社内モニターは恋をする
月曜の朝、総務から一斉メールが届いた。
【重要】新アプリ「ペアログ」社内モニター募集(※恋愛系ではありません)
二人一組で1週間利用・日報提出必須。参加チームにはランチ券×10、最優秀には有給1日!
——恋愛系ではありません。
その注釈がついている時点で怪しい。
だが、有給1日の誘惑に勝てる社会人がどれほどいるだろう。
「佐伯さん、また変なボタン押しましたね」
隣の席から顔を出すのは経理の鶴見さん。冷静沈着、無表情担当。
「いやいや、『参加希望者は挙手』ってあったから“はい”押しただけで」
「“ペアを作る”の横の“はい”です」
「……誤入力です」
「経理的には誤伝票です」
気づけば総務が自動でペアを組んでくれていた。
広報:佐伯/経理:鶴見。
よりによってこの組み合わせである。
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1日目 長所を三つ言えミッション
アプリ「ペアログ」は、AIがチーム会話を解析し“協働親和度”を算出するツール。
業務改善目的らしいが、社内では早くも「社内恋愛推進アプリ」と呼ばれていた。
【ミッション】相手の長所を3つ書いて送信せよ(制限時間10分)
「制限時間、短すぎ」
「長所……経費締切を守る、数字に強い、あと——マグボトルがいつも熱そう」
「最後、物理的長所ですよね」
「冬は湯たんぽ代わりになる」
「人を暖房扱いしないでください」
ピコン。
【評価:D】入力なし。誠意不足を検知しました。
「AI、容赦ないな」
「あなたがふざけてるだけです」
「じゃあ鶴見さんも言ってよ。俺の長所」
「……謝るのが早い。あと、差し入れのセンスが良い」
「もう一つ!」
「声が大きい」
「短所では」
「短所と長所は勘定科目上、表裏一体です」
ピコン。
【評価:B】2.5個入力。最後の項目は保留。
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2日目 ランチ誘導ミッション
午前、経理に伝票を持っていくと、鶴見さんが電話で格闘していた。
「おにぎり1個でも領収書は必要なんです。はい。
ただ“おにぎり(鮭)”まで書くのは品目なので、“飲食代”にまとめてください。
いえ、“鮭”は悪くありません。……はい……はい……」
電話を切ると、魂が米粒みたいに抜けていた。
「おつかれ。鮭は悪くない」
「鮭は悪くないですね」
そこへアプリが通知を出す。
【ミッション】自然に相手をランチに誘え
成功判定:自然さスコア0.7以上
「自然さ、ねぇ…」
「経理に“自然”はありません。あるのは根拠だけです」
「じゃあ根拠で誘う。“今日、カレー率が高そうだ”」
「どんな統計ですか」
「月曜は“リセット飯”が欲しくてカレーが売れるんだよ」
「p値いくつです?」
「知らんけど腹減った」
「……行きましょう」
ピコン。
【評価:A-】根拠提示型誘い文句、好印象。
「Aマイナスでも嬉しい」
「マイナス部分にも誇りを持てるタイプなんですね」
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3日目 噂とKPI(キュンPer)
昼、営業の後輩が言った。
「先輩、キュンPerすごいっすね!」
「何それ」
「ペアログが出してる“キュンPerインタラクション”。今2位ですよ」
社内の空気がざわつく。
総務の佐川さんがサムズアップ。
「順調ね!恋愛じゃないけど、キュンPer高い高い!」
「やめてください、その社内体操みたいな掛け声」
夜、アプリが通知。
【夜の雑談ミッション】寝る前に“今日いちばん笑ったこと”を送信せよ。
《今日いちばん笑ったのは、“鮭は悪くない”のところ》
《鮭は悪くないです》
再びそのやり取りを思い出して笑う。
AIは相性を測ってるはずなのに、
測られているのは人間らしさかもしれない。
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4日目 Teams事件
午前会議。資料を投影していたら、Teamsの通知がポップアップした。
《カレーおいしかったですね。また行きたい》
……会議室が静止。
課長がゆっくりこっちを見る。
「“また行きたい”んだ?」
「い、いや、“まだ行きたい”の誤変換です」
「意味が通じません」
会議室が爆笑に包まれる。
机の下で足をこつんと蹴られた。
「“また”です」
「はい」
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5日目 デモと即席劇場
午後、総務が走ってきた。
「外部デモ、今日に繰り上げ!“ペアログ”の実例が必要なんです!」
だがデモ用データが吹き飛んだ。
「どうしよう……」
「……五分ください。やりましょう」
会議室で録音スタート。
即席の“自然会話デモンストレーション”を実演することになった。
「今日の議題:“愛は経費に入るか”」
「入りません。無形固定資産にもなりません」
「じゃあ“社内好感度による生産性上昇”は?」
「錯覚資産です。月末に蒸発します」
「蒸発しないよう広報でキャンペーンを——」
「予算ください」
「10万円」
「足りません」
「500万」
「多すぎます」
「じゃあ、有給1日」
「成立しました」
即席劇は会場で大ウケ。
AIが会話をリアルタイムで解析・投影し、拍手が起こった。
後で聞いた話では、社長が「こういうユーモアを社風に」と褒めたらしい。
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6日目 継続ボタン
夜。
アプリに“ペア継続ボタン”が追加されていた。
「1週間終了後もペアを継続しますか?」
私は迷って、押さずに画面を閉じた。
代わりにメッセージを送る。
《ペアログ、面白かった。明日で終わり。“またカレー”行きませんか》
《有給の使い道、決まりましたね》
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7日目 報・連・相
最終日、全社ミーティング。
結果発表——
1位:広報&経理(佐伯—鶴見)。
「コメントお願いします」とマイクが回ってくる。
「経理の人、厳しいって言うけど……面白いです」
「広報の人、うるさいです。でも役に立ちます」
笑いが起こる。
私は続けた。
「ちなみに、“この先もペアを続けるか”ってボタンがありまして」
「あなた、押したんですか」
「押す前に、相談しようと思って」
「相談の定義に“全社員の前で言う”は含まれません」
「広報の相談は公開型なんで」
「経理は非公開型です」
「じゃあ非公開で、昼休み」
「カレーでよければ」
「もちろん」
拍手。
スライドには「最優秀賞:有給1日」。
SEチームがガッツポーズ。
エレベーターに乗る。鏡越しに目が合う。
「ところで、“ペア継続ボタン”押していい?」
「経理的には、根拠が必要です」
「期待効果:ストレス減少。合意:今ここに。運用:月二カレー」
「合理的ですね。押下を許可します」
画面をタップ。
アプリの最後の表示は、意外なほどシンプルだった。
ペアを継続しました。
次回ミッション:報・連・相(カレーの日時を決めよ)
「次はどの店にします?」
「最初の店」
「了解。鮭は?」
「今日はカレーです」
二人で笑う。
オフィス街の昼。信号の青。
私たちは“月二のカレー運用”を開始した。
報告:有給はカレーに使います。
連絡:ペアは継続中。
相談:うどん、いつにします?
——END——




