったとしても、今のアリスは芽衣なんだから。
だけど、彼女は納得してくれない。
「ずっと黙っててごめんね。でも、妹も心配だし、帰らなきゃ……」
――帰らなきゃ? 帰れないのに?
矛盾している。君の言ってる事は矛盾してるよ。
「そんな悲しいこと言わないで。君も知ってるだろう? アリスがいなきゃこの世界は成り立たない。僕等には君が必要なんだ」
溢れてくる醜い感情をなんとか抑制し、努めて優しく微笑む。なのに君は
「どうせ私が死んだら用無しになって、また他の誰かを連れてくるくせに」
そんな風に言うから。
「…でも、生きている間は皆に愛されるんだよ?」
「そんな義務的な優しさならいらない。もとの世界に戻して。唯やお母さんのもとへ帰してよ……」
ほら、ドス黒くて、どろどろしたものが
「アリス」
「アリスなんて呼ばないで。私は芽衣だよっ」
こぼれそうになるだろう。
「どうして分かってくれないの? こんなにも皆、君を愛してるのに」
笑顔が剥がれてくのが、自分でも分かった。それでも、笑えない。
「私をじゃなくて、アリスをでしょ……」
「アリス、何が不満? ここに居れば毎日が楽しい。傷つかなくて済むし、望みはなんでも叶う。君の世界よりずっと幸せだよ」
「私の世界を知らないのにデタラメ言わないで!」
伸ばした腕は、乾いた音をたてて払われる。ジン…と痛む箇所。だけど、もっと痛んだのは、胸の奥の心で。
「それに全て見せかけだよ。それが幸せだと言うなら、私はそんな幸せいらない……!」
プツン、と何かが切れた音がした。
「──じゃあ、君は僕等が消えてもいいんだ?」
「……っ!!」
「目が赤いだけで罵られた。傷ついて傷ついて傷ついて、やっと得た平和な世界を 君は壊すの? また僕を拒絶するの?」
笑って、この子の言葉を受け入れられたらどんなにいいだろう。呆れるくらい優しくして、愚かなほど甘やかして、全てを許したい。
なのに、実際口から滑りおちるのは毒を含んだトゲばかり。
「なんで、アリスはいなくなるの。なんで隣にいてくれないの。なんで、永遠じゃないんだ!」
「白、ウサギ……?」
「愛してるのに、どうして僕から去ろうとする? 逃がさない。芽衣はずっと僕の隣にいればいい。なのになんで?」
「ちょ、ちょっと落ち着いて」
止まらない。一度溢れた感情は、マグマのように滝のように、ゴウゴウと勢いよく。
「芽衣を、君だけを愛してるのに! こんなにも恋焦がれてるのに……!」
「白ウサギっ」
気が付けば、芽衣に抱きしめられていた。拒絶したはずの彼女が、今ぼくを包みこんでいる。
心地好い温もりに、泣きそうになった。
「芽衣……」
「ごめん、ごめんね」
涙声で謝る芽衣。ああ、僕はなんて酷いんだ。アリスを傷つけるなんて、この世界では禁忌だというのに。謝らなきゃいけないのは、僕のほうだ。
「僕から、離れないで。いなくなんかならないで」
勝手にこぼれる利己的な言葉。自分でもおかしな事を言ってる自覚はあった。それでも、悲しくて、寂しくて、愛しくて。
「……うん。側にいるよ。ずっと貴方の隣にいる」
そう言った彼女は、憐れな僕に同情していたのかもしれない。
それでも良かった。例え気休めでも、僕はそれだけで落ち着けた。その言葉に何れだけ救われたか。
「でも、アリスって呼ばれるのはやだな。他の皆ならまだいいけど、白ウサギには名前で呼んでほしい」
僕と額同士を合わせて彼女は、頬を桃色に染めてはにかんだ。間近にある芽衣の瞳を覗けば、自分が映る。
――嬉しい。
素直にそう思った。自惚れかな。でも、僕は特別って言ってもらえてるようで。嬉しい。
「め、い」
「ん?」
「……好きだよ」
そう言ったら、頭を抱えられた。耳元で、ありがと、と囁かれる。僕は彼女の華奢な身体をそっと抱きしめた。
この好きが、愛なのか恋なのかはその時まだ判断できなかった。妹みたいに思っているか、はたまた恋人に向けての感情か。
でも、愛しさは募るばかりで。もはやどうでも良かったんだ。
だって、こんなにも幸せに満たされていたから。
◇
そこで一旦、白ウサギは口を閉じた。私達はと言うと、驚きのあまり何も言えず、金魚のように口をパクパクと開閉する。
聞こえるのは、ただひとりちっとも動揺を見せないチェシャ猫の忍び笑いだけ。
「皆さん、ここまでは理解できましたか?」
周りを見渡して、確認するように問いかける。ほとんどの者は黙りこんでいたけれど、私はハッとして、言葉をつむいだ。
「ちょっと待って。じゃあ、芽衣は──お姉ちゃんはこの国で暮らすって決めたんでしょ?」
「そうだよ」
「それじゃあどうして、白ウサギは私を呼んだの? アリスが二人もいちゃ、駄目なんじゃないの?」
必死にまくし立てれば、静かだった聴衆たちも騒ぎ始める。
なんで、どうして、何の為に。そんな疑問符ばかり。
白ウサギはすっと赤い瞳を細めた。鬱陶しい、とでも言いたげに。その瞳の冷たさに、思わず口をつぐむ。
「お静かにお願いします。それを今からお話ししますので」
そして一呼吸置いて彼は言った。
「芽衣の行方。唯を連れて来た理由。どうして唯が芽衣に会ったか。芽衣が何故見つからなかったか。それは、そう昔じゃない出来事でした」
────と。
表情崩さず言うくせに、遠くを見ているような、哀しみを味わっているような、そんな感じ。
「ただひとつ言えることは、今回の事件は全て僕一人の責任であること。もともと狂っていた僕が、更に歪んでしまった」
それだけです、と加えて、瞼を伏せる。
そして再び、話し始めた。歪みの矛先、切ないくらいの愛のかたちを。私は、彼を責めることなんてできなかった。
純粋すぎた気持ち。愚かな行動。やや重い情熱。歯止めのきかない衝動。
それには全て、愛しさが詰め込まれていたから。
必ずハッピーエンドなんて、誰が決めたの。悲恋の物語だってあるんだ。