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  悪夢に終止符を




 何もかもが平凡な私も、昔から好奇心だけは人一倍旺盛だったと思う。後先考えず、目先のことだけにとらわれて、本当に悪い癖。自覚があるのに直らない。

 後悔先に立たず、ということわざは、私のためにあるようなものと言われた記憶もある。いったい誰に言われたのかは、忘れてしまったのだけど。


 だから、あの日も私はただ誘われるままに走った。背後から聞こえる制止の声を振り切って。そして、悲劇は起きた。


(危ない、唯!)


 手を滑らせたのは誰?

 かばったのは誰?

 突き落としたのは誰?

 堕ちたのは……誰?


 泣くばかりの少女。怖さのあまりに忘れたの。







「───いやっ!」


 私は飛び起きた。

 今の、……なに? 嫌な夢を見た。でも、覚えてない。森の中の井戸、ふたりの少女。……それ以外、わからない。夢なんて曖昧すぎるから。

 ――手、震えてる。

 小刻みに揺れる指先。その上、私は汗だくになっていた。


「ここ、何処……?」


 自分の様子より、周りの状況だ。広めな個室、私はベッドに寝かされている。赤い絨毯、白い壁には薔薇の模様。柔らかい布団は淡いピンクだ。

 これも、女王様の趣味だろうか?


「いつのまに寝ちゃったのかな……」


 時計は見当たらない。あったとしても、役には立たないだろうけど。

 白ウサギが持っていた時計も止まっていた気がする。本人はそんなの気にしてなかったけどね。


「そういえば白ウサギっ!」


 そうだ。私、女王様に会って、その後白ウサギに裁判のこと聞いてそれで、───なんだっけ?

 そこから、記憶がない。最後になんか聞こえた気がするんだけど。


「目覚めが良くないな」

「!?」


 突然の声に振り向けば、そこにはよく見知った者がいた。


「…チェシャ猫……」

「悪夢から覚めたか?」


 窓枠に座ってニヤリと笑う猫。彼の背後には、青い空が見えた。ここ何階なの?


「君、どうして……」

「唯は逃げなくていいんだ?」


 私の質問を当然のように無視して、逆に尋ねてくる。相変わらず人の話を聞かない。

 チェシャ猫は窓枠を蹴り、部屋へと入ってきた。近付いてきたかと思えば、唐突に私の寝ているベッドの傍らに座る。

 その衝撃に、スプリングが軋んだ。彼は笑みを張り付けたまま、首をひねり私の目線に合わせる。


「逃げるって、なんで」


 小さく漏らすと、彼はグルッと喉を鳴らした。そういうところ、猫っぽい。私は喉を鳴らせないもん。


「裁判するんだろ? あ、もしかして裁判の意味知らない?」


 彼の言葉に頷く。

 ――裁判、裁判って、いったい何なの。え、なに。私訴えられちゃうわけ?

 知らぬうちに、罪でもおかしてしまったのだろうか。


「そうだな、教えてやってもいいぜ?」


 チェシャ猫は私のサイド髪をそっと一束掬い言う。私はそれに直ぐ様、本当? と返した。


「マジマジ。ただし、条件つきな」

「……ギブアンドテイク?」

「そ」


 チェシャ猫が口角をつり上げる。その際に見えた黄色い八重歯が、妖しく光った。

 口を塞がれたことや首を絞められたことを思い出して、額に脂汗が滲む。


「顔色悪いな」

「……気のせいだよ。そんなことより、私は君に何をすればいいの?」


 また、思い出せと言うのだろうか。それは、あまり良くない。頭の奥が締め付けられ、目眩が起きるし、吐気もする。何より、苦しい。泣きたくなるから。

 上体を起こしたまま、うつ向いた。


「そんな顔するなよ」

「顔は……生まれつきだもん」

「嘘つけ。それが生まれつきなら、余程ひでえ容姿じゃん」


 失礼だ。そんなに酷い顔してるだろうか。自分じゃ見えないから、わからない。


「唯」

「え? ──!!」


 名前を呼ばれて顔を上げたら、不意に口唇になにかが触れた。そのなにかがチェシャ猫の舌だと理解するのに、時間はかからなくて。

 私の緩く結んだ口唇を一舐めしたチェシャ猫は、私の見開いた目を一瞥して離れた。

 とても長く感じられたけど、きっと実際は一瞬だったんだろう。


「……真っ赤」


 耳元で指摘され、背筋を電流が流れたみたいな衝動を感じた。身体がビクリとはねる。


「じゃ、教えてやるよ」

「え……?」

「今のは情報料。物足りないと言いたいとこだけど、あまり時間ないしな」


 ──何を言ってるんだ、この猫は。キスしたり首をしめたり舐めてきたり。時間があったら、何を要求する気だったのだろう。

 ……深く考えるのはよそうっと。

 気をまぎらわそうと、私は頭をブンブンと振った。チェシャ猫が不信な視線を送ってきたけど、気にしない。


「じゃ、話すな。裁判は、いわば儀式みたいなもんだ。女王様が判決を下して、初めて本当のアリス、つまりこの国の住人になれる。普通は白ウサギが城に着くまでにアリスに話すんだけど……」

「けど?」

「今回は特例ってやつかな」


 あいつは策士だから、と言って肩をすくめる。

 そして私が口を挟むより早く、チェシャ猫は再び話し始めた。


「アリスになったら、もう後戻りはできない。死ぬまで此処で暮らすことになる。それはつまり」

「裁判が終わったら、二度と帰れない……」

「ご名答」


 パチン、と指を鳴らして、愉快げに笑う。私は眉をしかめた。

 ――じゃあ、どうすればいいの? 裁判が始まったらもう、元も子もないじゃん。……逃げだしちゃうとか? あとが怖いな。


「はは、心配しなくても大丈夫だって。判決が下されても、あんたがアリスになることはねえよ」


 ごろん、と座ったまま上半身を横たえる猫。頭を私の膝──正確には太もも──にのせ、見上げてくる。

 ピンクというメルヘンな色した瞳が、私を全てを射抜いきて。つい目をそらしてしまった。


「なんで、って聞かねえの?」

「……き、く」


 歯切れ悪く答えると、チェシャ猫は鼻で笑う。いちいち癪に障る子だ。慣れてしまったけれど。


「そうなると、前のアリスの話しなきゃだな」


 それ。それなんだ。私の疑問は。

 帽子屋や薔薇さんが言っていた、前のアリス。前って、どういうこと?


「この狂った世界は変な法則みたいのがあってな。アリスは必ずひとりじゃなきゃいけない。でも、必ずいなきゃいけない」


 ……ややこしい。


「だから、アリスがすでにいる場合は、他の誰もアリスになれない。例え女王の命令でも、案内人が連れてきた者でもな。───ここまで理解できる?」


 えーと……。つまり、アリスは世界でひとり必要で、でもひとり以上いちゃいけなくて。

 ――難しい。分かるような気もするけど、実際よくわからない。

 私が唸ってたせいか、チェシャ猫はため息をついて


「ま、法廷で白ウサギが説明してくれるだろうから、その時分かるよ」


 と言った。

 でも、それからじゃ遅い。だって、裁判が始まったら私、帰れなくなる。そんなのは困るよ。


「なぁ、唯」

「……なに?」


 未だに私の膝を枕にしているチェシャ猫が、不意に私を呼ぶ。下に視線を向ければ、年不相応な妖艶な笑みを浮かべていた。

 どう見ても、私より年下に見えないくらい、大人びた表情。背筋から震えがきた。


「なんであんたはこの国に連れてこられたか知ってる?」

「……前のアリスがいなくなったから」


 自信はないけど、多分そんなところだと思う。私が、……アリスが必要になったってことは、前のアリスがいなくなってしまったから。


「んー、まぁ半分正解かな」

「半分は、はずれ?」


 垂れた髪を耳にかけて尋ねる。彼はこくりと頷いた。


「前のアリスは突然消えた」

「…消えた……?」

「そ。だから皆必死に探してたよ。血相変えて、マジ爆笑ものだった」


 はは、と笑うこの猫はかなり腹黒いと思われる。周りが焦っているのに、それを見て爆笑してるってどうなの。

 だけど機嫌を損なわれても困るし、私は何も言わないでおいた。ほら、猫って気まぐれだし。いきなり怒ったり帰られるという事があるかもしれない。

 私が黙っていると、この少年はクスクスと笑いつつも、話戻すけど、と言って


「結局どんなに探しても、アリスは見付からず。そんなこんなで、またアリスが必要になった。アリスが死んだかなんてわからないのにな」


 私の髪の毛をいじりながら、吐き捨てる。やけに嫌悪感のある声色だった。


「みんな諦めたよ。だって白ウサギでさえ見つけれなかったんだから」

「そこでなんで白ウサギが出てくるの?」

「あいつは案内人だ。アリスがどこにいたって、見つけれるんだよ」


 ……本当に便利な役職ね。みんなが彼を敬うのも分かる気がする。

 そんなことを思っていると、扉の外で足音がした。鼓動が私の意志とは無関係に速度をあげる。

 コツ、コツ、コツ──

 響く靴の音が、恐怖心をかきまわして。

 ――や……!

 近付いた誰かの足音は、やがて当たり前のように通りすぎた。いっきに脱力して、盛大なため息がこぼれる。


「ねぇチェシャ猫」


 私の髪を好き勝手にいじる彼に声をかけた。チェシャ猫は、んー? と生返事をする。呆れつつも、仕方なしに私は彼に顔を近付け、


「私、どうすればいい?」


 と、尋ねた。しかし、返ってきたのはそっけないこの一言。


「あんたの好きなすればー?」

「もう、真剣に聞いて。だって、裁判が始まったら私……。ね、白ウサギが来ちゃう。帰るにはどうしたらいいの?」


 息が触れ合うくらい詰め寄ると、チェシャ猫の眉間に縦皺がきざまれる。

 まずい、そう思った瞬間ときには既に遅く、乱暴にあごを強く掴まれた。


「──っ!」

「あんたさぁ、そうやって直ぐに他人頼りするなよ。少しは自分で考えろ」


 冷たい瞳で言われ、カチンとくる。

 なんで、そんな事言われなきゃいけないの。だって私は、この世界のことなんか知らない。こんな狂った世界のことなんて。

 無性に苛々した。心の中が荒波をたて、全てを壊したい衝動にかられる。


 望んでもないのに、勝手に連れてこられて、皆アリスアリスって呼んで。

 意味のわからないことばかり言って、そのくせ肝心なことは教えてくれない。──私ひとり、除け者だ。


「君みたいな意地悪、嫌い……」

「へぇ、気が合うね。お互い様じゃん」


 挑発するように言って、右手を私の後頭部にまわす。ピンクの瞳が至近距離にあって、くらくらした。

 こんな風にベタベタ触れてくるから、なつかれたのかもと思った私が馬鹿。こんなにも、嫌われている。


「でも、そういう泣きそうな顔はわりと可愛いよ」


 指先で私の涙袋をそっと撫でた。純粋に褒められている気がしない。私は彼の手を払った。チェシャ猫は、面白くない、とでも言いたげに目を細める。


「触んないで……!」

「ふーん? 唯って本当にずるいな」


 ずるい? 私が?

 違う。ずるいのは、この世界の住人だ。


「優しくしてくれる奴には甘えて、だけど少し冷たくするとそうやって怒る。都合良くね?」

「…………」


 ぐさぐさと、キリキリと。嗚呼……胸が張り裂けそう。息が乱れて、呼吸してるのにまったく酸素を吸い込めない。


 この感じ、前にもある。辛くて辛くて辛くて、ただ泣くしかなかった。息が詰まって、涙が勝手にあふれる。

 嫌だ。嫌だ。嫌だ。


「なに、泣いてるの?」


 甘い声で囁いてくる。それさえも、今は怖い。


「忘れちゃったの? 自分の罪を」

「──!!」


 恐ろしい頭痛が、私を襲う。


「アリス?」


 ――え……。

 脳内にノイズが流れこんで、だけどそれを掻き消すように扉を叩く音が響いた。


「アリス? 開けるよ?」


 その声が白ウサギのものだと気づくのに、少しばかり時間がかかって。私は頭痛なんか忘れ、あわててチェシャ猫の上体を起こした。


「は、早く隠れて!」

「はぁ? なんでだよ」

「だって君たち仲悪いじゃん!」


 またあの険悪ムードの中にいるのはごめんだ。しかも、白ウサギの人格が変わる。


「オレはあいつの事大好きなんだけどな」

「一方通行だから余計にタチ悪いの!」


 再び寝そべようとするチェシャ猫の背中をぐいぐいと押せば、彼は舌打ちしながらも何とか退いてくれた。


「仕方ない、消えるとするか」


 肩をすくめて、チェシャ猫は窓枠に手をかけた。……飛びおりる気?


「あ、唯。別に裁判出ても平気だぜ。まだもとの世界に戻れるさ」

「え、それは確かな」


 ことなの、と言い終える前に彼は姿を消した。最後に手を振って。

 あやふやなままで、なんだか後味悪い。


「アリス?」

「は、はーい」


 いぶかしげな白ウサギの呼び掛けにあわてて答える。

 私は身体を起こし、ドアを開けた。


「よく眠れた?」

「……うん」


 優しい微笑み。ほっとした。大丈夫、いつも通りの白ウサギだ。

 彼はにっこりと笑い、私に手をさしのべる。


「行こう。裁判に」


 私は、おそるおそるその手に自分の手を重ねた。










気持ちだけじゃ進めない。足場がこんなにも不安定なの。

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