第四章 ふたりのアリス
「おっと」
気を失った唯の膝が、がくりと折れる。俺はそれをあわてて受け止めた。
腕に抱けば、ふわりと香る人の温もり。アリス特有の違う世界の匂いだ。
「ア、リス」
静まった法廷で、俺のすぐ隣につっ立っている白ウサギが、唖然とした表情で俺と唯を見つめてる。
だけど次第にその顔は怒りに染まり、赤い瞳が更に色を増し赤く、紅く、朱く……。まるで血のようなその鮮やかな緋に、ゾクゾクした。
興奮して、胸が震える。
「な、何をした貴様!」
ガタリと大きな音をたて、女王がもっとでかい声で叫んだ。それに、周りの聴取たちも騒ぎ出す。まったく、煩くてかなわない。
「何って、強行手段」
俺がそう言えば、ウサギの長い耳がぴくりと揺れる。
馬鹿だな、そんな簡単に反応して。嘘吐きなんだか正直なんだか、中途半端な奴。そんなんだから、いじめたくなるんだよ。
「強行手段……だと?」
意味がわからない、とでも言いたげに、女王が眉をしかめる。俺は頷いた。
「チェシャ猫、もしアリスを傷つけるような真似したときは……」
「やだなぁ、何言ってんだ女王様」
凄む女王に、ハハッと笑い俺は唯を抱え直す。聴取たちは相変わらず騒いでいて。
「アリスを殺したことがあるあんたにそんな事言われたくないって」
「っ!!」
女王が目を見開いた。法廷内がより一層強くどよめく。やべ、禁句言っちゃった。あーあ、また皆して怒るのかな。
まぁいいや。この際、その傷えぐろ。
「ち、違う。あれは……殺すつもりなんか全然無くて」
手を震わせて、歯切れ悪く言い訳する女王。かなりの動揺ぶりだ。いいね、その反応。
「それからだよなぁ、アリスを異常に溺愛してさ。いつだっけ? あんなに仲良かった王様を殺したの。アリスに私と王様どっちが好き? なんて聞かれて」
「う、うるさい! 黙れっ!」
「オレ、あのアリス嫌だった。すごい我が儘で自分は愛されて当然、みたいな顔してさ。名前なんだっけ。かな? みな? どっちでもいっか。な、本当はあんたも嫌いだったろ?」
「止めろ……!」
ガタガタと可哀想なくらいに震えて、女王は自分の肩を抱く。普段あんなに高飛車なのに、いじらしいものだよ。
だから、誰かをいじるのって止められない。
(そんなんじゃ、嫌われるよ)
そう言ったの、誰だっけ。ああ、思い出した。芽衣だ。
別に嫌われてもいいんだけどね。嫌われるような事してるって自覚してるから。
(チェシャ猫は平気なの?)
平気だぜ? だってオレは狂ってる。どんなに罵声を浴びても、全然心は痛まない。
「だから、だからお前は嫌いなんだ、チェシャ猫……! いつもアリスを泣かせたりして!」
悲痛な表情、泣き叫ぶような声。このまま壊れてしまいそうだな、あの女。
「なんでそこまでしてアリスをかばうかなぁ。もう何十年も前の話じゃん。そいつ死んだし」
「ア、アリスが居なきゃ、わらわ達は消えてた。アリスは、こんな狂ったわらわ達のために自分の世界を捨ててくれた……!」
――どこまで責めたら、壊れるかな。
でも壊れた姿も見たいなんて、狂気の塊。
そもそもすでに狂い壊れてるから、これ以上どうしようもないかも。首切り好きな、ヤバイ嗜好を持った女なんて。
だけどさ、やっぱそんな風に取り乱されると、うずくんだよねぇ。だから
「アリスが世界を捨てたんじゃない」
悪いね女王様。
「あんたらが拒否権与えなかったんだろ?」
ぼろりと、女王の瞳から大粒の涙が流れた。人の表情で一番イイのって、泣き顔だよな。
非難の声があがる。処刑、追放、消滅。そんな意味合いの単語がたくさん飛び交って。
鬱陶しいな。あんまり騒ぐと、唯が起きちゃうじゃん。
「だいたい馬鹿だよね。そんなに消えたくなきゃ、もとの世界に帰ればいいじゃん。選択肢はいっぱいあるっていうのに、虫がいいよあんたら。結局自分は傷付きたくないから、平和に暮らしてたアリスを犠牲にしてさ」
ヤバイな、止まらない。聴衆達の顔が恐怖に滲んでいく。叫び声も、何かに脅えてるような悲鳴に近い。
「チェシャ猫」
「ん? うわっと!」
名前を呼ばれたかと思えばいきなり殴りかかってこられた。唯を抱えたまま、ぴょんっと避ければ、烈火の如くお怒りの様子な白ウサギが。
普段温厚なウサギが乱暴するなんて、余程切羽詰まってるんだな。
「アリスを返せ……!」
「息切れしてるぜ、寂しがりやのウサギさん」
口笛混じりに挑発すれば、青筋が浮きでる。冷静さを失うの早すぎ。よくそんなんで、今まで唯を誤魔化せてたな。……唯が鈍いだけか。
「そう血相変えるなって。オレはあんたのためにも唯をこうしたんだぜ」
「……どういう事だ」
「唯の記憶、蘇らせてる」
俺はゆっくり言ってやり、抱いてる唯の瞼にくちづけした。
「さっさと思い出してくれよ」
そう耳元で囁いて。
愛されたいから愛するなんて、感動的だね。滑稽すぎて、笑えるよ。
第四章の始まりです。