第五話:履歴書と外面
がらんどうだった『城』が、一夜にして(力技と札束で)完成した翌朝。
昨日までの喧騒が嘘のように、静かなアパートの一室。ダイニングに差し込む朝日が、フローリングの上で埃をキラキラと照らしている。
その部屋の中央、昨日「没個性」の極みとして選ばれた、何の変哲もない木製のダイニングテーブルに、二人の少女が向かい合っていた。
「…………」
「…………」
テーブルの上には、コンビニで買ったおにぎりの残骸と、昨日、家具屋のレジ横からごっそり持ち帰ってきた、大量のチラシや無料の情報誌がぶちまけられている。
『新生活応援! 春のバイト特集』
『未経験者歓迎! シフト自由!』
『今すぐ稼げる! 高時給リスト』
二人は、その中の一枚一枚を、真剣な(……というよりは、値踏みするような)目つきで、仕分けていた。
「……チッ。巫女? 神違い(かみちが)だろ。あたしがやったら天罰が下る」
ステラは、白と赤の衣装をまとった女性が微笑むチラシを、指先で弾き飛ばした。
「まぁ。フードデリバリー、ですの。この『自転車』という乗り物で、食事を運ぶ……」
アスエルは、大きなカバンを背負った青年の写真に、わずかに首を傾げた。
「……ステラ。私達、飛んだ方が、早くありませんこと?」
「当たり前だろ。だが、飛んでるの見られたら『マズイ』ってことくらい、あたしでも分かるぞ。……却下だ」
ステラは、次に『ガテン系! 現場で輝け!』と書かれた、ヘルメット姿の男たちが並ぶチラシを手に取った。
「……工事現場、ね。悪くねえ。『破壊』は得意そうだな、テメェ」
「あら。それは私の『本質』とは少々、違いますわ」
アスエルは、優雅に手を振った。
「私が得意なのは、ミクロ単位での『完全消滅』。あのような、騒音を撒き散らすだけの乱暴な『破壊』は、美しくありませんわ」
「……はいはい、そうですか」
ステラは、アスエルの悪魔のくせに、面倒くさい美学に悪態をつきながら、チラシの束をかき混ぜる。
どの求人も、二人にとっては現実味のないものばかりだった。
昨日、あれほどあった現金が、家具と家電という「インフラ」に姿を変え、バッグの嵩が劇的に減った。あの恐怖は、まだ生々しい。
(……このまま『豪遊』してたら、マジで一月もたねえ)
(……『核』も『徳』も発生しないこの地上で、私達の『城』を維持するには、この世界の通貨に従うほか、ありませんわね)
二人の「家出生活」は、わずか二日目にして、「生きるための労働」という、極めて現実的な問題に直面していた。
「……あァ? なんだこりゃ」
ステラが、全てのチラシに共通する、ある「単語」に気づいた。
「……『りれきしょ』……?」
『まずはお電話を! 履歴書不要!』
『面接時、履歴書(写真貼付)をご持参ください』
『履歴書の書き方、丁寧に指導します!』
「……アスエル。なんだ、この『履歴書』って」
「さぁ……?」
アスエルも、その文字を追う。
「『履く』『歴史』……『書』、ですの。……地上人は、自分の足跡を書類にして、提出する義務でもあるのかしら」
「ハッ。そんな面倒くせえこと、誰がやるかよ」
ステラは、鼻で笑ったが、その隣の『履歴書不要!』という文字が、妙に気になった。
「……ってことは、『不要』じゃねえ場合は、それが『必要』ってこったろ」
二人は、顔を見合わせた。
地上のルールは、絶対だ。
「同棲」も、「家具」も、「金」も、全て地上のルールに従って(……大半は間違っていたが)手に入れてきた。
この『履歴書』とやらも、十中八九、労働を開始するための『鍵』のようなものに違いない。
「……チッ。仕方ねえな」
ステラは、乱暴に立ち上がった。
「買いに行くぞ」
「あら。どこで売っているか、ご存知で?」
「知るか。……だが、昨日、あの『なんでも屋』(コンビニ)で、筆記具みてえなモンが売ってたのは見た。あそこなら、『書』の仲間も置いてあんだろ」
「まぁ。合理的な推察ですわ」
二人は、最低限の現金をポケットにねじ込むと、今度こそ「労働」への第一歩を踏み出すため、アパートのドアを開けた。
---
地上の空気は、昨日よりも生暖かい。
二人は、昨日買ったばかりの「無難な服」(ステラはパーカー、アスエルはニット)を身にまとっている。儀式用のボロ布でもなく、パンパンに膨らんだバッグを抱えているわけでもない。
ようやく、ごく普通の「地上の少女」の姿になった、はずだった。
「…………」
ステラは、苛立たしげに前を歩く。
駅前のコンビニに向かう、わずか数分の道のり。
それだけなのに、すれ違う人間たち(特に男)の視線が、鬱陶しいほどに絡みついてくる。
「(……チッ。ジロジロ見やがって……)」
だが、視線の大半は、自分ではなく、半歩後ろを優雅に歩く、金髪の相方に注がれていることにも、ステラは気づいていた。
「(……まあ、無理もねえか)」
ステラは、横目でアスエルを盗み見る。
陽光を反射して輝く金髪。透き通るような白い肌。そして、何も考えていなさそうで、全てを許してくれそうな、あの柔和なタレ目。
本性は、ミクロ単位で物を消滅させる、ヤバい悪魔だ。だが、その「外面」は、ヘブンでステラが散々見てきた、どの天使よりも「天使らしい」造形をしていた。
「(……ケッ。顔だけは、一級品なんだよな、こいつ)」
「あのー、すいませーん」
その時。
前方から歩いてきた、茶髪の大学生風の男二人組が、馴れ馴れしい笑いを浮かべて、アスエルの前に立ちふさがった。
「お姉さん、めっちゃ可愛いっスね! 今、時間ない? この後、お茶でも……」
「…………」
男の手が、アスエルの肩に触れようとした、その瞬間。
ガシッ。
アスエルではなく、その横にいたステラが、男の手首を鷲掴みにしていた。
「……え?」
「……いッ、て! て!?」
男の顔が、驚愕と痛みで歪む。
ステラの握力は、天使のそれだった。
「……おい」
ステラは、燃えるような赤髪の下から、鋭いツリ目で男を睨み上げた。
「……その汚え手、どけねえと、二度と物が掴めねえようにしてやろうか?」
「ひっ……!?」
「な、なんだよ、お前……!」
もう一人の男が、ステラの殺気に怯む。
「あらあら」
その時、アスエルが、ふわりと微笑んだ。
「ステラ、手が早いですわ。……それに、お兄さん方」
アスエルは、怯む男たちに、一歩だけ近づいた。
タレ目が、優雅に細められる。
「私、今、少々……機嫌が、よろしくない(・・・・)のですわ。……これ以上、私達の『時間』を、無駄に『破壊』しないでいただけますこと?」
にこ(・・)。
その笑顔は、完璧だった。
だが、その瞳の奥には、一切の光も、感情も宿っていなかった。
男たちは、本能で感じ取った。目の前の金髪の少女は、相方の赤髪とは、次元の違う「恐怖」の対象である、と。
「「す、すいませんでしたァァァッ!!」」
男たちは、脱兎のごとく逃げ去っていった。
「……チッ。雑魚が」
ステラは、忌々しげに手を振る。
「……ステラ。ありがとうございます。助かりましたわ」
「……別に。テメェのためじゃねえ。目障りだっただけだ」
ステラは、そっぽを向いて、コンビニへと歩き出した。
(……だが)
ステラは、内心で(不本意ながら)認めざるを得なかった。
(……顔だけは、マジでいいんだよな、こいつ……)
一方、アスエルも、ステラの後ろ姿を見つめながら、内心で別の感想を抱いていた。
(……あらあら。先の男たち、私ではなく、ステラに声を掛けるべきでしたのに)
アスエルは、ステラの赤いポニーテールが揺れるのを、興味深そうに見つめる。
(あの鋭いツリ目。粗暴な口調。……でも、よく見れば、肌は天使そのもののように滑らかで、整いすぎた造形をしている)
ヘルでは、ステラの容姿は「地味」で「弱そう」だと、見向きもされないだろう。
だが、地上では。
「……あの、すみません!」
今度は、小ぎれいなスーツを着た女性が、慌てたようにステラの前に立ちはだかった。
「あ、あなた! すごい! 瞳に力がある! よかったら、うちの雑誌の読者モデルとか、興味ない!?」
「あァ!?」
女性は、ステラの返事も聞かず、名刺をガンガン押し付けてくる。
「いい! 絶対いい! その赤髪も、地毛!? カラーコンタクトじゃない、その目! 磨けば絶対、ダイヤモンドよ!」
「……は? ダ、ダイヤ……?」
昨日、自分が換金したブツの名を出され、ステラが、わずかに戸惑う。
「ふふっ」
アスエルが、すかさず二人の間に入った。
「まぁ、申し訳ございません、お姉さま。この子、今、とても『大事な用事』の真っ最中ですの。その『ダイヤモンド』は、またの機会に、研磨していただけますこと?」
アスエルは、完璧な笑顔で、女性の手から名刺だけをそっと受け取ると、ステラの腕を引いて、その場を足早に立ち去った。
「(……やっぱり)」
アスエルは、内心で確信した。
(ステラも、中身はアレですけれど、『外面』は、地上でも一級品ようですわ)
コンビニの前で、二人は、無言で顔を見合わせた。
手には、女性スカウトの名刺が一枚。
「……ケッ」
「……あら」
「……決まりだな、アスエル」
ステラは、コンビニの自動ドアを睨みつけながら、不敵に笑った。
「ええ、ステラ」
アスエルも、その隣で、優雅に微笑んだ。
「あたしら」
「私達の」
「「この『顔』、使わねえ手はねえ(ありませんわね)!」」
二人の『合理的』な判断が、奇跡的に一致した瞬間だった。
『履歴書』を買うという目的に、新たな目的が加わった。
――顔が良ければ、採用される。
そう、『接客系』の『バイト』に。
コンビニの自動ドアを抜け、二人は再び『城』へと戻ってきた。
外の喧騒とは打って変わって、新築のアパートは不気味なほど静かだ。昨日運び込まれたばかりの、真新しい冷蔵庫が「ブーン」と低く唸る音だけが、室内に響いている。
「…………」
ステラは、買ってきたばかりの『履歴書』と書かれた薄いビニール袋を、昨日と同じ、あの「没個性」なダイニングテーブルの上に、叩きつけるように置いた。
アスエルは、その隣に、同じくコンビニで買ってきた安いボールペンと、「念のため」と購入した朱肉、そして印鑑(……一番それらしい名前の『鈴木』と『佐藤』)を、そっと置いた。
「……ケッ。やるか」
「ええ。地上のルールですもの」
ステラが、ビニールの封を乱暴に引き裂くと、中から四枚ほどの、奇妙な罫線が引かれた白い紙が滑り出た。
二人は、椅子に座り、その「地上の理」の塊とも言える紙片を、睨みつける。
「……フリガナ……氏名、住所……」
「あら。ここは、わかりますわ。『契約書』で学びました」
「ああ。あたしが『鈴木』だ。テメェが『佐藤』な」
「まぁ。なぜ私が『佐藤』ですの?」
「字画が多くて面倒くせえからだ。文句あんのか」
「いいえ、別に。合理的な判断ですわ」
二人は、それぞれのペンを走らせる。
だが、その滑らかな滑り出しは、次の項目で、ピタリと止まった。
「……『電話番号』……?」
ステラが、眉をひそめる。
「……ああ、アレか。地上人が、耳に当てて何か呟いている、あの小さな板ですわね」
「……持ってねえな」
「ええ。持っておりませんわ」
「……チッ。空欄だ、空欄」
ステラは、舌打ち一つでその欄を飛ばした。
だが、問題は、その隣だった。
「『(写真を貼る)』……?」
アスエルのタレ目が、珍しく、ぱちくりと瞬いた。
「……写真? 私達の、顔のですの?」
「あァ? なんで『労働』するのに、顔まで差し出さなきゃならねえんだよ」
「(……さっき、私達、『顔を使う』と決めたばかりでは……?)」
アスエルは、その合理的な疑問を、あえて口には出さなかった。ステラが、さらに面倒くさくなるのが、目に見えていたからだ。
「……まあいい。後だ、後」
ステラは、その「写真欄」からも、忌々しげに視線を外した。
そして、二人の目は、この書類の「核」とも言える、最も巨大な欄へと吸い寄せられた。
**『学歴・職歴』**
「「…………」」
「……がく、れき?」
「……しょく、れき?」
シン、と、部屋が静まり返る。
冷蔵庫の「ブーン」という音だけが、二人の無知を嘲笑うかのように響いていた。
「……アスエル。テメェ、知ってんのか」
「……さぁ。……『学んだ』『歴史』、『職の』『歴史』、ですわよね?」
「……そのままだな」
「まあ、こういうことでは?」
アスエルは、ペンを持つと、その滑らかな指先で、『学歴』の欄に、美しい(しかし、この世のものとは思えない)文字を綴り始めた。
『――地獄立 第三悪魔養成機関 卒業』
「…………」
ステラは、その文字を、信じられないものを見る目で見つめた。
「……テメェ、本気か?」
「あら。私は、そこで『破壊の基礎』を学びましたが?」
「……ハッ」
ステラは、鼻で笑うと、アスエルの履歴書をひったくり、自分のペンで、力強く『学歴』の欄に書き込んだ。
『――天国 第一神殿 付属 創造工房 中退』
「……『中退』?」
「ああ。『堕天』してきたんだ。卒業なんざ、してねえ」
「……ふふっ。合理的ですわ」
二人は、自分たちの「経歴」に、一瞬、満足げな顔をした。
だが、次の『職歴』の欄で、またしてもペンが止まる。
「『職』……。『創造』は、あたしの『任務』だったが、『職』か?」
「私もですわ。『破壊』は『担当』でしたけれど……」
二人は、ううむ、と唸った。
そして、ステラは、決し
て書き込んだ。
『――神殿の柱の補修および、獅子の像の(勝手な)改良』
アスエルも、それに続いた。
『――酒場のジョッキの(完璧な)分解および、ノルマ未達』
「「…………」」
書き上げられた二枚の履歴書は、もはや「ファンタジー」と「現実逃避」が混じり合った、カオスな代物と化していた。
「……おい、アスエル」
「……はい、ステラ」
「……これ、ヤバくねえか?」
「……ええ。私も、今、そう思っておりましたわ」
そして、トドメの一撃が、その下の欄に待っていた。
**『資格・免許』**
**『志望の動機』**
「……しかく?」
「……どうき?」
「あァ!? 『資格』だぁ? 『天使』で『悪魔』だって、これ以上の『資格』があんのかよ、あァ!?」
ステラの、地の短気が爆発した。
「『動機』……『動機』、ですの……」
アスエルは、完璧な笑顔を浮かべたまま、そのタレ目だけが、一切の光を失った。
「(……『このままでは、あの忌まわしい故郷に連れ戻されてしまうから』……?)」
「(……『金が尽きたら、この新築の『城』から追い出されて、路地裏に戻るしかないから』……?)」
バキッ!
「「あ」」
ステラが、握りしめていたボールペンが、彼女の「創造」の力の(漏れ出た)影響ではなく、純粋な握力によって、真っ二つに折れた。
「……ッ、チーーーーッ!!」
ステラは、折れたペンをテーブルに叩きつけると、ガタンッ! と音を立てて立ち上がった。
「……やってられるか! クソ食らえだ、こんな紙!」
「……ええ」
アスエルも、静かに立ち上がった。
その手には、先ほど書いたばかりの、カオスな履歴書が握られている。
「……実に、『非合理的』なシステムですわ。これでは、有能な人材(私達のことですわ)を、永遠に取りこぼすことになります」
ステラは、テーブルの上に散らばった、昨日のチラシの山を、鷲掴みにした。
「……おい、アスエル!」
「はい、ステラ」
「作戦変更だ! 『履歴書』なんざ、犬に食わせろ!」
ステラは、その中から、ある一文が躍るチラシだけを、引っ掴んだ。
『――履歴書不要!』
「……これだ!」
「まぁ。……『B級グルメフェア イベントスタッフ 緊急大募集!』……?」
アスエルが、その胡散臭いチラシの文字を読み上げる。
「『本日、駅前公園に、直接来い!』……ねえ」
「あら。それこそ、合理的ですわ」
「行くぞ!」
二人は、書き損じた履歴書と、折れたペン、そして『鈴木』と『佐藤』の印鑑をテーブルの上に放置したまま、今度こそ、地上での「初労働」を勝ち取るため、荒々しく玄関のドアを開けた。
---
駅前公園は、カオスだった。
『激安!』『旨さ爆発!』などと書かれた、センスの欠片もない幟が乱立し、テントからは、国籍不明の、しかし食欲をそそる油とソースの匂いが立ち込めている。
その喧騒のど真ん中で、一際大きな声が響いていた。
「だから! こっちのテントは、人が足りてるって言ってんだろ! 向こうの『城』が、まだ膨らんでねえんだよ! 誰か行け!」
声の主は、クリップボードを片手に、携帯電話に怒鳴り散らしている、疲れ切った目をした中年の男だった。
「「…………」」
ステラとアスエルは、無言で顔を見合わせた。
「(……あの男だ)」
「(……『指揮官』のようですわね)」
ステラは、一歩、前に出た。
男が、忌々しげに電話を切った、その瞬間を狙って。
「……おい」
「あァ!?」
男(……タナカと名札にあった)は、猛獣のような形相で振り向いた。
だが、目の前に立っていたのが、あまりにも場違いな(そして、あまりにも『顔の良い』)少女二人組だったため、その勢いは、一瞬で削がれた。
「……あ? なんだ、オマエら。迷子か?」
ステラは、持っていたチラシを、タナカの目の前に突き出した。
「……『バイトのチラシ見たんですけど』」
「……あ? ああ、臨時スタッフの……。オマエら、派遣会社には登録してんのか?」
「……『派遣』?」
「……『登録』?」
面倒くさい。
二人の顔に、ハッキリとそう書かれた。
「……チッ」
ステラは、タナカに一歩近づいた。
そのツリ目が、獲物を定めるように、スッと細められる。
「……人、足りてねえんだろ? 『城』が、膨らんでねえとか、言ってたな?」
「……!?」
タナカの目が、見開かれた。(聞こえてたのか!?)
「そ、それが、どうした……」
「あらあら」
タナカが怯んだ隙を、アスエルが見逃すはずもない。
彼女は、タナカの(ステラとは)逆側に、ふわりと移動した。
完璧な笑顔を浮かべながら。
「……私達、『労働』の意欲に、満ち満ちておりますの。……このまま、私達の『労働力』を、ここで『破壊』……いえ、『無駄』にしてしまうのは、この『イベント』にとって、大きな損失だと思いませんこと?」
「ひっ……」
タナカは、何を言われているのか、さっぱり分からなかった。
だが、分かったことが、二つだけあった。
一つ。目の前の少女二人は、とんでもない美人だ。
二つ。この二人は、とんでもなく、ヤバい。
(……だが!)
タナカは、悲鳴を上げている、しおれた『城』の方を見た。
(……ヤバくても、なんでもいい! 手が、手が足りねえんだよ、今!!)
「……あー!」
タナカは、自分の髪を、ぐしゃぐしゃにかき混ぜた。
「……わかった! わかったよ! 『登録』も『派遣』も、どうでもいい! 働け! 働けるな!? オマエら!」
「「……当然」」
「よし!」
タナカは、二人の返事に満足げに(……いや、ヤケクソで)頷いた。
「オマエら、採用だ! あっちの『備品』テントに行け! 『マイ』ってのが、ベスト管理してる! そいつから『スタッフ』ベスト受け取って、さっさと『城』を膨らませろ! 行け!」
「……ケッ。チョロいもんだな」
「ええ。合理的な交渉でしたわ」
こうして、ステラとアスエルは、地上での初の「職」を、(履歴書も書かずに)「圧」と「外面」だけで、強引に手に入れた。
二人は、タナカが指差した、『備品』と書かれた、一番小さなテントへと、確かな足取りで向かう。
そのテントの中で、山のように積まれた、安っぽい蛍光イエローのベストを、一人で、黙々と(しかし、どこか疲れ切った様子で)畳んでいる、地味なポニーテールの少女がいることなど、二人は、まだ知る由もなかった。
「……あの」
テントの入口で、ステラが、不機嫌そうに声をかけた。
「……タナカに、ベスト貰えって言われた」
ベストを畳んでいた少女が、ビクッと肩を震わせ、顔を上げた。
疲れた目に、隈がうっすらと浮かんでいる。だが、その目が、ステラと、その背後に立つアスエルを捉えた瞬間、驚愕に見開かれた。
「……え……? あ……はい」
少女は、慌てて立ち上がり、二人の(あまりの)美貌に、完全に気圧されていた。
「……あ、あの……タナカさん、また、無茶して……。私、『マイ』です。よろしくお願いします。……えっと、ベスト、どうぞ」
マイと名乗ったその少女こそが、この後、ステラとアスエルの地上生活において、唯一にして最大の「常識」という名の「友人」になることを、この時の三人は、誰も知らなかった。
## 第五話:履歴書と外面
(パート3)
蛍光イエローの安っぽいベストを(不本意ながら)羽織った二人は、マイに案内され、例の「城」へと向かった。
その「城」の正体は、ステラとアスエルの想像を遥かに下回る、哀れな代物だった。
「…………」
ステラは、空気が抜け、哀れに萎んだ、巨大なビニール製の遊具を睨みつけた。
「……これが、『城』……?」
「あら。随分と『破壊』し甲斐のなさそうな、薄っぺらい城ですこと」
「あ、はは……。B級グルメフェアの、子供向けアトラクションなんです」
マイは、困ったように笑いながら、遊具の横に転がっている、無骨な機械を指差した。
「タナカさんが言ってた『膨らませろ』って、これのことです。この送風機のコンセントを、あっちの発電機に繋いで、スイッチを入れるだけで……」
「……送風機?」
ステラは、その機械を蹴飛ばしそうになるのを、ぐっと堪えた。
「……チッ。こんなモン。あたしが『創造』の力を使えば、一瞬で、もっとマシな『城』に……」
「(ステラ、ダメですわ。目立ちます)」
アスエルが、小声でステラのパーカーの袖を引く。
「(……分かってるよ!)」
ステラは、忌々しげに舌打ちすると、マイに言われた通り、発電機から伸びる太いコードを掴み、送風機へと繋いだ。
マイが、発電機のスターターを引くと、けたたましいエンジン音が、公園中に響き渡る。
「「ッ!?」」
天使と悪魔は、その「地上の騒音」に、揃って顔をしかめた。
「うるせえな、この機械!」
「実に、美しくない音ですわ!」
「ご、ごめんなさい! これで、スイッチを……オン!」
マイが送風機のスイッチを入れた瞬間。
ゴオオオオオ、という轟音と共に、萎んでいたビニール製の「城」が、みるみるうちに空気を吸い込み、その巨大で、そして恐ろしく安っぽい全貌を現した。
「「…………」」
「わ、わぁ……。今日も、カラフルですね……」
マイだけが、虚ろな目で、その完成品を見上げていた。
「……ケッ。できたぞ」
「ええ。実に、非効率な『創造』でしたわ」
「は、はい! じゃあ、私達は、この『城』で遊ぶ子供たちの列を整理するのが、お仕事です!」
マイが、慌ててパイロンとロープで簡易的な列を作っていく。
「あ、あの、お二人とも、見た目が、その……すごく目立つので、子供たちが集まってきちゃうかも……」
マイの予感は、的中した。
イベントが本格的に始まると、B級グルメの匂いに釣られた家族連れが、この安っぽい「城」にも殺到した。
そして、その入口に立つ、異様な存在感を放つ二人に、子供たちの視線は釘付けになった。
「うわー! あの、あかいおねーちゃん、カッコイイ!」
「きんぱつのおねーちゃん、おひめさまみたい!」
「……チッ」
「……あら」
「こら、テメェら! 押すんじゃねえぞ! 一列に並べ!」
ステラは、早速、持ち前の「ガキ大将」気質を発揮した。ツリ目を細め、腕を組み、仁王立ちになる。その威圧感に、騒いでいた子供たちが、ピタリと静まり返った。
「そうだ! 順番だ! 泣いても喚いても、順番は変わらねえ! 分かったな!」
((……わ、わかったー!))
子供たちは、その迫力に押され、奇跡のように整然とした列を作り始めた。
一方、アスエルは、その隣で、完璧な「天使の笑顔」を浮かべていた。
「あらあら。皆様、お行儀がよろしくて、感心ですわ」
彼女は、列からわずかにはみ出そうとした子供の前に、ふわりと屈んだ。
「……坊や。列を乱すのは、美しいことかしら?」
「……え?」
「もし、あなたが、この『城』の中で、お友達にぶつかって……そう、例えば、この薄いビニールが、破れてしまったら……」
アスエルのタレ目が、優雅に細められる。
「……二度と、遊べなくなってしまいますわ。それは、とても、とても……『非効率』ですわよね?」
「……ひっ」
その子供は、顔を真っ青にして、列の中へと戻っていった。
「(……す、すごい……)」
マイは、その光景を、信じられないものを見る目で眺めていた。
(鈴木さん(ステラ)は、まるで暴走族のリーダーみたいだけど、子供たちが怖がりながらも、言うことを聞いてる……)
(佐藤さん(アスエル)は、完璧な笑顔なのに、子供たちが、本気で『死』を覚悟したような顔で、固まってる……!)
二人の「本質」が、図らずも「子供の整理」という業務において、完璧なシナジーを生み出していた。
おかげで、タナカが最も恐れていた「子供の怪我によるイベント中断」の危機は、完璧に回避されたのだった。
---
昼過ぎ。
交代で取る、三十分の休憩。
三人は、備品テントの裏で、タナカから支給された、ぬるいお茶のペットボトルを片手に、空のコンテナボックスに腰掛けていた。
公園の喧騒が、遠くに聞こえる。
「……ふぅ。疲れた……」
マイが、ぐったりと背中を丸めた。
「……ケッ。あのガキども、無限に湧いてきやがる」
ステラも、乱暴にペットボトルのお茶を呷った。
「ええ。ですが、あの程度の『労働』。故郷の『任務』に比べれば、遊びのようなものですわ」
アスエルだけが、涼しい顔で微笑んでいる。
「……あ、あの、お二人とも、すごいですね」
マイが、尊敬の眼差しで二人を見た。
「あんなに子供たちを完璧にコントロールできる新人さん、初めて見ました……」
「「……(フン)」」
((当然だ))
((当然ですわ))
二人は、満更でもない顔でそっぽを向いた。
そして、ステラは、おもむろに、パーカーのポケットから、あの「カオスな履歴書」を、ぐしゃぐしゃのまま取り出した。
「……おい、マイ」
「は、はいっ!? 鈴木さん?」
マイは、突然の呼びかけに、ビクッと肩を震わせる。
ステラは、その履歴書を、マイの目の前に突きつけた。
「……これだ。この、『志望の動機』って欄。……ここ、一体、何を書くのが『正解』なんだよ」
「えっ?」
「私達も、疑問に思っておりましたの」
アスエルも、自分の履歴書(こちらは几帳面に四つ折りにされていた)を取り出す。
「この、『写真を貼る』という欄。……私達の『肖像』を、この紙片に、どうやって『転写』するのです?」
「え……? えええっ!?」
マイは、二人の顔と、二枚の(とんでもない内容が書かれた)履歴書を、交互に見比べ、完全に混乱していた。
「お、お二人とも……もしかして、履歴書、書いたこと、なかったり……?」
「……チッ。うるせえな」
「……あら。地上に降りて、まだ三日目ですもの」
「(み、三日目!? どういう設定!?)」
マイは、頭がクラクラするのを必死で堪えた。
だが、目の前の絶世の美少女二人が、本気で困っているのは、痛いほど伝わってきた。
(……この二人、見た目は完璧なのに、中身が、ものすごく……『ズレてる』……!)
「あ、えっと、あの……!」
マイは、自分の(使い古した)カバンから、予備で持っていた履歴書セットを取り出した。
「しゃ、『写真』は、『スピード写真』っていう、駅前とかにある箱みたいな機械で、お金を入れると撮れます!」
「……金を取る箱……」
「『合理的』ですわ」
「そ、それで、『志望の動機』は……」
マイは、二人の履歴書に書かれた「獅子の改良」や「ジョッキの分解」という、謎の職歴(?)を、必死で見ないフリをした。
「……そ、その、なんで、この仕事がしたいか、を書くんです! 例えば……えっと……」
マイは、必死で「無難な言葉」を探した。
「『イベントが好きだから』とか、『接客の経験を積みたいから』とか……。あ、あと、『家が近いから』とかでも、全然オッケーです!」
「「…………」」
ステラとアスエルは、顔を見合わせた。
((……『家が近いから』……? そんな理由で、いいのか!?))
「……つまり」
ステラは、納得がいかない、という顔で腕を組んだ。
「……本気で、『金が欲しいから』とか、『仕方なく』とか、正直に書くんじゃなくて……」
「……建前を」
アスエルが、その言葉を引き継ぐ。
「……『体の良い、無難な理由』を『創造』して、書け、ということですわね?」
「そ、そう! それです!」
マイが、ブンブンと首を縦に振る。
(佐藤さん、なんか怖いけど、理解が早い!)
「……ケッ」
ステラは、深く、深いため息をついた。
「……地上ってのは、クソ面倒くせえ世界だな、おい」
「ふふっ。ですが、ルールが分かれば、対処のしようがありますわ」
アスエルは、マイに向かって、完璧な笑顔を向けた。
「……ありがとうございます。貴方のおかげで、私達の『知』は、また一つ、更新されました」
「あ、あの……」
ステラも、ボリボリと赤髪をかきながら、マイから視線をそらした。
「……まあ、その……。助かった。……マイさん」
「えっ」
マイは、目を丸くした。
「『さん』……!?」
「あァ!? 文句あんのか!?」
「い、いえ! とんでもないです! (なんか、鈴木さんに『さん』付けされると、すごい威圧感……!)」
だが、マイは、嬉しさで、少しだけ頬が赤くなるのを感じていた。
「ど、どういたしまして! 鈴木さん! 佐藤さん!」
この瞬間、三人の間に、奇妙な「友情」と、「師弟関係」(地上ルールにおける)が、芽生えたのだった。
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夕方。
B級グルメフェアの喧騒も、ようやく終わりを告げた。
疲れ切ったスタッフたちが、備品テントの前に集められる。
「おーし! お前ら、お疲れー!」
タナカが、現金の入った茶封筒の束を持って、叫んだ。
「マイちゃん、いつもサンキュな! はい、これ!」
「あ、ありがとうございます!」
「それから……えーっと、『鈴木』と『佐藤』!」
「「……(あァ?)(はい)」」
「……オマエら、マジで何者か分かんねえけど、助かった! 『城』、無事だったし、クレームもゼロだ! ほらよ!」
タナカは、二人に、乱暴に茶封筒を投げ渡した。
ステラとアスエルは、それを無言で受け取る。
中には、数枚の紙幣。
昨日、ダイヤと金塊で手に入れた金額とは、比べ物にもならない、わずかな「カネ」。
「……解散!」
タナカの号令で、スタッフたちが、ぞろぞろと帰っていく。
「お疲れ様でした、鈴木さん、佐藤さん」
「……おう。マイさんもな」
「ええ。ごきげんよう、マイさん」
マイと別れた二人は、すっかり日が暮れた、帰り道を並んで歩いていた。
二人を包むのは、ヘブンにもヘルにも存在しなかった、心地よい「疲労感」だった。
「……クッ……」
ステラが、急に立ち止まり、自分の肩を揉み始めた。
「……肩、凝った……。一日中、立ちっぱなしとか、やってられるかよ……」
「あらあら」
アスエルも、優雅に首を傾げる。
「私も、一日中、完璧な笑顔を維持しておりましたから。少々、頬の筋肉が、疲れましたわ」
ステラは、手の中の茶封筒を、月の光に透かすように見た。
「……ケッ。こんだけ働いて、これっぽっちかよ。割に合わねえな」
「ええ。私の『金塊』に比べれば、塵のようなものですわ」
「……だが」
ステラは、その封筒を、大事そうにパーカーのポケットにしまい込んだ。
「……だが?」
アスエルが、静かに問い返す。
「……悪く、ねえ」
ステラは、アパートを見上げ、そっぽを向いたまま、呟いた。
「……この、『バイト』ってやつ」
アスエルは、その言葉に、目を細めた。
月明かりの下、そのタレ目には、この世界に来て初めて、本心からの穏やかな光が宿っていた。
「……ふふっ。ええ、ステラ。
――全く、悪くありませんでしたわね」




