赤薔薇と白薔薇
「ねぇ、白ウサギ」
スペードの男の人と別れ、城門を閉めた彼に話しかけた。
「なに? アリス」
「………」
私から声をかけたのに黙りこんでいると、白ウサギは首を傾げる。
だけど私は、どう切り出せばいいか悩んでた。だって、白ウサギは一応女王様に仕えているみたいだし、言いにくいじゃない。
『わたし、女王様に殺されたりしない?』
──なんて。
失礼だよね。でも、怖い。だって機嫌悪いくらいで首を刎ねるんでしょ?
私みたいなマナーのひとつも知らないような女子校生が、そんな高貴な人の前に出てったりして、大丈夫かな。……マーチに礼儀作法教わっておくんだった。
「アリス、心配はいらないよ」
「え?」
「女王様は他の誰を傷つけても、アリスだけは傷つけない」
びっくりした。私の考えてること、言い当てたから。
「なんで、分かったの?」
我ながら、ちぐはぐな聞き方だと思う。
だけど、そのくらい驚いたんだ。…ボギャブラリーが少ないっていうのもあるけど。
そんな質問に、彼は戸惑いなど全く見せず答えた。
「案内人だから」
「……便利な役職ね」
案内人、という単語ひとつではたして片付けていいのだろうか。
白ウサギは、なりたい? と尋ねてきたから、私は即座にノーと答えておいた。
「女王様は人一倍アリスを大切にするから、大丈夫。さぁ、行こう。みんなアリスを待ってる」
そう言って、私に手を差し出す。その紳士的な振る舞いをしばらく見つめ、私はそっと手をとった。
彼はにこりと微笑し、ゆっくりと私の手をひく。決してきつくなく、だけど温もりを感じる程度に重ねられた手の平は、白ウサギの付けている手袋の肌触りに力が抜ける。
城門をすぎ、城の扉まで行くには少し距離があった。
いざ城を目の前にすると、その大きさに圧倒される。遠くから見た時とは大違いだ。赤い模様はやはりハートである。
美しく、可愛く、綺麗。それこそため息が出そうなほど。
庭園──なのかな? 広すぎて判断難しい──には、たくさんの花が咲き誇っている。どれも鮮やかだけど、赤い花が多い。物凄い華やかだ。
「真っ赤……」
そう独り言を呟くと、
「女王様は赤が好きだからね」
と、白ウサギは言った。
そう言われてみれば、城の模様も赤い。城門も赤かったし、今、目の前にある城内へと繋がる扉も赤だ。
「──開けるよ」
一言私に断りを得て、だけど私の返事なんか聞かずに彼は扉に手をかける。
――わ、まだ心の準備が!
白ウサギを止めようとした時、声が被さった。
「「何してるんだい、お嬢さん」」
「え……?」
振り向けば、ふたりの人が立っている。中性的で、男性か女性か分からない。声も、低すぎず、高すぎずってところだ。
しかも、見事なシンメトリー。着てる服まで一緒だったら見分けつかないだろう。双子……かな。
「可愛い服だね。水色ではなく、赤だったらもっと可愛いだろうな。そう思わないかい? 白薔薇」
と、私を上から下まで見据え、赤い服を纏った人が言う。
――すごい、全身真っ赤だ。
服も、髪も、瞳も、ワインレッドで統一されている。左胸にはもっと濃い赤の薔薇が一輪。
「思わないね。やっぱりドレスは白が一番だよ。赤薔薇」
赤い人とは対照的に白い服を纏った人が、私を見定めるように見つめ言った。
この人は、まったく真逆で全て純白。右胸には、白に埋もれた一輪の白薔薇が。
このふたり、色以外は外見ほぼ同じと言っていいだろう。
「相変わらず白薔薇はおかしなセンスをしてる。エプロンドレスなのに、真っ白などおかしいだろう」
「赤よりはマシじゃない。何で君はそんな下品な色が好きなのさ」
――なんか、喧嘩始まった……。
しかもきっかけは色。声かけてきたのに、私のことは放ったらかし。
そんな間にも、言い合いは続く。
「いいのかい? そんな事言って。女王様に首をちょん切られるよ」
「別に怖くないよ。私は薔薇だから、切られたってまた生えてくる。君だってそうでしょう?」
危ない会話だ。またまた女王様の話題。
薔薇だから生えてくるという変な常識には、突っ込むべき?
「ねぇ、白ウサギ……。なんなの、この人たち」
白ウサギの袖をちょい、と掴み小声で尋ねる。彼は私の耳元に口唇を寄せてこう教えてくれた。
「赤薔薇と白薔薇。城専属庭師の双子だよ。あまり近くに寄っちゃ駄目だよ? あのふたりは棘があるから」
さすがに毒はないけどね、なんて笑いながら言う。
普通、ないものじゃないの? っていうか、薔薇が庭師ってどうなんだろう。激しく疑問なんだけど。
「「お嬢さん、君はどう思う?」」
私が首をひねってると、唐突に尋ねられた。当然話を聞いてなかった私にはなんのことか分からない。
だけど、私が聞くより早く、ふたりは声を合わせて言った。
「「赤と白、どっちがすき?」」
「………」
まだ引きずっていたらしい。なんでそんな対抗心燃やしているのだろう。
――なんて答えればいいんだろ…。
私は口籠った。だってどちらにしろ、喧嘩は悪化しそうな気がする。
そんな時は、困った時の案内人。私は隣にいる白ウサギを、助けを求めるように見上げた。
それに気づいた彼は、安心させるように微笑み、私を自身の後ろに隠す。つまりは私の前に白ウサギが立っていて。
「「白、ウサギ様……?」」
彼を見たふたりは、ハッとしたように白ウサギを凝視した。
やっぱ白ウサギ、身分高いんだ。様付け、敬語、跪き、次はなんだろう。
そんなくだらない事にドキドキしてると、白ウサギが
「アリスを困らせないでほしいな」
と言った。
ふたりはえっ、と抜けた声を漏らし、白ウサギの後ろから顔だけ出してる私を見つめる。そんなに見られると、なんだか居心地悪い。
「アリスって、このお嬢さんが……?」
「言われてみれば、その服はアリスの……」
顎に指をあて、じっくりと見てくる。
本当に、私は何者なんだろう。そんなに珍しいのかな。
「──アリス、ようこそ、地下の世界へ」
「歓迎しよう」
一通り私を見たふたりは、フッと笑みをこぼし、そう言う。
私はなんと言えばいいのか分からず、とりあえずぺこりとお辞儀した。
――地下の世界? 歓迎しよう? 好きで来たわけじゃない。
「それにしても、良かったですね白ウサギ様」
と赤薔薇さん。白ウサギは、えっ? と首を傾げた。その表情は、どういう意味、と聞いている。すると、今度は白薔薇さんが寂しげに微笑み
「だって、前のアリスが消えて一番悲しんでたのは貴方じゃないですか? みんな心配してたんです。貴方は大切な、欠けてはならない方ですから。けれど、新しいアリスが来たからもう大丈夫ですね」
……と言った。
新しいアリスというのは、きっと私のことだろう。チラリと私を一瞥したし。
でも、前のアリスって? 確か、帽子屋もそんなことを言っていた気がする。消えたって、…何?
白ウサギを見上げると、彼の赤い瞳が炎のように揺らいでいた。
――……白ウサギ?
怒りなのか、戸惑いなのか。無感動な表情の中に、瞳だけが震えてる。
それでも薔薇は話し続けて。
「貴方は過去一番にあのアリスを愛していらっしゃった。名前、なんと言いましたっけ? 確か──」
「うるさい!」
!?
びっくりした。だって、あの白ウサギがこんな風に怒鳴るなんて。
赤薔薇と白薔薇も声を失っていた。口をぽかん、と台形にだらしなく開けて、呆然としている。
「……ごめん」
彼はバツの悪そうな顔をして、そう謝罪した。それがなにに対してなのかは、よく分からないけど。
「あ、いえ……。私達も余計な事を言って……なっ?」
「そ、そうです。だから謝ったりしないで下さい」
あわてて胸の前で両手を振るふたり。それに白ウサギは、笑うのに失敗したのか、口許を歪めた微妙な表情をする。
「──悪いけど、急いでるから行くね」
一語一語を吐き出すように言って、彼は私の腕をひいた。
双子の薔薇は、声を重ねて小さく、はい、と呟く。なんか弱々しい。やっぱりまだ白ウサギの豹変ぶりから抜けだせないらしい。
「ば、バイバイ。赤薔薇さん、白薔薇さん」
私は頭だけ振り返り、ふたりに告げた。
◇
重い扉を開けて、私達は城の中へと足を踏み入れた。
外から見たのと同様、中もとても豪勢である。赤い絨毯、真っ白な壁にはたくさんの絵画。超庶民の私には、どれも初めて見るものばかり。
――本当、外国みたい……。
半ばうっとりした表情で、挙動不審に周りを見渡す。貴重すぎる現在の状況に目を輝かせていると、後ろから高い声に呼び止められた。
「アリス! 貴女アリスだろう!?」
唯なんだけど、というツッコミは最早出ず、私は自分を呼んだ者を見る。
そこに立っていたのは、真紅のドレスに身を包んだ綺麗な女の人だった。
「…女王様……」
白ウサギがそうこぼす。
――って、えぇ! 女王様!?
私は目を疑った。想像していたのと、遥か違うからである。
私はもっと、恐そうな女性だと思っていた。だけど、今目の前にいるこの人は、見目麗しい容姿に、優しい微笑みを浮かべている。白い肌が、頬の部分だけ淡く桃色に染まって。とても美人。
「はじめましてアリス。わらわがこの国の、ハートの女王だ」
照れたようにはにかみ、女王様は言った。
本格的に後戻りできないと気づいたのは、この時かな?